どうも最近、泣くのが流行っているらしい。

テレビ番組でも、アナウンサーはすぐに泣くし、政治家もスポーツ選手も
ここぞ、という時には、必ず涙のサービスが始まる。

ヴラジーミル・ホロヴィッツは、晩年、評判がよくなかった。

日本でのコンサートのチケットは、数万円もして、普通の人は、買うことが
できなかったし、演奏内容の評価も散々だった。

ただ、チケット料金は、プロモーターの問題で、本人に罪はない。

それに、コンサートがつまらなかったとしても、そのチケットが高額だったから
不満が大きくなるということも、実は、それほどないような気がするし
逆に安かったから、あきらめがつく、ということもないのだ。

ホロヴィッツが母国で行ったコンサートのビデオを見たことがある。

崩壊寸前の旧ソビエト。華やかだけれど、どこか殺伐とした空気も漂っている。

よわよわしいタッチに衰えを感じるが、すでに80歳を過ぎ、ようやく帰国した巨匠の
亡くなる3年前の演奏だ

カメラは、時折、聴衆の顔をゆっくりと移動する。
その顔のアップはどれも感動的だ、音楽を聴く人間の顔たち。

涙をながす人も多い。

気難しい顔をした中年の男性の目から、一筋、静かに、涙がこぼれる。

この聴衆の涙は、昨今のテレビ画面に溢れている、一山いくらの涙とは
まったく違う種類のものだと思うのである。





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