最後の大会

イタリア人は、世界一、喜ぶのがうまい国民かもしれない。
見ていて、少なくとも、イヤな気持ちにはなりませんからね。

今回の大会は、スターの引退興行という趣だった。

フィーゴの最後のヌーノゴメスへの美しいセンタリングも、ジダンのあっけない
退場劇も、ストップモーションのように映った。

内容の濃い、質の高いゲームが多かったが、あまりに守備的で、攻撃は軌道が読めない
無回転のシュートが象徴するように、結局、方法論を確立できなかった。

ナショナルチームの限界を見る思いだった。

全試合を見たが、残念ながら、日本は、参加国中で最も醜い無残なチームであった。
それにしても、ポルトガルのPKの時のアンリの倒れ方は、醜かった。

彼を世界最高のフォワードという人は多いが、私は単なる効率よく点をとるマシンに
過ぎないと思う。ポルトガルのフェリペは、すばらしかった。

やはりサッカーの監督は盗賊の親分のようなタイプが似合うものだ。

大会を通じて、印象に残るのは、コートジボアールのボールタッチの繊細さ
クリスティアーノ・ロナウドの「次世代フリーキック」のおそるべきパワー。
80年代のフランスを思い起こさせるメキシコのインパクト。。。
いろいろと印象に残る場面はあった。

ただ、、、サッカーというのは、いつから組織の質と合理性を追求する競技になったの
だろうか?
そのせいか、日本では、チェスの解説のようなサッカー記事が氾濫している。

なぜ、ワールドカップは、PKを簡単に外すようなメンタリティの選手の集まりに
なったのだろうか。強靭な体格と筋肉ばかりが目立つアスリートの力任せの
ディフェンスやゴール前の肉弾戦に心が躍るだろうか?

回転せずに、軌道が予測できないフリーキックがゴールネットを揺らしたからといって
何が楽しいのだろうか?
回転しないシュートと貧弱なメンタリティは、どこかで繋がっているのではないだろうか?

今回は、サッカーのひとつの時代の終わりを告げる大会だった、と誰もが締めくくる
だろう。だが、私は、これは、サッカーというスポーツが美しかった時代の
終焉を意味するのではないかと思うのである。

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中田の引退で日本は大騒ぎになっている。サッカー選手というのは、年齢に応じた
ポジションを探しながらキャリアを続けるのもひとつの選択だが、それをしないのも
ひとつの選択だ。

もし、彼がヨーロッパで生まれていたら、ローマの活躍の後、すぐにプレミアに
行っていたらと、いろいろ、考えるけれども、まあ仕方がない。
これが人生だ。
中田には、たくさん楽しませてもらった。
感謝したい。

報道によると、引退後は、ビジネスの世界に行くそうだ。
これから、彼がサッカーで成し遂げた以上の創造的な仕事ができるかどうかは疑わしいが
まあやりたいのなら仕方がない。
まあ、どうでもいい。
監督になるならともかく、ピッチの外の彼にはまったく興味がない。

中田の引退で、日本のサッカーも、青春時代を終えたようであるが大人に
なれるかどうかは、わからない。


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