しょうゆ革命

現在、日本ではバターが買えない。

2006年ごろから、牛乳の消費量が減っていることを受けて、政府は、生産調整を行った。
どうやら、その調整の計画が失敗だったらしく、2007年には、バター原料のためのミルクが
不足することとなった。
2008年に入ってから、店からバターが消え、現在もほとんど店頭にバターが並ぶことがない。

しかし、私は、このことを知ったのは、バター不足が報じられてから一ヶ月ほど経ってから。
スーパーでパニックになったというニュースも聞かない。

つまり、普通の家庭では、バターが無くなっても、少々不便、というだけで、それほど
問題になっていない、ということのようだ。

今日も、スーパーには、バターが並んでなかった。
噂によると、隣町の牛乳の直営店では、売っているらしいが、そこに人が殺到している
わけではなさそうだ。

もしこれが、バターが必需品、という国だったら、大変なことになっていたかもしれない。
政府に非難が集中し、政権が揺らぐような出来事なのかもしれないのだ。

もし、これが、醤油(しょうゆ)だったら?

想像するだけで恐ろしい。政権交代どころではない、革命騒ぎになるかもしれない。
私だって、少々、政策に無理があっても、醤油を確保してくれるグループを支持するだろう。

革命政権は、まず、醤油大臣を置き、なによりも醤油の確保を第一にした憲法を発表する。
ソース派の一部が、亡命する騒ぎになるかもしれない。

バターでよかったですね。



Let my children hear music

チャールズ・ミンガスといえば、これ。

オーケストラ作品のように、第一楽章、第二楽章、というような構成になっている。

チャーリー・マリアーノは、他の作品同様、これも、別録りだったかもしれないが
ここでも、やっぱり美しいサックスを吹いている。

マリアーノは、この時期のミンガスにとっての、ジョニーホッジスということらしい。
木管的なやわらかいアルトの音が好きなんだと思う。

それにしても、マリアーノの演奏は、あまりにも情熱的で、逆に
どういう気持ちで演奏していたのか、わからなくなってくるようなところがありますね。
不思議な人です。

ミンガスは、オーボエが好きみたいだ。

他の曲でも、オーボエに重要なメロディを吹かせていることがあって、これが
やっぱり、印象に残る。

ミンガスという人は、曲も演奏も限りなくセンチメンタルだけれど、甘ったるくならない。
ちょっと不思議だけれど、そこが、芸術家としての「品のよさ」ということかもしれない。

いい顔をしている。ちょっとああいう顔のミュージシャンは、なかなかいません。
時々映像で見かけるシャイな笑顔もいい。

晩年は、演奏に参加せず、座っていただけだったことも多かったらしいが
それでも、ミンガスが生きて、聴いていた頃のミンガスチルドレンの演奏と
亡くなった後の演奏は、何かが違う。

人が死ぬ、というのは、こういうことなのだ、と気づかせてくれる。

知り合いの子供の前で、このCDを、かけてみたことがある。
楽しんでいたかどうかはわからないけれども、大人しく聴いてましたよ。
途中に出てくる動物の鳴き声で、「アッ!」という顔をした。

ミンガスという人は、ミュージシャンには尊敬されているが、一般の評価は
それほどでもないみたいだ。

何か、ジャズの歴史を一人で背負っているような印象もあるけれど
だからといって、リキむでもなく、ただ、音楽を生きた人だ。

ミンガスの音楽は、いつも、何を聴いても美しいし、本当の理解者には
尊敬され、愛されている。
まあ、それでいいじゃないか、と思うのだ。

Let my children hear music を聴いても、何も感じないという人とは
友達にはなれそうにない。



おもてなし

私は、「おもてなし1」が苦手だ。

旅行の雑誌やサイトには、宿の紹介がたくさん載っている。

読んでいると
「女将(おかみ)の気遣いがところどころに見られ、、、」
「趣向を凝らした意匠(いしょう)の飾り付けが、、、」
「目配り、気配りの行き届いた、、、」
という表現が目立つ。

あるいは、すでに常連らしいライターが
「私の好みだけではなく、持病で食べにくいものまで熟知した料理長の夕食は、、、」
なんて書いている。

こういう文章ばかり、ということは、多くの人が、旅館やホテルのサービスでは
部屋の広さや調度品よりも、いかに、自分に気を配ってくれるかを重視している
ということだろうか。

しかし、私は、こういう宿には絶対に泊まりたくない。

夕食を残すと、思いつめたような顔で「お気に召しませんでしたか」と
聞いてくる。

廊下を歩いていて咳をひとつしただけで、女将が従業員に風邪薬を
取りに行かせる。

浴衣のすそがちょっと長いかなと、思っていると、風呂からあがった時には
部屋に、もう、新しいゆかたが準備してある。

ああ、想像しただけでゾッとする。翌朝までにヘトヘトになりそうだ。

こういうのを、私は、「おもてなし地獄」と呼んでいる。

  1. hospitality []

細々としたこと

地方経済の疲弊とか、マイクロソフトの迷走とか、オリンピックとか、大事なことは
たくさんあるが、人は、たいていの場合、こまごまとしたことを心配したり
考えたりしながら生きているのだ。

ベランダに鳩が来るようになって困った。
ハリガネは張ったし、鳩よけのシートというのも買ってみた。
磁石が効くという説もあるが、ちょっと高い。1500円で無駄だったらイヤだ。
CDを吊るすと、光に反射して鳥は怖がるらしい。
でも、窓の外にCDが吊ってあるというのは、あまりに殺風景だ。

ヨーグルトメーカーで作ったヨーグルトを毎朝食べるようになった。
便通が劇的によくなった。おなら連発。
どうやら、おならが臭くなったみたいだ。
これまで、おならをしても、反応しなかった空気清浄機が敏感に
反応するようになった。

醤油さし、ちょっと今使っているのは、小さい。
すぐに無くなるので、大きめのものを買おう。
陶器は見た目がいいけど、減り具合がわからない。
ガラスは割れる。プラスティックは、安っぽい。難しいねえ。

めだか、は、とうとう一匹だけになってしまった。
でも、この一匹はどんなことがあっても生き延びる。強い。

ベランダに作ったミニ藤棚(ふじだな)は、花がつかなかった。
順調につるは伸びているので、来年が勝負だろう。

最近、食品関係の本をたくさん読んだ。
いろんなことを知ってしまった。
もう、ベジタリアンになろうか。。。



向き不向き

職業選択の自由、というのがありますね。
これは、日本では、かなり進んでいるけれど、隣国ではなかなか難しいことのようだ。

日本の大企業は、諸外国に比べて、一族経営というのは少ない。
技術者出身の社長は多いし、農家の息子が、国際的な大企業の社長になることは
決して、珍しいことではない。

この点では、欧米の国々よりも、チャンスは平等にあるような気さえするが
多くの日本人は、未だに、外国のほうにチャンスが溢れいている、と信じているようだ。

ただし、女性は出世しにくい土壌はまだある。

おそらく、日本の女性は、総合的な仕事の能力を伸ばすよりも、専門的な
知識や能力を磨きたいという傾向が強く、それが、日本の組織の中での出世コース
とは微妙にずれている、ということがあるのかもしれない。

多くの若者にとって、仕事を決める基準は、やってみたい職業、カッコいい職業
儲かりそうな職業、安定している職業ということであって、自分がその職業に
向いているのかは、それほど重視しないようだ。

それに加えて、あらゆる職業の専門性は薄まり、マニュアル化が進んでいることも
人々の意識に、微妙な影響を与えている。

おそらく、ほとんどの人が、どんな職業でも、3年もやれば、一人前になれるのではと
考えているのではないだろうか。

今、日本には、手先の不器用な外科医、読書が嫌いな書店員、味覚に問題があるシェフ
説明が下手な教師、がゴロゴロしているし、特にそのことに疑問を抱く人はいない。

東京都や大阪の知事も、総理大臣でさえ、どうやら、その職業に向いている人がなっているとは
いえないようだし、歌手や俳優のような職業でも、そうなのだ。

近所に、小さな台湾料理の店があって、30代の若い台湾人らしき夫婦が経営している。
無口なご主人は一日中、客に背を向けて料理を作っている。
愛想のいい奥さんは、いつも、ニコニコして、客である工場の男性らしき人と
談笑している。
時々、背中を向けたままのご主人をからかったりしている。

近所には、工場で働く人の社宅があり、その社宅の食堂代わりになっているようだ。
ラーメンとチャーハンのセットが750円。
ただ、小さい店なのに、メニューは豊富で、見たこともないような料理も書いてあり
背中を向けっぱなしの男は、只者ではない雰囲気を、少しだけ漂わせている。

この店の料理は何を注文しても、驚くほど、おいしいのだけれど、お客さんは皆、近所の人で
レストランを食べ歩くようなタイプではないから、「この店は、ちょっと美味しいからな」
という顔をして、ビールを飲みながら、モリモリ食べているだけだ。

この店の夫婦は、とても幸せそうだし、近所の人々も、こういう店が近くに、あることは
とても幸せなことだと感じているに違いない。

そして、この店に来るたびに、向いている仕事を選ぶということは、自分だけでなく他人をも
幸せにするのだなあと、思うのだ。