憂鬱なリーダー
敬語は難しい。
状況に応じて、適切な敬語を選び、自然なイントネーションで話す。
たったこれだけのことができないのだ。
学校に入り、他人と接する機会が増えると、少しづつ敬語を使う機会が増える。
しかし、たいていの場合、本格的な敬語の勉強は、大人になってから始めることになる。
高校や大学を卒業し、会社に入ると、まず最初に教わるのが敬語と
誰に対して敬意を示すべきか、ということだ。
ここで、敬語というのは、こんなにも、面倒なものなのか、と気がつくことになる。
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日本の総理の敬語は、おかしい。
この人は、記者会見が好きなようだが、何かというと
「~と、存じます」
というのだ。
「来年度までには、メドをつけたいと、存じます」
「やや回復のきざしが見えてきたと、存じます」
「存じている」というのは、本来、知っている、認識している、という意味だと
思うが、彼は、どうやら、「思います」「考えます」の謙譲語として使っているようだ。
認識している、より、やや積極的な表現として。
文法的に問題があるというのではないが、まず首相が
記者会見で国民に向かってメッセージを出すのに、頻繁に、謙譲表現を使うのは
おかしいのではないか?
しかも、この謙譲表現は、慇懃(いんぎん)に響く、という欠点を持っている。
慇懃というのは、謙譲表現を使ってはいるが、決してへりくだっているのではなく
「いちお形式上、謙譲表現を使いますが、これは、決定事項だから、あなたの
意志に関係なくやりますよ」という含みがある、ということだ。
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これは想像に過ぎないのだが、もしかすると、彼は、こういう表現を使う人々に
囲まれて育ったのではないだろうか。
ある意味で、不幸な子供時代、その後の一見、順調な人生。
もしかしたら、この人物の笑顔には、とてつもない孤独が潜んでいるのではないか?
大きな選択の場面でいつもあいまいな決断しかできないのは、心の奥に
よどんでいる人間不信がそうさせるのではないか?
この「存じます」は、彼の小さな復讐なのではないか?
などと、いろいろと考えてしまう、口癖なのだ。
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