1998 / 09

 

09/01

1923年の今日、東京で大きな地震(じしん)があった。

記録(きろく)によると、だいたい95年の神戸の地震と同じ規模(きぼ)だった ようだ。 ただ、日中(にっちゅう)だったので、火事による被害(ひがい) が大きかった。当時は、木造(もくぞう)の建物が圧倒的(あっとうてき) に多かった。

また、人々はパニック状態(じょうたい)になり、東京に住む 外国人、主に朝鮮半島(ちょうせんはんとう)や中国大陸からきた人々を、「彼らが火を付けた」と、襲(おそ) ったりといった愚(おろ)かな行動に出た。 しかも、彼らは、当時、労働(ろうどう)人口を補充(ほじゅう)する ために強制的(きょうせいてき)に日本へ連れてこられた人々であった。

このころを知る人は、すでに90才前後で、少なくなった。

戦後、9月1日は防災(ぼうさい)の日となり、地震や火事に備(そな)えた 訓練
(くんれん)をする日になった。 しかし、神戸の地震でも、先週の大雨でも被害者(ひがいしゃ)は多かった。

日本の警察(けいさつ)や自衛隊(じえいたい)は、災害の度に、夜も寝ずに、 復旧(ふっきゅう)に努める。 災害時の救出のノウハウは、国際的にも高いそうだ。

日本の建築法(けんちくほう)は世界で一番、厳しいと言われている。 そのおかげで、建築技術は高い。しかし、東京でもまだ、古い建築は多く、 神戸と同じ規模(きぼ)の地震が、日中に東京で起きたら、東京は消滅(しょうめつ) してしまうのではないかと思う。

昨日は、北朝鮮から放(はな)たれたロケットが日本を越えて、太平洋に落ちたそうだ。 日本は憲法(けんぽう)は、防衛(ぼうえい)目的以外の軍事行動 (ぐんじこうどう)を禁じている。 しかし、これは、落ちてからでは遅い。

大変な「防災の日」になってしまった。

 

1998 / 09

 

009/03

朝晩(あさばん)は少し涼しくなりました。毛布(もうふ)が必要です。

そろそろ、夏も終わりなので、「夏」で思い出すことを少し書くと...。

小津安二郎の「浮草(うきくさ)」は、カラー作品。
キャメラは、例外的に 溝口健次(みぞぐちけんじ)の作品で知られる宮川一夫(みやがわかずお)。
浮草とは、川や池を漂っている草のこと。安定しない、社会的な 信頼(しんらい)がない職業を「浮草稼業(かぎょう)」ということがある。
旅役者(たびやくしゃ)の地方での公演(こうえん)を舞台にした この映画は、あまり見られなくなったが、夏のシーンが印象的だ。

東京から3時間電車に乗れば、田園風景(でんえん ふうけい)が見られる。 そこには、木陰(こかげ)もあるし、川の水が飲めるところもある!

早起きすると、朝露(あさづゆ)に湿(しめ)った植物の放(はな)つ 湿気(しっけ)が、体を休めてくれる。

「浮草」はリメイクで、オリジナルは白黒。こっちのほうがいいという 人もいる。白黒版のタイトルは「浮草物語」これはまだ見てない。

 

1998 / 09

 

09/07

映画監督の黒沢明氏が亡くなった。88才。

追悼(ついとう)の言葉は これから、いろんなところで、聞かれるだろう。

私は7.8本しか見ていない。これは、30代の日本人としては、多いほうではないだろうか。

70年以降は俳優(はいゆう)に恵(めぐ)まれなかったように思う。特にカラー時代は日本ではまったく評価されていないといっていいだろう。

彼が作った日本製のサムライ映画のイメージに後の映画監督達は苦しむことになるが、 しかし、それだけ、黒澤監督の映画には、力があったということだ。

 

1998 / 09

 

09/08

黒沢監督の死は、日本で大きく報じられている。

最近の黒沢監督の映画の資金(しきん)は、ほとんどが海外(かいがい) のものだった。 遺作(いさく)となった「まあだだよ」を東京の下町(したまち) の映画館で見たが ,観客は少なかった。助演(じょえん)の香川京子 (かがわ きょうこ)の白い手が印象(いんしょう)に残っている。 当時のメディアの扱(あつか)いも、低いものだった。

70年以降、映画好きの間でも、マスコミでも黒沢の映画が話題に上ることなど、ほとんどなかったと言える。 もちろん、戦前、戦後を通じて、国も企業(きぎょう)も映画に 理解(りかい)がなかった。東京にあるフィルムセンターは、管理がずさんで 一度、火事を起こし、貴重(きちょう)なフィルムを焼いてしまっている。

これから、1か月くらいは、「クロサワブーム」で彼の映画を見る人は 増えるかもしれない、しかし、10月になれば、皆、新しいハリウッド映画 を見に、映画館に駆(か)けつける。日本はハリウッドにとって重要な市場に なっている。

東京では、1本、1800円だ。おそらく世界一高いと思う。1800円は日本では マクドナルドのハンバーガーが27個買える。 信じられますか?

 

1998 / 09

 

09/09

黒沢監督は時代劇(じだいげき)の脚本(きゃくほん)を準備していた そうだ。

しかし、もはや ハリウッドで西部劇(せいぶげき)を作れる監督はクリントイーストウッド ぐらいだろうか? 日本では、黒沢監督の他には考えられない。

実は、黒沢監督の時代劇は、オーソドックスなものではない。 効果音(こうかおん)や、死に方など、それまでの映画とは、まったく 違っていた。簡単(かんたん)に説明すると、リアリズムから離れ、おおげさに、おもしろくしたのだ。

フォード、ホークス、シーゲル、イーストウッド、とリレーのバトンが つながったハリウッドに較べると、日本では、心もとない。

黒沢の残した時代劇の脚本は、イーストウッドか、コッポラに任せるしかない。

 

1998 / 09

 

09/11

「Runaway train」という映画は監督がアンドレイコンチャロフスキー。
85年に公開された。主演はジョンボイド。

脱獄(だつごく)した囚人(しゅうじん)が乗った列車(れっしゃ)の ブレーキが故障し、暴走(ぼうそう)しはじめる。日本でのタイトルは 暴走機関車(ぼうそうきかんしゃ)。

囚人を追いかける警察所長(けいさつしょちょう)との列車での決闘 (けっとう)は、迫力(はくりょく)があり、ラストシーンも心に残る。

原作脚本は黒沢明。最初は、彼がアメリカで撮影する予定だった。 3回、実現(じつげん)しかかって、結局、監督はできなくなり、 コッポラにコンチャロフスキーを紹介してもらった。 コンチャロフスキーは、黒沢の信奉者(しんぽうしゃ)。
その結果、クロサワタッチのアメリカ映画で、ロシア人が監督という面白い 映画になった。まだ、当時はソビエトだった。

あなたの近くのビデオ屋に黒沢の映画がなかったら、この映画をどうぞ。
DVDでも、英語の字幕(じまく)付きの「七人の侍」(
Seven Samurai ) が発売されている。

 

1998 / 09

 

09/12

インターネット上では、背景の色が上から少しずつ現われる効果(こうか) は難しい。最近は時々みかけるが、時間がかかるので、使う人は少ない。

映画でこの手法(しゅほう)をワイプという。黒沢はこれをよく使った。
若い映画監督で、これを使う人は少ない。すでに古い手法だと考える人も多い。

また、黒沢の映画には、雨が降っていることが多い。有名なのは「七人の侍」 (しちにんのさむらい)の土砂降り(どしゃぶり)のシーンだ。

また、旗(はた)がよく出てくる。いつも強い風に、はためいている。

私の映画好きの友人は、どしゃぶりの時は「くろさわの映画みたいだ」 と言い、天気がよいときは、「小津(おず)の映画みたいだ」と言う。 どこの国にもこんな映画好きは、いるものだ。 小津は、もう一人の日本映画の巨匠(きょしょう)で、彼の映画は、いつも 晴れている。

黒沢が亡くなった日曜日は、どしゃぶりではなかったが、急に雨が降った。

 

1998 / 09

 

09/15

今日の東京は台風(たいふう)。電車が止まりそうだ。

さて、昨日の15日は敬老(けいろう)の日。簡単(かんたん)に言うと 「老人(ろうじん)を尊敬(そんけい)して、親切にしましょう」という日だ。

人口における老人の割合は、スウエーデンやモナコが高く、20%前後 (ぜんご)だ。 日本の人口は約1億2千万人。現在、65才以上の人は、2000万人。 100才以上の人は1万人だ。

2015年には老人の比率(ひりつ)は25%となり、 世界一になるそうだ。 ちなみに、現在の日本人の平均寿命(へいきん じゅみょう)は、男性で75才。 女性は約80才。1組の夫婦から、生まれる子供の数は、非常に少なく、約1.3人 。

老人大国になる日は近い。

 

1998 / 09

 

09/17

最近、日本では、老後の住居(じゅうきょ)や、介護用品(かいごようひん) などのビジネスが盛(さか)んだ。

介護が必要になるのは、だいたい70才ごろからであることが多い。 介護の主力となるその子供は40代から50代。 日本では、40代に介護のために会社を休むことは不可能だ。残業(ざんぎょう) が多い世代(せだい)でもある。
結果として、主に介護には妻があたることになる。

「長男とは結婚しないほうがいい」というのはここから来ている。

また最近は痴呆症(ちほうしょう)になる人が多い。 これは、元々、塩分を多くとる傾向のある和食の影響を指摘(してき)する 人も多い。

痴呆の原因の多くは、脳硬塞(のうこうそく)の後遺症(こういしょう) であると言われている。高度成長期(こうど せいちょう き)のサラリーマンで 趣味の少ない男性が老後の時間をもてあまして、痴呆が進むことも多い と言われている。 40代で痴呆の親をかかえたサラリーマンの悩(なや)みは、深刻(しんこく)だ。

そして、彼等も、残業と介護のやりくりに追われ、趣味を育てる時間などなくなってしまう。

次の痴呆老人の候補達だ。

 

1998 / 09

 

09/21

食事の中で、最も、国の文化が現われるのは、朝食である。

日本に長く住み、日本の食べ物も、大好き。という人でも、朝食だけは オートミールを食べていたりする。

さて、日本の典型的(てんけいてき)な朝食とは、なんであろうか?

まず、ごはん。味噌汁(みそしる)の具(ぐ)は、豆腐(とうふ)が 妥当(だとう)なところだろう。これに焼き魚が加わる。塩じゃけであること が多い。この3つが基本。 この他に2.3つ、おかずがでることもある。

旅館(りょかん)などで出てくる朝食を参考(さんこう)にすると、のり、 納豆(なっとう)、漬物(つけもの)、生卵(なまたまご)などである。
生卵は、納豆にかけて、それをさらに、ごはんにかける人もいるし、生卵に しょうゆをかけて、かきまぜ、ごはんにかける人もいる。 これを、「たまごごはん」という。

さて、私の食べ方は、最初のごはんは、塩じゃけで食べる。塩じゃけは、「しっぽ」のところがおいしい。 納豆があるときは、2杯目を納豆で食べる。ないときは、たまごごはん。
最後にお茶を、ごはん茶碗(ちゃわん)に注ぎ、飲む。

 

1998 / 09

 

09/22

留守番電話(るすばん でんわ)の普及率(ふきゅうりつ)は高い。
今や、普通の電話を探すほうが難しいほどだ。

留守のときのメッセージは、一般的なものは、「ただいま、るすにしております 発信音(はっしんおん)のあとに、おなまえとメッセージをお願いします」 というものだ。 ほとんどは、女性の高い声で録音されている。

もちろん、自分で録音し、この文章を作ることもできる。私が聞いた中で、いちばん 短いものは、「メッセージおねがい」だった。 買った時は、いろいろとこのメッセージを作ったりするが、そのうちに飽(あ)きて 最初から設定(せってい)されている女性の声に戻すというのが、多いパターンだ。

面白かったのは、俳句(はいく)好きの外国人の留守番電話。

「お名前と、伝言(でんごん)あれば、頼(たの)みます。」と、ちゃんと、 575になっていた。 私は、一旦(いったん)電話を切って、少し考え、もういちどかけて、 「またこんど、授業(じゅぎょう)のときに、もうします」 と入れた。

季語(きご)を入れるべきだった。忘れた。

 

1998 / 09

 

09/23

「四季(しき)の中で、いつが一番好きですか?」というのは、日本では よく聞かれる質問だ。 答えは、圧倒的(あっとうてき)に「秋」が多い。

最近、ピーターグリナウェイによって映画化(えいがか)された「枕草子」 (まくらのそうし)にも、秋は夕暮れに雁(かり)が飛んでいるのを見るのは いいものですねえ。と書かれている。 10世紀ごろから、日本人は秋が好きだったようだ。

一般的に秋は「読書の秋」「芸術(げいじゅつ)の秋」などと言われる。 国内旅行に出かける人も秋が最も多い。

秋は、野菜(やさい)や、魚がおいしい季節でもある。
「食欲(しょくよく)の秋」と言うこともある。  


*清少納言(せいしょうなごん)著(ちょ)B.C.10-11c

 

1998 / 09

 

09/24

現在、日本の首相(しゅしょう)は、アメリカに行っている。 これは、新しい日本の首相が必ず行うことだが、最近はファーストネーム で呼びあうことを約束するのが、慣例(かんれい)となっている。

日本語を勉強している人は知っていると思うが、日本では、ファーストネーム を意味する言葉は、あまりない。使わないのだ。 役所などで、名前を書くところには、ファーストネームのところには、「名」 と書いてある。普段は「下の名前」などという。

日本人の名字は数が多く、10万程度(ていど)あると言われている。 同じ名前の知人が2.3人いるということは珍しくないが、例えば、 「ソニーのすずきさん」「大阪出身(おおさか しゅっしん)のすずきさん」 などと言うことが多く、それほど不便(ふべん)ではない。

例えば、韓国では、学校などでも、教室のほとんどが「金(きむ)さん」や「李(いー)さん」であり、下の名前まできちんと呼ぶことが普通なのだそうだ。

日本では、「下の名前」は知っているが、使うことは、ほとんどない。 恋人(こいびと)同士(どうし)や家族でしか使わない。 結婚すると、妻(つま)は夫(おっと)を「あなた」 夫は妻を「おまえ」と呼ぶことが多い。

日本の首相を「けいぞう」とファーストネームで呼ぶのは、今のところ 彼の父親と母親。それとクリントンさんだけだ。

しかし、クリントンさんは、「けいぞう」と呼ぶ資格(しかく)がある。 なにしろ、わざわざ、仕事を休み、飛行機をチャーターして、そう呼んでもらうためだけに、 アメリカまで行ったのだから。

 

1998 / 09

 

09/29

深沢七郎(ふかざわ しちろう)の代表作(だいひょうさく)に「楢山節考」 (ならやま ぶしこう)という小説がある。

これは、古くからある「姥捨て伝説」(うばすてでんせつ)を小説化した もので、貧しい村に伝わる、年をとって労働力にならなくなった老人を近くの山に置(お)きざりにする という風習(ふうしゅう)を描いたもの。
ただ残酷なだけの小説ではない。ぜひ、御一読を。

ハンガリーにも同じ風習があったということで、作者の深沢七郎は、当時、 まだ、共産国であった当時のハンガリー政府の招きで、公演旅行をしている。

このような風習は、形を変えて、いろんな国で見られるということだ。 実際に20世紀(せいき)の始めには、日本でも、まだ、あったのではないかと 言われている。

21世紀は、また、この風習が形を変えて復活するかもしれない。

 

1998 / 09

 

09/30

日本人は背が低い。というイメージはまだ、根強(ねづよ)い。

夏目漱石(なつめそうせき)はロンドンに2年間滞在した。 滞在中の印象(いんしょう)は最悪(さいあく)だったらしい。
彼は、ほとんど人と話さず、コンプレックスに悩まされ続けた。

彼は背が低かった。160cm以下だったそうだ。2年間で自分より背が 低い人を見たのは、一人だけだった。 また、彼はお酒が飲めなかった。これも、滞在(たいざい)を寂 (さび)しくした。

去年、私は、アムステルダムに行った。2日間いた。私は漱石よりちょっと 背が高いが、自分より背が低いのは、子供と犬だけだった。

 

1998 / 09

 

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