|
06 / 02
|
|
イザベラバードは、イギリス人の女性で来日して、横浜から北海道まで、歩いたり、人力車(じんりきしゃ)に乗ったりして旅行をした。 ガイドとして、英語が話せる日本人を雇った。 さて、面白いのは、この旅行が120年前であったということだ。 当時、旅行作家として、そこそこに有名であったバードは、虱(しらみ)に 悩まされながらも、ガイドとともに、旅行を終えた。 その記述は、現代の日本人にとっては、貴重な資料となっている。 明治から戦後にかけて、多くの文化人類学者が日本をおとずれ、多くの 書物(しょもつ)を残した。当時を物語る貴重な写真やスケッチなどは、 今、日本では、多数出版されている。 この「日本奥地紀行(にほんおくちきこう)」は、バードが、学者でなかったことが 幸いして、率直(そっちょく)で、興味深い観察(かんさつ)に満ちている。 いくつかのスケッチも楽しいが、文章の描写も的確(てきかく)だ。 幸運だったのは、120年前の日本では、旅行は、歩くのが一般的であったので、道も よく整備(せいび)されていたし、ちょうど一日歩いたところには、 宿場町(しゅくばまち)と呼ばれる宿が密集(みっしゅう)している場所が あったことだ。 現在、完全な形で宿場町(しゅくばまち)が残っているのはわずかだ。 90年代に入っても外国人が日本を歩いた旅行記が出版されているが、 そのほとんどは、アスファルトであったと思われる。 土の道は、足にやさしい。 120年前イギリス人の足を守った土の道は、現在、東京で見るのは難しいが、唯一、イギリス大使館の前の道は、鋪装(ほそう)されていない。 これは、イギリスからの申し出だそうだ。 "Unbeaten Tracks in Japan" by Isabella L.Bird |
1999 / 06 |
|
06 /03
|
|
今では貴重となった江戸時代の木造の旅籠(はたご)が、約1キロのみちの 両側にずらりと並んでいる。 今でも民宿を営んでいるところもあれば、みやげ屋になっているところもある。 東京から遠いことが 幸いして、観光客が少なく、静かな雰囲気が残っている。 ほとんどの民宿は、朝と夕食がついて8000円前後だ。 日本の三大漆(うるし)の産地のまん中にあり、質のよい漆器(しっき)を安く買うことが できる。 さすがに、最近は、外国人もちらほら姿を見せるらしい。 その場所に知人を5人ほど案内することになった。明日、向かう予定だ。 場所は、秘密にしたいところだが、このコラムを読む人には教えましょう。 駅名は「奈良井(ならい)」。東京から、中央本線で塩尻(しおじり)まで行き、そこから、名古屋方面へ、4つほど行ったところにある。 この沿線には、古くからの宿場町がいくつか残っている。 あまり、人に教えないでください。人が増えると、また、次のよい所を 探さなければならないから。 |
1999 / 06 |
|
06 /04
|
|
ある日、近所の電話ボックスの中で、女性が呆然(ぼうぜん)と立っていた。 私は、隣の電話ボックスで電話をかけていた。 私が、電話をかけ終えたころには、隣の女性も話しを終えたらしく、 ボックスの前で思いつめたような顔をしていた。 女性は、「すみません、この電話番号のところへ、電話をして、 よしあきさんという方を呼んでいただけませんか」と言った。 私は、ちょっと考えて、彼女の言う通りにした。 中年の女性が電話に出て、その手にはのらないよというように 「ああ、はいはい、いないよ」 といった。 (いないって、言ってますよ)と、小声で女性に言うと、その女性は、 (そんなはず、ないんです。いるはずなんです。)と小さな声で言って泣き出した。 中年の女性は、電話をきった。 「きられましたよ」 と女性に言うと、 「ありがとうございました。ごめいわくをかけました」 とその女性は、言った。 その電話ボックスの前は、今でも、週に一回、通る。 時々、あの時、とっさに、うまいことを言って、よしあきさんを呼び出すこと ができたのではないかと考えることがある。 |
1999 / 06 |
|
06 /07
|
|
「職人」という言葉は、かつて、日本では、光りを放っていた。 「職人的」といえば、丁寧で、誠実な、という意味があった。 先日亡くなったジャズ歌手のメルトーメは、しばしば、「職人的な」と形容された 歌手だった。数種類の楽器をこなし、作曲家としても粋(いき)な曲をたくさん 書いている。スキャットは、最高だった。 彼は生粋(きっすい)の芸人で、子供のころから、音楽は生活の糧(かて)を 得る手段だった。 正直いって、「華がある」とは言えないが、時々、彼の歌が流れて くると、ぜいたくな気分になれたものだ。 さて、最近の日本では、「私は**の職人と呼ばれたい」という声をよく聞く。 しかし、私は、ちょっと疑いを持っている。彼等、彼女達は、ほんの数年の 経験で、一人前になったつもりでいる。 自ら設定したハードルが低いのだ。 職人を気取ることを「職人風を吹かす」といって、昔から、最も野暮なことだと 言われてきた。 こういう人が増えた。 |
1999 / 06 |
|
06 /08
|
|
日本のテレビコマーシャル、特に、電化製品やビール、車などは力を入れている。広告の予算も、他の商品とは、ひと桁(けた)違うそうだ。 予算のほとんどは、特殊撮影(とくしゅさつえい)と出演者のギャラに使われる。 ここ最近、アーノルドシュワルツネーガーは、出っぱなしだ。 今では、シュワちゃんと呼ばれている。 ハリウッドの俳優(はいゆう)で日本のテレビコマーシャルに出て、最初に 有名になったのは、チャールズブロンソンだろう。 60年代以降、アクション映画で活躍した俳優で、口ひげが印象的だった。 彼は、アメリカではあまり人気はでなかったが、日本では、一時、日本の女性の セックスシンボルだった。 ブロンソンには、モンゴル人の血が流れているらしい。 現在は、もちろん、レオナルドデカプリオやブラッドピットなどは、すでに いろんなコマーシャルに出ている。 |
1999 / 06 |
|
06 /09
|
|
最近は、若い陶芸作家の作品を買うのがブームになっている。 理由はふたつ。 ひとつは、若い作家は洋食器や新しい生活のスタイルに合わせたものを 作りはじめたこと。 陶芸家の世界は複雑だ。 基本的に、有名な先生の元で長年、勉強して、地元の長老に認められなければ、生活は安定しない。 しかし、若くて新しい感覚の持ち主は、雑誌などで認められれば、独立する チャンスもうまれてきた。
そのため、最初から自分の器(うつわ)にも高い値段をつけ、出版者に手紙を 書いたりする若い陶芸家も増えた。 難しいものですね |
1999 / 06 |
|
06 /14
|
|
現在、日本で温泉と呼ばれているものには、およそ3種類ある。 ひとつは、鉱泉(こうせん)。これは、源泉(げんせん)の温度が25度以下のもの。このままでは、入れないので、湧かすことになる。
もうひとつは、循環(じゅんかん)温泉と呼ばれるもので、これは温泉の成分(せいぶん) や匂いなどを一度、ろ化したもの。最近は、強い成分の湯と
温泉独特(どくとく)の硫黄(いおう)のにおいが嫌われる傾向があり、 増えているという。 最後は、温泉。源泉(げんせん)の温度が25度以上のもの。 一般的には鉱泉は温泉より一段落ちると考えられていて、源泉の温度の 測定(そくてい)の際には、地元の政治家から、旅行会社の重役まで、 あらゆる手段を使って温度をごまかし、「温泉」という名前を得ようとする らしい。 むしろ、「鉱泉」と名乗っているところのほうが、正直で、 よい観光地(かんこうち)かもしれない。 現在では、源泉の温度が50-60度で、それを冷(さ)ましているいるような 堂々 |
1999 / 06 |
|
06 / 15
|
|
かつて、温泉は、病院であった。温泉地は、肩凝(かたこ)りにいいとか、 傷(きず)の直りが早いとか、胃腸(いちょう)の病気に効くなどの 効能(こうのう)を競(きそ)った。 実際に、温泉療法(おんせんりょうほう)は、現在でも信じられており、 温泉旅館に1ヶ月ほど滞在し、毎日決められた回数、温泉に入る人たちがいる。 これを湯治(とうじ)といい、湯治客のための長期滞在者用の宿は、 自炊式(じすいしき)で、一日2000円ほどで泊まれる宿も少なくない。 草津(くさつ)などは、江戸時代から全国的に有名な湯治場で、人気も常に 一番であった。 ドイツでも、このような温泉療法は行われている。 これらの効能については、あるていど科学的に証明されたものもあるが、 そうとう集中的に入り続ければいけないそうだ。 群馬(ぐんま)県の温泉地では、温泉の近くに病院を作り本格的に温泉治療をやっているところもある。 また、日本の競走馬(きょうそうば)は、年に数回、温泉地で休養する。 |
1999 / 06 |
|
06 /16
|
|
温泉に行こうと考えた時、最初に思い浮かぶのは、有名温泉地の温泉旅館だろう。 最近は安いものも増えていはいるが、だいたい一泊2食付で 10000円から20000円だ。 最近の流行は、露天風呂の「かしきり」だ。数に限りがあるので、 予約が必要で、だいたい通常の料金の2割り増しくらい、
客は専用の露天風呂の入り口の鍵もらう。 温泉地によっては、だれでも安い値段で入ることができる温泉を 用意しているところがある。これを外湯(そとゆ)といい、いくつかの外湯を 入った人に記念品(きねんひん)を出したりして アイデアを競っている。 最近は、女性専用の露天風呂も多い。 15年ほど前は、温泉は、男性の風呂のほうが大きいのが常識だったが、 今や、温泉旅館にとって女性は最も大事なお客さんとなっている。 男性は、女性より小さな風呂に入らされる。 混浴(こんよく)というのは、男女共用の露天風呂で、 水着を着て入ることになるが、老人などは、裸で入ってしまうこともある。 出会っても驚かないように。 |
1999 / 06 |
|
06 /17
|
|
最近は英語のガイドブックもある秘湯(ひとう)というものがある。ほとんどは、不便なところにある。 東京からは、最寄り駅まで、2時間。そこから、車と歩きでさらに1時間くらいは覚悟しなければならない。 お湯の量が少ないこともあって、有名温泉地のように大型のホテルはなく、木造の小さな旅館が3つくらいあるというのが一般的だ。川のほとりで、川の水で薄めながら入る温泉や、谷の底まで、15分ほど降りていかねばならないところもあり、これがなかなか楽しい。 熊や猿が入りに来ることもある。 |
1999 / 06 |
|
06 /17
|
|
ある不動産屋(ふどうさんや)で。客は、若い男性。受け付けは女性。 男性 「すみません」 この後、この人は、父親の収入と自分の収入、父親の仕事、母の年齢など いろいろと質問され、うんざりした様子だった。この調子だと、父親が死亡した 場合の収入の変化なども聞かれるに違いない。幼児(ようじ)を嫌う大家もいる。理由は老人の場合と同じで、「よごれるから」である。 この不動産屋は、日本でも 大手の会社である。 このように現代の日本では、老人は引越すのも難しい。 5年後には、日本は世界一の老人大国になるというのに。 |
1999 / 06 |
|
06 / 21
|
|
さて、これは、小淵(おぶち)さんの、ケルンでの記者会見(きしゃかいけん) を聞きながら書いています。 総理(そうり)は、これからの教育問題について、コンピューターと英語教育 の必要性を説いたそうだが、私の知る限り、総理は、両方ともできないはず である。おそらく、日本の国会議員で両方できるのは、1%程度ではないかと 思われる。 ドイツのケルンは、日本人にとってなじみがあるとすれば、サッカー だろうか。日本で最初のプロサッカー選手である奥寺(おくでら)氏は、 ケルンの1FCケルンというチームで活躍した。当時、日本のサッカー界はドイツの影響が強く、ドイツリーグは、 世界一のリーグであった。 となりのデュッセルドルフは、日本人のビジネスマンが多いことでも 知られている。 この地域には、たしかヨーロッパでも最も早い時期に寿司屋ができたはずだ。 私は個人的にはサミットには、まったく興味がないが、次回の場所である 沖縄(おきなわ)は、日本でも独特の文化を持った美しいところだ。 サミットなんて、どうせ、たいしたことは決まらないんだし、ジャーナリストには、ゆっくりと 沖縄観光を楽しんでほしいものだ。 沖縄の美しい音楽の響きや、沖縄の人々のおおらかな人柄が、テレビを通して、 世界中に伝わるならば、サミットもまだ捨てたものではないと思う。 |
1999 / 06 |
|
06 /22
|
|
日本ではイギリスのBBCのアンティークの番組が放送されている。 たびたび、日本の骨董(こっとう)が、紹介され、そのほとんどに高い値 がつく。しかし、知人によると、日本国内の相場(そうば)よりは、安いそうだ。 日本の骨董の特徴は、製作者(せいさくしゃ)の名前が分からないことが 多いことではないだろうか。 絵や、一部の陶磁器(とうじき)を除いて、作者は、ほとんど自分の名前を 作品に入れない。これは、一種、日本的な美意識(びいしき)かもしれない。 現在でも、陶磁器や漆器(しっき)、家具を作る人々の間では、「芸術家か職人か」 といった論争(ろんそう)が絶えないという。 この場合、問題になるのは、高すぎる値段であったり、作家の匿名(とくめい) 性であったりする。 自らを職人と呼ぶか、芸術家と名乗るかは、難しい問題だ。 私は、個人的には、芸術家というコンセプト自体がもう古いと思っている。 |
1999 / 06 |
|
06 / 24
|
|
日本には雑誌がたくさんある。その中で主婦向けの雑誌は、 常に人気(にんき)だ。 戦後、婦人雑誌と呼ばれたその種の雑誌は、3種類ぐらいであった。 料理や、姑(しゅうと)との関係、そうじや、せんたくのやりかたなどが 主な記事だった。避妊(ひにん)に関する知識なども、さりげなく書かれていた。 毎年、1月に家計簿(かけいぼ)が付録(ふろく)についた。 現在の主婦向けの雑誌は、主に3つに別れる。 ひとつは、昔からの総合雑誌で、どちらかというと保守的な家庭向けだ。 最近、やっと、仕事と家事(かじ)の両立についてきちんと書きはじめた 印象がある。社会的な記事も意外と多く、知的な主婦向け。 2つめは、料理や、商品の情報が中心の比較的若い世代に向けた雑誌。 ここで扱われる料理はイタリア料理やフランス料理が多く、レストランや 旅行などの情報も満載(まんさい)だ。実は、最も保守的な雑誌で、対象は、専業主婦 (せんぎょうしゅふ)だ。 3つめは、働く女性を意識した雑誌で、紹介されている記事にも仕事と 家庭の両立などが主なテーマ。特集(とくしゅう)は、「個人でもできる 株特集」だったりする。しかし、ほんとうに働いている女性は、こういう 雑誌は買わない。 実は、2つめの、情報雑誌が最もよく売れている。読者層(どくしゃそう)は 狭いアパートに住んでいる若い主婦。彼女達の悩みは、収納
(しゅうのう)だ。 |
1999 / 06 |
|
06 /25
|
|
近所で最近、野良猫(のらねこ)が子供を産んだ。 おばあさんと若い男性 男性 「3びき?ですか。生まれてましたね」 男性によると、これまで4年間、親猫は、心を開いてくれなかったが、 子猫へのえさで、和解(わかい)したそうだ。 こうやって、東京には野良猫が増えるのである。 |
1999 / 06 |
|
06 /28
|
|
日本には病院がたくさんある。 すべて、国の保険に加入していれば、医療費は7割引きになる。 医者に行って、注射(ちゅうしゃ)をして、薬をもらって、1回500円から高くても 3000円くらいだ。 主なものは大学に付属している病院。医療の質も高く、設備も充実しているが 施設も古く、常に混んでいて、サービスも悪い。 例えば、治療(ちりょう)を終えて、薬をもらうまで早くて3時間くらい だろうか。私立大学と国立大学では、もちろん私立大学のほうが設備が 整っている。 次は公的な病院。国立の病院や保険や年金(ねんきん)などでたてられたもの。 治療費(ちりょうひ)は最も安く済むことが多い。 他は大学の病院とほとんど同じ。設備はやや劣るそうだ。 次に私立病院。グループに所属する大手のもの(チェーン店のようなものだ) と個人病院にわかれる。後者のほうが小さい。 次に診療所と呼ばれる小さな病院。名称(めいしょう)は、法律で決められているようだ。医者は一人であることが多く。都会の ビルの一室や、小さな島などにある。都会では「クリニック」と呼ぶことが 多いようだ。 |
1999 / 06 |
|
06 /29
|
|
日本の病院の最も大きな問題は、いろんな種類の病院があるが、その連携 (れんけい)がうまくいっていないということだ。 例えば小さな病院で治療して、もっと詳しく検査(けんさ)したほうがよい となったとき。 その医者は、自分と同じ大学を卒業した医者のいる病院を紹介することが多い。 近くに設備が整った病院があってもそこにいくことはできない。 インターネットを使って合理的なネットワークを作ろうとしているようだが まず、この学閥(がくばつ)という古いネットワークを断つことが先決だ。 我々のような一般の人間でも、「あの病院は慶応(けいおう)系」とか「あの病院は東大(とうだい)系」 などと病院の種類を大学の名前で呼ぶことがある。 いちばんの問題は、自分が住んでいる地域の小さな病院に行くより、最初から 都心にある大きな病院を選ぶ傾向が増えることだ。 もし、家の近くに信頼できる医者がいて、大きな病院との連携もしっかり していたら、いつも、混んでいて、流れ作業のような診察の大きな病院には 行きたくないのに。 |
1999 / 06 |
|
06 / 29
|
|
医者の志望者(しぼうしゃ)は減り続けている。 原因は、10年ほど前から、医者が多すぎるという報道が始まったことと、 医者の実態が本や雑誌などで紹介され、必ずしも楽な仕事ではないという ことが一般にも知られるようになったからだ。 通常、大学で4年勉強し、国家試験(こっかしけん)に合格したものは、 医者の卵(たまご)などと呼ばれ、病院で研修(けんしゅう)を受けることに なる。 研修中に就職先を探すわけだが、自分の大学の付属病院で研修を続ける人が多い。 いわゆるエリートコースだが、これが非常にハードな仕事らしい。 若い医者は、あらゆる仕事を覚えなければならず、勤務時間も不規則(ふきそく)だ。
先輩の医者に誘われれば一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりといったこと も欠かせない。 運良く父親が医者であったり、お金持ちであったりすると、自分の病院を 建てることができるが、最近は中小の個人病院は経営が難しく、これも 大変な選択となる。 |
1999 / 06 |
Copyright
@ Web Japanese
All rights reserved.