関連ページ
日本語教育の言語政策 1 時系列での整理 | 日本語教育の言語政策 2 来日外国人政策 | 日本語教育の言語政策 3 日本語教育推進基本法ができるまで | 日本語教育の言語政策 4 日本語教師の資格関連 | 日本語教育の言語政策 5 デジタル・ネットのコンテンツ| 日本語教育と政官財・業界団体 | 日本語教育の参照枠(2021)が決まるまで | 言語政策に関する資料・論文・記事
日本語教育関係の制度と会議 | 日本語教育関係のデータ | 日本語に関する指標いろいろ | 日本語教育の参照枠 | 東日本大震災と日本語教育 | 新型コロナウイルスと日本語教育
日本語教育の参照枠(2021)が決まるまで
目次
なぜならば,言語に代表される文化の習得が移民の滞在を条件付けることにもなるからだ。日本でも移民の滞在資格と日本語能力を連動させる動きはあるようだ。
— 西山教行 (@jnnNishiyama) March 30, 2016
このページは「日本語教育の参照枠(2021)」が「決まるまで」の、2005年から2021年までのプロセスを追った記事です。参照枠の中身がどういうものか?については、日本語教育の参照枠をご覧ください。
👉 このページだけで約7万字です。このWikiは、なるべく日本語教育業界以外の人(例えば、外国人周辺で働く人や、政財界の関係者、英語教育関係者など)にもわかるように書くことにしていますので、そのための補足も多いことをご了承ください。ただ…「ざっと読んでパッとわかる」というのは無理です。ここにリンクがある議事録、最終報告書などを読みながら、ゆっくりコツコツ読んでください。
【イントロダクション】
日本語教育改革の15年間
「日本語教育の参照枠(2021)」は、日本語教育に関する法律の制定(2019)を視野に、国の日本語教育とはどういうものかを、15年かけて決めたものです。そのプロセスは複雑であり、経緯がわからないこともたくさんあります。このページは、関連する資料に可能なかぎり目を通し、国の資料などネットで調べられる範囲でつなぎ合わせて整理したものです。
日本語教育の世界だけで考えるとわからない
この「決まるまで」は、あくまでひとつの見方、見立て、仮説に過ぎません。
なぜこういうものを書いたのかというと、2014年ごろに、このブログ記事(2015)を書くために、国の政策を80年代から調べており、そこからなんとなくチラチラと同時期の2010年代の国の会議を追いかけることになりましたが、議事録に出てこないことが最終報告に書かれていたりと、不思議なことが続いたことがキッカケです。
最もわからなかったことは、文化庁の「課題整理に関するワーキンググループ(2012)」の最終報告に、議事録にはまったく出てこなかったCEFRが突然出てきて、その後の会議では、なぜか、CEFRを軸にやる、と、いつの間にか、決まっていたことでした。
私はCEFRはとても面白い試みで、どちらかというと、日本語教育も参考にすべき部分はあるのではと考えていますが、まさかそのまま丸パクリ(しかも20年前の2001年版を)で正式に国の日本語教育政策にするとは思ってませんでした。その決定のプロセスで出てくるCEFRは唐突なもので、そこで誰がそう言い出したのか、を探してもわからない、なぜそう決まったのかを調べていくうちに、もしかすると、同じ時期に国内で起きていたもうひとつの「改革」である英語教育改革の影響を受けている、2010年代に国内日本語教育における文科省の仕切りが強くなり、それに外務省(国際交流基金)がのっかった、のではないかと考えると、いろいろと繋がるようだ、ということがわかりました。
その後、2010年代の後半にかけてそれまで文科省をリードしてきた人達(自民党のネオ文教族と呼ばれた人達=ほとんど日本語議連のメンバー)が急速に政治の世界で影響力を失い、日本語教師の資格の10年更新制(資格の内容も決まらないうちになぜか10年更新制になりました)が最後の段階で英語の更新制が中教審に否定されて消えたことに合わせて無くなったり、とうこともありました。日本語教育改革が英語教育改革に付き合わされたことを象徴する出来事でした。
あくまでひとつの見立てにすぎませんが、このページが、2010年の日本語教育を考える際に、参考になれば幸いです。
まずは、2010年代の背景を説明しつつ、この10年で日本語教育の方針が「どう決まったのか」「何が決まったのか」「誰が決めたのか」を整理していきます。同時期に起こっていた、おそらく日本語教育改革にも大きな影響を与えた英語教育改革の影響なども平行して整理し、最もわかりにくい「なぜ、そう決まったのか」を立体的に示していくこともこの整理のポイントです。
特に若い方は、いつか自分が、この決まったことを継承したり、修正したり、否定したりする役割を担うことを意識して読んでみてください。
参照枠とは
参照枠とは「参考にする指標」という意味で、語学教育の世界ではCEFR(Common European Framework of Reference for Languages)で一般の語学教育関係者に知られることになったコンセプトといってもいいと思います。なぜ「参照」と呼ぶのかなどは、いろいろと議論があるところなので後述します。日本語教育では「参照枠」「標準」「指標」「目安」といろいろな言葉が使われており統一感はありません。
2020年前後までの日本語教育におけるCEFRに対する理解
CEFRはEUの言語政策として90年前後から10年ほどかけて欧州各国の言語学者を中心に議論が行われ2001年に公開されたという経緯があります。
最初に日本語教育の世界で、国の言語政策として議論が始まったのは、2005年の国際交流基金のCEFR解釈とも言うべき、JF日本語教育スタンダード策定に関する会議でしたが、これはあくまで海外の指標として便利だろうというスタートでした。
👉 国際交流基金は、国際交流基金法という法律で国内の政策にはタッチできないことになっている。
国内日本語教育では、一部、大阪大学(旧大阪外国語大学)、東京外国語大学など、外国語大学系で全面的に採用する大学もありましたが、慎重なところも多く、現時点においても、CEFRの影響は一部に留まり、特に大きな議論があったとも言えないままだったと思います。この記事に代表されるような「紹介」的なものが中心でした。2021年前後の時点でも(この参照枠の議論をみるかぎり)、日本語教育においてどうなのか、という共通理解は無いと言ってもよいと思います。この10年の会議のほとんどは、関係者に向けてCEFRとはどういうものかの説明に費やされました。
これは、国内の日本語教育が留学生中心で、初級から中上級までを民間の日本語学校が、その後、専門学校や大学で上級をやるという役割分担があり、その他、国内においては、ほぼ無かったということが大きかったかもしれません。日本には制度として日本語学習をサポートする環境がありませんでした。CEFRは移民向けではないと言われているものの、欧州内の人の移動の増加、移民の増加を強く意識して作られています。
👉 2017年に来日した就労系の人達には介護などで一部200時間程度の授業をすることになり、2019年から特定技能でCEFRのA2レベルの試験の合格が在留資格の要件になったばかりです。2021年の時点でも、その他の就労系(約9割)の日本語学習は制度としてサポートされていません。
特に、民間の日本語学校では、9割の学校が文型シラバスの教科書を選択し、日本での英語学習のように、基礎から日本語の構造を学ぶというオーソドックスな手法(ただし媒介語はほぼ使いませんが)で、1クラス20人の学習者を相手にチームで進め、週20コマ、1年760コマで、2年で中上級レベルまで到達させる(日本語能力試験だとN2以上で進学)というパターンが定着していたこともあり、CEFRはなじみにくいという考え方が主流だったと思います。日本語能力の事実上の基準であった国際交流基金の日本語能力試験も2010年までは文型シラバスがベースの言語知識中心のものでした。
👉 民間の日本語学校のCEFR基準、Can-doベースの教科書の採用率は数%で、JF日本語教育スタンダード準拠の基金のまるごとを採用する学校は、2018年の時点でわずか3校でシェアは0.6%です。
つまり、ほとんどの現場の日本語教師にとって、CEFRは、2010年代後半に「突然、国から降ってわいたような」ものでした。
参照枠と標準の違い
欧州のCEFR(2001)の「参照枠」という名称は「標準(standard)」であるべきではない、という考え方が込められた呼び方だったと思われます。つまり、目標であったり、ゴールではない、まして、言語能力の認定の基準であったり、まして選別の基準になるべきではない、あくまでそれぞれの現場で、目安として便利に使ってくれというものだという強い主張が「参照枠(Framework of Reference)」という名称にこめられていると解釈するのが一般的ではないかと思います。
前提となる知識の整理
日本語教育の制度の改定は、90年、2000年、2010年と、ほぼ10年ごとに行われてきました。2020年の改定として、2010年前後に始まった改革は日本語教育振興基本法の成立(2019)もあり歴史上最も本格的なものになったと思います。そしてかなり早い段階で「日本語版CEFRのようなものを目指す」という方向性になりました。
明確なスタートは2005年前後です。日本語も国内の英語教育も、2001年に発表されたCEFRにいかに準拠するかという議論が始まります。英語教育改革の勢いは強力で、日本語教育の改革は、2016年にできた日本語議連の政治家のほとんどが文科省関係者であったこともあり、2010年代に法務省から文科省の影響力が増大したこともあって、この文科省の英語教育改革の影響をモロに受けました。
英語教育改革と日本語教育改革の10年+α年表
ひとまず全体の流れを掴むために、2005年前後からの15年の国の英語教育政策と日本語教育関連の会議や流れの年表を作りました。ざっと目を通してみてください。青は英語教育改革関連です。
- 2005年:国際交流基金でCEFRベースの指標の議論がスタート
- 国関連の会議で政策としてCEFRという語が出たのはおそらく2005年の国際交流基金のJF日本語教育スタンダードの策定の会議であるラウンドテーブルがはじめて。ただし、会議が始まった当初は、あくまで「(国際交流基金の業務範囲である)海外の日本語教育の指標としては適当である」という文脈だった。
- 2006年:教育再生会議がスタート
- 政権として教育改革を進めることになった。「英語教育を抜本的に改革する、今の時代に求められる教育を充実させる」教育再生会議 - Wikipedia。2008年に安倍内閣退陣と共に解散。
- 2006年:英語教育で「ミスターCan-do」と呼ばれる人が素案を策定
- 文科省の英語教育改革の基点となる「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」を「ミスターCan-do」と呼ばれる上智大学の言語教育センターのトップの吉田研作氏が作る。ちなみに、国際交流基金関係者が著作を度々引用している小柳かおる氏もここに日本語教育担当として所属している。
👉 上智大学の言語教育センターのカリキュラム・ポリシーは、ほぼCEFR準拠みたいなテイストになっており、日本語関係の人はほぼ第二言語習得研究関係、会話力重視、タスクベース!というかんじで、現センター長の藤田 保氏も「日本人の英語はダメ」「子どものころからCEFRを指標に計画的にやらないとダメ」「アクティブラーニングで深い学びを!」「VOCA(Volarilyty変動制、Uncertainty不確実性、Complexity複雑性、Ambiguity曖昧性)の時代だ!」と新学習指導要領のプロモーションの全国行脚をしています。
- 2008年:CEFR-Jの開発スタート
- 2009~2013:「標準的なカリキュラム」が決まる。
- 文化庁の国内日本語教育の蓄積をベースにした文化庁版日本語教育の参照枠ともいうべき「標準的なカリキュラム」が決まる。生活日本語の指針。それまでの蓄積を元にCEFRとは違う日本独自の道のりが示されたという印象。
- 2010年:JF日本語教育スタンダードが決まる。日本語能力試験の改定。
- その後、国際交流基金は日本語能力試験の主催者でもあり、日本語能力試験はJF日本語教育スタンダードの作成(2010)に準拠する形で改訂された。4~1級がN5からN1になっただけでなく、Can-do的な要素が盛り込まれるようになる。国際交流基金は2012年まで採用していた構造(文型)シラバスの日本語初歩を終了し、Can-doを中心にしたタスクベースの「まるごと 日本の文化とことば」を出版し、CEFR準拠化を完成させ2013年に出版。JF日本語教育スタンダードは徐々に教科書(シラバス)と教授法(行動中心アプローチ)との結びつきを強めていくことになります1)。
- 2012年:CEFR-Jの完成
- 国内でNHKなど、いろんなことがCEFR基準に塗り替えられていった。
- 2013年:文科省の英語教育改革でCEFRが採用
- 文科省が英語教育改革として出した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」にCEFR基準が採用される。(正式に採用となったのがいつかは、ハッキリわからないのですが、計画に書かれたのはこれが最初?)
- 2013年:教育再生実行会議
- 教育再生実行会議 - Wikipedia:がスタート。2006年の教育再生会議の第二次安倍内閣版。これでこの教育改革路線は確定したというムードになったと思います。
- 2013年:「文化庁の課題整理に関するワーキンググループ」は「「日本語教育の「標準」や日本語能力の判定基準を新たに作るべき」」と始まる。
- 2013年の「日本語教育の推進に向けた基本的な考え方と論点の整理について(報告)」でもCEFRを軸にすると明記される。
- 最終報告では「欧州評議会の「言語のためのヨーロッパ共通参照枠(CEFR)」の実践の成果や課題を踏まえて検討するのが適当である」という結論になる。
- 「文化庁版 標準的なカリキュラム(案)」の影響はほとんど感じられないものになった。
- 2015年 世界の日本語学習者数、始めて減少へ:国際交流基金の海外の学習者数調査
- 2016年 ほぼ文科省系の議員による日本語議連誕生:2019年に成立した日本語教育振興基本法を作ることが目標。
- 2017年:特定技能でのJF日本語教育スタンダード採用
- 在留資格と日本語の能力が明確に関連づけられたほぼ始めての例と言える。(これまでもEPAなどの例があったが、永住でさえ、日本語能力は必須ではなかった)しかし、これらは官邸と外務省の間で秘密裏に決められ、2018年の6月には予算化されていた。
- 2019年:「日本語教育の標準に関するワーキンググループ」が始まる。
- 会議には2名の国際交流基金の関係者が入り、冒頭からJF日本語教育スタンダードの説明から始まった。
- 2019年:日本語教育振興基本法が成立
- 2021年:「日本語教育の標準に関するワーキンググループ」日本語教育でのCEFR準拠、行動中心アプローチの採用が了承される
- 2021年:教育再生会議の廃止が決まる
👉 来日するための在留資格の取得に日本語の試験の合格が条件になった例は介護や医療など業務で特に日本語が必要な分野に限られており、一般的な在留資格で条件になったことはなかった。永住も日本国籍の取得も試験の合格は義務づけられていない。
国で何かを決める際の仕組みとここ15年の動き
複雑ですので、わかる範囲でざっくりと説明します。今後、日本語教育のあれこれも、以下の枠組みにそって進むと思います。希望的観測ですが、これまでのように、省庁単位で簡単に方針変わったり、運用がテキトーだったりは減っていくと思います。ここで決まることがどういう拘束力を持つのか、軸になる会議にどういう人が出席しているのかも、知っておいたほうがいいような気がします。
法律の種類
国の決まりは、「憲法、条約、法律、政令、府省令、告示、規則、庁令、訓令、通達」と順に弱くなっていき、弱いものは決まるプロセスも簡単。でも効力は弱いということになります。「憲法、条約、法律」は、ほとんどの場合、国会の審議、議決が必要で、政令以下は、大臣や省庁だけで決めることも多いようですが、その代わり、国民全員に義務を課すようなルールを決めることはできません。このへんになると国会決議も不要で、いちおう決める定型のプロセスがありますが、2006年以降は、その時の官邸が、その政権のブレーンを集めて会議を招集して「官邸主導で決める」ことが増えてきました。省庁軽視みたいな流れです。つまり、ものごとを決めるプロセスはその時々の政権次第で変わります。
2019年に成立した日本語教育振興基本法は正式には日本語教育の推進に関する法律と呼びますが「法律」なので、人だけでなく国もこれを守る必要が出てきます。法律でうたっている文言が実現するために予算を組み、実現していなければ問題視される、ということになります。これまではほとんどの場合、各省庁がそれぞれ担当する範囲でやらなけえればならないことについて原案を出し、有識者の会議で承認するだけでしたが、今後は法律に基づいて、会議が開かれ、最終的には全省庁で調整し政治方面の関係者も読んで承認、というプロセスが必要になります。予算もきちんと組まれるし、日本語教育政策として総合的な検討がされるという意味でも、法律ができたというのはやはり大きいわけです。
これまでの制度
新しい在留資格を作るのも国会の審議が必要ですが、南米の日系4世に在留資格を付与するみたいな際(2018)は、国会議員が「与党だけで省令で進めてしまおう」と言ったりして結局特定活動になったので、特定活動周辺は緩いのかもしれません。このへんは政権の性格次第のようでハッキリしません。
日本語学校が、有資格の教師でないとダメとか、年間760コマだとか、教室は20人までみたいなルールは「告示」ですが、これは「省庁からのお知らせ」レベルのものです。いろんなルールが書いてありますが、罰則や許認可に関わるかどうかは、明確に書かれないケースも多く、実際に教室に20人の規制は守られていないこともあり、監視もなく、罰則もありません。しかし近年、告示の許認可に関わるルールは増えています。
ただ、法律の元で進めるといっても、省庁によっても物事を決めるプロセスが違います。文科省が義務教育に関することを決める際は、もっと複雑なプロセスがあるようで、教育系の大学関係者による中央教育審議会の決定権がとても強く、国よりも教育関係者の意向が強いこともあるようです。
日本語教育推進基本法(2019)以降
2010年までは、90年、2000年とだいたい10年ごとに、文科省で日本語教師養成講座の会議があったり、文化庁で生活日本語関連の会議があったりでしたが、2019年の日本語教育推進基本法ができた後は、総合的な施策として正式な承認プロセスに従って進めることになり、以下のように整理されました。
- 日本語教育推進会議:政策決定のトップの会議。最終的なことを決定する会議。政治家、関係省庁の代表など。
- 日本語教育推進関係者会議:上の会議にあげるための日本語教育関係者の一番偉い関係者をまじえた会議。大学関係者、主要組織のトップ、基金など。関係者がいる会議ではトップ。
一般的にはこんなカンジ?
上の日本語教育推進関係者会議は、決まったことを最終的に承認するような会議なので、ここに何かを決めてあげる会議がこの下部で紹介する会議群です。以下の会議で決まったことが覆ることはほぼありません。国、省庁、地方自治体が主催で、日本語教育のことはほとんど文化庁で、テーマごとに設置される。(ただし、「官邸主導」だと、最初から大方針が決まったり、以下の会議でも「官邸の意向」が強く反映されたりします。)
- 委員会:何かを決めるための会議。省庁などが主催することが多い。結構大きなテーマでも省庁にとっては小さいからか「小委員会」と称されることが多い。日本語教育のことはほとんど文化庁の「小委員会」で決まる。
- 分科会:小委員会の下部にある会議。専門的なことを議論する会議。「なんとか分科会」というネーミングが多い。
- 作業部会(ワーキンググループ):分科会よりさらに細かい専門的なことを議論して上にあげる会議。「なんとかに関するワーキンググループ」と呼ばれることが多い。
- 有識者会議:何かを決める際に最初に、国が専門家の意見を拝聴しましょう、という会議。国が代表を選ぶ。シリアスな「審議会」、ラフな「研究会、懇談会」という種類がある。ちなみに報酬は一回3万円程度とのこと。この有識者会議の位置づけは、よくわかりません。有識者会議だけで決まることもあれば、ただ意見をいただきました、終わり、ということもある模様。専門家のお墨付き、箔を付けるという意味があると言われているわりに、完全にスルーされたりもします。特に政権が変わると、前の政権が集めた人が決めたことだからと、なかったことになったりもするようです。これは他の会議でも同じですが。
結果として法律になる場合は国会決議が必要になることもあるが、政令、省令、など省庁単位や与党の政治家の判断のみで決まってしまうことも多い。日本語学校関連の「告示」は上のような会議を経て決められることは少なく、省庁が決めた方針を、有識者会議で承認されたことにして、そのままルール化されたりする(日本語学校の抹消条件がCEFR基準になったのがその例です)。告示は、「省庁からのお知らせ」程度なので、ただ書いてあるルールは守らなくても罰則がないことが多く、守られているかはグレーだが、文言にきちんと「**なら抹消」となどと明確に書いているものは拘束力が強い。
もうちょっと詳しい説明は、日本語教育関係のソースにあります。これまでは、これらの会議に呼ばれる人は、だいたい同じです。平均年齢はおそらく60代だと思います。
👉 コロナの際は、政府の基本方針をチェックするために、諮問委員会(正式名称は「基本的対処方針等諮問委員会」)が「新型インフルエンザ等対策有識者会議」の下に、設置されていました。つまり有識者会議は大方針の検討、諮問委員会は決まった政策のチェックで、という棲み分けのようです。その他「検討会」などもあります。
【注意点】2006~2021年 「官邸主導」の15年
ただ、この英語、日本語改革の15年間(2006~2021年)は国で物事が決められる方法が普通とは違っていた特殊な15年でもありました。
それが「官邸主導」という手法です。省庁におけるプロセスの前に首相を始めとしたブレインが集めたチームで会議が招集され、そこで大枠が決まり、その後、関係省庁で調整しろとなる、という手法です。安倍内閣(2006-2007)(2012-2020)では、この手法が好まれました。省庁で決めると物事を決めるスピードが遅かったり、省庁の縄張り意識からくる行政の縦割りの弊害ということがあり、首相とそのブレインでチームを作り、会議をして、有識者会議で承認という形にして物事を決めるという方法です。
この種の手法は、省庁からの抵抗が強く、なかなか上手くいかないものと言われていますが、高い支持率もありこの2006~2020年の15年前後はかなりのことが官邸主導で物事が決まった時期だったと言われているようです。この官邸主導は強い改革路線でもあり、規制緩和や教育制度の見直し、英語教育改革に加え、外国人労働者を増やすという方向にも舵を切った「現実路線」でもありました。特に教育改革には熱心で、外務省と文科省は比較的この流れにのった省庁で、例えば、国際交流基金は日本語パートナーズ(300億)など数々の予算を獲得しました。安倍氏は外遊の度に日本語学校を訪問していましたし、安倍政権が作った特定技能でも官邸主導で国際交流基金が試験を作ることが、官邸と外務省の間で秘密裏に決まっていたりしました。30万人の日本語教育をどうするかという規模の話ですし、この規模で明確に在留資格と日本語能力が関連づけられたのは始めてのことでしたので、本来なら日本語教育関係者の会議を経て決めるべきことだったと思いますが。
政府・与党連絡会議は、週1くらいで開かれる政府と自民党との調整の会議で、最終的にはここで決まったりしてましたが、この「官邸主導」の空気ではこの会議もスキップして首相とブレインと関係省庁だけで決定ということも多かったそうです。よく国会でも「どこでどうやって決めたのか?」と質問され「私が政治決断した」「政治判断した」と答弁してました。官邸との関係が濃いところが優遇される。文科省と外務省はその恩恵にあずかった省庁だと言われています。(主に海外の)日本語教育もお気に入りでした。安倍氏は海外訪問のたびに現地の日本語学校を訪れ、国際交流基金には日本語パートナーズ(300億)をはじめ多くのボーナス的な予算が割り当てられました。
2020年前後には、この官邸主導路線はじわじわと勢いを失い、英語改革などは中教審(本来、教育行政に大きな影響力を持っていた大学関係者の会議)によって、改革路線が次々と否定されたりしていますが、日本語教育は海外より国内、留学より特定技能、という流れが始まりつつあるようです。
👉 2009~2012年の民主党内閣も、業務仕分けなど、ある意味で官邸主導だったのかもしれません。東日本大震災にコロナと、早い対応が求められる災害が続いたことも、この「官邸主導」に拍車をかけたという気がします。今もそういう空気があるようです。
国益としての日本語教育路線
この15年間のもうひとつの特徴として「国益としての日本語教育路線」というものがあります。
官邸や周辺の政治家にウケがよく、日本語教育関係者、特に外務省が官邸方面にアピールする材料としてよく使われたのは「海外で中韓に遅れをとるな」というものでした。特に中国は孔子学院という国際交流基金的な組織が海外で多くの中国語クラスを生み、各国の大学や高校などで外国語の選択肢でもかなり強みを発揮していました。これらに負けないようにというフレーズは必ず入っていましたし、日本語学校がコロナ下で政府に陳情する際も中韓に学生を取られてしまうというものでした。
孔子学院は、中国語だけでなく親中ムードの醸成みたいな仕事もやっており、これが行きすぎて警戒する国も出てきましたが、予算枠でいうと、年間100億程度で国際交流基金の半分。教室を直営ではなくフランチャイズ方式でサポートすることによって、中国語コースが拡大したという経緯があります。この方式は、やはり中国の圧倒的な経済的な存在感が背景にあって出来ることで、予算ではどうにもならない部分だったのではという気がします。
この国益のための日本語教育路線は、2021年の衆議院選挙では日本維新の会が第三政党となりましたし、コロナ下の入国規制緩和でも日本語学校関係者は「このままでは韓国などに留学生を奪われてしまう」とアピールしていました。この流れは今後拡大する可能性が高いと思います。日本語教育の会議が行われる度に「中韓に遅れをとるな」というようなことが語られると思います。日本語教育の内容への関与(「美しく正しい日本語」的な…)も強くなるかもしれません。
👉 個人的には若者が外国語を学習することは良いことで、それが何語であっても良いことであることは変わらない。語学教育に携わる者は他の言語と競争する必要はまったくないと思います。そりゃ日本語を選んでもらうのはちょっとうれしいですが、語学教育は他の言語と学習者を奪い合っているわけではありません。しかし、貧すれば鈍するということなのか、そういう語学教育に携わるものが持つべき矜持のようなものは、今後失われていきそうです。
国はどこまで関与できるのか?
最後に最も大事なポイントをひとつだけ。こういう細かいことの説明では見落としがちな、日本語教育の政策の根本に関わる大枠の方向性についてです。
日本語教育関係者はそもそもどうなの?という議論をしない傾向があると思います。しかし、こういう根本的な問いかけは日本語教育関係者の外からは投げかけられます。誰も議論していないので、それに答えることができる人がいません。
今回も当然以下のようなことは問われません。
- なぜ日本語教育の参照枠が必要なのか?
- なぜそれがCEFR準拠なのか?
- なぜ国は教え方にまで関与するのか?何かそれまでに問題があったのか?あったのならそれは何か?
- なぜ日本語学習機会の整備は何も議論されないのか?
みたいなことです。なぜか最初から「日本語版CEFRを作る」ということは大前提でした。この参照枠の策定に関わった人はもちろん、あなたは上の問いをちゃんと説明できますか?
日本は、この改革で、外国人として日本に来る人達に対する日本語教育で「こういうシラバスで」「こういう教え方で」「こういう日本語を」教えろと決めることになりました。たとえ参照枠だという建て前になっていても、在留資格と紐付き、試験も準拠すべきとなれば、日本国内と就労系で関わりがある国々(世界の日本語学習者の9割がいるアジア地域)で大きな影響を及ぼすことになるでしょう。日本語の教材を作る出版社にとっても主要な市場ですから、一斉にこの方向を向くことになりそうです。
しかし、就労系の在留資格の人達は、技能実習制度のほとんどすべての人(40万人前後)には学習機会は提供されておらず、特定技能(現在3万人。今後30万人超を予定)はCEFRのA2以上を学習する機会はありません。
豪州やその他の先進国のように、すべての人に、学習したい時に、学習したいことを、学習したい方法で(時にはオンラインで)、十分なサポートを受けられるような制度の整備(すべての人に無償で500時間)と資金援助をするという方向もあります。日本はこれらをしないまま、先に「仕事に役立つ最低限の日本語を最優先で教えろ」と決め、その足切りの目安としてCEFRを採用し、特定技能の在留資格に紐つけた。その他の領域でも、この基準に評価、試験を合わせることにした。おそらくほぼすべての教材も準拠することになっていくと思います。CEFRの学習者中心主義を担保する複言語政策への提言もありません。
決まったことには従う、適応する、という空気が支配的な日本語教育の世界ではあまり議論されませんが、今一度、国は日本語教育に関して、どこに、どこまで、口を出すべきか? 口は出すけど金は出さないみたいなことになっていないか?についても考えながら読んでください。英語教育改革は国の義務教育に関わる政策なので、方向性を示し、教科書の検定があり、ということはあってもいいのかもしれません。しかし、外国語として日本語を学ぶ人達に対する日本語教育では何が正解なのか? 公的な言語学習のサポートとはどうあるべきかを考え、それを2030年の次の改革への宿題にしてください。
👉 そもそも日本語は日本という国の所有物ではないので、日本という国が日本語のことを決めて言いという理屈は成立しません。国家と言語は切り離す。これは現代の言語や言語の教育の携わる人達が持っている共通認識といってもいいと思います。
このページの構成
以上、まずは全体の流れを年表で把握し、英語教育改革を含む全体を考えるポイントをずらずらとあげてみました。次からは、この10年の具体的な事項の説明に移ります。
まずは国内の日本語教育改革を理解するために、大きく影響を与えた同時代の背景を2つあげます。
- その1 国内の英語教育改革の経緯
- その2 国際交流基金のJF日本語教育スタンダートの策定と微妙な説明の変化
です。その後、本編の日本語教育の改革について書きます。
この15年。特に2010年代の10年間は、驚くべきことに、日本においてCEFRのような、日本オリジナルではない枠組みを本格的に採用するのは正解なのか?という根本的な議論は、議事録をみるかぎり、一度も行われていません(これは英語教育改革でも問題視されています)。英語教育と違うのは、この会議の外でも議論がほとんど無いことです。そして、この15年のプロセスをほとんどの日本語教育関係者は知りません。2019年に突然、日本語学校の抹消基準にCEFRが採用された時に、多くの日本語学校関係者が「?」と思い、とまどいましたが、その疑問は今も解決されていませんし、今回の改革に携わった人達も、なぜそうなったのかをきちんと説明していません。
これは2010年代に大論争となった英語教育改革とは対象的でした。後述しますが、パブコメも英語教育改革は1万超えですが、日本語教育の標準に関するものは100件以下でした。しかし、恐らく、2030年には、この「日本語教育の参照枠(2021)」の改定を目指して、これから議論がスタートするはずです。最初から考え直すという視点でも、以下を読んでみて下さい。
👉 以降で引用される文書は、最低でも節目節目の最終報告は読んでください。国の会議の議事録は、特に、英語教育関係の議事録は、大人がちゃんとケンカ(議論)をしている姿をみることができます。おもしろいです。国が会議で出す「素案」とそれを作った「座長」あるいは「ご説明する省庁の人」が、グイグイと国の案を進めようとする姿も見ることができます。時々「議事録が無い」ということも起きます。決まったことだけでなく、そういう「文脈」の理解も重要です。
【背景その1】 2010年代の「空気」~英語教育改革の経緯と概要~
日本国内の英語教育の問題と日本語教育とはいろいろと違う点があります。英語教育改革でメインテーマとなっていた会話力養成に関しても、日本には英語が溢れており「英語ができることは国際人でありカッコいいことだ」という社会で育つ子どもが、ほぼ英語という選択肢しか示されず、ほとんどの場合英語のノンネイティブから文法学習を軸に英語を学び、中高で500時間以上を学習した結果、会話力がどうか、という議論と、はじめて日本語というものに触れ、ネイティブからほぼ直説法で0から勉強していく人の能力がどうだ、というのは単純に比較はできません。
しかし、今回の日本語教育改革はこの国内の英語教育改革の影響を大きく受けていきます。
👉 この英語と日本語の改革の用語でややこしいのは、英語では「4技能重視」は「これまで読解文法偏重だったから会話力を重視せよ」という意味で使われ、日本語では単に「(オーディオリンガルはそもそも口頭表現重視だけども)4つの技能をバランスよくやっていこう」みたいなことでしたが、いやもっとコミュニカティブに!とある種「会話力偏重で」となったという違いがあるというとこです。この違いも頭の隅においててください。
英語教育改革とは?
この英語教育改革も官邸主導で始まり、進みました。
しかし、日本語教育の会議と違い、専門家が国の会議できちんとケンカをし、それが議事録に残っています。ネットにもこの英語改革についての意見が無数にあり、論文も多数あります。CEFRに関する議論も(やはり基本文書が英語ということで、読める人が多いせいか)末端の人まで隅々まで読んだ上での議論となっています。どんな議論があるのかわかりやすいと思います。
つまり、日本語教育関係者は、ここで日本語教育でなかった多様な考え方を補填することができます。ここでは、CEFRは最新の正しい手法ではなく「よいとこもあるが、そのまま受け入れるのではない20年前の、まだ検証中の指標のひとつ」に過ぎません。
前段階
-1990年代まで:文法訳読法。一般の人がイメージする授業 -1990年以降 コミュニケーション重視。ネイティブ教師の重用。使える英語、高校では「オーラル・コミュニケーション」という新しい科目。ディスカッション、ディベートの導入があった。
2006~2013年
- 2003年 文科省 『英語が使える日本人』の育成のための行動計画を出す。作成のリーダーは後に英語教育改革の有識者会議の座長となる上智大学の言語教育センターの当時のセンター長の吉田研作氏。これが英語教育改革の原点となる。経緯はここに。
- 2006年 教育再生会議(第一次安倍政権)がスタート。「英語教育を抜本的に改革する、今の時代に求められる教育を充実させる」(2013年に第二次安倍政権で教育再生実行会議として再開)
- 2006年 教育基本法 60年ぶりに改正
- 2007年 文部科学大臣、中央教育審議会「教育振興基本計画特別部会」(メンバー)審議要請
- 2008年 「教育振興基本計画」閣議決定
- 2008~2012年:CEFR-Jの完成:公式サイト
- 2013年 産業競争力会議にて民間試験の活用提言→自民党教育再生実行本部が民間試験の活用を提言
官邸主導でスタート
日本国内の英語教育改革は2006年前後に本格的に始まり、2020年がとりあえずのゴールという設定でした。第一次、第二次安倍政権の官邸主導の教育改革のひとつ。「産業界で活躍できる語学力」がコンセプトで、英語教育は主に経済界からの会話力養成、民間試験の採用(従来の英語教育からの切り離し、刺激的な意味で)という意向を受けて、政府の会議のメンバーには民間の企業、団体のトップが招かれ作られました。政権と教育関連の企業との癒着やスキャンダルが報じられ、ベネッセの重用などが問題視されました。
2013~2014年にほぼ方針が決まる
- 2013年 文部科学省「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」発表。すでにCEFRのA2などの指標が示されている。おそらく2011~2012年の間に作成が進んでいたと思われる。
- 2014年 →英語教育の在り方に関する有識者会議(メンバー):座長の吉田研作上智大学教授は「ミスターCAN-DO Statementsといっていいような吉田さん」と大津由紀雄 明海大学外国語学部教授に、会議中に呼ばれている。上智大学の言語教育センターのセンター長。
つまり文科省の英語教育改革の理論的な支柱は上智大学の言語教育センターだという印象です。今も改革の旗振り役として全国を飛び回っています。
方針の内容
エビデンス重視(第二言語習得研究の成果の反映)で、「会話力重視」「CEFR」「Can-do」が英語学習の改革のポイント。政策としては、以下の3つの改革がある。
- 新学習指導要領の策定
- 大学入試改革:4技能重視(会話力重視)2021年1月から民間試験導入。
- 英語改革:小学3年から必修化。高校でディベート、ディスカッション
ただし特定の教授法などとの関連は書かれていない。CEFRをそのまま取り入れるとうものではなく、いわゆるaction-oriented approach的な方法はスルーされており、代わりに「互いの考えや気持ちを英語で伝え合う言語活動を中心とする授業」ということになっている。基本は従来どおりの方法だがよりコミュニカティブにというニュアンス。
👉 これは日本語教育改革における「CEFRは、タスクシラバス、行動中心アプローチと不可分なものだという、やや原理主義的な解釈の方向性」とはかなり違う。
👉 改革でよく出てくるキーワードである「4技能重視」は英語教育ではバランスよくというより会話重視という意味で使われている。従来は文法、読解中心だったが、会話重視であるべきだというような意味。この他、英語ネイティブ教員(ALT)を増やすことも方針のひとつだが、現在も「ALTの資格は厳しい要件もなくスカスカで、ちゃんと訓練されてないよ」と批判されている。
👉 元々、日本人英語教師による文法説明が主で、いわゆる文法訳読的な手法で、それは崩せない英語教育と、日本語ネイティブが多数の直接法が軸で、修正オーディオリンガル的な口頭訓練重視の日本語教育とは前提が大きく違うが、どちらも会話力にあまり結びついていないという論点は似ているが。
👉 国語での読解力養成関連の議論(文学偏重だとか)もこの改革の派生で出てきたものでした。結果、論理国語と文学国語という科目に分かれました。教員の資格見直し、10年更新制も、この改革でスタートしました。
英語教育の在り方に関する有識者会議の議事録は必読
日本語教育では皆無だった、CEFRやCan-doの有効性についての賛成、反対の議論があり、決定のプロセスに対する問題提起もあります。日本語教育関係者は、これを読んで、考え方を補填するしかなさそうです。結果、文科省ペースでかなり強引に決まっており、国がこういう政策を決める時の方法もわかってきます。(そして、結果としてこの強引な手法が反発を招き、2020年の改革の断念に繋がります)
議事録は以下にあります。第二回から白熱し8回まで続きますが、9回ではまとめになり、最終的には原案がほぼ承認された形になります。
英語教育の在り方に関する有識者会議 議事要旨・議事録・配付資料:文部科学
2013年に出た「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を軸に議論は進む。翌2014年の「英語教育の在り方に関する有識者会議」で承認されるような方向になっていく。会議ではCan-doで大丈夫なのか?ということがテーマになるが、最終的に素案のまま承認される。
大津由紀雄氏はCEFRの採用に最後まで懐疑的だった。第8回の議事(最も白熱した回かなと思います)ではその様子が記録されている。
「もう一点は,項目横断的に見え隠れしてくるのがCEFRというものですけれども,このCEFRを日本の英語教育という文脈の中に置いたときに,それがどういう位置付けを与えられるのかというようなことについては,少なくともこの有識者会議の中では体系的に論じられたことがなく,これはこれまでの議論におけるとても重要な欠落だと思います。もしCEFRをこの「論点(素案)」に出てきているような形で盛り込むのであれば, CEFRを日本の英語教育の文脈の中でどう評価し,どう位置付けるのかについて,もっと体系的な議論がなされなくてはいけないだろうと思います。」
「冒頭に申し上げましたことと関係するのですけれども,例えば4ページの黄色のところの最後に,CEFRのことが言及されています。何の議論もなくて,いきなりCEFRが出てくるのは,私にはとても唐突にしか思えません。何かCEFRの話になってくると,不思議なことにとても妙なことが起きるのです。 後で話してもいいのですけれども,「CAN-DO」も,あれは先ほどの話の中に出てきたように,もともとは「到達指標」であったものが,「到達目標」になっていって,最後は「評価基準」になってしまう。これはまとめの中にも書いてありますが,そうなってくると,もうCEFRの中での「CAN-DO」という概念とは別の「CAN-DO」になったわけですよね。なのに,何であえて「CAN-DO」という名称を保持しなければいけないか,私は全く分からないのですけれども,そのあたりのところもやっぱりちゃんと議論する必要があるのではないでしょうか。」
対して吉田氏は
その「指標」に到達していれば,それをベースにした言語活動が可能であるという,こういうことが実際にできるようになりますというような形で評価に使われることには,何の問題もないと私は思うのです。
というやりとりがあり、三木谷 浩史氏(楽天株式会社代表取締役会長兼社長。この改革の強力な支持者)の「もう了承されたことなのだから」という意見などが出て、あれこれとやり取りがあり、大津氏の
三木谷さんと英語教育に関する現状認識はほとんど一緒なのです。だけれども,目標の設定も大分違うし,そこに至るための方法も大分違う。面白いなと思うのですけれども,つまり,三木谷さんの現状認識がそうであっても,そこに至る方策についての考え方はいろいろあるということは,きちんと認識していただきたいと思います。こんなことを言うと、三木谷さんは「おれに説教するつもりか」と受け止められるかもしれませんが、べつにお説教しているわけではありません。説教しようとも思いません。あなたにそういうのをしても聞いてはもらえないでしょうから。
ということもあったが、結局、素案ベースで進んだ。CEFRやCan-doの採用はかなり唐突で、最初から採用される前提で始まり、特に議論もなく、決まってしまったという模様。
これは、後述する、2013年の「日本語教育の推進に向けた基本的な考え方と論点の整理について(報告)」に唐突に「CEFRを軸にする」という文言が入り、その後、2019年には、CEFRありきで素案が出たことと、同時代であり、ほぼ同じプロセスで進んだのとほぼ同じです。
【参考】
2014~2019年
上で決まったことを基に淡々と進みましたが、強引な政策決定のプロセスなどもあり、最初からあった反対意見が増えてきました。改革を経た学生が大学に入学するようになって英語の成績が、特に読み書きの面で、低下したことも大きな要因となりました。
- 2014年 英語教育に関する有識者会議にて入学者選抜であるセンターの代替に4技能を正確に測る検定試験にすべきとの指摘
- 2016年 「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」検討・準備グループが検討を始める
- 2016年 文部省が検討状況を発表し、民間の資格・検定試験を積極的に活用と方針発表
- 2017年 2020年度の共通テストから民間試験活用を正式発表
👉 難関大学ほどリベラルアーツ寄りで、海外の有名大学のようにまず1,2年の頃に大量の文献を読み、レポートを書くという授業形態が多く、ここで英語力低下が問題となったと言われている。理数工系科目 (STEM)重視の大学でも、やはり厳しいという意見が多いとのこと。ただ、地方の私立大学などでは4年間で就職の面接とプレゼン、ディスカッション、ディベート、みたいなことばかりやる大学も増えたので、ここでは評判がよいとのこと。
パブコメ
「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」に関するパブリックコメントは、2974件、もうひとつの学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案に対する意見公募手続は11210件でした。 関連のブログ記事も数多くありました。
小学校英語を廃止すべしというパブコメを提出(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20170315-00068736
「それぞれのタイトル + パブコメ」で検索すると無数のブログ記事が出てきます。ちなみに、日本語教育のパブコメは教師の資格についてのパブコメは最近やっと千単位になりましたが、この肝心の参照枠関連(標準)のパブコメは66件、その後もだいたい100以下です。
2020年前後に失速気味に
現場だけでなく英語教育研究者からも、長く批判があった。その要旨は以下のようなもの
- 英語で英語の授業、をするのは難しい(いちおう2010年代にはかなり対応しているとのこと)
- CEFRは参照枠であり、到達目標ではない。英語の学習の基礎固めには向いていない。
- 4技能重視=会話力重視は、会話力のみが突出している。
- 「コミュニケーション能力」の評価軸が定まらない。
- 結果が出ていない。(上の「改革の検証」を参照)
最後の「結果」については数々の論文が出ており、客観的にみても、英語の成績は下がったとみえる。しかし「それは評価方法が旧態依然としたものだから」「教え方がまだ成熟していない」という反論があり両者の対立は平行線となっている。これは日本語教育でも起きそうな議論です。
文科省はかなり強引に進めたということも災いして、反発も広がり、2010年代後半には失速しました。2010年以降、文科省下での管理が進んだ日本語教育の立法化とそれにともなう改革も大きくこの影響を受けています。ザックリ言うと、英語教育の改革の方針に日本語教育も足並みを揃える形で進められた側面があり、英語教育の改革の正当性のアピールに使われた感も否めないという気がします。
英語改革のほうは、激しい批判もあり、2020年前後にこの改革を進めてきた勢力は衰え、次々と撤退していき、2021年には教育改革会議は廃止となりました。
- 民間試験の活用
- 教員免許の10年更新制
は、一旦消えました。
会話力重視、小学校からの必修化は残っています。第二言語習得研究の成果の反映については、今も議論があります。
失速の日本語教育改革への影響
この失速の影響も日本語教育は受けた。2021年になって急に日本語教師の10年更新制は消えた。CEFRの採用と、民間試験の活用などは残ったまま。これは日本語教育の改革でもまったく同じ結果になっていますから、やはり日本語教育の改革は英語教育改革に間接的に振り回されたという印象が強いです。
英語の民間試験採用に対する批判は、いろいろですが、その批判の対象はTOEICなど世界中で広く使われている試験です、しかし日本語の場合は、歴史も10年程度で浅く、規模も千人単位、実施能力も未知数のほぼ能試の準拠試験みたいな小規模の試験が能試と同じものとして採用されることが決まり、そのまま議論も批判もないまま決まっています。このへんも謎ですが、ここも英語教育改革の柱である「民間試験の活用はよいことだ」ということありきで、勢いで決まってしまったということかもしれません。
改革の検証
当然、改革を推進してきた人は、結果が出ているものをピックアップし、懐疑派はネガティブなものを示すみたいなことがありそうです。ただ、かなり客観的な数字に近いモノがネガティブにでた場合「まだ改革が浸透していないからだ」という反論が出てくることがあり、こうなると平行線です。
関連の論文、記事は膨大にあるので、代表的なものだけを。
改革を推進した人達の検証報告
「英語教育改革の行方」(4) 南風原朝和・東京大学名誉教授 | 日本記者クラブ
https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/35549/report
有識者会議の座長吉田研作氏の個人サイトにある 大規模調査
どちらかというと懐疑的な人達の検証
「英語教育改革の行方」(2) 羽藤由美・京都工芸繊維大学教授 | 日本記者クラブ
https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/35548/report
羽藤氏はツイッターアカウントやブログでも積極的に発言している。
https://twitter.com/KITspeakee
https://yumihato.wordpress.com/
大学受験に英語の「話す」は本当に必要か?開始前に大混乱の英語教育改革 阿部公彦・東大教授に聞く
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/16557
文科省の調査による検証
国からそれなりの予算が投じられるということは、検証され、結果を求められるということでもあり、もっとも重要なことは「国によって成果や結果の定義が決められてしまう」ということでしょうか(英語教育改革は、思ったような成果が出ていないとかなり修正されてきています)。
後述する日本語教育の参照枠の議論では、日本語教育関係者が教育の成果を厳しく求められたという経験が薄いこともあり、検証され成果が求められるものとして議論されているかは、かなり疑わしいという気がします。以下は「英語教育改善のための英語力調査」から。毎年、試験の結果とともにいろいろな調査が行われています。
継続しているものとこれから
新学習指導要領は2020年にスタートしています。文科省は特設ポータルを作ってアピール中・
高等学校学習指導要領解説 外国語編・英語編 - 文部科学省
上の文書は多数あるので、概要と外国語教育に関しては、新学習指導要領における小・中・高を通した外国語教育の改善にまとまっています。上の図はこの文書からのものです。
また、2017に出た以下の文書がわかりやすいです。
外国語活動・外国語科において育成を目指す資質・能力の整理(文科省)
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/01/20/1380902_3_3_1.pdf
英語以外の「教育改革」
- アクティブラーニング「主体的・対話的で深い学びの視点からの学習法(文科省)」の採用
- 国語では論理国語をつくり、文学よりもロジック重視
- 数学でも記述式問題を増やし、数学を論理的思考能力に発展させる、という考え方
- 大学入試だけでなく「高校生のための学びの基礎診断」として民間試験の採用が進んだ。
- センター試験に代わって大学入学共通テストに。国語数学での記述問題、英語のリスニング配点が増えた。
などが目立ちます。ただし、これらも、批判は多く、検証と議論は続いています。
その他のいろいろと日本語教育改革への影響
- すべてを決める中教審のポータルは→中央教育審議会:文部科学省です。ここから辿れば関連文書にたどり着けます。
- 政治的な背景を少し補足すると、2006年第一次安倍内閣、福田氏、麻生氏と続き、2009~2012年の民主党政権、2013年から2020年の第二次安倍政権の中で進んだことで、実質的に安倍政権がイニシアティブをとって進めたと言われている。この間の文教族のトップは中心人物は下村博文氏。この「ネオ文教族」と呼ばれた人達がここ15年の教育改革の中心人物でした。しかし、その後、中教審でも改革路線が否定&跳ね返され、2021年の衆議院選挙前に自民党内で影響力を失ったという背景も重要です。
- 「日本語議連」は、この文教族の議員が中心となっていたということもポイントです。2021年の衆議院選挙で、会長の河村建夫は引退。座長格の馳浩氏が県知事選転身で国会議員を引退、下村氏も党内で影響力を失い、日本語教育でも活躍していた文教族の人達はかなり消えることになりました。(この人達を後ろ盾にしてきた日本語教育関係者、日本語学校関係者も多数いたと思われるが…)
- 日本の英語教育にCEFRを活用するという提案は2000年代の半ばあたりから出てきて、その検証が後半に論文で現れるようになる。
【背景その2】 JF日本語教育スタンダードの作成(2005~) ~海外の日本語教育政策~
国内の日本語教育の政策の議論で、CEFR採用の方向になったのは、2012年の文化庁の課題整理に関するワーキンググループの最終報告が始まりですが、JF日本語教育スタンダード(英語名はJF Standard)のための会議がはじまったのは2005年、2010年には能試の改革、2013年にまるごと出版と2010年代の前半にはCEFR準拠は終わっていました。海外の日本語教育政策はほぼ国際交流基金が予算を独占しており、単独で決めることができ、決めればすべてが動くということもあるので、スピードが速いということはあるかもしれません。
よく日本語教育以外の文献でも「日本語教育の世界でもCEFR対応の波が~」的に紹介される欧州の日本語教師会でも、2010年前後にはCEFR対応の議論が始まっています。
2011年-2016年 AJE-CEFRプロジェクト
https://www.eaje.eu/ja/project-cefr
この2010年までは、独自に進めてきた感がありましたが、その後、2010年代は、国際交流基金は日本国内の教育改革、英語教育改革と歩調を合わせて、国内の議論に関与を強めていきます。
おそらくその理由は、2010年代は、事業仕分け、学習者数減少と、基金は組織の存続に関して、強い危機感を持った10年だったとということが大きいと思います。この危機感が「新たな市場」である日本国内の日本語教育への参入の野心へと繋がっているのではと考えられます。
国際交流基金の方針転換(2005)
国際交流基金は、1997年、橋本内閣の行革によって、半官半民の特殊法人から独立行政法人となり、採算性、合理化が厳しく問われることになり、より「明確な成果」を求められるようになり、方針転換を強いられることになりました。バブル後、特に2000年に入って、海外での影響力低下、日本のハード部門の成長が止まったこともあり、外務省はソフトパワー(「ソフト・パワー(Soft Power)」ジョセフ・ナイ)戦略という方針転換に傾き始め、次第に日本語教育もそのソフトパワーの後方支援部隊的な役割を担うという位置づけになっていきます。
これらの方針転換を受け、2005に国際交流基金は、大きな方針転換をし、それまでの海外の日本語学習者の「サポート、下支え」から、新たな日本語学習者の「掘り起こし、開拓」に転換するということになりました。費用対効果を厳しく問われることになったことで、日本語パートナーズなどは東南アジアに集中するなど、地域的にも偏りが出てきたと言われています。この方針転換で問われる「明確な成果」は「学習者数の増加」です。学習者数調査は一層「かき集める」傾向が強くなったという論文もあります。
👉 基金関係者はネットでも日本語学習者が減少しているとは、口にできない空気があるようです。いろんな反論が用意されています。
日本語普及による我が国のプレゼンスの向上―経済成長を推進する知的基盤構築のために―
【参考】
👉 「かきあつめる傾向」などがある関連の論文 国際交流基金の日本語教育政策転換について、国際交流基金のレトリックが日本語教育から見えなくするものなどがある。
同時に、2000年前後から日本語教育部門の大幅な改訂もスタートします。2005年のJF日本語教育スタンダードの策定、2010年に日本語能力試験の改訂、その後、国内日本語教育のCEFR準拠を軸に参入を目指し、結果、2017年に特定技能の試験などを通じて、日本国内の日本語教育への参入までの流れに繋がっていきます。2005年から辿ってみます。
JF日本語教育スタンダード策定のためのラウンドテーブル(2005~)
JF日本語教育スタンダードは、研究者を招いて会議を重ね、作られた経緯があります。ベースになったのは2001年版のCEFRです。その後、2009年に試行版が作られ、いくつかの検証が行われ、2010年に正式スタート。現在に至ります。最初に書いた英語教育の改革が始まったのが2006年。その準備段階を考えると、ほぼ同時期にスタートしたと言ってもいいと思います。どこまで影響下にあったのかは未知数ですが、日本語教育専門家が、英語教育改革のブレインとも言える上智大学の言語教育センターの小柳かおる氏の書籍を「『まるごと』の理論的な支柱になっている」と、引用するところなど、影響が無いとは言えなさそうです。
ともあれ、日本語教育スタンダードの構築をめざす国際ラウンドテーブル会議録は、新たな海外の日本語教育の目安を作るために2000年代に始まった。CEFRが強く意識されていた。
ラウンドテーブルは会議のこと。新たな海外の日本語教育の方針をが策定したCEFR風の参照枠。参照枠だが標準(スタンダード)となっている。そうなった経緯は後述。当初は海外の日本語教育のものだったが、2017年に特定技能の在留資格の目安として採用され、国内でも参照枠を目指すことになった。
会議の参加者
策定のための会議(ラウンドテーブル)のタスクフォースメンバーは以下のとおり。
以下は基金の関係者?
- 王 崇梁 (日本語事業部企画開発課専任講師)
- 大隅 敦子 (日本語事業部試験課専門員)
- 磯村 一弘 (日本語国際センター専任講師)
- 柴原 智代 (日本語国際センター専任講師)
- 島田 徳子 (日本語国際センター専任講師)
- 篠崎 摂子 (日本語国際センター専任講師)
- 横山 紀子 (日本語国際センター主任専任講師)
- 来嶋 洋美 (ロンドン事務所専任講師)
- 藤光 由子 (マニラ事務所日本語教育アドバイザー)
- 菅野 貢輝 (日本語事業部長)
- 嘉数 勝美 (日本語事業部企画調整課長)
- 金田 泰明 (日本語事業部試験課長)
経緯
会議録は以下で公開されています。
国際交流基金 – 日本語教育スタンダードの構築をめざす国際ラウンドテーブル会議録
👉 以下の論文にも経緯が書かれています。塩澤真季・石司えり・島田徳子(2010)「言語能力の熟達度を表すCan-do記述の分析―JF Can-do 作成のためのガイドライン策定に向けて―」『国際交流基金日本語教育紀要』6 pp.23-39、森本由佳子・塩澤真季・小松知子・石司えり・島田徳子(2011)「コミュニケーション言語活動の熟達度を表すJF Can-doの作成と評価―CEFRのA2・B1レベルに基づいて―」『国際交流基金日本語教育紀要』7 pp.25-42
内容
- ここでは、参照枠というコンセプトだが、なぜか名称は「標準」でいいだろう、ということになった。
- 複言語主義という理念に関する議論はほとんどみられない。
- コミュニカティブアプローチの話しがあり、コミュニケーション重視という話題はありますが、行動中心アプローチ、あるいはそれに類する表現は出てきません。
参照枠をなぜ「スタンダード」にするのかという点で、以下のようなやり取りがあったことも記録されています。
【名称としての「スタンダード」について】
平高(平高史也氏 慶應義塾大学総合政策学部教授)
「日本語教育スタンダード」の「スタンダード」が適当なのかという議論がある。結論には達しておらず当面は仮称としているが、この点についてご意見をいただきたい。
嘉数(嘉数 勝美氏(国際交流基金、日本語事業部企画調整課長))
「スタンダード」というと押し付けがましく、それ以外に選択肢はないという印象が生まれる。一方で、共通参照枠と日本語で言ってもイメージがわかない。代替案として「ガイドライン」が挙がったが、これもまた「教師が学習者を導くべき方法」といった威圧感が生まれるので避けたいと考えている。参照枠のように懐が広く、なおかつ独善的にならない言葉を模索している。
ブレクト(リチャード・ブレクト氏(米国 メリーランド大学)
「参照枠」という言葉は欧米では広く受け入れられている。枠なので強制力は持たず包括的であるという点が高く評価されている。
李(李 徳奉氏 韓国 同徳女子大学校)
「スタンダード」も悪くはないと思う。言葉は、概念をどう定義づけるかによって意味が異なる。ここでは、スタンダードであるがプロセスであると定義づけているので、問題はないと思う。定義で柔軟性を持たせることで良いのではないか。欧州の場合は25の国の23の言葉を対象に枠組みを決めるので、「共通参照枠」が最適の概念となるが、日本だけで使う日本語に「共通参照枠」と言ってもどことどこの共通の枠組みを指しているのか混乱してしまう。
2005年の時点では、基金が特定技能で試験を始め、在留資格の認定に関わったり、その他の国内日本語教育でCEFRが採用される可能性は低かったので、スタンダードでいいということになったのかもしれません。
完成へ
→ 日本語教育関係者は、言語を木に喩えるのが好きらしいです。言語は何に喩えられてきたかについては言語は何に喩えられてきたかに興味深い記事が。
2009年に試行版として発表され、2010年から正式に運用開始となりました。2010年に能試が変更され、「まるごと」の制作が正式スタート、2013年に販売開始という流れとなりました。(「日本語初歩」は2012年まで販売されていました)
JFスタンダード資料 | JF日本語教育スタンダードでは、日本語、英語、韓国語、インドネシア語版があります。
事業仕分け(2010)
その後の基金の出来事を簡単に追ってみます。
□ 国際交流基金 → 存続
一部(財務省方面など)には廃止の声もありましたが、仕分けする側もよくわかってない様子で、淡々と進み、存続となりました。橋本行革(96)で政府関連の法人は独立行政法人となり、厳しく採算性が問われることになったわけですが、この事業仕分けはそれに次ぐ、厳しいものだったと言われています。平均の年収(900万前後と回答)や日本語専門家の位置づけなど、あれこれと資料提出、諮問での答弁をすることになっています。
- 今後、より採算性が厳しく問われることになる。
- 政権次第で、こういうことはまた起きる。
ということを、特に独立行政法人は強く意識することになった出来事でした。
この事業仕分けは、2010年代の日本語教育改革への基金の姿勢にも影響したことは間違いないと思います。基金はこの後、新しい政権の官邸周辺との結びつきを強め、東南アジア(→西アジア→中東という地政学的な政治的な戦略ライン)重視の政権と共同歩調を取り、2010年代に日本語パートナーズ(300億円)など次々と新しい事業を獲得し、国内日本語教育への参入も始めました。
日本語パートナーズが開始(2013)
東南アジアを対象にした、アシスタント教師を派遣する日本語パートナーズがスタート。総予算300億円。サイトは電通系の会社が担当した。
2013年の外務省の海外における日本語の普及促進に関する有識者懇談会 の議事録に、日本語パートナーズの決定報告が飛び込んでくる様子が残されている。この会議では、基金関係者による「学習者を500万人にする」という発言もあった。
そもそもの目的は「オリンピックの応援団を増やす」というもので2019年までの予定だったが、結果、2021年の時点でも、受け入れが決まらず延長となり、台湾も追加された。2021年の時点で、主な派遣先の国13カ国の学習者数は合計で19279人増えたのみという結果。詳しくは、こちらに分析があります。
👉 2000年を過ぎて世界各地で日本語学習熱は下降基調となり、民間の語学学校から日本語は次々と姿を消し、2010年代には大学からも消え始めているが、2013年の時点でも基金関係者は学習者数増加を見込んでいたということになる。しかし2015年の調査の大幅減少で、かなり慌てることになり、以降、「機関学習者が減っただけでネットに移行しただけだ」という理屈と共に発表されることになる。
電通との関係強化(2013~)
対外的なアピールの重要性みたいなことからか、このころから電通との協力関係が強化された模様。上の日本語パートナーズのサイトも電通系の会社が受注している。その後、共同プロジェクトも増える。
2013年に電通出身の佐藤尚之氏(「さとなお」で知られる)、が理事に就任し、職員などにSNS活用をレクチャーするようなことが始まった模様。理事は2017年 www.さとなお.com(さなメモ): 国際交流基金の理事になりました
この後、2016年のやさしい日本語ツーリズムの電通の吉開氏との、台湾学習者に関する日本語の共同調査(国際交流基金・電通の共同日本語学習者調査)などに繋がっていく。
しかし、この調査は、台湾からの観光が期待できる人に絞ったもので、後の上の調査の結果の補足(独自に保存したファイル)にあるように、サンプルが乏しく、偏りがあるという不完全な調査だった。なぜこんな調査を国際交流基金が行ったのかは、基金のサイトでは説明されていない。
海外の学習者数調査で海外の日本語学習者数減少(2015)
2015年の国際交流基金の海外の学習者数調査では、はじめて世界の日本語学習者数が減少に転じた、ということもありました。
これも大きな出来事だったと思います。2005年の「サポートから学習者開拓」という方針転換では、学習者数が増えることが成果であるということになってしまったので、組織として費用対効果を問われます。減少では困るわけです。強い危機感が働いたと思われます。
日本語学習熱はおそらくは90年代がピークです。大都市の民間の語学学校に日本語コースができ、大学でも日本語学科が増えましたが、90年代初頭のバブルの崩壊で世界の中のプレゼンスの低下とともに低迷します。21世紀に入り民間の日本語コースは消え、2010年にかけて大学の日本語学科が縮小、廃止となっていきます。90年代の「予熱」も消え2010年代には基金の数字としても隠せなくなった、というのが実情だと思います。そういう意味では早くから関係者は危機感を持っており、2015年の学習者数減少を、公に新たな対策で動けるきっかけとした、という側面が強いと思います。
上の画像は発表時の資料の図です。発表はこのように「減ってるけど減ってない」という苦しいトーンでまとめられています。その後、かなり「かき集めた」と言われている2018年の調査では再び回復しましたが、2012年の数よりは増えず、海外の学習者開拓は限界があることが確実となり、事業仕分けやこの海外学習者開拓の限界が大きな要因となって、2010年代に、より日本国内の日本語教育への参入を強く押し進める方針へと舵を切ったと言えそうです。
基金によるJF日本語教育スタンダートの説明の変化(2017)
基金による、JF日本語教育スタンダードのコンセプトの説明はかなり変化しています。元々海外の日本語学習者を想定したはじまったものが、2010年代に入り、国内の日本語教育への参入を目指すことで、日本国内の政策への最適化が必要になったからかもしれません。国は2013年の「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」で、はっきりと英語教育のCEFR基準、という方針を打ち出しており、あきらかにこれに乗っかったほうが有利という状況がありました。
しかし、国内の日本語教育への事実上の参入は、ほぼ公の説明無しに、有識者会議や文化庁の会議なども経ずに、当時の官邸と外務省=国際交流基金の間で、決められました。今後30万人超となる予定の就労系の在留資格と紐ついた形で試験が作られ、それがJF日本語教育スタンダード準拠であるということは、日本国内の就労系の在留資格の日本語教育の柱になることを意味しますが、これほど大きなことが、官邸と独立行政法人の間だけで、日本語教育関係者のコンセンサス無しに決められるというのは、かなり特殊なことだという気がします。
👉 豪州、カナダ、欧州などの例をみると、通常、国内の言語サポートの枠組みは基本、国内の言語教育関係者や言語学者が決めます。基本、在留資格の取得や延長とCEFR準拠の試験を紐つけるということには、CEFRの理念からも賛成はしないでしょう。
2017年前後まで
2017年ごろまでは、JF日本語教育スタンダートはCEFRとの関連は基本的にはないものだ、参考にしたが違うものだと、サイトでも説明されており、関係者もそう説明していました。
最初から「CEFRを日本語に導入」という目的で作られたのではない。};
出発点は国際交流としての「相互理解の日本語」であるとか、独自の部分も多い。};
基金の「JF日本語教育スタンダード」は、A1-C2のレベルとか、行動中心主義の考え方とか、CEFRから多くの要素を取り入れているけれど、最初から「CEFRを日本語に導入」という目的で作られたのではない。出発点は国際交流としての「相互理解の日本語」であるとか、独自の部分も多い。
— 磯村一弘 ISOMURA,Kazuhiro (@Honigon3D) June 28, 2017
上のツイートの説明は、当時のJF日本語教育スタンダードの説明としては普通のもので、当時は基金はJF日本語教育スタンダードのサイトでも説明としてほとんどCEFRを使っていなかった。「まあ、参考にはしましたよ」という程度のそっけない説明でした。基金の説明でも、一般の受け取り方としても、JF日本語教育スタンダードは、CEFRとは別のもので、評価の枠組みだけまさに「参照」しただけのもの、という微妙な存在だった。日本国内の言語政策に関与できない基金(国内は文科省、海外は外務省という省庁による暗黙の「縄張り」があった模様)としてはCEFRの理念や政治的な要素までは背負えないということだったのかもしれません。しかし、この「CEFRとは関係は薄い」的な発言は、2017年以降、無くなります。
2017年の基金の特定技能への参入内定、翌年の「日本語教育の標準に関するワーキンググループ」に前後して基金の説明が変わる
日本語教育の標準に関するワーキンググループでは、CEFRの採用ありきで始まります。そしてこの時期に前後して、基金のJF日本語教育スタンダードの説明が変わります。
2018年 特定技能への参入が確実になる
2018年の6月には、特定技能のテストを担当するために国によって予算化されており、おそらくは2017年あたりから、官邸との間で内々に国内の日本語教育への参入が決まっていたと思われます。一般の人(国内外の日本語教育関係者含む)が知るのはその後、国際交流基金日本語基礎テストが開始される2019年のことでした。
2018~ 突然の説明の変更
しかし2018~9年にかけて、基金は突然、JF日本語教育スタンダードのサイトをリニューアルし、JF日本語教育スタンダードを、CEFRという語を用いて説明するようになっていった。リニューアルされたサイトでは「JFスタンダードは、このCEFRの考え方にもとづいて開発しました」となっている。JF日本語教育スタンダード自体は特に大きな改訂はなく変わっていないので、説明方法が変わったということだと思われます。これは最初に述べた国内の文科省のCEFR推しの姿勢に乗っかったほうが有利、ということがあったと思います。
文科省の方針とは別に、2018年の6月にすでに特定技能の試験として国から予算が下りてますから、それ以前から(おそらくは2017年ごろには。官邸方面から)日本語でもおそらくは国際的にも説明責任として使えそうな「CEFR準拠」で行くという方針が基金に内々に示され、基金がそれに応じたというやり取りがあったことは確実です。そこで、文科省もCEFR推しだし、これは、もうJF日本語教育スタンダードはCEFR準拠だと主張し強調することになったという可能性が高いのではと考えられます。
他の日本語専門家も、元々、まるごとのプロモーションもあり、CEFR支持でしたが、2018年あたりからは「CEFRとJF日本語教育スタンダードとは別物」というストッパーが外れたからか、ツイッターでも熱烈なCEFR支持のツイートが増え始め、ツイッター上で、基金の日本語専門家が、英語教育の、どちらかというとCEFR採用に懐疑的な、CEFR議論の論客である東大の英文学者に「CEFRの文書をちゃんと読んだことないんじゃないか?」とリプを送りつけたりしていました。
2019年 はじめての公の場での説明
なるほど
— uichi.kamiyoshi (@uichi1113) August 21, 2019
いろいろつながった https://t.co/oQinzzZaRR
すでに、2017年から、特定技能の現場では使われ、在留資格と紐ついた国際交流基金日本語基礎テストもスタートしていましたが、当時の官邸と基金の間だけで進められており、日本語教育関係者に説明はありませんでした。
2019年8月にはじめて基金は日本語教育関係者に経緯を説明するとアナウンスし、100名限定の会議で説明がされました。どういう説明だったのか公開されていませんが、SNSの発言などからもこのことが「秘密裏に進められてきた」ということも示唆されています。就労系の人達の日本語能力の評価に関するこれほど大きなことを、説明責任を横に置いて、秘密裏に進めてきたことを公言するのは疑問ですが、ともかく、ここで案内されているのは以下のイベントです。日本語教育学会副会長は上のツイッター(画像)のリアクションを見る限り、この経緯を知らなかった模様です。
「JF日本語教育スタンダードのCan-doの妥当性の検証」は、ヨーロッパ言語共通参照枠(以下、CEFR)を参考にして開発されたJF日本語教育スタンダード(以下、JFS)は、日本語の特徴から見たときCEFRのレベル感が同様に適用できるのかが議論されてきました。NCでは、2018年度にCEFRの検証方法を参考にJFSのCan-doの妥当性を検証しました。今回の研究会ではその調査結果について報告します。};
ここでも、やはり「CEFRを参考にして開発されたJF日本語教育スタンダード」となっており、なぜか最初からJFスタンダードは日本版CEFRとして開発されたということになっていた。
その後「JF生活日本語Can-do」というJF日本語教育スタンダードのバリエーションとして生活日本語的な特定技能に最適化したものを作り、それにもとずいた教材も作る。ということになり、いろどりと生活Can-doの発表となりました。いろどりは基金ではなく特定技能の予算で作られているとのこと。
いろいろとハッキリしないことが多く、推察の域を出ませんが、やはり、国際交流基金は2015年前後から官邸周辺と連携し、巧みに国の政策に関与を強めていき、そのプロセスでJF日本語教育スタンダートを特定技能の政策策定に最適化していったという印象です。ラウンドテーブルで議論になった「参照枠ではなく標準を名乗る」という問題は、最終的に国内外の日本語教育の標準を目指すという基金の方針に合致していきました。
【本編】 2010年代の日本語教育改革 ~国内の動き~
ここからやっと本編の日本語教育の参照枠をめぐる、2010年代の議論の整理です。まずは国内のことから。
出発点の問題意識は謎のまま
英語教育改革との出発点の違い
日本語教育の改革は2005年の国際交流基金のJF日本語教育スタンダードの開発に始まり、文化庁が2009年に「標準的なカリキュラム」の議論をスタートしますが、英語教育改革との決定的な違いは
- 現状どうなのか
- どう改革すれば解決するのか
という点が無かったことです。
つまり、英語教育改革では中学で350時間超、高校で約350~500時間学習するにも拘わらず、読解力や文法力などは高いが話す聴く書くという能力が低く、結果としてその弱点が災いして国際的な評価が低い。これをどう解決するかという課題があるという点は、どういう立場であっても濃淡の差はあれ、共有されており、そこが出発点でした。だいたい850時間として、その学習が済んだ後のコミュニケーション能力が英語教育改革のテーマだったわけです。
出発点となった2006年の「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」にも、その後の会議でも詳しく、現状の問題点と課題と提案が書かれています。
しかし、いろいろと調べてみましたが、日本語教育で2010年代前後にそういう課題(会話力が弱いというような問題)が、具体的なデータでもって共有されているという事実はありませんでした。
日本語教育でいうと850時間は、留学であれば、日本語学校の1年で570時間なので、だいたい1年半が経過した後です。順調ならN2レベルに達する時間数です。N2レベルに達した学習者がコミュニケーション能力において劣るという調査があったわけでもなく、そういう声が進学先であったということでもないようです。2010年に日本語能力試験はJF日本語教育スタンダード準拠の方向で改訂され、会話力重視になっていきましたが、そこでも、実際に会話力が弱いという検証や調査結果があったという記述はありません。
しかし日本語教育では、2005年の基金のJF日本語教育スタンダードの議論は海外の日本語教育の目安としてCEFR準拠でやったほうがいいだろうということがあるだけでしたし、「標準的なカリキュラム」でも、その後の「標準」の議論でも、現状の問題点は語られず、それをどう解決するかというものではありませんでした。
ただ「そうあるべきだ(コミュニカティブであるべきだ)」という言説だけがあった、という印象です。
👉 基金のラウンドテーブルの議事録(2005)にも、現状認識としてコミュニケーション能力育成に問題があるとは書かれていませんし、標準的なカリキュラム案の最初のペーパーである「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案についてにも、現状認識はありません。これはこの後の会議でも同じです。
必要だったのは「改革」ではなく、まず「整備」だったが…
2000年代に大幅に増加した技能実習生制度では、会話力不足が問題となっていましたが、2010年の時点では、就労系の在留資格では、制度上、学習時間は保障されていませんでした。つまり、ほぼ0時間だったわけです。(就労系の日本語教育については技能実習制度で少し詳しく歴史を書いています)
2010年代に始まった日本語教育の改革の方向として共通していたものは、全体の底上げのために目安となるものをしっかり作る、ということだけでした。しかし、おそらくはまず語られるべきは、「改革」ではなく「整備」でした。順番として
- 未就学児童の問題と就労系の在留資格において日本語の学習機会がしっかり制度下されること。具体的には学習時間の確保。
- 上の無償化とその提供方法。
- 上の質的保証のための有資格者の教師の業務独占の範囲を拡大すること。
- 日本語教師の資格を整備すること。
が行われるべきでした。しかし、これら学習機会の整備の議論は行われないまま、英語教育改革に引っ張られるように、日本語の教え方の改革のみが議論される流れとなりました。2021年になっても、このサポートされていない人達は救済されていません。英語の新指導要領では中学の英語の学習時間は300時間から400時間に、入試改革もあり高校でも大学でも学習時間はかなり増えていますが、日本語教育において、この2010年代の改革では、学習時間の保障は一切議論されませんでした。2021年のおいても、就労系の在留資格では、介護や看護で来日後に240時間の学習が保障されただけ。特定技能では学習サポートの保障はなく、CEFRのA2レベルの試験に合格することが在留資格を得るための足切りラインになっただけです。
2010年の時点で、国内の日本語学習者のコミュニケーション能力に問題があったのか?それは教科書や教え方の問題だったのかは、今もきちんとした結論は出ていないと思います。基本、国に「就労系の外国人が増えるから日本語の判定基準を作れ」と言われて集まった、というスタンスという印象です。
「非漢字圏」への対応という課題
(200)0年代後半の東アジア、特に韓国からの留学生の激減を受けて、日本語学校は東南アジアへの開拓にシフトチェンジをします。入管は2004年に雇用予定証明という自己資金が少なくても来日後バイトで雇用してもらえるよという証明があればOKという政策を打ち出しました。
(この政策が安倍政権の東南アジア重視の政策と後の地方の人手不足と結びついて、日本語学校の人材派遣業化に繋がりました)2011年の震災を経てV字回復し、ひとまずこのシフトチェンジは成功したということだと考えられます。
ただ、留学への自己資金のハードルが下がったことで、東南アジアの留学生が増えます。そして、2010年代に、問題となったのは、就労目的の留学生の全体的な学習モチベーション低下と、それまで韓国、中国の学習者に最適化されていた教材と教え方のシフトチェンジの遅れです。
80年代から30年近く、学習者の主流であった中国語韓国語ができる教師はそこそこいましたし、そのノウハウも共有されていましたが、ベトナム、インドネシア、ネパールなどの母語の知識はほとんどないまま、従来の手法がうまくいかないということになってきました。
それに公式に言及されたのは、この改革の議論がほぼ終わった後の、2017年の日本語教育振興基本法の日本語学校の団体のプレゼンでしたが、残念ながら、東南アジア(「非漢字圏」とされている)の学習者が上級に到達するには、東アジアの学習者の1.5倍必要だという、在留資格の延長をしてくれという特にエビデンスもない主張になってしまいました。
しかし、この10年超の議論では、この学習者の母語や国籍が変わったことや、東南アジア圏の学習者の研究の遅れなどは考慮されず、その他モロモロの現状認識も関係なく、なぜか根本的な教材や教え方の改革が必要だ、コミュニカティブにすべき、ということになり、それはCEFR準拠だということになっていきます。順番に見ていきます。
標準的なカリキュラム(案)の審議スタート(2009\\ 2013)
文化庁の国内日本語教育の考え方の新しい方向性として文化審議会国語分科会 で、「標準的なカリキュラム案」の審議がはじまり、2010年(H22)にひとまずの骨格ができ、その後、より細かい検討を経て、大枠が2013年に決まった。しかし、その後の日本語教育の改革では、結果として、ほとんどスルーされてしまう。
審議スタート(2009)
文化審議会国語分科会(第41回:(2009年3月24日)で、次の体制が決まり、第44回:(2010年5月19日)から「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の議論がスタートする。
2009年というのは、基金のJF日本語教育スタンダードがほぼ完成した頃で、国内英語教育の議論ではすでに2006年には、CEFRで行くという方針が決まっていた、という時期。
日本語教育小委員会ワーキンググループの委員
- 伊東 祐郎 東京外国語大学教授
- 岩見 宮子 社団法人国際日本語普及協会専務理事
- 加藤 早苗 株式会社インターカルト日本語学校代表兼校長
- 杉戸 清樹 独立行政法人国立国語研究所名誉所員
- 西原 鈴子 元東京女子大学教授
- 山田 泉 法政大学教授
骨格がまとまる(2010)
平成22年5月19日に報告がまとまる。「標準的なカリキュラム案」は以下のとおり。
「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について | 文化庁
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/nihongo_curriculum/index_1.html
その後、ハンドブック完成まで(2013)
この案が決まったプロセスと、上の「カリキュラム案について」以降に作られてたものは以下のページにまとめられている。
-「生活者としての外国人」に対する日本語教育の内容・方法の充実 (カリキュラム案,ガイドブック,教材例集,日本語能力評価,指導力評価,ハンドブック) | 文化庁
最終的に作られた「生活者としての外国人」のための日本語教育ハンドブックにまとめられている。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/nihongo_curriculum/pdf/handbook.pdf
概要
JF日本語教育スタンダード は、いわばCEFR準拠で特設サイトもあるので説明は省略しますが、この文化庁の「標準的なカリキュラム案」はほとんど知られてないので、以下に少し補足します。概要を掴むには上の(かなり出来が悪い…)ハンドブックをざっとみてから、2010年の「カリキュラム案について 」を読むほうがいいと思います。
カテゴリー検索的な指針
JF日本語教育スタンダードとはいろんな点で違いがある。これまでに文化庁が中国からの帰国者の日本語教育を担当したりというノウハウで培った生活上で出会う課題をピックアップし、それをクリアしてくことを目安に、学習者がポートフォーリオを使って自らの課題として進めていくというもの。Can-doという言葉はほとんど使われない。
最終的な形はCan-do的な要素もあるが、CEFRのCan-doが、無数に作られ、そこから教師なり学習者なりが、探したり組み合わせたりが前提となっている選択と検索ありきのアプローチなら、「標準的なカリキュラム案」はかつてのYahooのような、とりあえずは生活をカテゴライズするという生活の切り取り方のアプローチ、スタンスの違いがある。これまでの国内の生活者をサポートしてきた実績もあり、日本に来た人が出会う場面、困る場面の蓄積から「だいたいここをクリアすれば大丈夫」という設計図が作れるという自信があるということだと思われる。
検索エンジンの世界ではカテゴリー検索は廃れたが、より細かいジャンルでは現在でも主流であり、どちらが有力というわけではない。「何かを探す」という点では、初心者にはカテゴリー検索のほうが向いているという考え方もある。特に初級者の生活ガイドとしてはカテゴリー的なもののほうが便利という側面はありそうです。
生活をカテゴライズする
まずは大分類があり
https://webjapanese.com/dokuhon/files/seikatsu01.png
さらに細かい分類となる
https://webjapanese.com/dokuhon/files/seikatsu02.png
「評価」に対する考え方
学習者をレベル別に判定するのではなく「あくまでも学習者が日本語教育の目的・目標を達成するためのものであり,日本語教育プログラムの一環として能力評価が行われることを期待したものである」という点も違いがある。これはむしろCEFRの理念に近く、おそらくは、このレベル判定がないという点が、国の方針とは合わない点だったかもしれません。
👉 ただし、2013年の最終的なハンドブックには>「生活者としての外国人」に対する日本語教育は,常に変わり続ける地域の状況,外国人のニーズに対応できるように,Plan(企画)―Do(実施)―Check(点検)―Action(改善)というPDCAサイクルを回していくことが重要です。 と、この頃、省庁が作る文書には必ず入っていた「PDCAサイクル」みたいな変な記述も追加されている。専門家が最後まできちんと関与しないと、こんなものになるという例かも。
多言語化の蓄積を活かす
1980年代から中国帰国者のサポートの歴史があり、生活の場面の調査、分析は多い。各県にある国際交流協会において長年、地域の日本語学習のサポートをしてきた実績もあり、ほとんどの学習関連コンテンツは多言語化される。やさしい日本語の担当でもある。
https://webjapanese.com/dokuhon/files/seikatsu04.png
一般の生活文化の担当省庁でもある
生活文化調査研究 | 文化庁
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/seikatsubunka_chosa/index.html
👉 ネットは苦手といってもいいような気がしますが、同じ外注で作る国際交流基金とたいして変わらない。
【参考】
地域日本語教室における学習内容をめぐって「標準的なカリキュラム案」の可能性と課題
https://ci.nii.ac.jp/naid/110008803239
「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的の再提案:―「標準的なカリキュラム案」の批判的な考察―
https://ci.nii.ac.jp/naid/130007891211
文化庁の[[課題整理に関するワーキンググループ | 文化庁(2012)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/kadai_wg/
上と同じ文化庁の日本語教育関連の会議だが、こちらは国内日本語教育のもう少し大きな枠組みを話し合うという主旨としてスタートした模様。上で作られた「標準的なカリキュラム」は、委員は数名重複しているが、机上配布資料として配られるのみで会議でもほとんど言及はなく、まるで無かったかのように始まり、最後の報告書では、唐突にCEFRでやる、という結論になった。 生活日本語の指導者についての「指導力評価に関するワーキンググループ」と日本語教育全般を議論する「課題整理に関するワーキンググループ」が作られ、後者の会議で日本語教育の方針が議論された。これは、後の2019年の「資格」と「標準」の2つの会議にに引き継がれる。
会議の参加者
- ◎ 西原 鈴子 :座長。特定非営利活動法人日本語教育研究所理事長で、前独立行政法人国際交流基金日本語国際センター所長
- 井上 洋 一般社団法人日本経済団体連合会社会広報本部長
- 岩見 宮子 公益社団法人国際日本語普及協会理事
- 尾﨑 明人 名古屋外国語大学教授
- 小山 豊三郎 愛知県地域振興部国際監
- 迫田 久美子 大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所日本語教育研究・情報センター長
- 杉戸 清樹 独立行政法人国立国語研究所名誉所員
「標準的なカリキュラム」の審議から継続しているのは西原鈴子氏のみで、今回は座長。2010年代の日本語教育改革の中心的な人物の一人と言える。西原氏は特定非営利活動法人日本語教育研究所理事長で、前独立行政法人国際交流基金日本語国際センター所長。この会議の1年前に日本留学のあり方と大規模テストの可能性(2011)西原鈴子という論文では
「JF日本語スタンダード」のレベル設定と連動させ、さらにCEFRなどの海外の言語習得に関する共通参照枠と相互参照が可能な能力記述を展開させることによって、グローバルな規模で移動する人材の言語能力測定が人材受け入れに役立つ規模になることが望ましい。};
と、JF日本語教育スタンダードを軸にCEFR準拠で、日本語学習のゴールをグローバル人材の育成だと考える旨を書いている。
この他、文化庁から早川国語課長,鵜飼日本語教育専門官,山下日本語教育専門職,増田日本語教育専門職という人達が参加している。
👉 日本語教育に関わる研究者は上でリンクがある人達のみ。岩見氏は研究者としての登録や論文はありませんでした。
議事録から
この会議のポイントは第三回に配布された非公開(会議後回収されるという念の入りよう)の「素案」。第三回からはこの素案を参加者がチェックし、文言を埋めていくような形になる。日本語教育の会議に限らず省庁が何かを決める際によくあることで、素案は省庁の意向が強く反映されたものらしく、ここから大きく変わることはほとんどない。ここで目立つのは、文化庁と外務省で連携してやりたいが、国内外の「縄張り」が障害になっているということと、統一的な日本語の判定基準が必要ということの2点。この非公開の文書にはCool Japanという語もあったことが示唆されており、文書の作成に外務省と文化庁で協議があったことが推察される。
4回中の第三回の会議で机上配布とされている「日本語教育の推進に向けた基本的な考え方と論点の整理について(審議のまとめ)[素案]」の議論が始まり、この「素案」は会議終了後回収されたと記されている。非公開。
以下は、この素案で示された「統一の判定基準」に関する議論です。
省庁
○西原座長
「私は今,23ページのところが少し気になっていました。国内においては文化庁,国外においては外務省というように,いろんな省庁が関係して,今後とも連携・協力しつつ取り組んでいきますとなっています。その結論として国内における日本語教育と言うと,国際交流基金も国内のことを考えるときに関与するようにと言われているように読めてしまいます。国際交流基金は海外のことをやっていると言われるのですが,どちらがどちらに協力するという文章に読めるか,少し曖昧かなと思いました。」
👉 これは「外務省=基金」は国内はノータッチというルールがあるんじゃないの?という疑問。
👉 基金は国内のことに関与できないというルールがある(国際交流基金 - (1)目的、業務の概要及び国の施策との関係(法令・業務方法書)の12条の「業務の範囲」で国内の日本語関連については「海外における」と但し書きがある)ただ、主催の能試は国内で開催されるし、2010年にJF日本語教育スタンダード準拠に方向転換をしたという経緯があり、これによってJF日本語教育スタンダードは国内にも影響を及ぼすことになった(2020年にはCEFRは告示校の抹消基準にまでなった)。その後、2017年以降、特定技能のテストにも関与することになったことを足がかりに国内の日本語教育にも関与したいと考えている模様。この時点(2012年)ですでに、そういう野心があり政治的にいろいろと画策していたということがわかるやり取り。
○早川国語課長
「内心はそのつもりでおったのですが,なぜ外務省と文化庁を特記しているかということを申し上げますと,特にこの2省庁に対して,共同して連携して何か取り組みなさいという指摘,要望がここ1年,2年,非常に強かったということがあります。実際に外務省と何ができるかと協議していたのですが,なかなか具体的な取組としては見当たらないという状況があります。連携が必要と言われており,国会質問も出ています。ただ,有効な連携を具体的に考えるとなかなか出てこないところがあります。そういう中で,連携は我々も大事だと思っていますし,常々いろんな意味でコミュニケーションを図っているので,基本的な押さえとして,一応,制度上はこうなっているんですよというデマケをどこかで出しておきたいという気持ちがあったものですから書いております。」
👉 指摘、要望の主語はないが、おそらく省庁、政治方面から、この2つの省庁でやれというプレッシャーがあった。特に、外務省も国内案件に関与させろという意向があったということだと思われる。これは「日本語教育を法務省から取り戻して、文科省と外務省でやる」という日本語議連の意向とも一致する。この指摘、要望が今後の議論に強く影響することになる。早川国語「課長」は専門官と違って省庁の代表で、政治の意向も汲む必要がある人。
統一的な資格
○早川国語課長
「そもそも「日本語教育に」といった趣旨で書いています。そもそもいろいろな日本語教育をやっていらっしゃる方がおり,いろんな資格の方がいらっしゃるのですが,議論として,汎用性のある統一的なものにした方がよいのではないかという意見をもらうことがあります。外国人集住都市会議で顧問をされている大学の先生と話をしていたら,「統一すべき」ということを言われています。先日,1時間ぐらい議論して,「そもそもそういうことは可能なのか」,「多様な日本語教育,日本語教育の世界の中で,統一にどういう実益があるのか」ということを話し合いました。」}
○西原座長
「とすれば,汎用性のある統一的な資格を作ることは,何になじむことになるのでしょうか。」
○杉戸委員
端的に言うと「現状に」ということでしょうか。
○西原座長
「なじむのかどうか。ニーズになじむのかどうかということもあるのではないでしょうか。」
○杉戸委員
「そういうことですね。「地域の実態に」とかもあります。」}
この流れで、はじめてCEFRという語が出る。
○早川国語課長(文化庁)
「この間,ある先生と話していたときは,欧州評議会のCEFRに段階があり,縦軸で資格を一直線に上から下まで並べるような形にすべきだという御主張でした。そういうことが可能なのか,それから,そうすることに実益があるのか。尺度が違うものを,一本化することが可能なのかどうかというところを割と長く議論しました。その辺りについての話です。」
が、以下のように否定される。
○尾﨑委員
「教員の資格ですから,CEFRとは違いますよね。」
議事録でCEFRという語が出たのは、これが最初で最後。
この頃は、ちょうど文科省で2013年末に出される「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」のとりまとめの最中で、ここでは「ミスターCAN-DO Statements」と呼ばれる上智大学の吉田氏が、文科省と共に、かなり強引に進めており、すでにCEFRが指標として作られ、国としてCEFR採用の方向が決まったタイミングだったことは最初に述べました。
第4回の議事録は公開されておらず、議論はここまで、この回でも実質的にCEFRについては議論されていない。このまま最終報告となった。
最終報告
この報告である2013年(平成25年2月28日) の「日本語教育の推進に向けた基本的な考え方と論点の整理について(報告)(以下「基本的な考え方」とする)
この最終報告に唐突に、議論の痕跡も、説明もないまま、「なお,こうした議論の際には欧州評議会の「言語のためのヨーロッパ共通参照枠(CEFR)」の実践の成果や課題を踏まえて検討するのが適当である。」という文言が入り、この2013年の一文が2020年代の日本語教育政策の方向を決定づけることになります。以降、文化庁の「標準的なカリキュラム(案)」は、ほとんどスルーされます。
👉 このことも、後の動きも、なぜそうなったのかが、わからないので、いろいろと時代背景などを調べることになりました。2013年は教育再生会議の第二次安倍政権版の教育再生実行会議がリスタートした年ということも影響したと考えるしか、他に理由がみつからない。
英語改革とほぼ同じ時期、同じことが起きていた
第3回(2012 平成24年12月10日)ではまったく言及がなく、議事録がない第4回(2013 平成25年1月17日)を経て、2月末の最終案では、(ほとんど議事録にない)日本語能力の認定はかなり多くを割かれ、この結論が書かれている。その後、会議の参加者やその他の関係者からも説明はされていない。ただ、これは、同時期の英語改革の有識者会議(2013年)の第8回で語られた
「冒頭に申し上げましたことと関係するのですけれども,例えば4ページの黄色のところの最後に,CEFRのことが言及されています。何の議論もなくて,いきなりCEFRが出てくるのは,私にはとても唐突にしか思えません。何かCEFRの話になってくると,不思議なことにとても妙なことが起きるのです。」};
と同じことが日本語教育の会議でも起きたということだと思われる。
いつCEFRについて議論されたかは議事録には無い
上の図は3回の会議で出されたと思われる論点整理の図。
👉 この図はこのページから借りた。この図がある文書は会議後回収される文書であったようです。省庁の会議では、こういう後の残さないために、会議の参加者だけが会議中だけみて、会議後に回収される文書というものが存在します。もちろん、残ったら不都合があるからそうしているわけです。
第四回の議論で何があったのかはわからないが、日本語能力の統一的な判定基準については、第三回の「素案」で出されたもののもっぱら資格の話で、日本語能力の判定基準の話は出ていないが、この報告では、なぜか日本語能力の判定基準については、
論点3 日本語教育の標準や日本語能力の判定基準について
日本語教育の内容及び方法に関連して,日本語教育の標準としては,文化庁のカリキュラム案のほか,例えば「JF日本語教育スタンダード」がある。これは,独立行政法人国際交流基金が作った日本語教育の方法及び学習成果の評価の標準である。また,外国人の日本語能力の判定基準としては,文化庁の日本語能力評価や独立行政法人国際交流基金の「JF日本語教育スタンダード」のほか,例えば「とよた日本語学習支援システム」における「とよた日本語能力判定」がある。
(中略)
このように,文化庁はもとより,自治体や民間が既に日本語教育の標準や日本語能力の判定基準を作り,その活用に取り組んでいる中で,日本語教育の標準や日本語能力の判定基準を新たに作るべきという指摘がある。};これについては,まずこうした現行の取組ではどのような理由で不十分であり,それを克服するためにどのような日本語教育の対象者,目的,分野を念頭に置いて日本語教育の標準や日本語能力の判定基準を作ることを考えるのか具体的に検証する必要がある。
というのは,日本語教育の標準や日本語能力の判定基準は,その対象者,目的,分野に即して設計する必要があり,何のためにどのような日本語教育を想定し,または,何のためにどの程度の日本語能力を求めるのかという個別の政策論を抜きにして議論するのは困難であると考えるからである。例えば,外国人の高度人材をはじめ外国人を受け入れる際に必要となる日本語能力の判定基準について考える際には,外国人を我が国に受け入れる上で,どの程度の日本語能力を求めるべきかについて入国管理政策の中でまず議論すべきものである。
👉 この「入国管理政策の中で」というのは、在留資格の取得や延長と紐つける必要があるから、とにかく明確な日本語の能力の判定基準にしろ、ということではないかと思われます。
その上で,次のような点に関して,十分に議論しなければならない問題であると考える。
仮に対象者,目的,分野などが異なる日本語教育の標準や日本語能力の判定基準を総合化し,統一的な標準や基準を作るとすれば,それは可能なのかどうか,また,可能であればそれをより適切なものにするにはどのように考えればよいのか。
文化庁はもとより,自治体や民間が既に日本語教育の標準や日本語能力の判定基準を作り,その活用に取り組んでいる中で,新たな標準や基準を作るのがよいのか,それとも既にあるものをより充実したり,活用したりする方向で議論するのがよいのか。例えば,日本語教育の標準や日本語能力の判定基準については,どのようなものを作るにしても,その運用を担う者によって,結果にばらつきが生じないようなシステムが築かれているかどうかが大きなポイントであり,むしろ現在進行中の取組の検証を行い,必要な改善を図っていくべきとも考えられるが,どうなのか。
なお,こうした議論の際には欧州評議会の「言語のためのヨーロッパ共通参照枠(CEFR)」の実践の成果や課題を踏まえて検討するのが適当である。
という公開上はまったく議論されていないにも拘わらず、かなり踏み込んだ報告となっている。つまり
- 日本語教育の「標準」や日本語能力の判定基準を新たに作るべき(「標準」という言葉になっている。おそらく語学教育関係者以外には「参照枠」というコンセプトは理解されない模様)
- 入国管理政策の中でまず議論すべきもの(高度人材のポイントなど在留資格と紐つける前提)
- 結果にばらつきが生じないようなシステムが築かれているかどうかが大きなポイント(評価の多様性より統一感重視)
- CEFRの実践の成果や課題を踏まえて検討するのが適当(議事録でまったく議論に出なかった唐突にCEFRが出てくる。)
ということになっている。なぜそうなのかの説明がなく、この会議でいつ、誰が、そう決めたのかはわからない。素案をそのまま了承したのかもしれない。
考えられるとすれば、繰り返しになるが、まず、明らかに同時期の文科省の英語教育の「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画(2013)」の議論のプロセスで英語教育のほうで文科省の以降は語学はCEFR採用になるからということがあり、それに、この会議の冒頭にあった「なぜ外務省と文化庁を特記しているかということを申し上げますと,特にこの2省庁に対して,共同して連携して何か取り組みなさいという指摘,要望がここ1年,2年,非常に強かった」という発言から見える、外務省の意向として、その流れに、CEFR互換のJF日本語教育スタンダードで国内の日本語教育にも参入する方向があるということがあったと考えることができる。でないと、何も議論していないものが、これだけ最終報告で唐突にフィーチャーされる説明がつかない。
👉 この辺は、この会議の参加者が議事録が公開されていない第4回で何があったか、その他、議事録に出ない何かがあったか、も含めて説明責任があると思われる。
ともあれ、以降の会議では、この報告で決まったからとすべてCEFRを軸に話が進むことになり「日本語版CEFRのようなものが必要だが、それが出来るまでは、欧州のCEFR基準で行く」ということになり、生活や就労でもCan-doを作ることが言語政策だという流れになりました。
2013~2019年に起きた4つのこと
この5年の間で、2013年の報告に追加されたわずか一文の「CEFRをふまえて検討」が、2019年の会議では「CEFR」ありきで始まり、国際交流基金のJF日本語教育スタンダートを日本語版CEFRとして採用するのはどうか、という議論から始まることになります。なぜ、ここまでCEFRの存在感が大きくなったのか、もう少し理由を考える必要があります。なぜなら2013年の時点でCEFRを意識した教材はほぼ「まるごと」だけで、一般の日本語関係者、特に日本語学校関係者にとってもCEFRは欧州のイチ基準に過ぎなかったからです。つまり日本語教育の内部から出てきたものではなく外部的な要因を考える必要があります。
まったく不透明なので、この5年間、何があったのかを調べてみました。外の政治的な情勢なども影響している可能性があるからです。もしかしたら、日本語教育学会や関連の学会で言語政策に関する方針が話し合われ、何かが決まったのかと探してみましたが、見当たりません。
この間、少なくとも標準についての公的な会議は無かったので、議論は次の2019年の会議に持ち越される。ただこの間にあったことが、2013年の唐突な結論である「CEFRの実践の成果や課題を踏まえて検討するのが適当」という結論が強化されることが起きたはず。
4つ大きな「外堀から埋められていくような」動きがあったように思います。ポイントは文科省と外務省の影響力が大きくなったことです。これらは官邸主導で加速したと思います。
その1 国内の小中学校の英語教育改革でのCEFRの採用(2013~2014)
ひとつは冒頭の英語教育改革の概要:で書いた文科省の強力なCEFR、Can-doの推進政策の渦中であったこと。2013年に唐突にCEFRの採用が案として出され、会議でかなり強引に承認されていったのが、2013年~2014年のことだった。 これとまったく同じような形で日本語教育にも2013年に唐突に「CEFR」の文言が入り、2019年の会議ではもうCEFRありきになっていった。
その2 2016年 日本語教育推進議員連盟 発足
日本語教育振興基本法の成立を目指して作られました。政党関係なくほぼ文教族と言われる文科省系の議員で作られており、現場で座長を務める馳浩氏は「(この議連の会議と法制化で)日本語学校の管理を法務省から文科省に取り戻す」と発言したりと、文科省でリードしていくという色がかなり濃い議連でした。このことは日本語教育政策へ強く影響したことは間違いないだろうと思います。
- 会長 河村 建夫(元文部科学大臣,自民党)
- 会長代行 中川 正春(元文部科学大臣,民進党)
- 事務局長 馳 浩(前文部科学大臣,自民党)
- 幹事長 笠 浩史(元文部科学副大臣,民進党)
呼びかけ人
伊吹文明(衆、自民、京都1区)、伊東信久(衆、維新、比例近畿)、浮島智子(衆、公明、比例近畿)、河村健夫(衆、自民、山口3区)、斉藤鉄夫(衆、公明、比例中国)、柴山昌彦(衆、自民、埼玉8区)、下村博文(衆、自民、東京11区)、高木美智代(衆、公明、比例東京)、高木義明(衆、民進、比例九州)、田村憲久(衆、自民、三重4区)、中川正春(衆、民進、三重2区)、馳浩(衆、自民、石川1区)、初鹿明博(衆、民進、比例東京)、平野博文(衆、民進、比例近畿)、宮本岳志(衆、共産、比例近畿)、横路孝弘(衆、民進、北海道1区)、吉川元(衆、社民、比例九州)、笠浩史(衆、民進、神奈川9区)、有田芳生(参、民進、比例)、石橋道宏(参、民進、比例)、谷合正明(参、公明、比例)、新妻秀規(参、公明、比例)、山本一太(参、自民、群馬)
👉 2012~2015年の文部科学大臣の下村博文はJaLSAの応援団を公言しており、後に2017年に日本語学校に口利き疑惑が取り沙汰されたというような業界と近すぎるということがあるせいかこの議連には参加していませんが、当時の自民党で、教育改革(含む英語教育改革)を強力に推進した「ネオ文教族」と言われた人達のリーダー的存在でした。馳浩氏は直前まで文部科学大臣でしたし、後の文部科学大臣の柴山氏もいました。
👉 しかし、2020年の前後にネオ文教族は急速に影響力を失い、改革路線も急展開します。
👉 2021年の選挙を経て、キーパーソンが抜けたが、会長に柴山氏が就任し、ネオ文教族路線は維持された模様。
その3 特定技能でのJF日本語教育スタンダードとそのテストの採用(2017年~)
2010年代の早い段階で、すでに国際交流基金は、日本国内の日本語教育への参入を目指していたのではと書きました。
日本語教育の世界では、この間、政策と日本語教育において、最も大きな出来事は基本法の成立にむけて議連ができたこと(2016年)と、国際交流基金が特定技能の日本語能力の判定に参加することになったこと。これがおそらく2017終わりか2018年初めに確定したはず(2018年の6月にはすでに予算化されている)特に後者は、日本語能力の判定に関わる出来事として強い影響を与えたと思われる。これらは日本語教育関係者の議論を経ずに、官邸と外務省の間だけで決まった。
また、2018年から2019年の間に、国際交流基金のJF日本語教育スタンダードのサイトがリニューアルされ、それまでCEFRとの関連を否定してきたのだが、リニューアル後に「JFスタンダードは、このCEFRの考え方にもとづいて開発しました」というスタンスに変わった。中身は変わらないので、説明方法を変えたと思われる。つまり、2013年から基金は着々と国内の日本語教育への参入を進めていたということがわかる。
2020年の予算では、テストの開発、教材(いろどりのこと?)その他整備に6億円の予算が割り当てられている。
外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(改訂)関連 令和2年度当初予算等について(単位:千円)によると関連の記述は以下のとおり。
https://webjapanese.com/dokuhon/files/2020yosan01.png
https://webjapanese.com/dokuhon/files/2020yosan02.png
単位は千なので、合計、6億3254万1000円とのこと。定期的に開催されるので今後も億単位の予算が投入されつづけることになりそう。
基金が特定技能に関わるようになった経緯
経緯はまったくわからないのですが、安倍政権の官邸周辺との結びつきは強かったことは大きな要因の一つだとは思います。特定技能が正式に国会で決議される前に、すでに内々に基金と進める道筋はできたようです。事実として2018年の早い段階での参入が決まっていました。
平成29年(2017年)の独立行政法人国際交流基金第 4 期中期計画
平成 30 年度補正予算(第2号)により追加的に措置された運営費交付金については、「経済財政運営と改革の基本方針 2018(平成 30 年 6 月 15 日閣議決定)」の「4.新たな外国人材の受入れ」(以下、「新たな外国人材の受入れ」とする)を踏まえて措置されたことを受け、出入国管理及び難民認定法(平成 30 年法律第 102 号)の定める特定技能 1 号の在留資格により受入れを行う外国人材の日本語能力を判定するためにも利用できるテスト(「国際交流基金日本語基礎テスト」)の開発及び実施と、日本語能力を有する有為な外国人材の安定的な確保のために必要な海外における日本語学習基盤の整備のために活用する。 };
とあり、2018年の6月にはすでに予算化されていたことがわかる。普通に考えて、2017年には、そういう話は出ていないと、翌年の予算化には間に合わないので、2017年中にはほぼ決定していたと思われます。つまり、次の標準の会議(2019)が始まる前に、すでに特定技能でのJF日本語教育スタンダードの採用と基金のテストは国の予算がついていたことになる。
ただし特定技能を含む法案が国会を通過したのは2018年12月8日「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案」なので、法案整備の段階で、すでにもう既定路線として、話は進んでおり、試験の開発には早くても1、2年かかるだろうからと、早めに打診があり、予算化もされたと思われる。つまり、2017年~2018年のはじめには試験の作成の打診があった可能性が高い。これは文科省の英語教育改革と同じ官邸主導で進められました。
特定技能制度ができた経緯
新たな外国人材の受入れについてによると平成28年(2017年)に経団連が提言し、官邸周辺がまとめた未来投資戦略 2017―Society 5.0 の実現に向けた改革―に、外国人人材という項目が設けられ、「経済・社会基盤の持続可能性を確保していくため、真に必要な分野に着目しつつ、外国人材受入れの在り方について、総合的かつ具体的な検討を進める。このため、移民政策と誤解されないような仕組みや国民的なコンセンサス形成の在り方などを含めた必要な事項の調査・検討を政府横断的に進めていく。」とある。
この未来投資戦略は2017年の6月に閣議決定されているので、ここから特定技能は正式に動き出したと考えられる。翌2018年の6月には基金にテストの依頼をしているので、この延長線上で官邸ベースで進められていたと思われる。
2019年の春には第一回の試験が行われた。その後、2019年の夏に、正式にこの試験とCan-doなどが特定技能の要件として作られていることなどが、説明される。とりあえずテストを作り、そのための説明は後で作られたという印象。
職場で研究会を開催します。皆様、ぜひお越しください。
— 磯村一弘 ISOMURA,Kazuhiro (@Honigon3D) August 20, 2019
今年の夏は、とある仕事のせいで大忙しですが、何の仕事かはこれまで内緒でした。でも今回、こうしてプログラムに載ったってことは、もう公にしてもいいってことなのかな?
↑
分科会2.1展示の一番下です。https://t.co/riA4NSXERB
👉 国際交流基金日本語基礎テストは、2019年4月1日から開始された在留資格「特定技能1号」の試験として採用されたとある。「介護」分野の技能試験受験者を対象にフィリピンで、試験が行われた。 👉 この頃からSNS上でも基金の日本語専門家が「技能実習制度を廃止して特定技能に移行すべき」的なことを投稿することが増えました。すべての基金の日本語専門家がポジショントークを繰り広げるということではありませんが…
その4 日本語教育機関の許認可にもCEFR採用(2018~)
日本語能力に係る試験の合格率の基準に関する有識者会議の報告について
→議事録はみあたらない。教科書のシェアで言っても、いわゆる文型シラバスの教科書が8割以上、と、CEFRで教えている学校なんてほぼ無かったと思いますが、文科省が有識者会議のメンバーを集めて3ヶ月でCEFRを日本語学校の抹消基準にしたのは、異様な光景でした。
約半年で大転換
文科省が30年の12月27日に「日本語能力に係る試験の合格率の基準に関する有識者会議」のメンバーを発表した文書の中には「翌年の3月31日までとする」という文言がありました。つまりスタート時から3ヶ月ということが決まっており、実際3ヶ月後の4月にはパブコメが出て、5月末に修了。8月には原案どおり決まり、すぐに告示基準に追加されています。半年ちょっとで、これまで告示基準ににはなかった日本語能力の到達目標が設定され、それが試験で決まること、その試験は、まだ国として方針が確定していないCEFR基準であることが決まったことになります。
有識者会議
「協力者会議に関する庶務は,法務省入国管理局入国在留課,文化庁国語課の協力を得つつ高等教育局学生・留学生課において処理する。」つまり、文科省が先導して決めたことで、細かいことは法務省と文化庁で進める、みたいなことでしょうか。
日本語学校のCEFR採用などに関しての会議です。国内の日本語教育の軸がCEFRになった大きな転換点ですが、誰も知らないままこの会議で流れが決まっています。会議の出席者はその後、CEFRと日本語教育の関係について誰も説明していないのでは?
会議の出席者
- 加藤 早苗 インターカルト日本語学校代表
- 佐々木倫子 桜美林大学名誉教授
- 武田 哲一 学校法人東京国際学園理事長
- 田尻 英三 龍谷大学名誉教授
- 西澤 信夫 日本学生支援機構東京日本語教育センター長
→ 最終的にA2が妥当と決めたのはこの人達かもしれませんが、方針そのものに反対はしたのか?などは議事録がないのでわからないまま。説明が待たれるところです。
報告
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1414876.htm
内容
以下、抜粋
「現在,国として外国人の日本語教育の標準を策定していないが,文化審議会国語分科会では,平成25年に整理した「日本語教育の推進に向けた基本的な考え方と論点の整理について(報告)」に基づき,平成31年度から「日本語教育の標準及び日本語能力の判定基準について」審議を行う計画であり,平成30年度に国内の日本語のテスト及び海外の言語テストについて調査を実施したところである。総合的対応策にも日本語教育の充実の項目に「日本語教育の標準等の作成(日本版CEFR)が挙げられている。よって,審議会による検討結果がまとまるまでの当面の間については,国内に判断基準となる指標がないことから,CEFR(ヨーロッパ共通参照枠)を代用することとしたい。」
この後、NHKの語学番組でも使われている、とか、日本語に最適化されてないから、改良が必要などと続きます。NHKの語学番組でも使われてるから、日本語教育でも使うというのは、かなりテキトーという気もします。そもそも、この時点では「日本語教育の参照枠(2021)」は決まっておらず、最終的にCEFRで行くかどうかも未確定だったんですが、「もうそうなるから」で抹消基準にしてしまったわけです。
パブコメ
パブコメは日本語教育機関の厳格化のひとつとしてテーマになっていたが、異論はあっても、ほぼ「有識者会議で決まったことなので…」という解答でした。
日本語教育機関の告示基準の一部改正に関する意見募集の結果について|e-Govパブリック・コメント
パブコメへの解答
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000190938
関連記事
教育水準低い日本語学校は生徒受け入れ禁止 基準改正へ:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM4K56FSM4KUTIL03B.html
日本の日本語学校、日本語教育レベルに関する基準が新設されるようです - 落穂拾い
https://ochibohiroi2020.hatenablog.com/entry/235000
日本語教育の標準に関するワーキンググループ(2019)
2019年に成立した日本語教育振興基本法に基づいて、正式に国内の日本語教育の大方針を決めるとなり作られた会議です。
日本語教育の大方針に関しては、国の審議としては、2013年の続きの会議でしたが、上の「この間に起きた2つのこと」でかなり流れが変わっていました。簡単にいうと、官邸&文科省の強力な英語教育改革の影響をモロに受けた形となったと思います。
直前の2017年前後を境に国際交流基金はこれまでの「CEFRとは別物」という説明から「JF日本語教育スタンダードは日本語版CEFRとして開発した」と説明を変えています。標準の会議が始まった2019年6月の時点で、すでに国際交流基金は特定技能の在留資格と紐ついた国際交流基金日本語基礎テストをスタートさせており(2019年4月)、JF日本語教育スタンダートが国の日本語能力認定の標準であるという既成事実がすでに出来ていたと言えます。
2019年のこの「標準の会議」も、CEFR採用、CEFR対応をやってきたのはJF日本語教育スタンダードで、それを標準としてやりましょうという方針ありきのスタートになりました。
JF日本語教育スタンダード(外務省) 対 標準的なカリキュラム案(文化庁)
最初の会議の資料として配付された文書
この会議は「日本語教育の推進に向けた基本的な考え方と論点の整理について(報告)」(平成 25 年 2 月 18 日)で取りまとめた11の論点のうち,以下の検討を行う。」とされ、主に「資格」と「日本語能力の判定基準」の2つについて議論するとされている。実質的に上の2013年の会議の続きと言える。
次にこの会議の目標として以下が書かれている。
【目 標】
日本語教育小委員会における検討の基礎資料とするため,日本語教育の標準について以下の(1)(2)を中心に検討を行い,参考となる資料を取りまとめ,小委員会に報告する。
- 「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について」(以下,「標準的なカリキュラム案」という)や,「JF日本語教育スタンダード」を参考に,日本語教育の標準を策定する。その際「言語のためのヨーロッパ共通参照枠(CEFR)(以下,CEFRという)を参考とする。
- 文字(ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字)を含む日本語のレベル別能力記述を策定する。
—–
「日本語教育の標準の策定に向けた検討について」の会議だと定義されている。
「文化庁と外務省でやれ」という国からの指示で始まったという方針どおり、文化庁の標準的なカリキュラム案(2013)とjfstandard.jpと付き合わせて統合しろ、ということが基本方針だったと思われるが、会議の最初にすでに方向性は決まっており、最初に、JF日本語教育スタンダードを軸に(?)CEFR的な「標準」を作ること、CEFRに無い要素である漢字のことを決めるということになっている。すでにCEFR的な方向は確定かのようなスタートでした。「JF日本語教育スタンダードを軸に」なったこと、国際交流基金から2名が加わったことなどは、この会議の直前に特定技能で基金が日本語能力の判定に関与することが確定したことが強く影響しているとしか考えられない。
結果として、上の2013年の「課題整理に関するワーキンググループ 」最終報告に突然現れた一文「CEFRの実践の成果や課題を踏まえて検討するのが適当」は大きな影響力を与えたことになる。この会議は、この2013年の結論をそのまま踏襲し、国内の日本語教育の方針はCEFRで行くと最終的に結論づけた会議といえる。
委員
- ○石井 恵理子 東京女子大学教授
- ○金田 智子 学習院大学教授
- ○松岡 洋子 国立大学法人岩手大学教授
- 協力者: 宇佐美 洋 国立大学法人東京大学教授
- 協力者: 島田 めぐみ 日本大学大学院総合社会情報研究科教授
- 協力者: 簗島 史恵 独立行政法人国際交流基金日本語国際センター主任講師
- 協力者: 菊岡 由夏 独立行政法人国際交流基金日本語国際センター副主任
(文化庁)高橋国語課長,津田日本語教育専門官,増田日本語教育専門職,北村日本語教育専門職ほか関係官も参加。進行と補足を担当。「文化庁の標準的なカリキュラム(2009~2013)」の会議の参加者はおらず、前回の「課題整理に関するワーキンググループ | 文化庁(2012)」からも総入れ替えになり、代わりに国際交流基金関係者が2名も加わっています。委員の3名は、生活日本語、児童の日本語の研究者でCEFR関連の論文は見当たりませんでした。対照的に「協力者」の人達はCEFR関連の研究者、推進者という不思議な構成になっています。議事録を読むと、この3名の委員に協力者の人達が「CEFRでも大丈夫ですよ」と生活日本語関係の委員にプレゼンをするようなムードもありました2)。
👉 リンクはReserchi Mapへのもの。Researchi Mapにページが無い場合はCi Niiへのリンク。
議事録
CEFRに関する検討課題
ここからは、会議の件に戻ります。
この2019年の会議で配布された資料ではCEFRについて懸念される点がまとめられており、これが第一回で議論された。中身は、「日本語教育の標準等に関し新たに指摘されている課題について(案)」。主な点は
- 生活日本語にレベル別を設定するのは適切か?
- 基金のJF日本語教育スタンダードをどうするのか?
- 試験が読み書き中心で対応できるのか?
- CEFRにはない漢字をどう位置づけるのか。
- CBT(Computer Based Testing)ちゃんと作れるのか
みたいな指摘があった。しかし、理念どうこうではなく、実務的な問題点が主で、すでに最初からCEFR準拠でやる前提で始まっているという印象。参加者をみても、JF日本語教育スタンダードでやる空気が強かったと思います。漢字は常にCEFRの文脈化で議論になるところですが、漢字だけ切り離してドウコウという議論ではなく、もうちょっと日本語の構造と共に語られるべきものだと思いますが、そこは特に見られないままでした。
会議は冒頭から文化庁の増田日本語教育専門職による発言
「続きまして,配布資料3が「本ワーキンググループの進め方(案)」です。本ワーキンググループでは,「生活者としての外国人に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案」,以下カリキュラム案と申し上げますが,それから「JF日本語教育スタンダード」を参考として,日本語教育の標準を策定することとしております。その際,言語のためのヨーロッパ共通参照枠,CEFRと言いますが,こちらを参考とすることとしております。」
「日程については,本日6月10日には五つの議事を予定しております。一つ目が日本語教育の標準の現状と課題,二つ目が日本語教育の標準の策定に当たってCEFRを参照とすることについて,三つ目がカリキュラム案について,四つ目がJF日本語教育スタンダードに関するヒアリングです。五つ目の検討作業については別途御説明申し上げます。123につきましては,業務委託として外部の機関に委託し,議論のたたき台となる基礎資料の作成を行う予定です。一つ目が,CEFRの補遺版(Companion Volume)というものが2018年に出されておりますが,この翻訳作業と分析を行うものです。2点目が,標準的なカリキュラム案に対し,能力記述をCEFRのレベル別に振り分けるという作業です。3は,標準的なカリキュラム案とJF日本語教育スタンダードを参考とした日本語教育の標準の素案のCan-doを作成するという作業です。4点目が文字ですが,こちらは残された検討課題になっております。」
となっており、すでにCEFRの採用は既定路線で、その際にJF日本語教育スタンダードをどうするかが軸になることになっていた。
これを受けて、上の懸念される点について議論が続いた。
○村田委員
「昨年12月25日に「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」が発表され,「日本語教育の標準等の作成(日本版CEFR)」と載っております。この表現を見たときに,「日本版CEFR」というのは,何となく分かりやすい印象もあるのですが,人によっていろいろな受け止め方をするのではないかと思いました。CEFRに準拠して作っていくのか,ヨーロッパにCEFRがあるというイメージで,日本独自のスタンダードを作るということなのか,どちらにも読めてしまいます。そこは明確にする必要があるのではないかと思いました。今日の事務局からの御説明でCEFRに寄り添いながら作っていくということが分かったわけですが,一方,この「総合的対応策」の一環として作成するのであれば,特定技能の資格要件となっているA2あたりを中心に作っていくのか,あるいはCEFRに準拠する形で,6段階をバランス良く作っていくのかということも考えないといけないと思います。」
👉 外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策 | 出入国在留管理庁。外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議で決まった。閣僚でざっくりと話して決まる大味な方針(関連文書を独自の保存したもの→1、2、3、4
○石井委員
「CEFRの理念といいましょうか,この開発の枠組みを明確にするときに,確かにこれまでCEFR準拠でという議論はしてきました。CEFRの理念に準ずるということがよく言われますが,枠組みや尺度などについては,確かに参考になると思いますが,準拠,理念をもとにすると言った瞬間に,今我々がやっている事柄は,あくまで日本語が母語でない人たちに対する日本語の能力のことだけであって,マジョリティーである日本人側の能力の方は一切触れていませんよね。そこがCEFRの最も大事で,全ての言語に関して,ノンネイティブの部分的な能力をしっかり認めるということや,マジョリティーの側がどのようにそういう人たちと寄り添っていくか,自分たちのコミュニケーション能力も,CEFRにはしっかり書かれているわけです。確かに,参照なので参照は良いと思いますが,理念の共有をあまり簡単に言ってしまうと,実際と違うということが恐らくいろいろな指摘を受けるのではないでしょうか。そちらにも踏み込んでいくという意気込みであれば,そのこと自体は私も反対しませんが,年限のある作業の中で,どこまで何ができるかを考えると,文章で説明をする際,我々はある部分について参考にするとしっかり常に言っていかなければいけないと思います。理念の共有や準拠というところは,少し難しいのではないかと思いました。」
○島田委員
「名称はともかくCEFRを参照するということですが,作られたバックグラウンドが全く違うと思います。ヨーロッパの言語を扱っているCEFRと私たちが扱おうとしている日本語では随分違います。このことは,あえて私が言うほどのことではないかもしれません。」
とやや抵抗感があるという意見が続くが、結果として、基本的には、ほぼ意見を出しただけで議論がないまま元の案どおりに進み、その後、基金関係者による「JF日本語教育スタンダードのご紹介」が始まった。まだ会議ではCEFRで行くというムードではなかったとも言えるが、議事録を読む限りでは、基金から2名も参加してますし、JF日本語教育スタンダードを軸にしましょうということは、もう既定路線だったという印象です。
この5回の会議を経て二次報告となっている。この時点では「日本語教育の参照枠」という名前。
「日本語教育の参照枠」一次報告(2020年11月) | 文化庁(独自に保存したもの)
「日本語教育の参照枠」二次報告 (2021年3月)文化庁(独自に保存したもの)
メインの報告書はこの[[「日本語教育の参照枠」二次報告-日本語能力評価について-です。
この二次報告は、ほぼ「CEFRー言語政策=JF日本語教育スタンダード」そのままと言ってもいい内容になった。
日本語教育関係者の「標準」の議論への関心の薄さ
一次報告のパブコメは2020年7月に募集があった「日本語教育の参照枠」一次報告(案)に関する意見募集の結果についてはわずか66件でした。その後、参照枠の決定までパブコメは行われませんでした。
同時期の日本語教師の資格についてのパブコメ(2021年夏のパブコメの1年半前に行われたもの)はは、1397件でした。「標準」と「資格」では、当然、標準が上位であり、標準の決定事項は資格のうちの資質を決めるものですが、標準に対する興味の薄さが際立っていると思います。「標準」のほうに関しては、最終報告が承認された時は、ブログ記事はほぼ0で、SNSでの言及も、数件でした。読んで感想を投稿する人もほとんど見ませんでした。
ちなみに、英語教育改革の2016年のパブコメは2974件、関連のパブコメではは11210件です。関連で書かれたブログ記事も多数、何万ものツイートがありました。
日本語教育の参照枠 報告
【まとめ】「日本語教育の参照枠(2021)」とは何か?
&size(20){日本語教育の参照枠で整理しています(準備中)。};
2030年の改定に向けて
詳しくはこれも日本語教育の参照枠で整理しますが、この「決まるまで」のまとめとして、2010年代に議論されていなかったこととして、今後、2020年代に議論すべきポイントを簡単に整理してみます。
感染症下の対応
例えば、感染症下での言語教育に対する提案は出されていません。日々変わる情報を日本語で収集し、対応していくのは至難の業でしょう。国も多言語対応は進めていますが、日本語教育ができることは少ないです。私たちは、Can-doや、やさしい日本語では解決できそうにない課題に直面中で、参照枠は、その最中に議論され、決められましたが、少なくとも、2020年代は感染症下のままである可能性が高い中、感染症下での日本語教育がどうあるべきかはまったく議論されなかったのは残念です。
デジタル化
デジタル化もこの改革には盛り込まれていません。これもCan-doに「検索して調べる」というような項目が目に付く程度で、しっかりデジタル自体の言語学習の考え方を織り込んだことにはなりません。検索をちゃんと使うには、適切な検索ワードを探せるという、かなり高度な読み書き能力が必要とされます。そして、今や検索エンジン以外のサービスは、まずアカウント取得ありきになっています。ネットのサービスを利用するには、民間企業の個々のプライバシーポリシーに注意しながらアカウントを取得し、それぞれのSNS文化を理解したうえで、利用するという高いハードルがあります。LMSを使う日本語教育関係者の個人情報保護、著作権、肖像権の知識も危ういままです。
留学を担う日本語学校がアナログのままでは、進学後に文科省が進める教育のICT化に適応できません。現状では海外の厳しい学生の個人情報保護の姿勢に対応できません。
コミュニケーション観のアップデート
語学教育において最も必要なのは「コミュニケーション観のアップデート」ではないかと思います。ネット時代になり、私たちはパーソナルな人間関係が書き言葉のやり取りで始まり、その関係の維持のほとんどを書き言葉のやり取りで行うようになってきています。日常生活においても、仕事においても、読み、書いて済ませる比率が飛躍的に増えています。読み書きのほとんどをキーボードで済ますことになって20年、「待ち合わせ」のほとんどをメッセージアプリで済ませるようになってから10年が経過しています。仕事のあらゆる報告はチャット上で行います。「プレゼン」は最後の話言葉の有力なジャンルでしたが、2020年代を向かえハッタリ的なプレゼン文化も廃れつつあり、企業はデータ理解重視となっています。
かつては特権的なものであった「不特定多数に対して書いて何かを伝える」という手段を個人が無料で手に入れることができるようになり、実際に1人の人がSNSに書いたことが社会を動かす事態も起こっています。我々は「読み書きよりも会話力重視であるべきだ!」と言いつつも、そのことをSNSで、読んだり書いたりしながら議論をしています。書かれたテキストを自動翻訳する精度は上がっていますが、音声認識はまだまだです。
コミュニケーションの方法、場面が劇的に変化しています。これらの変化を言語教育ではきちんと取り込めていません。おそらく言語教育でも、単純な「読み書き回帰」ではない大きな転換が必要になりそうです。これらはすでに起こっていることで、2030年で間に合うのかはわかりません。
こういう変化を追いかけないという選択肢もあるかもしれません。2020年になってもほぼすべての日本語の教科書にキーボード入力やフリック入力の課はなく、授業でやらない学校もあるわけですから、基本に絞ってしっかりやれば、あとは何とかなるという考え方もあります。変換はともなく入力は母語でやってきた学習者が多数派なわけですし。
日本語教育関係者は、省庁同士の利権争いから距離をとるべき
日本語教育の参照枠(2021)や特定技能の議論では、就労、児童、留学、生活、と日本語教育を分けて論じるケースが多いですが、これは、就労(外務省=国際交流基金、厚労省)、児童(文科省)、留学(文科省、文化庁)、生活(文化庁、地方自治体)で、それぞれの省庁が自分の「分け前」を確保したいという意向も見え隠れします。
国際交流基金の「野心」
国際交流基金はドイツの同じような組織であるゲーテインスティテュートが国内のドイツ語教育に関わっているのと同じく、国内でも移民の言語教育に関与したいと考えているようです。基金のように海外での言語普及の政府系組織は英(ブリティッシュカウンシル)、西、など主要国にあり中(孔子学院)韓にもありますが、国内の言語教育にまで関わるのは独だけなので、特定技能が作られてからは「ドイツのように行われるべきだ」と強調するようになっています。
おそらくは、日本語学習を義務づけ、試験の合格を要件にし、さらに特定技能のA2の試験の上位のレベルのようなものを作り、その試験にも準拠する基金のJF日本語教育スタンダード準拠のいろどりや、まるごとで授業をする教室を運営したいという意向があるようです。
しかし、ドイツ以外の例をみるかぎりでは、国内は移民庁や教育庁的なところが国内の研究者とともにプログラムを作ってやります。基金の専門家のほとんどは海外にいることもありますし、これまでも基金の海外の仕事は教室運営、研究機関、というよりはコーディネートが仕事というところでしたし、これから国内に0から拠点を作ってやるというのは、やや無理があるような気がします。
後述しますが、基金の「日本語学習の義務化」によって学習は促進し、日本語教育市場も活性化するだろう、というスタンスは、改めて考えるべき部分です。ドイツは労働力の補強としての移民政策という側面はあるものの、現在問題となっている人達は難民的な「来ちゃった人達」でもあります。この人達にある種の足切りとしてドイツ語学習の義務を課すのと、日本のように最初から100%「来て下さい」と頼んで来てもらった人達に日本語学習の義務を課すのはまったく違うのではと思います。しかも、今は、来てくれるかどうかも怪しくなってきているわけですから。
👉 基金関係者による特定技能の日本語学習義務化については、このブログ記事からもうかがえます
「日本語教育の参照枠(2021)」のスタンス
文化庁を中心にまとめられた参照枠は、若干スタンスが違うように見えます。2013年に決まった文化庁の「標準的なカリキュラム」では、日本語能力を試験で判定し、選別するという考え方は無く、日本語学習は義務ではなく、学習者の権利であるという考え方がベースになっています。この点はCEFR的なレベル分けを受け入れつつも、大きく違うところです。ポートフォリオ重視であることも違います。
文化庁には長く生活日本語の蓄積があり、地域のネットワークも(知見の共有がイマイチで、ネットの活用がないなど課題も多いですが)すでにあります。文科省との連携もありますから学校のネットワークも活用できます。
日本語学習は義務か、権利か?
このように一般の日本語教師や言語政策に関心が薄い研究者が気づかないところで、国内日本語教育の利権争いは始まっています。
日本語教育はこれまで以上に「予算がとれる分野」になりましたから、それぞれの日本語教育は違うほうが都合がいいし、来日後の試験で在留資格の延長と紐ついたほうがいい、それぞれ別の日本語教育が必要で別の専門の教師の育成とそれぞれの研修、試験が必要ということにしたい。試験や研修は民間の業者も参入できますよ、とすれば歓迎される。つまりビジネスとしてのパイを大きくしたいなら日本語能力は数値化され、在留資格と紐つけられる方向、すなわち義務化の方向となるかもしれません。
しかし、日本に来る人達にとって日本語の学習機会は保障されるべき権利です。移民への言語サポートは、自らの母語を維持するための保障をすることもセットなのが世界的な流れです。自分が使いたい言語を選ぶ権利があるという考え方が主流です。
今後、日本語教育の世界は「日本語学習の義務化=市場の活性化」「日本語学習の権利化=言語学習環境の構築」の2つの考え方に分かれるのではないかと思います。
就労、留学は在留資格の違い、来日のルートの違いに過ぎず、日本で生活する生活者であることは同じで、滞在が長期化すれば、児童や家族の日本語教育とも関わりが出てくる可能性があります。言語の学習で学ぶべき基本的な部分は同じで、中級以降の違いは一般の日本語教師の勉強で十分に対応できるはずです。そして「日本にいるからには日本語を話せ」という圧力ははたして正当なものなのか?それを語学教育が肯定してよいのか?CEFRの理念と離反していないか?という疑問もあります。複言語、複文化という理念を欠いた「参照枠」や「標準」では、結局、日本語学習を強制する指標として機能してしまうわけです。また、ここで抜け落ちるのが学習者の母語教育であり、言語権の問題です。言語政策はさまざまな要素があり、その人の言語教育観が問われるテーマでもあります。
日本語教育関係者は、省庁間の駆け引きによる日本語教育の分断に巻き込まれることなく、業界の利益拡大からも距離を置き、大きな視点で考え、日本国内の日本語教育の大きな設計図を示す必要があります。専門家として、しっかり国の議論をリードしてほしいところです。
永住、家族帯同希望者には日本語学習を義務化せよ、N2レベルの試験の合格を要件にせよ、という主張がじわじわと増えています。しかし、今は、日本語学習の機会が与えられていないのですから、まずこの整備が先です。10年間、無償で質の高い学習機会があれば、永住希望者はそれぞれが必要だと思う日本語能力を得ることはできるはずです。ここで試算していますが、特定技能から永住希望をする人達はかなり多く見積もっても、3000~5000人程度です。
👉 日本語学校をはじめ、業界はビジネスになる日本語学習の義務化を支持しそうです。教材、民間試験、日本語学校、教師の養成ビジネスなど市場は広がるからです。このへんの人達の声が大きいことも、他国のように公的サポートが広がらない大きな要因になっている思います。
2020年代は本格的な移民の議論が始まる
技能実習制度が約40万人、特定技能が3万人で、今後、介護や看護で10万単位の人が必要で、特定技能は30万人超となる想定です。技能実習制度がどうなると、常時100万人近くの人達が来る時代になります。外国人労働者の「同一労働、同一賃金」化が進んでも、5年で帰国する外国人を雇ったほうが安上がりという状況は続きます。当然、ほとんどの国で起こった「外国人を国の隅々で見かけるようになり、同時に若者が就職できない」という状況が加速する可能性が高いと思います。ほとんどの国で、移民問題に本格的な政治的な課題になってきます。2020年代は選挙の焦点になるようなテーマになる可能性があります。今の移民の議論とは別次元のものになります。
各メディアの外国人関連の担当は増えていますし、日本語教育だけでメシが食えるジャーナリストも増えています。就労だけでなく留学制度も正面から批判を浴びることになると思います。日本語教育関係者は、この本格的な議論の中の当事者となります。その準備があるでしょうか?
欧州の難民政策と日本の就労系の人達はまったく違う
欧州では移民在留資格のひとつに言語能力を課す傾向ができたのは事実ですが、基本、「来ちゃった人達」である難民の受け入れから始まった移民問題を抱える欧州とは違い、日本の就労系の在留資格は、基本、日本政府が人手不足なので来て下さいと「呼んだ人達」です。その在留資格で日本語の能力で足切りをするのが妥当なのか?とという問題があります。
👉 さらに雇用主は在留資格の延長に余計な日本語のハードルを課して欲しくないと考えるでしょう。ほとんどの場合、雇用主の日本語教育に関する考え方は、職場で問題なければいい、余計な出費はしたくない、10年で入れ替えながらやっていければいい、というものです。おそらく日本語能力は在留資格の延長と紐つけることは現実的でもなく、その先の永住や家族帯同の条件として調整弁的に使われることになると思います。そして、調整弁として日本語能力を目安にすることは正しいことなのか?という議論も新たに必要になってくると思います。
世代交代
この2010年代の日本語教育の改革の会議の出席者は、若くても50才前後、ほとんど60代以上で、1950~60年代生まれ。毎回おなじみの人物でした。大学の研究者の代表の世代も、日本語教育の世界には途中から入ってきた世代です。この世代の人達は、キャリアのほとんどを、国内の学習者が10万から20万くらい、学校の数は200くらい。日本語学校関係者はほぼ顔見知り、という時代を過ごした人達です。
しかし、2020年からは100万人超の学習者を念頭に置く必要があり、国内では明らかに就労、生活の人達が圧倒的マジョリティになり、ネットの活用も最初からあるものとして考える時代です。
2030年の日本語教育の方針を決める世代は1980~90年代生まれ以降の世代を中心にすべきです。初代のデジタルネイティブ世代と言われた人達で、最初から大学院に進んだ「日本語教育ネイティブ世代」でもあります。教材や教授法が何かを変えるという時代は過去のもので、ICTの活用を含め、複雑な方法を取捨選択しながら考えていく人達です。国内外の語学教育の試行錯誤、政策をみながら、若い時から、多くの文献を読み、エビデンスが重視され、再現性を考え、検証やデータ無しでは議論ができないという世代。研究者の数も多く、英語教育に負けない厚みを持っています。
2022年から開始されるはずの2030年代の日本語教育政策は、国から呼ばれる「おなじみの顔」の人達ではなく、若く、多様な現場の人達が活発な議論をして日本語教育の方針を決めてほしいなと思います。
個人的な感想
2022年に、イギリス人(日本語学習歴があり英語教育の専門家)に聞かれて「国が決めた日本語教育の参照枠はCEFRの2001年版の日本語訳をそのまま使っていて、今、改訂版に合わせた準拠作業をしている最中」と答えたら、「また、また~」みたいなリアクションだったので、ホントだよと言ったら、ものすごく驚かれました。
さらに能試も準拠して在留資格と関連づけられる予定と言ったらもう黙ってました。(日本人のモノマネスキルは高いみたいなジョーク交じりの定番の話はいくつかありますから)英で定番のジョークになるような話でしょ、と言うと、やっと、遠慮がちに笑ってました。
お知り合いに言語教育の制度の基本的な知識がある外国の人がいるなら、同じことを話せば、ほぼ同じリアクションが返ってくると思います。2020年に、まったく違う言語の国で、その国の母語の政策を、CEFRの丸パクリで作る、というのは驚くべきことです。しかも複言語は文言だけ残して、まったく矛盾する在留資格で選別の物差しとして使う、ということに、多くの言語教育の専門家が反対しなかったということもです。しかし、日本語教育関係者には、どうしてもこのニュアンスが通じません。
最後に個人的な疑問を3つだけ短く書いてみます。
- なぜ50年以上も日本語教育の歴史があるのに、いざ国の日本語教育の方針を決めるとなった時に、20年前の欧州の基準をほぼそのまま借りてくるのか?
- EUにおけるCEFRと違い、一国の制度として在留資格と紐つけたうえで参照枠とうたっても、結局、単なる足切り基準の標準として機能してしまうのでは?
- 日本に来る外国人に対する日本語学習の機会はほぼ無いままで参照枠だけ作ってどうするのか?
です。参照枠を読んで、部分部分ではそれなりに理解はできますし、時に妥当だなと思うこともあるんですが、全体として考えると、なんで参照枠が必要で、なぜ作ったのか、ゼンゼンわからないままという印象です。「作れと言われたから今、最も文句が出なさそうなものでまとめました」「どう運用するかまではこちら(研究者)の仕事じゃありません」というスタンスなのでしょうか。
しかし、この方針は参照枠の決定を待たずに2019年にはスタートしています。今後、30万人超の人達がCEFRのA2、すなわち
をクリアしたと基金がお墨付きを与えた人達が30万人超となり、来日後の日本語学習の機会は与えられないままということになります。この2010年の日本語教育の改革に関わった人達は、この明らかに不十分な日本語学習機会について、将来問題となった時に、責任を問われる当事者でもあります。
そもそも今、日本語教育に参照枠は必要でしたか?その前に日本語学習機会の整備からでは?という疑問は拭えないままでした。
このページを書くキッカケとなった2015年のブログ記事で書いた日本国内の日本語教育は、義務ではなく権利であり、公的サポートで行われるべきだという考えは今も変わりません。日本に来る人々、日本語学習を希望する人達のことを第一に考えれば、当然の結論だと思います。
【参考】CEFR の多様な受け止め方
なぜならば,言語に代表される文化の習得が移民の滞在を条件付けることにもなるからだ。日本でも移民の滞在資格と日本語能力を連動させる動きはあるようだ。
— 西山教行 (@jnnNishiyama) March 30, 2016
CEFRは、言語教育に関する欧州におけるひとつの試みであったのですが、JF日本語教育スタンダードはそのCEFRから複言語主義など理念の部分を削ぎ落として作られ、後に日本の在留資格の政策に最適化するために、参照枠という枠組みを逸脱し、特定技能の在留資格と紐ついたことにより事実上「標準化」されたというのが、この10年の日本語教育改革の自然な解釈だと思いますが、日本語教育では、深く論じられないまま、CEFRの理念は新しく、素晴らしいから、日本の政策(の標準)として採用されるのは喜ばしい、あるいは、決まったみたいだからそれに従って、いろいろと整備しましょう、ということになっているように感じます。
ここでは、そういう現状からも、日本語教育的視点からも、少し離れて考えてみます。
そもそも、CEFRや行動中心アプローチに関しても、いろんな批判、懸念があります。2001年から2020年のCEFR自体の変化もあります。国際交流基金的な解釈ではないCEFR像もあります。あるいは日本語教育でも、批判も当然あります。英語教育改革で出てきた議論などをふまえつつ、それらを整理してみます。
CEFRの解釈をめぐって
前述の外国語大学系のものだけでなく、岡山大学や早稲田大学はかなり前からCEFRと日本語教育についての論文があります。東京外国語大学は、独自のCEFR解釈でオリジナルの教科書を作り、2017年に出版しています。CEFR系統の教科書としては最も新しいものだと思います。
日本語教育におけるCEFRの解釈は、理念や行動中心アプローチの解釈、距離なども含め、かなり幅があるように思いますが、その違いが論じられることはありません。日本語教育から離れたところでの議論が参考になりそうです。以下、わかる範囲で整理してみます。
西山 教行氏(京都大学)の研究
京都大学の西山教行氏は、日本語教育についても度々言及されている。西山教行氏のサイト – Bienvenue sur le site de NISHIYAMA Noriyuki 、ツイッターアカウント
国際研究集会「CEFRの理念と現実」|京都大学OCWにはCEFRに関する発表の動画が多数置かれている(賛成、懐疑的な立場、いろいろあります)。
これまで日本において国語教育の名のもとにすすめられてきた日本語の教育は,望むと望まざると問わず,日本人の創出に関わってきた。日本語を話せることを日本人の属性として暗黙の内に規定してきたのである。そしてこの教育観はともすれば,外国人の日本語学習者を日本人へと同化する無言の前提となっていた。日本人の言語実践を機関として絶対視することは言語同化へ到りかねない。複言語主義の経験はこのような同化主義的言語教育観に対して異なる可能性,すなわち国民教育を脱構築する言語教育という視点を提供する。では,日本語教育を国民教育から脱構築すると,日本語教育には何が残るだろうか。
言語教育がスキル教育に完全に回収されないためには,日本語教師もまた複言語主義という教育思想を身体化する必要がある};
『ヨーロッパ言語共通参照枠』に関する批判的言説の学説史的考察が進行中とのこと。
日本語教育関係者の発表
上の西山 教行氏の国際研究集会「CEFRの理念と現実」|京都大学OCWには講義や討論の動画があります。参加者の中で、日本語教育関係者だけ、CEFRにかなり好意的なのが際立っています。
複言語主義をどう解釈するか ― 欧州評議会の理念と日本社会 ―
早稲田大学の細川英雄氏
CEFR と日本の外国人受け入れ政策
牲川波都季氏(関西学院大学)
👉 氏のウェブサイトとツイッターアカウント
日本語教育におけるCEFR とCEFR-CV の受容について
大阪大学の真嶋潤子氏
👉 真嶋潤子氏のhttps://majimajunko.sakura.ne.jp/bukosite/cefr/pg35.html)もありました。
などの動画があります。
また、以下は、言語政策としてのCEFRに対する批判を繰り広げる東京大学の阿部 公彦氏。
欧州はCEFRの「お膝元」?
複言語主義に基づいて、比較的低年齢で外国語をはじめ中高段階で第二外国語を学ぶことにはなっているが、実際は、教え方は直説法、訳読法など多様であり、タスク的な手法は移民の就労のための言語教育に限られるというケースも多い模様。特に自国の義務教育での英語など、外国語の教育は、大学進学が期待される子どもには、文法読解をじっくりやり、ブルーカラーの道を選ぶ子どもには、Candoで、という使い分けもされるとのこと。欧州でも大学では読むこと重視なので、当然といえば当然かもしれない。
2020年のCEFR改訂版では、教授法に関する記述では文法重視の方法も否定されているわけではない、と強調されるようになっているのは、90年代を経た2000年当初のコミュニカティブアプローチ、タスクベース万能の時代から、ある種の揺り戻しがあったからとも解釈できる。ともあれ、複言語主義的な考え方は浸透しつつあるといえるが、教え方に関しては、20年経過しても、これという方法が唯一推薦されるという状況ではなくなってきている。
👉 「CEFRのお膝元ヨーロッパで、あえて文型積み上げが目的の教材を使う意味は何なんだろう?」というツイートもありましたが、欧州では現在も多様な言語教授法がある模様。
以下の論文によると、2004年の段階だが、全面的に採用されているとは言い難い。
- ◎ 政府刊行物で触れられており、言語教育政策に実際に取り入れられている、または今後取り入れられる予定である。
- ○ 国の言語教育政策としては触れられてはいないが、実際に取り入れている教育機関もある。教育機関全体ではなくとも、ある一学部のみで導入を決定し、取り入れている場合なども含む。
- △ 小規模(例:ある言語のみに導入、あるクラスにのみに導入、ある一教師による導入)ではあるが、試行的に取り入れが進められている。または、新たに取り入れていくことが考慮されている。
- - 不明もしくは取り入れられていない。
- ヨーロッパ言語共通参照枠(CEF)1の受け入れ状況の一研究̶ドイツの言語教育機関における聞き取り調査より̶
👉 ELPとは、ポートフォリオ(European Language Portfolio)のこと。
また以下の2011年の文科省の調査でも、教え方については伝統的な手法(直説法や訳読法にコミュニカティブな要素を取り入れたもの)が根強いことがわかる。
諸外国における外国語教育実施状況調査結果
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/082/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2011/01/31/1300649_03.pdf
では、ドイツ、フランスも英語は直接法に訳読法のミックスのような、日本語学校のような方法で教えられているとのこと。
👉 上の文献で言及がるイマージョン教育もかつてほどに支持されていない。外国語教授法はいろんな試行錯誤の最中だと言える。
👉 国連やEUでなぜ英語やフランス語の待遇がいいのかは単に「戦勝国だから」という理由しかなさそうですし。言語教育は国単位の言語戦争的な要素もあるように思います。実際には言語教育を統一するのはなかなか難しい。イギリスのEU離脱みたいなこともありましたし。
JF日本語教育スタンダードとの関連
今井新吾氏のブログ
また、2019年3月ごろに早稲田大学の今井新吾氏がブログで「チェ・ゲバラ的日本語教育革命」と題して、JF日本語教育スタンダートとCEFRのことについてブログに記事を投稿し(同年7月に記事は全削除された)。記事では
- 基金の新テストが日本での生活能力を測ることは不可能
- JF日本語教育スタンダードが当初はCEFRには準拠しないという建て前であった
- 「まるごと」がCEFR準拠とうたうことは矛盾しているのではないか?
- 当時の基金の内部の議論ではCEFRと同じく参照枠であるはずだが「スタンダード」と表明することになった、つまり日本語教育のスタンダードにしたいという野心があったのでは
というような経緯などを書かれていた。
「CEFRは基準ではなく参照だが、JFスタンダードはそれを基準にすり替えた。基準を作って、教育を標準化、画一化するのは時代錯誤も甚だしい。」「JFスタンダートはB2以降を放棄した不完全なもの」「CEFRはたまたまヨーロッパで作られたのでヨーロッパ言語を対象しているが、その精神は反言語。ただし、文字については別。アルファベットと漢字では雲泥の相違がある」「JLPTとJFスタンダードは相関しない」基金のテストは「すでにあるテストを援用し、finishing touchを加えただけ」「JLPTに代わる適切な日本語能力判定基準は永遠に来ない」
👉 今井氏の記事もすべて自ら削除されたので、もういろんな経緯などはブラックボックス化してしまう可能性は高いです。いつの日か、自己保身や組織の存続よりも日本語教育、日本語学習者のことを考えて発言する人が現れて、日本語教育史の研究者などによって、きちんと詳細が明らかになる日が来ればいいなと思います。
市瀬俊介氏の論文
国際交流基金の日本語教育政策転換について「日本語教育スタンダード」の構築をめぐって JF日本語教育スタンダードとCEFRに潜む〈権力〉と諸問題から引用。
- どのような言語教育の理念に基づいて「共通参照レベル」ができあがったのが省みられておらず、その基礎となる行動中心主義的アプローチが日本語教育に適応できるのか、という議論がほとんど無い。
- 日本語教育の「JF スタンダード」では、CEFR の掲げる複言語・複文化主義という言語思想を考慮することなく、単一の言語主義の発想にとど、まり、「共通参照レベル」をほぼ唯一の着想源としている点に限界がある。
- 共通参照枠の普及は「国際基準」という目論見が当初より先行し、最新流行思想を移入する次元にとどまり、日本の社会文化への文脈化をさぐるものではない。
- CEFR から JF スタンダードの理念とした「相互理解」の概念の議論がほとんど行われていない。
- 言語によって活動するとは何か、個人が市民として社会を作るとは何か、そのとき言語教育とはどんな役割を果たすのかという問いと議論が行われていない。
例えば「③ 共通参照枠の普及は「国際基準」という目論見が当初より先行し、最新流行思想を移入する次元にとどまり、日本の社会文化への文脈化をさぐるものではない。」などは日本語教育関係者にとって重要な論点でしょう。
その他、いろんな論文内での言及
国際交流基金による CEFR の適用と言える「JF日本語教育スタンダード」が,複言語,複文化主義を離れて,日本語という単一言語の評価基準として一人歩きしている現状(第 2 部・第 3 章・山本冴里,他)は,上述の日本の単一言語のマスターナラティブに起因するところが大きいのではないか。
□「複言語,複文化主義」と「日本」は結べるのか ― 細川英雄,西山教行(編)『複言語・複文化主義とは何か ― ヨーロッパの理念・状況から日本における受容・文脈化へ:http://literacies.9640.jp/dat/litera10-5.pdf]]
個別のCan-doで示されたタスクを達成するという点で評価がされており、個別のCan-doの集合体として特定のレベルにあるということが包括的にどのような行動が達成できる者であるのかが見えにくくなってしまっている
日本国内でも大学やNHKでCEFRが採用・参照されている。しかし、これらの取り組みの多くは言語参照レベルの分け方に注目が集まっており、それぞれのレベルにおいてどのような能力が重視されているのかについて理解が深められていない。
□ CEFRの受容的活動では何が重視されているのか
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongokyoiku/173/0/173_69/_pdf/-char/ja
書字能力は「正書法の把握」、読字能力は「文字で書かれたものを正しく発音する能力」とその存在が認められている。しかし、能力は認められているものの、評価尺度となるような具体的な能力記述文は示されていない。
□ 拡張・精密化のための読字能力の能力記述文試案作成
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongokyoiku/168/0/168_55/_pdf/-char/ja
国際交流基金が紹介しているJF日本語教育スタンダードを利用した日本語学習の例(「JF日本語教育スタンダード 2010利用者ガイドブック〔第二版〕」)では、一転して、「母語話者」という言葉が多用されている。加えて、日本語の学習目標・目的としては、「日本人と日本語で円滑なコミュニケーションができるように」なること、そして、日本人の考え方や習慣・文化・社会について理解を深めることがあげられており、旧態依然とした枠組みが提示されている。また、「日本人が聞いてわかる」等、評価の基準も「日本人」に委ねられている。学習者の会話の相手として母語話者を想定すること、母語話者との円滑なコミュニケーションを目的とすること、母語話者の理解や状態など母語話者を軸とした評価をすること、これらの姿勢はCEFRCan-doにもJF Can-doにも根強く見られる共通した傾向であるといえるだろう。
また、CEFRにおいては、「社会言語的な適切さ」というカテゴリーのなかで、「母語話者が言語を使用する際の社会言語的、および社会文化的な意味を十分に理解し、適切に応じることができる。」(C2レベル)、「母語話者との対人関係を維持できるが、その際、当人の意図に反して母語話者がおかしがったり、いらつくことはなく、また母語話者が当人と話す際、母語話者同士の場合と違った話し方をしなくてすむ。」(B2.1レベル)という記述があり、目標言語の社会言語的、社会文化的な意味の理解と適応、その場に応じた表現や言葉遣いで母語話者との対人関係を維持することができる能力を求めている。この点では、日本文化や社会の理解等を求めるJF日本語教育スタンダードと共通しているといえるだろう
塩原(2012)がいうように、「異文化理解」という言葉の使用は、文化本質主義的思想、マジョリティ的価値観への適応を強制する潜在的機能等を含み、マイノリティが声をあげにくい状況を生む可能性がある。JF日本語教育スタンダードの「相互理解」や「異文化理解」も、既に述べたとおり、決して中立的立場を保証するものではないということを心に留めておきたい。
□ 日本語教育の現状と課題 : JF日本語教育スタンダードと日本語OPIを通して
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009814788
文脈化
文脈化に関するJF発信のものは以下があります。
「JF日本語教育スタンダードのCan-do量的検証について―産出、やりとりのCan-doを中心として―」(2020年)報告書
JFスタンダードの6つのレベルを示すCan-doに関して、CEFRと対照して漢字学習を念頭に妥当であるかという量的検証についての報告書です。サンプルがどうとられたか、が今ひとつわかりにくいのですが、今のところ、文脈化に関する基金の唯一のまとまったものです。漢字学習関連のみということになります。ただし論文ではなく「報告」という体裁になっています。
日本語教育関係者以外の人達からの目
以下は、日本語教育関係者以外の人がCEFR研究の中で日本語教育に注目して書かれた論文や記事です。
□『ヨーロッパ言語共通参照枠 』(CEFR)は日本の外国語教育に何をもたらしたか?1 (境 一三 2013)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jactfl/1/0/1_34/_pdf/-char/ja
□ CEFR の日本の外国語教育・日本語教育における応用 浜津大輔
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/ASIA_kaken/_userdata/hamatsu.pdf
言語政策に関する資料・論文・記事を参照してください。
| このwikiについて | 便利な機能 | Archive | About us |\
© 2018 webjapanese.com