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日本語教育の「言語観」
目次
言語観
言語学では自分の言語観を持つべき、あるいは自分なりの言語観を構築するべき、という考え方があるようですが、語学教育の世界で、はたして言語観なるものを持つべきなのかはわかりません。
日本語教育でいうと「積み上げる」という言葉はある種の言語観を表しているとは言えますが、語学教育が担当するのはせいぜいN1くらいで、「上級者となる資格を得た」くらいまでですから、言語の一部をカバーしているにすぎないとも言えます。「積み上げる」という言葉の呪縛というものもありそうですが、では、その積み上げるという概念に批判的な人も、せいぜい「山ではなく海だ」くらいのイメージしかありません。他にどういう言葉がありえるのか、ハッキリしないままです。
言語は何に喩えられてきたか
言語は何に喩えられてきたかという記事には、Aitchison (42–46) による、「言語学史における主要な「言語は○○である」の比喩」というものが紹介されていました。「水道管」「木」「波」「ゲーム」「鎖」「植物」「ビル」「迷宮」「生き物」。これは言語観というよりなんとなくのイメージですが、日本語教育における「文型を積み上げる」というイメージの呪縛は強く、言語をどうイメージするのかによって言語教育観は変わりそうです。
日本語教育の言語観のイメージ図
木というイメージ
言語学に限らず、日本語教育でもやたらと「木」が出てきたりします。
👉 JF日本語教育スタンダードの説明で使われる図(左)と日本語教育の参照枠の「課題整理に関するワーキンググループ | 文化庁(2012)」で使われたとされる論点整理の図。
2022年の日本語教育学会はやはり樹形図で日本語教育の全体像を描いている。
「2022年度版日本語教育の樹形図」―その紹介と活用方法―|記事一覧|むすぶ https://www.nkg.or.jp/musubu/list/article/20221225_2225900.html
逆円すい
日本語教育の参照枠(2021)には、難易度や上達のプロセスは「逆円すい」でイメージされる図があります。
👉 左は日本語教育の参照枠の「日本語の熟達度」の図として使われたもの。右はOPIの尺度からの引用。
積み上げを拒否するイメージ?
👉 JF日本語教育スタンダードのレベルの説明の図
伝統的な日本語教育における「積み上げ」は、初級がより上の段階の基礎工事になるという建築イメージですが、JF日本語スタンダードは、その積み上げイメージを嫌ったのか、横に広がるような図になっています。縦の層ではないことで、ここでは初級段階がそれより上のレベルの下部ではなく、それを支える必須のものでもないという印象を与えます。
また、2017年の新版では、詳しい説明が追加されているが、母語話者という表現などは残ったまま。右の図は課題遂行能力と異文化理解能力の関係を表した図とのことで「JF スタンダードでは、図 1-1 のように、課題遂行能力と異文化理解能力の 2 つの能力は一直線に伸びていくのではなく、行きつ戻りつしながら螺旋的に発達していくと考えます。さらに、両者は相互にゆるやかに関連しあいながら発達していくものと捉えています。」という説明になっている。(キムの螺旋状図と言われるものからの引用?)
言語観を持たない道
しかし、一方で経験を積んだ(この「積む」も比喩的ですが)日本語教師は、中級までは建築的だが、その先はわからない、文型学習も自転車の補助輪のようなもので、補助輪はいずれ本物にとって変わられるもので、言語学習そのものが補助輪程度のものだ。教師はそこまでしかサポートできない、ということを言う人も多いです。語学教育が補助輪のように、あったほうが便利な、やがて消えて無くなるもので、消えるのが正解であるというのは語学教育の人が持つ言語観として間違っているとは言い難いところがあるような気もします。