日本語教育クラスタ

関連ページ:デジタルのあれこれ| デジタル素材系サイト | Twitter入門 | Twitter研究 | togetterの言語関連のまとめ | wikipediaの中の日本語教育 | 日本語教育クラスタ

日本語教育クラスタ

なぜ記録をするのか

日本語教師という職業柄、ネットやリアルに限らず、言葉を介してコミュニケーションが行われる場というものに個人的に興味があります。 たまたま、日本語教師のキャリアの出発(93年)からパソコン通信の日本語フォーラム、95年のインターネット時代とほぼ重なっており、97年から自分のサイトを運営してきたこともあり、ネットにずっとコミットしてきた者として、ネットという場所を観察してきました。

しかし、ネットの記録はどんどん消えていきます。ブログが廃れればサービス廃止と共に削除され、ネットメディアが消えればごっそり記事も消えます。SNS時代は、個人アカウントが消えれば終わり。検索機能も貧弱なので、多くの人は過去に書かれたことに興味を持たず、匿名掲示板のような「書きっぱなし」で、イイネとフォロワー数を追う人だけが目立つ荒っぽい場所になりつつあります。

2010年前後に始まったSNS時代は、5年きざみで性格を変え、2020年代は、開始当初とまったく違う空気が支配しています。日本語教育関係者が多く参入し活用しはじめた2015年以降は、残念ながら、すでにSNSが輝きを失いはじめた時代でした。

長くネットの恩恵を受けてきた者として、ネットのリソースに貢献するためにも「記録する者」となる役割を少しだけ背負ってみようと考えています。記録する者になる、ということはネットコミュニティーの一員として楽しむことからは距離を置かざるを得ないという側面があり、それを受け入れるということでもあります。批判は承知の上で淡々と記録していきます。かつてはこういう空気だった、こういう発言があった、今は解決、改善しているだろうか?ということにも注目してみてください。

その記録を意図したページの中でもこの「日本語教育クラスタ」は、ツイートの引用も多く、見る人によって、いろんな感情を持つことになるだろうと思います。私は2018年の3月末にSNSは原則更新をストップしましたので、以降、ネット上の日本語教育クラスタはより遠い場所になりました。関わらなくなったことで、大きな流れも見えてくるようになったような気がします。

ネットやSNSが楽しい!という方、あれこれ言われたくないという方は読まないほうがいいと思います。ただ、なんとなく楽しめない、モヤモヤしている方にとって、違う角度のものの見方を知ったり、ネットからの距離の取り方を考えたり、コミュニケーションと場と空気、みたいなことを考えるヒントになればうれしいです。

今は、日本語教育関係にとって、日本語のネットの世界がどんなものであるか、どんなリスクがあるか、客観的に観察し、きちんと学習者に説明できることも大事です。そのためのひとつの材料としても読んでみて下さい。

クラスタ(Cluster)という言葉は、で、群れとか集まりという意味です。SNSのようなオープンな場で、なんとなく同じ興味を共有しフォローしているアカウントも似ている、投稿する内容も同じような傾向の人達、というような意味で使います。かつてのmixiやslackのように興味や目的に応じてはっきりと分かれているわけではない中で、うっすら見える共同体的なもの、というところです。ツイッターだと総合フォローの関係がある人達が核となり、その周辺の人達がいる、その塊、というところです。

このクラスタという呼び方はそういう現象のことを指す場合もあれば、具体的な「同じような関心を持つ人達」という意味で、例えば、物理学の研究者のアカウント群の総称として「物理学クラスタ」となどと呼ぶことがあります。

この使い方だと日本語教育関係者のアカウントはすべて「日本語教育クラスタ」と呼ばれることになりますが、実際は、何かまとまっているわけではなく、もうちょっと細分化されていることが多いので、「物理学クラスタの見解では***らしい」などと第三者に書かれると、そう呼ばれることに抵抗を覚える人達は少なくない、ということになってしまいます。

つまり「自分はあのクラスタの一人ではない」ということがあります。ただ外からみると同じクラスタ(群れ)とみなされることがあり、これは仕方ないのかもしれません。この種の用語の定義は曖昧なものです。

自らコミュニティーだと名乗ったこともなく、個々には帰属意識もないので、使うのは難しい語ですが、そういう「うっすらとした繋がり」は現象としては存在し、それを表す語としては便利、というところです。語学教育に携わる者としては、コミュニケーションのあり方のひとつの現象として考えるには値するところかなと思います。

クラスタは研究者のように、学会などで会うこともある、という人達によるものは「お互い知らない同士じゃないけど、まあネットでは自由にやりましょうね」というようなうっすらとした暗黙の距離感の共有があるように思います。日本語教育はどちらかというと、実際には会う可能性が低いし、完全匿名のアカウントも多いので、SNS上の立ち居振る舞いの暗黙の了解が確立するまではいかないというところだと思います。自分が所属している学校や組織に対する批判はしにくい空気がある日本語教育関係者ならではと言えるかもしれません。

円の大きさはフォロワー数。太線は相互フォロー。相互フォローをしているフォロワー数が多いアカ同士で相互フォローがあるところが軸になる。フォロワー数が多い人達は、最もフォローされる人であり、関係の濃淡はいろいろだが、なんとなく繋がっている状態がある人達は、自分達をうっすらとクラスタと意識し、外からもそう見られ始める。軸になるフォロワー数が多い人と相互フォローをしている人は、フォロワー数が少なくても「軸になるアカウントから覚えがめでたい人」となり、リプが来たりRTされたりも増えるので、存在感を増していき、フォロワー数の増加にも繋がる。

つまり、(意識するかしないかに関わらず)クラスタの中ではフォロワー数が多い人は存在感が大きくなっていくという構造になっています。フォロワー数が多い人は、より多くのイイネを獲得し、フォロワー数を増やすことで自分のツイートがクラスタから承認されていると考えるようになるので、結果としてそのクラスタの性格を象徴するのはフォロワー数が多い人のツイートの内容、表現ということになっていきます。これは中にいると気づきにくいですが、外からは、そう見られてしまいます。「あそこは、ああいうタイプの人が人気があるところだ」と見えます。

消えつつある「クラスタ」

しかし、2020年代に入り、クラスタという言葉は、あまり使われなくなりつつあります。用語としての寿命というより、もはや無理にクラスタという区分けをしなくても、ツイッター自体がオープンではなくなり、誰もが「ツイッター上の話題」を共有しているとは言い難く、特定のジャンルや関心を共有する、みな同じようなものをフォローしている人達と互いにフォローしあって、その中でのやり取りが中心、という使われ方が主流になってきたということがあるかもしれません。

このクラスタ内の情報交換と大手メディアだけで満足という人も増えました。そしてこのクラスタの顔として認知されたり、さらには、他のジャンルでも「あのクラスタの代表的なアカウントだ」と認知されたいと考えるようになる人達がいます。ネット時代以前から、そのジャンルの代表者や有名人は探される傾向があり「日本語教育では有名らしいよ」という認知のされ方でも、いろんなビジネスのクラスタ外への窓口になったり、とメリットは大きいからです。ネットの場合はツイッターのフォロワー数などを目安に探されるということになっています。

学術系のクラスタでは、この点、比較的自由に語ってもいいという空気を尊重するという前提があります。それはそのクラスタの中心的な話題になればなるほど強くなります。ただし、そこで自由な議論が保証されるのは、議論の前提となる知識が共有され、その延長線上で議論をしないといけないという共通理解があり、これからも論文を書き研究生活を続けるならば、そこから大きく外れることはできないというものがあるからで、その土台がないクラスタが学術系クラスタのマネをしてもうまくいきません。この意味で学術系クラスタはコミュニティ志向ではないと言えるかもしれません。

クラスタからコミュニティへ

しかし、本来、「パッと集まってパッと散る」というようなクラスタはより強固なコミュニティを目指す傾向が強くなっています。SNSの仕様や、その他のサービスも、オープンな場所でのフェアな議論、集合知、情報の場所、ではなく、小さなコミュニティが内々で楽しく使えるという方向を目指しつつあります。

SNSのような実名、匿名のアカウントがいりまじるようなところがベースになるコミュニティの性格は、何を語るかではなく、何を語らないかがコミュニティの性格を決めると言っても過言ではないと思います。「楽しく」語ることが前提になっており、それを阻害するもの(その集団にとって「楽しくないもの」)は暗黙のうちに排除されます。

ある政治的な集団にとって、不都合な事実が当然のようにスルーされるように、趣味のクラスタであっても、その集団にとって不都合なことはスルーされます。その何をスルーするかに納得できる人だけが、そこに集団の一員として残ることができます。反ワクチンの人達にとってワクチンの効果を示すデータはスルーされるか、独自の統一解釈が作られ強く共有されます。これの「再解釈」も排除のひとつの方法です。

例えば趣味的な、自分が中心的な役割を果たすクラスタを拡大したいという野心があれば、政治やジェンダーなど意見が分かれがちなテーマは「困ったものですね」と無難な着地点が用意され、やんわりと退けられます。しかし時に、クラスタ内の結束を高めるために、「仮想敵」が強めに煽られるみたいなことも起きます。次第に「私はクラスタの空気や人間関係を壊さない人物である」という表明として過剰に友好的に振る舞う傾向が生まれ、互いを肯定的に語るという文化も強くなります。

👉 ツイッターはただでさえ自分にとって耳障りがいい情報が流れてくるように調整可能でそうなりがちですが、クラスタ内のやり取りだけで満足ということになってくると、一般のニュースなどもクラスタのフィルターを通して見るようになってきてしまうということも起きているようです。

日本語学校はサイトは遺跡のようになっていてもFacebookは更新します。FBは東南アジアに強いから更新マストだとそそのかされたのかもしれません。毎日のように肖像権侵害の学生の顔写真が投稿されていますが、学校同士、個人同士の交流は(公開上は)見当たりません。非公開コミュニティでは、そこそこやり取りがあるようです。

一方、Twitterは、日本語学校はアカウントは作っても、告知に徹しています。比較的、関係者個人の自由な発言が多いこともあるせいか、議論に巻き込まれることをおそれているようにも見えます。

TwitterやFacebook(以降FB)には日本語教育関係者がやり取りをするコミュニティが数多くあります。FBはほぼ非公開のやり取りが中心となっています。業界関係者がFBで非公開のやり取りになりがちな傾向はウッスラありますが、これほど非公開が徹底されている業界は珍しく、業界の風通しの悪さを象徴していると思います。

Twittrはコミュニティの公開非公開ではなく、アカウント自体の公開非公開で、FBと仕様は違いますが、おそらく日本語教育関係者の半分くらいは完全匿名(実名も所属も辿れない)か半匿名(プロフで実名が辿れるくらいの情報は書くがアカウント名は建て前上匿名)で、2~3割くらいは非公開設定(2018年当時フォローしていただいていた2000くらいのアカウントで調べました)だと思われます。

つまり、Twitterは公開上でのやり取りがあり、そこで日本語教育クラスタのようなものが「見える形で」存在するということだと思います。

日本語教育クラスタでは、コロナことはまったく話題になりません。感染者が出たという投稿は皆無で、コロナ政策に対する賛同や批判もありません。入国規制は悪であり、規制緩和は歓迎されるべきことという前提だけがあり、これ以外のことは触れないという強い暗黙の不文律が2022年の夏まで続いています。ということに異を唱える人は見かけません。住環境の整備やガイドラインができるまでは入国規制を続けるべき、みたいな意見は(私達を除いては)皆無でした。ネットに投稿していいのはせいぜい「心配」まででした。

これは日本語教育業界に大きな影響力を持つ国内の日本語学校の組織が、早い段階で一致して「新規入国の留学生によるクラスターは発生していないこと、非常にコントロールされた受け入れ体制が整備されている」と入国規制緩和の主張をし、2022年夏になっても続いていたということが、影響しているという要素はありそうです。日本語学校ではクラスターは起きておらず、受け入れ体制も万全であるということにしなければなりませんから。日本語学校関係者が複数のクラスターがでたとネットに投稿することは、極数校の例を除いて、まったくありませんでした。

もちろん、クラスターは多数起きていました。ある意味、このコロナで、日本語教育関係者はクラスタとしての結束、まとまりを示したことになりました。

日本語教育クラスタのツイッター全体における存在感は薄く、他の学術系ジャンルのように、外部の人から引用されることも、例えば原発事故で物理学クラスタのツイートがバズったり、コロナで医療関係者のアカウントが注目されたりというような、関連の事件などが話題になって「日本語教育クラスタの意見はどうだろう?」と覗きに来られることも、ほぼ無いという印象です。これらの事件に対する意見表明が多くはなく、特に関係者ならではのものがないというのが理由になっていそうです。

もちろん単に身内のことだから、友達だから、と語らないこともあるでしょう。日本語教育の世界でいうと、大学関係者は、文科省のことはあまり悪口は言わないものですし、日本語学校関係者は法務省と文科省は批判できません。国際交流基金は外務省の代表的な天下り組織ですから、当然外務省の方針に強く影響を受け(今なら東アジアを捨てて東南アジアから西アジアという外交方針)や関係の濃いこと(JICAや関わっているワーキングホリデーや特定技能)にネガティブなことは言えません。今の政府の外交戦略である地政学にのっとって、東アジアではなく、東南アジアから西アジア、中東のライン重視です。「日本語パートナーズ」の予算は南米やアフリカには使われませんし、東アジアでは台湾に使っても中国や韓国はスルーです。

その他、文科省、法務省、外務省だけでなく、長く日本語教育の世界にいると、文化庁、厚労省、経産省など「お世話になっている省庁」というものができます。大学にその周辺の出身の人達が多いのも他の研究ジャンルと違って日本語教育の世界の特徴です。そういうポジショントークとしてのスルーも見えてきます。いろんな意味で何を語らないのかはその人が現れます。

ネットに限らず、日本語教育関係者は、日本語教育関係の事件をあまり話題にしません。業界組織が「遺憾の意」を出すこともありませんし、業界有名人が業界の不祥事に対して言及することも、ほぼありません。日本語教育学会は大学の研究者だけでなく、民間の日本語学校関係者も多く、理事を務めることもあるせいか、研究者も同じです。

業界内の不祥事や問題は「身内の恥」と考え口ごもる体質があり、「他にもやっているところはありそうだ…」と心の中で思っていても表向きは「あれはほんの一部だ」「まじめにやっている人には迷惑だ」という語られ方がされます。それはネット上でも同じで、SNSのような公の場では話題にしないほうがいい、という空気があるように思います。これは日本語教育関係者が、90年代から30年間続維持している「空気」です。ネットの時代になってもまったく変わりませんでした。

つまり、SNSで日本語教育クラスタの中だけにいると、日本語教育関係者にとって不都合な情報は見えにくくなる、ということがあるということです。注意が必要です。

→ コロナ下の日本語教育業界、クラスタはどうだったか?は、新型コロナウイルスと日本語教育で記録していますので参照してください。

日本語教育クラスタは、一見、大きなものがあるようですが、2020年代は、多くの中小のクラスタが無数に存在し、複数のクラスタに所属する人達が行き来をすることがありますが、基本的には、それぞれが、他のクラスタが存在しないかのように振る舞っているような状況ではないかと思います。

粗雑な議論は分断を生むとよく言われますが、SNSの仕様が小さなコミュニティ作りに向かっており、そのコミュニティでは放言が許される。そして、部屋のドアが少し開いているような、その半オープンな仕様から、それぞれが自分のクラスタに向けて発する声が外に多少漏れる仕掛けでもありますから、漏れてくる声で判断され、議論をしないまま、静かな分断が進んだということかと思います。

日本語教育とネットは、古くは90年代初頭のニフティサーブのNihongoフォーラムからスタートしているのですが、それほど活発な議論があったというわけではありませんでした。90年代は、パソコン好きの大学関係者によるMacの附属ソフトであるハイパーカード系統の日本語学習ソフトがいくつかあったのですが、開発終了とともに消えていきました。今も論文がいくつか残っています。国内に関しては1)ブログの登場まで日本語教育関係者による発信はほぼ無かったと言ってもいいと思います。

しかし、ブログの流行(2004年前後から)の時代でも、ブログを書いていた関係者は少なく、一般の日本語教師がネットに投稿してやり取りするようになったのは、やはり2008年前後のSNS時代以降、ということだと思います。日本でFacebookやツイッターが広まってきた2010年前後に作られたアカウントは100前後で、まだリプライなどでやり取りをするほどではありませんでしたが、Facebookでの日本語学校関係者の投稿も増えてきました。日本語教師やその志望者がSNSのアカウントを作って発信したり、日本語教師がSNS上でやり取りをするのが普通になってきたのは、2015年あたりからという印象です。そして2020年代に入った今は、ツイッターだと日本語教育関係者のアカウントが500~1000くらいあって、おそらく複数アカウントを持つ人などを考慮すると活用しているのは500人くらい。公開アカウントで投稿をしたりやり取りをするアクティブなアカウントが300前後かな、というところだと思います。

日本語教師がネットに出入りしはじめたのが2015年以降と遅かったこともあり(すでにブログの時代は終わりSNS中心となっていましたが、SNSの時代の終わりが始まった頃とも言えます)、日本語教師による日本語教育に関するまとまった記事やサイトは他のジャンル(英語教育、国語学などなど)と比較して極端に少ないという傾向があります(他のジャンルでは90年代から大学の研究者は自分のサイトを持ったり、Wikiを運用したりということをやっていますが、日本語教育ではほとんど見られません)。SNSの投稿はすぐに過去ログ化し、検索が弱く蓄積が難しいという弱点があります。Wikiや掲示板的なサイトはいくつか試みられましたが、いずれもうまくいったとは言いがたいです。

日本語教育関係者の投稿はほぼ日本語です。多言語での発信は地域の外国人問題に関わる人達など日本語教育の周辺の人達によるものです。

学習者に向けての発信も極端に少ないです。「こんな教材案がある」と同業者向けに発信はあっても、それが学習者に向けて発信されることはほとんどありません。SNSやブログ、サイトには学習者向けコンテンツは作られていません。

もうひとつの日本語教育関係者のネット活用の特徴、というか疑問は、ネットの投稿が、学習者やその予備軍、学習者の保護者が見ていることはまったく意識されていないということで、それはSNSでも同じです。「それ学習者に読まれることをちゃんと意識している?」という投稿は多いです。日本語を教えつつ、自らのネットの発言は日本語の壁によって守られていると考える人が多いのは、不思議です。学習者向けの発信も、日本語以外での発信も極端に少ないです。

FBもTwitterにおける日本語教育関係者の日本語による投稿は、ほぼ100%、日本語学習者やその保護者によって読まれると考えられていないと思います。これも、外国語教育関係者のクラスタとしては大きな謎です。

「日本語学習者というのはこんなもんだ」みたいな投稿は多く、中には学習者のおもしろ回答の写真を晒したり、日本語ネイティブではない有名人の日本語を揶揄したりは(最近は日本語教育関係者以外からの批判も増えたせいか)減りましたが、2010年代にはよく見かけました。

しかし、今でも、よく「それ学習者が読んでる可能性があること考えた?」という投稿があります。

現在、ツイッター上には、日本語教育関係者のクラスタというものは存在すると言ってもいいと思いますが、世間一般の日本語教育そのものへの関心は薄く、日本語教育関連の社会問題が起こっても、長年関係者が外に向けて発信してこなかったこともあり、一般の人がSNSで日本語教育関係者の発言を探しに来るような雰囲気はほとんどないので、あまり外との交流はない、外に向けての発信も少ない、比較的閉鎖的なコミュニティとなっているという印象です。

他のジャンルに比べるとSNS上での日本語教育の研究者のアカウントも発言も少なく、研究者同士の議論はほぼありません。日本語教育に関する一般の人のSNS上の発言が、日本語教育の専門家からきちんと批判されるというような(例えば物理学や言語学クラスタにはあるような)コミットもありません。

また、「世間が考える日本語教育の人(メディアに出たり、いろんなところで監修をしたりする)」と「SNS上の日本語教育の有名人」と「研究者として業績をあげている人」は、あまり重ならないようです。前述のように研究者にとってのSNSのメリットは薄く、よい研究者ほど多忙です。残念ながら、SNSだけでは日本語教育できちんと仕事をし実績を積み重ねている研究者を知ることはできないというのは他のジャンルと同じです。

総じて、日本語教育クラスタにはピリッとした雰囲気は少なく、他のジャンルでは専門家によってキチキチと批判されるようなこと、例えば、SNSでよくある、根拠があいまいなまま断言口調で書かれたツイートや自分の主張に沿うようなデータのみを選んで提示したり、数字をゆがめて解釈し伝えるようなこと、も特に専門家から言及されないままそのまま流れてくることがあります。SNS上の外国人労働者関連の議論などで日本語教育の研究者がデータを示して意見を投稿し存在感を示すというようなことはありません。つまり日本語教育クラスタは、ネットにおける「情報のフィルター役を果たす機能」は弱いと言わざるを得ません。

日本語教育クラスタに限りませんが、やはり、SNSで流れてくる情報はピンキリで、結局、自分でしっかり判断して取捨選択するしかない、というのが現状だと思います。

2020年以降、ネット上、特にSNS上の日本語教育関係者の空気は、セミナービジネス色がますます濃くなっています。他の教育関係のジャンルに比べても、海外の教育関係者の空気と比較しても濃いです。これには日本語教育業界の特殊な事情が背景としてあります。

元々、日本語教育の世界は直で学習者相手にビジネスを展開するのは難しく、教材費や授業料を支払うことができる人は限られています。留学生は告示校から進学すれば基本的には日本語学習環境は揃っています。就労系の人達は授業料を払う時間もお金もないことが多く、いわゆるホワイトカラーのビジネス関係者も90年代から比べると激減しています。結果、もっとも手っ取り早いのは、そこそこにお金を持っていて、財布の紐が緩い日本語教師相手にビジネスをすること、となるというのは90年代から変わりません。

さらに日本語教師は民間の日本語学校でキャリアを積むことが難しく、日本語教師にもあるように、中堅やベテランの教師は少ないという事情があり、入れ替わりが激しい新人と、組織の中で身動きがとれない少数のベテランばかりという事情があります。

2010年以降急激に増えた日本語学校は日本語教師の育成まで手が回らないところが多く、急増の教務主任がとりあえずカリキュラムを回すだけで手一杯、教師の育成をするほどの力もない、というケースが増えました。これも、セミナービジネスの隆盛の大きな要因となったと思います。新人教師相手のセミナーや書籍は増え「失敗しないコツ」「知っておきたい基本」というような、(知らないと恥をかくよ、怒られるよ的な)やや煽り気味の宣伝文句も増えました。日本語教師向けの出版物は新人教師向けの記事や本ばかりです。中堅以降の育成は他の教職では大きなテーマなのですが、手薄です。

90年代までは、この教師育成市場は日本語学校が独占していましたが、2010年代に入って、個人でもオンラインセミナーなどを簡単に開催できるようになり、フリーランス系の日本語教師の新規参入組が一気に増えました。7割が非常勤という中で、稼ぎの補填として始め、やがて日本語を教える仕事から、こちらを軸にする人も増えました。また、大学関係者や公的機関の人達も有料セミナーなどで稼ぐという人達が増えていて、中には無料セミナーから有料会員、個人相手の高額(1時間数万円とか)のコンサルティングという典型的なネットの囲い込みビジネスを展開する人達もいます。しかし大多数は、広く薄く稼ごうというものでこれはこれで問題があるものが多く、そこそこの料金で「講師が教える形ではない」「みんなで考えましょう」というスタイルでやるものが増えています。そのスタイル自体は悪くないのですが、「結果誰も詳しい人がいないので、誰かが言ったもっともらしいことを、全員が信じて帰るだけのイベント」2)};になることも多いようです(そういうセミナー動画をよく見ます)。

稼ぎが少ない日本語教師が、同じ日本語教師相手にビジネスをするという構図は、俯瞰でみれば共食い的なものですが、中にいると気がつかないということになります。

👉 セミナービジネスのセミナーみたいなところに通い、絵に描いたような手法で展開する人も増えました。自己啓発まがいの方法で集客し、囲い込むという、法律ギリギリの線を歩くことになるのですが、まだネットには取り締まりが及んでいないので、グレーゾーンを歩く人がじわじわと増えています。しかし2010年代後半にはネットのセミナー系のトラブルは増えており、2020年代には表面化することになると思います。業界がちゃんと先手をうって対応すればいいのですが…

「先生の先生」としてのブランディング

この種のセミナービジネスやサロンは、若く、それほど経験が多くない人がやるというのが、最近のネット周辺で起きていることで、ここを目指す人達は、早くから自分を「先生の先生たる人間だ」というブランディングをすることから始まります。そして最終的にはセミナーを定期開催し、可能なら会員制のサロン的な方向を目指したいと考えます。これは今のネットのスモールビジネスの定型でもあります。そこで、SNSで、セミナービジネスの主たるターゲットである若い新人教師をいかに獲得するかがテーマになってきます。プチ教祖として信者的な人が確保できれば、安定して集客でき収益があげられるというやり方です。かつては会場を探し、集客できなければ赤字だったセミナーも、集客さえできれば、ビデオチャットならばノーリスクで稼げるということになったということも大きな変化です。本名や住所を出さなくてもイベントを主催できます。領収書が無ければ訴えられるリスクもほぼ無い。特定商取引法上、表示しなければならないこと(名前、住所、連絡先)なども巧妙に避けています(セミナー関連の法的なトラブルは増えており、おそらくそのうち規制は強化されるでしょう)。

特定商取引法 消費者庁
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_transaction/specified_commercial_transactions/

ビジネスの世界では10年選手はようやく新人を脱した者として扱われますが、日本語教育業界では、10年もやれば十分にベテラン教師の仲間入りとなり、新人教師からは早くから経験者、経験豊富な人として見られるようになるという特殊な事情があります。民間の日本語学校では数年の経験で、教師の研修を担当したり、日本語教師養成に携わったりすることも多く「先生の先生」になるハードルが低いので、かなり早い段階で「自分は先生の先生たる人間だ」と考え始めるようになるということがあります。この「先生の先生」には資格試験はないので、ブランディング勝負ということになっています。大学や公的機関に所属している、修士、博士、経験**年、などの肩書きが薄いほど上乗せしなければならないブランドは多くなる、ということになります。

挑発的な物言いがデフォルト

ネット上で「先生の先生」を自称する人達は、旧来のやり方や経験を強く否定することが多いです。この種の話は若い人や新人教師には「そうであってほしい事実」であり、共感が得られるからです。ICTが苦手な古い世代は駆逐され、新しい世代の時代になると言う。この種の物言いは、若い世代がマジョリティのネットでウケるためのある種のセオリーでもあります。従来のやり方のダメなところだけ強調し、新しいやり方のよいところばかり主張することになります。もちろん、その逆もあります。物事はたいていそんなに単純な図式では語れないもので、事実はたいてい中間にあり、その種の退屈さを受けとめるのが「次の一歩」に繋がるはずなんですが。この種のことは単純化して少々煽り気味に言うほうがウケるということになっています(しかしこれも、一般のネット社会ではすでに飽きられた古い手法で、日本語教育の世界にはまだ残っているというようなものです)。

この人達の一部は、かなり早い段階で教師としてのスキルを磨くことより「先生の先生」という方向を目指すようになります。そこで、新人教師を感心させるテクニックを身につけ、やがて、セミナーの講師となり、セミナー慣れしていき、特に学術的な根拠もないようなことを断言調で語りはじめてしまう。そしてこういう力強く断言できる人達は魅力的です。3000円でお話が聞けるなら!みたいなことになってくれば、日本語を教えるより稼げるということになりますから、だんだん日本語を教える仕事から離れていくことになります。

👉 プライベートレッスンやグループレッスンでも1時間あたりの利益は交通費を引くとせいぜい1時間あたり3000~5000円です。日本語学習者一人を探す手間や経費より、日本語教師一人を獲得するほうが圧倒的に楽です。そして勉強会やセミナーで10名集められるようになればもう日本語を教える仕事には戻れなくなります。

先生の先生ビジネスが柱になると、いよいよネット上のブランディングは重要になってきます。仮に単純な間違いの指摘があったとしても素直には受け入れがたくなる。自分のブランドを毀損することに繋がるという発想になっていくようです。「それ違うんじゃないの?」という指摘がクソリプに映る。指摘するほうも「自分のブランドを毀損する敵」として酷い扱われ方をすることになるのはわかっているので距離をおくようになる。

やがて、ブランディングを目指し、フォロワー数の増加と引き換えに、まっとうな教師、研究者からは距離をおかれ始めるということになりがちです。結果として一見友好的だけど、奥にピリピリしたものがあるような微妙な空間になった、というのが、2010年代後半からのSNSの空気です。この空気にセルフブランディングという発想が大きく影響しているというわけです。しかし、このことも表面上は、見えにくい仕組みになっています。

不安定な日本語教育業界において、このネット上の「名声」は、大きな組織の中での安定のためにその名声を活用するとか、虚名であってもフリーランスとしてのブランド作りになるというようなメリットがあります。従って、自分を「先生の先生」としてブランディングしていく人は後を絶たないということになっています。SNSは多様な意見が飛び交い、集合知があり、怪しげな言説は淘汰されるという神話は過去のことで、実は、SNSの仕様も、プチ教祖と信者のコミュニティが誕生しやすい方向に進んでいます。「はったり」がバレにくい場所となっているわけです。このことにも、SNSの理解が浅い日本語教育関係者はなかなか気がつかないということがあります。

この種のブランディングは一般のSNS上ではそろそろ終わりを告げつつありますが、日本語教育クラスタではまだしばらく続きそうです。

SNSには、こういう引くに引けなくなったような「SNS上の先生の先生」がかなり残念なことになっている姿をよく見ます。SNSに変わる情報の共有方法が出てくるまで混乱は続くかもしれません。

👉 当然、コロナでネットビジネス参入は増え、セミナービジネスは加速しています。「コロナをサバイバルする教師になる」的なフレーズが踊っています。

SNS周辺には「自分の強みをみつけ発信していれば、何かよいことに繋がる」という神話があります。たしかにそういうことはありますが、ほとんどの場合、仕事に繋がっても安い単価のものです。そういう少々単純な人に調子のいいことを言って声をかけて安く使おうみたいな人はベンチャー系の若い経営者には結構いるものです。ちゃんと雇うとコストがかかりますから。

トントン拍子に、というようなサクセスストーリーは声高に語られますが超レアケースです。

2020年代、人を採用する際にSNSはほぼチェックされると考えたほうがいいように思います。重要なポジション、大きな仕事などをまかせる人を探す場合、声をかける前に担当者がまず見るのは「ネットでおかしな投稿をしてないか」です。まともな企業ほど社員として雇用する人にきちんと投資をします。通常、人を雇用するコストは給料の1.5倍くらいだと言われていますが、新人時代は2倍、3倍となります。結果、おかしな人を採用したくない、すぐ辞めるような人は避けたい、となり、そのチェックのためのフィルターとして、SNSは使われます。ツイッターでは「高度な検索」であなたのアカウントを指定し「こういうキーワードを使ってないか」みたいなこともチェックできます。

よく「フォロワーが多いことを企業の人事は重視すべき」みたいな議論があります。これはSNS上の価値をその人の価値として認めろという意味だと思いますが、おそらく、かなりの会社はもうすでにSNSの投稿は重視しています。そして、ネットリテラシーが高いまともな会社であれば、例えばフォロワー数にあまり意味がないということも知っていますし、本採用の前に裏垢も探ってきます。すでに黙ってブラックリストに入れているところもあります。SNSは知らず知らずのうちに「弱み」も晒している。何を書くか、書かないか、どんな話題に反応するか、何をRTするか、間違いを指摘されたらどう振る舞う人か、など、長く辿るといろんなことがわかります。少々謙虚にとりつくろっても無理です。今はネットの、特に若い人、は「実社会ではネットを知らない世代が動かしていて、遅れている」と考えていますが、実はそうでもなく、ネットはウォッチされてます。そして、そういう状況は結構怖いのです。

会社による監視

2020年代に入り、SNSでの発言で組織内で処分される事件が増えた。

解雇は相当の理由がないとできないので、投稿だけではないかもしれないが、解雇が可能という事例になりそう。

国による監視も

米国ではかなり前から、他国も10年位前からネットの監視は強化されていますが、日本でもSNS監視が本格的に始まったというニュースでした。ショッピングモールなどのカメラの録画データも顔認識データとして提出されたりということがあるようです。ただし、これは本人同意がないものなので、このへんの個人情報保護の関連の法律も整備されつつあります。

EUでもテキストデータの監視が始まるとのこと。

米国のエシュロンなどは、映画などでおもしろおかしく描かれることがありますが、すでに実用化しているものであり、あまり笑えない技術です。独裁国家などが採用している国ごと囲い込むような方法とはアプローチが違うだけですし、技術の根幹部分は特殊なものではなく、基本はスパムのフィルタリングの延長上にあるようなものらしいので、どの国も「やろうと思えばできる」ということになっていました。今やすべてのメールやSNSでの発言は、すくなくともキーワードでのフィルターは通されるということでしょうか。もちろん特定の人物にターゲットを絞れば、過去のネットの投稿データと紐つけてプロファイリングされてしまう、みたいなことまでは覚悟する必要がありそうです。

米国では、入国審査や多くの機関、会社の採用などでSNSアカウントを開示しろと言われるケースは増えています。

この種のテーマはあまり話題になりません。ただ、日本語教師であると公開しているアカウントは、他の人には日本語教育の(あるいは日本語の)専門家として見られてしまうということは避けられず、意識せずとも、なんらかの重みを持ってしまうということがあります。

著作権や肖像権など一般的にやってはいけないことの他に、日本語教育関係者に特に、ということで思いつくことでは…

  • 特定の個人の日本語能力への言及
  • 母語による日本語習得の差についての言及(論文でやればいいのでは)
  • 学校などでおこった「おもしろ解答」系のこと
  • 卒業生に有名人がいた、私は有名人を教えた的なこと

でしょうか。3)などは、ツイッター初期は人気がありバズることが多いこともあり、個人が特定できなければいいと考える人もいたようですが、やめておくべきではと思います。4)はいつ訴えられても仕方が無いという気がします。時々、亡くなった有名人を教えたという小中学校の教師などがツイートしたりしますが、その他大多数の教師は、そういうことはしていないということを考えるべきです。

1)は、意外と理解されないところです。ポジティブなものならいいのではないか?とい考える人もいるようです。有名人が流暢に日本語を話したり書いたりする話題は定期的にネットでバズりますが、結構、日本語教育関係者も言及しているのを目にします。

しかし、注意深く観察していると、例えば英語の話題では、公教育や大学などの英語教育関係者は、この種のこと(英語能力のジャッジ)を慎重に避けている人が多いです。はしゃぐのは民間の英語学校の関係者だけ、ということがあります。語学教師が、学習者が話したり書いたりしたものの評価をしていいのは授業時間だけに限られるべきだという考えがベースにあるということだと思います。

一般社会でも、多言語コミュニケーション(に慣れている人達)の世界では、何を語っているかについては話しても、*語が上手いとか下手とかに言及するのはルール違反(マナーというよりルールとして意識されている)という考え方があると思います。これは現在、日本の児童の日本語教育の現場でも意識されています。子ども同士では自然に意識することがあっても、大人があまり守れない部分でもあります。

特に、日本語のネット上では、英語や日本語など、母語ではない言語で話している特定の個人について、その能力がとびぬけて高い場合はスルーされますが、学習中だと意識されるレベルの人に限って、語っている内容ではなく、その言語能力についてしか話題にならないという現象が起きます。それは「日本語学習者の日本語を褒める」という文脈において起きがちです。(褒めているのだからいいだろう)というところがあり、これに乗っかる日本語教育関係者もいます。

この外国語を話す人に対して、話している内容ではなく、上手い下手について語るという流れに、語学教師は関与すべきではないと思います。一般の人は自分の母語を勉強している人をみればうれしいと感じる人は多いでしょうから、そこはもう止められない。でも、語学教師は関与しない、というスタンスがいいのではと思います。そもそも語学教師には自分の学習者でも無い人に対して、語学の能力をジャッジする権利はないと考えておいたほうがいいです。ネット上では特に「日本語教師もそう言っていた」などと引用される可能性もあるわけなので。

👉 また、一般の人の「がんばっている!」という励ましも起きがちです。これは裏を返せば、一定のレベルには到達していないという冷酷なジャッジでもあります。人によってはネガティブな評価だと捉える人も結構います。

自分も含め、かつてツイッターを使っていて、現在は距離をとっている人、というのは、ツイッターを観察したり、考えたりというモチベーションを保つのは難しいのですが、距離を置いている人の視点で客観的に書いておいたほうがいいこともあるかと思いました。

「ウチにいる人」にとっては、ソトから観察されたことをアレコレ書かれるのは不愉快だし、引用されるのも本意ではないかと思われるのはわかっていますが、実は、SNSは、はじめてみたけどやめた人、日本語教育方面には近づかないという人はかなり多いです。それは日本語教師という仕事も同じです。続けている人、生存している人が語る歴史や作る空気だけというのはバランスを欠くように思います。

ここは、SNSをちょっとはじめてみて、SNS息苦しいなと感じ始めた人達のためにも、書いてみます。

ツイッターは検索機能が弱く、これまで何が起きたのか忘れられがちですが、特に日本語教育クラスタはもともとTogetterのようなところでもまとめが作られず、これまでどういうことがあったのかサッパリわからないことになっています。SNSに慣れている人ほど後になって「そんなことは言ってない」「違う意図、文脈だった」と言っても検索して確かめる人はほぼいないことを知っています。そして該当のツイートをみつけても、その当時の他のツイートやタイムラインの流れは再現できませんから、「違う文脈だった」と言われれば、確認のしようがありません。

そして、フォロワーの多い人ほど、都合の悪いツイートをこっそり消しがちです。相手をブロックすればその人は自分のツイートを拡散できなくなります。アカウントを消しても一ヶ月後にログインすれば復帰できることをほとんどの人は知りません。2010年代後半には、自分のツイートには返信できないようにする機能が次々と追加されました。

このような本来、中傷のリプなどを予防するための機能を、上手く使って、自らの失言や乱暴なツイートをウヤムヤにする方法をレクチャーする「SNS活用セミナー」はたくさんあります。

というわけで、多少は概観がわかるものが記録としてあったほうがいいと考えて、このページを作っています。ポジティブでもネガティブでもなく、淡々と起きたこと、起きていることを、節目節目を象徴するような、印象的なツイートを軸に記録していこうと思います。

以下は、高度な検索で「日本語教師」が入った(完全一致)ツイートの検索結果を見てみます。

2008年1月1日以前で検索すると該当するツイートは2でした。

2009年1月1日以前で検索すると、30くらいのツイートが出てきます。現役の日本語教師も増えてきました。

2009年に『日本人の知らない日本語』という日本語学校の風景が漫画になった本がベストセラーとなり、日本語教師に対する関心が高まりました。2009年に関連のツイートが爆発的に増えています

これを受けて「いや、私、日本語教師なんですけどね」と言いたくなった人も多かったのかもしれません。そういうところにツイッターという便利なものがあった。ということもありそうです。

『日本人の知らない日本語』に憧れて日本語教師になろうとしているあなたへ - 日本人の知らない日本語教師
http://nihongonihongo.blog.fc2.com/blog-entry-49.html

上と同様に、2010年1月1日以前のもので検索すると、もう無数のツイートが現れます。関係者らしき人も増え、最初のアカウントが増えたのは2009年だったことがわかります。この頃は、一般の人だけでなく、日本語教育関係者も日本語教師周辺の制度や仕組みなどに詳しい人は少なく、間違った情報も訂正されずに流れてくるという印象です。

この後、アラブの春から東日本大震災を経て、日本でもツイッターが広く知られるようになっていきます。

2010年前後は、ネットを使う人達が、ブログを捨て、SNSに参入しはじめたころです。日本語教育業界のネットを使っている一部の人達(多分100人弱くらい?)がいましたが、日本語教育関係者としてフォローし合うというほどではありませんでした。それぞれが情報収集として使っている。「(海外で流行っているという)SNSって何だろう?」「こう使うのが正解らしい」というような状態だったと思います。国内のメディアには、ブログの発展系としてのソーシャル機能みたいなものはありましたが、今のSNS的な仕組みはほとんどありませんでした。

👉 こういうこともありました。東日本大震災と日本語教育業界:2011年3月11~21日の記録

遅れて参入したハンデ

他のジャンルと違うのは大学関係者もネットやデジタルに弱くネットへの参入が遅れたという点です。ほとんどの人は2015年以降、つまり、(しっかりと長文を書く時代の)ブログ文化が廃れ、SNSが中心となった後でした。この遅れ(検索機能が弱く、投稿が蓄積されず、データベース的な活用ができないSNS時代からスタートしたこと)は、日本語教育のネット上の蓄積、資産が少ないことの大きな原因となっています。

理系の人達はもちろん、言語学系の今40~50代の世代の研究者は、若手のころ(90年代)から多数の人が活用しており、ブログやWiki、はてな周辺などにさまざまな議論が残っています。検索するだけで過去のブログなどから多くの知見を得ることができ、本家のWikipediaの編集に参加する人も多く、(欧米ほどとはいえないものの)ネット上の資産は豊富といえます。

日本語教育関係者のほとんどは、早い人でもブログ時代(2004年~)以降の参入でしたから、自前でサイトを構築し運営するノウハウを知る人が少ないというのも大きな弱点になっています。ネット上の日本語学習コンテンツを作ることができる人材が、多言語に比べて圧倒的に少なく、初期の日本語学習資産を支えたのは豪州のモナシュ大学の日本語学科など海外の関係者でした。今も絶対数は足りません。HTMLに弱いことが電子書籍の理解の遅れにもつながり、サイトを運営していれば身につくネット上の著作権や肖像権、個人情報保護に関する意識が低い、ということもあります。

2015年以降、若い世代の現役の教師が参入しはじめました。SNSにも参入してきました。この時期は、まだ中堅までで、ベテラン世代はあまりいませんでした。このころから日本語教師の売り手市場が始まり、非常勤の時給はあがっていきました。新設の日本語学校が増え、新設ゆえに0から専任と非常勤講師を揃えなければならないことから、人の流動性も高まり、そこそこ高額で専任がヘッドハンティングされるみたいなことも起き、非常勤から2,3年で専任に、あるいは新卒で専任として就職、みたいなことになっていきました。

流動性が高まることで、ネットが情報交換の場として注目され、日本語教師はSNSを情報収集のツールとして活用すべし、ということになっていきました。

批判をする場所としてのネット

2015年から2017年あたりまでのツイッターは、比較的自由に批判したり議論したりという雰囲気がありました。SNSには、売り手市場を背景に、日本語教師の業界に対する批判や問題提起のツイートが増えました。2016年ごろには、学校の待遇に関する情報交換をする非公開の会員制の掲示板なども現れ、ツイッターからそこそこ多数の人が登録していたようです(一年ほどで消えました)。

ツイッターの投稿ではありませんが、ブログの記事がツイッターで拡散され社会に大きな影響を与えることが起きました。

2016年の2月の以下のブログの「保育園落ちた日本死ね」という記事がツイッターで大量に拡散され国会で議論されたりと大きな影響を与えました。

保育園落ちた日本死ね!!!
https://anond.hatelabo.jp/20160215171759

👉 「保育園落ちた日本死ね」ブログの本人がいま伝えたいこと「どの党に所属していようが関係ない」 | ハフポスト

👉 保育士はその後も定期的に待遇に関するツイートがバズっています。

2017年は、日本語学校の不祥事の報道が続きました。西日本新聞の「新 移民時代」をはじめ、 各新聞がキャンペーン的に日本語学校の不祥事をとりあげました。代表的なものは東日本国際アカデミーの事件でした。日本語学校に関する一般の人の認識は、2010年前後の「日本人の知らない日本語」からかなり変わったころでもあります。

2017年前後は、まだ日本語教師の売り手市場が続いており、待遇が改善されるという希望がありました。人材派遣系の業者もSNSに増えました。このころに、日本語学校周辺から人材派遣方面に転職する人も増えました。ツイッターのタイムライン上に、人材派遣関係者が目立つようになってきました。この種の教師と学校のマッチング的な求人イベントのほとんどは、善意で行われているものではなく、学校側からの紹介料的なものが収入源となった「ビジネス」でした。今も、この種のビジネスは続いています。

言うまでもなく、ブラックかブラックでないかということは、人がきめることではなく、法律で決められるべきことで、「ブラックかどうかはその人の捉え方次第」みたいなことは、2017年当時でも、すでに他の業界ではもう言われなくなった台詞ですが、こういう考えは、まだこのころは日本語学校関係者でも一般的なものだったと思います。

その他、もう削除されているようですが、当時、例えば、日本語教育関係の求人イベントの主催者は…

「非常勤の制度をありがたいって思わないといけないって思いますよ? 」
「#日本語教師就活 なので… 日本語学校批判や内情暴露… 私は正直、気持ちはわかりますが、理解ができません」

というようなツイートをしていたのを覚えています。これがイイネされたり、RTされたりしていました。当時のクラスタの「ハイ」な空気を象徴するものとして記憶に残っています。

日本語教師の求人難がピークで、人材派遣業者が増え、教師獲得のイベントが増えました。SNSは、宣伝のための場所でしたが、次第に教師獲得の主戦場となっていきました。

しかし、日本語教師の売り手市場は2018年あたりを境に終わり、同年の特定技能の誕生もあり、国の方向も留学から就労へ、就労目的の留学を仕分けして特定技能に、ということになり、留学はジリ貧が確定しましたが、教師確保の宣伝におけるネットやSNSの重要性は変わらず、専任として安定している人以外はネットで情報収集するのが普通になっていました。

👉 ちなみに、おそらく80年代から売り手市場だったのはこの3年間だけだったと思います。90年代から日本語学校は日本語教師養成講座の開催を許された有資格の日本語教師相手の資格ビジネス業界でもあり、需給の調整は業界にまかされていましたので、常に供給過剰気味でバランスを保っていました。新人の安い時給で雇い、厳しい待遇に疲れた中堅と入れ替えるという構造だったと思います。

2017年の日本語教師のアカウント調査

調査と言っても、2,3日かけて、関係者のアカウントをピックアップして調べただけです。

2017年春の時点で日本語教育関係者のアカウントだけなら500以上ありました。ツイートが多いアクティブなアカウントは200~300くらいだったでしょうか。他のジャンル(例えば英語教育や震災の時に注目された物理学など)に比べると、大学の研究者のアカウントは少なく、あってもあまり日本語教育関係の発言はせず、いわゆる「日本語教育クラスタ」的なところからは距離を置いている人が多い、というのもひとつの特徴でした。いわゆる鍵アカ=非公開アカは3割くらいでしたが、これはその後増えていると思います。完全な実名は少なく1割弱。知り合いには分かる程度の半匿名が3割。半数以上は完全匿名、つまり匿名は8割強。これは一般的な平均である匿名率75%より高いという印象です。

実名か匿名かに関する一般の調査

日本語学校関係者による投稿も増える

例えば、2018年ごろの日本語学校の校長氏のブログ(現在は消えています)でも「うちは授業のコマ時給分しか払わないが、前後あわせて2時間の時間的拘束がある。だけどちゃんと事前に説明して納得した上でやっている!」という投稿記事に他の日本語学校関係者から「素晴らしい!」と多くのコメントがついていました。これは事前に説明しようが、本人が納得した上であろうが、拘束時間分の時給は支払われるべきで労基法違反です。当時、働き方改革で、労働時間の記録の規制が厳しくなったばかりでした。

日本語教師、60歳以上の新人教師が成功しない理由。 | 管理職日本語教師の、相当深~いつぶやき。 https://ameblo.jp/yori1107japan/entry-

この校長氏は、研修の「食い逃げ」防止のために始めたという違法性が高い無給の入社前研修で、手当てがでない残業で交通費を払ったことを誇り、多数の関係者からイイネをされ、コマ給契約で、前後合計2時間の拘束があるけど1コマ分しか払わないことを「きちんと事前に話して納得してもらった!」と誇り、やはり他の主任くらすの関係者からすばらしいなどとコメントが付いていましたが、いずれも違法で、他の業界ではもう無くなっている慣行で、しかも、このころは安倍政権の働き方改革でより厳しい規制が課せられている最中でした。

最終的に、この校長氏は差別的な発言で炎上し、すべて非公開設定にしてTwitter上からは消えました。日振協加盟で教師研修にも関わる、中堅日本語学校の校長でした。ブログは炎上関連と違法性が疑われると指摘された記事のみ削除して再開。

日本語教育とレイシズム - Togetter https://togetter.com/li/1100397

キラキラフリーランス

この売り手市場最後の時代に
「フリーランスで稼ごう!」
「転職で自由な働き方を」

ということがSNS上でも、日本語教師個人のアカウント間でも語られるようになり、関連セミナーも増えました。このころはまだ時給が上がっていくかもしれないという希望があり、ギリギリ転職しながらキャリアアップみたいなことがありえそうなことでした。しかし非常勤の実態はせいぜい時給換算で2000円前後であって、+1時間のサービス残業付き。専任も年収も300万台のままで、ごく一部大手塾業界などの学校が一般の平均並みの給料を出すところがある、くらいでした。

副業で稼ぐといっても、ライターをやっても1記事3000円、プライベートレッスンの相場も3000円。得意なことでランサーズで募集しても同じくらいと、かなり天井は低いのが実情で、単価が低い仕事が増え、そういう仕事を得やすくなったというのが実態でした。逆に、この時期、イラストレーター、翻訳など昔からフリーランスとして仕事をしてきた人達が、単価が下がったことで、職を失い。どんどん転職を余儀なくされていきました。

つまり、そもそも「基本的な日本語を教えるスキル」で稼げるベースが上がらないことにはどうにもならないということですが、なかなか全体の構造をふまえて何をするか、という議論にならないのが日本語教師の弱点です。

👉 一般的に会社勤めをやめてフリーランスになる価値があるかどうかは、今の年収の2倍稼げるかが目安と言われています。これは30代で500万くらいの人が一千万稼げるか、みたいな話です。小中の国語教師は30代で500~600万の年収になります。

👉 「フリーランスの日本語教師の収支の話(2017)」

プライベートレッスンでは稼げなくなる

この時期に、オンラインではないプライベートレッスンの相場が1時間手取り2000円程度になり、オンラインレッスンの相場が英語オンラインの相場である30分500円にまでなったことも、大きな出来事でした。

東南アジアの教師を安く雇うビジネスモデルのオンライン英語レッスンのスクリプトをそのまま利用して、安く雇える日本の日本語教師を利用するというビジネスモデルとして展開されてしまいました。(過半数は中国本土発でした)

2010年代後半、オンラインの導入によって、プライベートレッスンの1時間あたりの手取りは日本語学校の非常勤と同じかそれ以下になりました。これはとても大きな出来事でした。(80年代は1時間1万円、90年代は6000円、0年代に2
3000円という経緯でした)

日本語以外の稼ぐ道の模索

国内では、留学は告示校が独占しており、就労系は国の規制がなく資格は問われず市場とまでは言えない状況で、オンラインは海外学習者が対象ですが、相場は1時間1000円にまで落ちてしまいました。日本語教師にとって、重要な隙間に稼げる仕事であったプライベートレッスンで稼ぐ可能性が消えましたから、他の手段が必要になりました。

ただ、前述のように、2010年代後半は、すでにランサーズなどを介して小さな仕事を請け負うニーズは飽和状態でかなり単価が下がっており、それほど大きく稼ぐのは難しいということになっていました。日本語教師がやれるのは、1時間あたり500~3000円くらいの仕事くらいでした。

やさしい日本語ビジネスの始まり

2016年にスタートしたやさしい日本語ツーリズムは、やさしい日本語は日本語教師にとっての新たな仕事の機会であると標榜して始まりました。電通とヒューマンアカデミーは「やさしい日本語講師」という資格を作り、有料講座で講師をつくり、地方自治体や企業に派遣するという事業をはじめました。ただ、やさしい日本語関係の研究者は関与していませんでした。

2020年代に入り、やさしい日本語関係者のツイートは増えました。いろんな流派があるようです。おそらくはこのころに増えた人達だと思われます。

この後、電通は、電通ダイバーシティ・ラボの事業としてやさしい日本語を軸に日本語教育に関わるようになり、企業や地方自治体に多文化共生を説き、関連のサイトを作らせ、社内外で関連イベントをバックアップし、そこに関係の「修了者」を紹介するようなことになっていき、やさしい日本語ビジネスは電通がリードすることになっていきます。ダイバーシティ・ラボは多くの企業、地方自治体の多文化共生関連事業を担当する電通の大きな柱となっています。

国際交流基金とも共同プロジェクトをしたり、理事に電通OBを据えて基金の職員にSNS活用を指南したり、関連サイトを作ったりと関係も深めています。

特に個人がはじめるケースが多く、法人だけでなく個人にとってもツイッターはその宣伝のための媒体ということになっていきました。

日本語教師は日本語教師相手のビジネスくらいしか無くなりました。ただ、日本語教師は、食えない仕事と言われますが、その食えない仕事を選択する程度には余裕があるということでもあります。そこそこに時間とお金があり、財布の紐が緩いという、セミナービジネスの格好のターゲットでもありました。

国内では、日本語教師にとって、日本語学習者は授業料を払える人は限られており、肝心の教えることで稼ぐことは厳しいので、日本語教師相手に手数料をとるビジネスで補填するのが賢いやり方、みたいなことになってきています。もちろん勉強会など有益な情報もあります。しかし有益な情報のようだけど眉唾、リスキーなものもあるようです。

このころ、外部からも多数のセミナービジネス関係者が入ってきました。このころからこの種の業者に、日本語教師はハッキリと目を付けられていたと思います。自己啓発系のものもあれば、教育系のものもありました。同時に、一般の日本語教師がセミナービジネスに参入、転換しはじめました。最初は大都市中心にカフェなどでの開催でしたが、じょじょにオンラインに移行。日本語教育関係では主に

+大学などの講演・シンポジウム +民間(告示校)主催の講演・セミナー +民間(個人)の勉強会 +民間(個人)主催の講演・セミナー +民間の定期的なセミナー +会員制のサロン

などがあり、オンライン化されたことで、場所代、集まる人数、告知など、圧倒的にオンラインのほうが有利ということもあり、一気に数が増えました。そこそこ安心して参加できるのは1)と2)だけで、3)も有益なことがありますが、その他は要注意です。しかい、これらのイベントもオンラインという手軽さもあってか流行しています。

簡単に整理しますが、ほとんどの場合

  1. 無料でイベントなどをし、参加者の連絡先ゲット。リスト化。
  2. 参加者を徐々に定期的なコミュニティー(無料)に勧誘し
  3. 勧誘用の無料イベント以外は有料イベントへと移行し
  4. 会員制を準備して、会員はイベント割引きなどとしてさらに勧誘し囲い込む
  5. 高額な個人コンサルティングへと勧誘する。

というオンラインセミナービジネスのセオリーみたいなものがありますが、そういう手順をふみます。日本語教師は、非常勤なら学校の時給は手取りでせいぜい2000円。プライベートレッスンも3000円。オンラインでも1000円と、1時間当たりの単価は残念な状況で、安定した雇用もないわけですが、セミナーで一人2000円で10人集まれば、1時間あたり2万円。自宅でやれて、かかるコストは0ですから、これを始めると日本語教師には戻れなくなっていきます。

もちろん、ほぼ新宗教みたいな自己啓発関連団体もあれば、そのまま宗教団体であることもあります。特に宗教団代は日本語教師を甘い客として見ているだけでなく、日本語学習者も信者獲得で取り込みたいという戦略を持っていることが多いです。

→ 見分け方はわかりませんが、講師が基本的に講演やセミナーのテーマになるもので、論文を「現役で」書いている人なら安心できると言えそうです。

研究者をさがす - researchmap
https://researchmap.jp/researchers

SNSでのセミナーの宣伝増加

2017年後半あたりから、日本語教育のSNS周辺でもセミナーやイベントへの勧誘が爆発的に増えました。勉強会の延長もあれば、大学系の講演もありますが、特に増えたのが、SNSで有名になった人がSNSを主戦場にセミナービジネスを始めるパターンです。他のジャンルでは2015年から始まっていたものが遅れてきたというところです。自己啓発セミナー系の人達も、日本語教師をターゲットにしはじめたのも、このころです。元々日本語教育関係者は、この種の勧誘に弱いこともあり、あっという間にいろんな人が参入してきて、混乱状況に突入しました。

2018年から2019年にかけて、ビデオチャットがじわじわと普及しはじめ、それを活用したセミナーなどが行われるようになりました。実は、ZOOMは、2015年前後にオンラインに移行していた自己啓発セミナービジネス関係者の御用達ツールで、2015年前後から日本語教育関係者を巻き込みつつありましたので、その周辺から普及していきました。

👉 自己啓発セミナービジネス関係者は、すでに2015年にはSNSやネット対応を終えており、活発に活動していました。これらの自己啓発セミナー関係者は、勧誘に「国際的な雰囲気作り」を使うことが多く、広告塔として外国人が利用されることも多いです。同時に、「そこそこにお金があり」「財布の紐が緩い」日本語教育関係者は明らかにターゲットになっていました。

2018年 日本語教師チャットが始まる

基金の日本語専門家主導で、ツイッターを使ったチャットがスタートしました。主に英語圏で行われていたhttps://twitter.com/hashtag/appleeduchathttps://twitter.com/hashtag/edchatを模したものですが、このチャットは議論ではなく、テーマに従って参加者が考えをツイートすることが主というものでした。その後、同じ主催者による、https://sites.google.com/view/jt-chat/3)や読書や映画などのツイッター上のイベントも作られました。

内容については上のリストを見て判断してください。 専門的なテーマでは 「第二言語習得」 https://togetter.com/li/1212127

一般的なものでは 「東京オリンピックを授業に活かすアイデア」 https://togetter.com/li/1750001

などが参考になりそうです。

この延長線上で、2020年代に基金関係者によって基金の教材や教え方(行動中心アプローチ関連?)をベースにするツイッターを利用した研修なども始まったようですが、ツイッター内で完結したものではないようです。また、まるごとやいろどり製作者による基金のオフィシャルなものなのか、個人に委託しているもの(基金の日本語専門家は基金の職員ではなく業務委託という関係)なのか位置づけは曖昧です。

2019年~ 売り手市場の終わりと内向き志向

👉 氏は、教育能力検定試験対策セミナーや、関連で1時間一人5万円くらいのコンサルティングなど業界でもっとも早くからセミナービジネスを始めた大学関係者の一人です。

2017年から2019年にかけて、日本語教育関係者同士でフォローしあい、やり取りをするような「日本語教育クラスタ」ともいうべきものが誕生していたと思います。ただし、絶対数が少ないので、いろんなグループがあるというよりは、基金の日本語専門家を中心とする、なんとなく主流っぽいクラスタがあり、その周辺に、その主流クラスタには属さない人達がやりとりをする流れがある、というところです。基金の人達が主導するところは、基金の教材や考え方に賛同しないと参加しにくいという空気があるようです。

コロナ直前の2019年は日本語学校の留学生が9万人とピークの数字を出していますが、国の政策、学生募集に深く関わってきた人材派遣系の業界の特定技能や技能実習生など就労系へのシフトチェンジなど、留学自体の下り坂がハッキリしてきた時期でもありました。ただ、コロナ以前は、SNS上の危機感は薄かったように思います。

また、あまり意識されませんでしたが、教師の供給は安定し、2020年前には新規校の新設も落ち着いたこともあり、コマ旧は1700円でストップ。ぼちぼち下がるところも増え始めました。

セミナーはほぼオンライン化された

2019年には#私の参加したクソセミナーというハッシュタグも一瞬登場しましたが、それほど盛り上がりませんでした。このタグを提唱した人は同時に自分でもセミナーを開始していました。この時点で、SNSで積極的に投稿するような人達のかなりの部分が、すでにセミナーの主催者であったり、参加者となっていました。石を投げればセミナー主催者に当たるような状況でした。

2019年から2020年の日本語教育におけるネットの変化はもちろんコロナとビデオチャットの普及です。セミナー、講演、シンポジウムなどあらゆるものがオンライン化されることになりました。

このツイートに、90以上の関係者のイイネが集まっています。このツイートに関しては、ここで補足をしていますが、研修は会社が業務をするために必要なら会社の負担で当然やるべきことで、「恩」ではありません。退職する自由は原則としていつでもある。しかし、日本語学校で長く仕事をする人達は、このへんの労基法の理解は薄いです。

上のようなツイートは、他業種ではほぼみかけません。人が退職する理由は無数にあり、退職したことを責めることはできません。退職や欠勤の穴は会社が埋めるものです。困るから休むな、辞めるなと引き留めることも、そうさせないこともほとんどの場合、できません。万が一、契約上できないなら、できないと本人とやり取りすればいいだけでネットに書く必要は無いはずです。

コンプライアンスがしっかりしている会社では、そういうことをネットにかけば人事担当からは外されるはずです。

「FF外から失礼します」

2017年前後からの変化が2020年代にかけて、SNSの暴言などが目立ってきたこともあり、ネガティブな投稿が忌避される傾向が強まり、他人に対してリプライをしたり引用RTすること行為自体が批判されるようになってきました。2015年ごろに「FF外から失礼します」という表現が誕生し、その後、ユーザーのニーズに応える形で、ツイッターの仕様もそういう傾向が強くなってきたということがありそうです。同時に「SNSの投稿はポジティブであるべきだ」という空気が強くなっていったような印象です。

2020年代に入り、企業の公式アカウントなどでも「個性より無難な発信」ということになりつつあります。自社の姿勢へのネガティブな言及などは許されなくなったと同時に業界や政治、社会についても、ポジティブな言及しか許されないということになっていきました。

同時に、社員が個人のアカウントで会社に関することをツイートし、それを処分しました、というツイートが公式から発表されたり、と言うことが続きました。個人のアカウントでも現実社会の枠から逃れることはできず、「ネットだから自由に発言」ということは難しくなりました。プロフでよくある「発言は所属組織と関係ありません」という断りは、通用しなくなってきたわけです。

👉 公的機関の人などは、最初からわかっていたことだと思いますが、一般企業でもそういうことになってきました。

多くの人、世代が参入し、企業も社会もネットを監視するようになりました。日本語教育でいうと、ツイッター上の発言は、上司や将来上司や雇用主になるかもしれない人にも投稿を読まれる可能性があるということになりました。2010年代には「ネットの知名度や存在感は企業を重視すべきだ!」と言われましたが、今やそこそこの企業は、採用時に裏垢まで調べるということになり、それを見越して、学生は、就活前には過去のまずい投稿を削除する。あるいは、就活用に「好印象投稿」を時々しておく、みたいなことになってきています。

現実の社会と地続きの場に

この時期、タイムライン上にベテラン教師、日本語学校の教務主任クラスの人が増え、存在感を増してきて、クラスタの空気は日本語教師個人よりも日本語学校側の意見、立場が強くなったと言えそうです。日本語学校業界に関することは言いにくい空気があり、あまり拡散されなくなってきたように思います。これはあまり語られませんが、結構大きな変化です。その後、コロナになって、そのムードは強くなりつつあります。

疲れて、やめたいというツイートはネガティブなものでよくないと示唆するこのツイートも2020年代のSNSの空気を象徴するものだという気がします。離職率が高い日本語学校の業界で、疲れてやめた人は多いのですが、それを話題にすること自体が否定される。もちろん、日本語教師の待遇が改善されたデータなどは皆無なので「疲れていてやめたい人」は今もいるはずですから、タイムラインから消えただけです。なぜ消えたのか?を考えることは重要だというのが、この「日本語教育クラスタ」のテーマのひとつでもあります。

ネットがリアルと近づくことによってそれぞれのクラスタはそれぞれのリアルの環境に近いものを反映するようになりました。元々風通しがよく自然に議論が起きるところはネットでも肩の力が抜けたやりとりができるし、少々衝突があっても復元できるという余裕があります。そうではないところは、ネット上でも窮屈ということかもしれません。

「祭り」というのはネット用語で、炎上に似たある種の盛り上がりを総称してさす語です。(詳しくはこちらを参照)教科書に対する一部の日本語教師の考えが反映されている出来事ではあるので、2010年代後半から2020年代初頭にかけての記録的な意味も込めて整理してここに置きました。

文中に出てくる「*」は注釈ありという意味です。クリックするとこのページの一番下にジャンプします。読んだらその注釈の文頭の「*数字」の部分をクリックすれば元のところに戻れます。

👉 ちなみに、これを書いている人間は、90~2010年代に日本語学校で働いていた教師達と話す機会は多かったので多少事情は把握しているものの、プライベートレッスン専業で、教室授業の経験はなく、みん日はほとんど使ったことがありません。サイトは97年から運営しており、SNSやブログなどで、まるごとやいろどりを新しい有力な選択肢として、ずっと紹介、推奨してきました。ただし日本語学校という特殊な環境では、どういう教科書、教え方がよいのかはわからないと考えています。

議論の前提となるデータ

2018年の国の調査を元にすると国内の日本語学校の教科書のシェアは以下のとおりです。カッコ内の数字は初版出版年、次の数字は使っている学校(稼働している学校、500校弱中)の数、%はシェア。

  1. みんなの日本語(74):338(74.1%):スリーエーネットワーク
  2. できる日本語(2011):31(6.7%):アルク&凡人社
  3. 大地(2008):18(3.9%):スリーエーネットワーク
  4. オリジナル教科書:17(3.7%)
  5. 文化初級日本語(87):15(3.2%):文化外国語専門学校編
  6. 学ぼう!日本語:10(2.1%):AIKグループ
  7. まるごと(2013):3(0.6%):国際交流基金
  8. はじめよう日本語(2006):3:スリーエーネットワーク

海外では各国で作られている母語での説明がある教科書(上の教科書群は基本、教室で、教師と、日本語で日本語を教える方法でやる、という方法論のために作られた教科書です)が主流で。みん日も選択されます。「まるごと」は基金が海外で運営している教室と関連の組織などで使われているかな?というところではないかと思います。

👉 これらの教科書の周辺環境(ここ数十年使われてきた教科書は何かとか、どういう区分けになってるかとか)に関しては日本語の教材事情を、それぞれの教科書がどんな教科書なのかは初級の教科書をご覧ください。

「祭り」の概要

ツイッター上で数ヶ月、あるいは数年に一度、「まるごと」の開発元である国際交流基金の50代半ばのベテラン上級日本語専門家(:@Honigon3D@Midogonpapa氏など4))主導の祭りが発生する。ツイッターの日本語教育クラスタ(ネット上で関心の対象が似ている人達の集団のこと)の風物詩となっている。

この「祭」は数日にわたり、その間

→ しかし、同氏は、その一ヶ月後、まるごとの優位性は「論文で証明されている!」と引用しているのも紀要論文ですし、磯村氏自身も交流基金などの紀要に論文を投稿しています。

👉 ちなみに、今の一般的な研究者の認識では紀要かどうか、査読が有る無しではなく、やはり内容次第という考え方が主流だと思われます。

以降、主に国際交流基金の日本語専門家によって同じような発言が続き、賛同者がイイネやRTをすることになる…

  • 「みん日はオーディオリンガルの教科書」
  • 「アンラーニングが大変なので新人は最初にみん日を経験しないほうがいい」
  • 「時代遅れ」
  • 「すでに過去のもの」
  • 「(オーディオリンガルが過去のものだと知らない人は)無知、無能(とは言わないが~)」
  • 「みん日ばかりの日本語教師養成講座は洗脳」
  • 「国内の日本語学校の教師は自分たちが業界の中心だと考えている」
  • 「本冊だけでは使えない不完全な教科書」
  • 「能試合格のみが課題ならコミュニケーションは目標ではないということ5)
  • 「(みん日は)能試対策にもならない6)
  • 「教師の負担ばかり多い」
  • 「みん日の準備の負担が多いから若い教師が定着しない7)
  • 「みん日の準備にかかる時間は無駄な苦労」
  • 「余計な準備がかかるみん日は日本語教師の酷い労働環境の原因8)
  • 「コミュニケーションできない学習者を生む」「何十年も前に廃れた教授法の教科書」「教師に好かれておらず皆渋々使っている9)
  • 「みん日しか使えない教師は日本語教育の専門家とは言えない」
  • 「みん日でしか教えられない教師は2/310)の現場で使い物にならない」

とざっくりとしたロジックで、かつコミュニカティブとは言い難いあおり気味の挑発的なフレーズで、みん日とそれを使う教師が、国際交流基金の日本語専門家によって酷評され続ける期間となる。2021年の祭りでは、挑発的なツイートに煽られた賛同者によって、みんなの日本語とその授業、授業を行う教師、学校に対して、井の中の蛙、不勉強、老害、レイシスト、詐欺と呼ぶようなニュアンスのツイートが乱れ飛ぶことになった。

みん日を使う教師は多いはずだがほぼ沈黙を守る。基本的に、異論をリプライしても、みん日は古いやり方で「それがダメなことは30年前に決着がついている」と議論するのもバカバカしいというスタンスのようで、「やれやれ」というようにあしらわれることになっており、少々強く反論すると「敵認定」されるのか、ノーリアクションでブロックされている人もいる模様11)

なお、祭り期間中の基金の関係者の発言は、オーディオリンガルうんぬんも含め、あくまで基金関係者の意見、切り取りであり、発言内容の真偽については本や複数の論文を読んだりして自分なりに検証し、可能なら教授法や第二言語習得理論などの本物の専門家に尋ねたほうがいいと思います。。

祭りの終わり

  • 祭り期間中は、主に基金関係者によって、みん日にポジティブな評価をツイートすると引用RTで血祭りにあげられ、時に関係者に囲まれメンションをつけて問い詰められる。賛同者からもエアリプで揶揄される。逆に賛同したり、まるごとをほめるとバンバン基金関係者にRTされる。これは平時でも基金関係者によって起きることがあるので、ここ数年、教科書関連の話題に直接SNSで言及する人は減り、リプや引用RTではない、エアリプの比率が増えた。昔は議論に参加していた人達も遠巻きに眺めるようになっている。結果、ツイッター上はマーケットシェアのわりにみん日に関してポジティブな趣旨で言及する人は少なくなりつつあるような印象。
  • 数日して、基金関係者から「悪い教科書というわけではない。コミュニケーションに向いてないけど」というフォローのつもりらしきセリフが出て、「ちょっと酔っていた」というようなツイートなどが出ると、そろそろお祭りが終わるという合図である。

👉 そもそも、みん日の前身である「日本語の基礎」は、文型積み上げ原理主義的な、2012年まで基金の看板教科書であった「日本語初歩」と違って、経産省が企業の研修用(技能実習制度ではない。単に日系企業で働く人達)に作った工場が舞台の「リアルな実用会話重視」の教科書として知られ、教師の育成を意識してマニュアルもしっかり作られた実用的な教科書として選択されていた。つまり、みんなの日本語も、他のほとんどの教科書と同じく、ほぼスタート段階からコミュニケーション重視をうたっているので「コミュニケーションに向いていない」と言い放つだけでは単なる悪口以上のものにはならない。結局、それぞれの「コミュニケーション」の定義や意味する範囲、ゴールまでの計画の違いを丁寧に語るところから始めないと議論にはならない。

2017年と2021年の空気の違い

2010年代後半にはすたれたが、巨大イベントとなった時は、ツイートのまとめが作られる時代があった。その種のサービスを利用してだれかが纏めるが、まとめる人によって編集方針があり、すべての関連発言が拾われているわけではない。

例えば、Togetterは、作成者によって第三者がツイートを追加したりすることを許可するものとしないものがある。17年版は期間中は自由に編集できたという記憶があるが、21年は作成者以外は編集できない設定になっていた。

このまとめ方も4年でかなり変わってきた。より内向きになり、公開の場での、議論は成立しにくくなっています。以下は、ツイッター上で起きた日本語の教科書についてのまとめです。17年のまとめをした人は、わりと中立的な立場を保とうという姿勢ですが、21年になると、ガラリと変わり、一方の色で染められるようなことになってきています。

17年のまとめはどちらかというと基金のスタンスに批判的な人によって作られているが公平に集められている。21年のまとめは、基金の側の意見の熱心な賛同者(=@officesatojapan)氏によって作られています。21年版には、後述する「(みん日しかやらない教師は)とっと淘汰されればいい」「(みん日ベースのセミナーに誘導するのは)詐欺」、自らの「(みん日信奉者の)レイシズムとの関係を疑うべき」というような自らのツイートは入れていない。

その他の関連記事:祭り直後書かれた記事など。

21年の祭りの直後に基金による JFND行動中心アプローチ2021 のオンライン研修が始まった。21年の祭りはこの研修の事前プロモーションだったのかもしれません。受講生は大幅に増えたそうです。

問題点の整理

一貫して、アプローチ(理論)メソッド(教授法)とシラバス(授業の設計)と授業の技術が混同されていて、議論の土台そのものが混乱しており、かつ、CEFR以降の20年間の、例えばシラバスや教授法だけが何かを解決するわけではないというような知見はほぼ抜け落ちており、例えば米国における近年の学習の個別化という流れにCEFR的な類型化に対するアンチテーゼ的なニュアンスがあることも抜け落ちたまま。

この議論の主役の50代が若い頃に強く影響を受けた90年代の議論の焼き直し的なものが延々と続く。しかしそれを知らない人には新鮮に映るのかもしれません。

しかし、この「祭り」は議論ではなく、議論を志向したものでもありません。この議論の主役達は、議論を求めているのではなく、演説がしたいだけなのは明らかで、結果としてタイムラインには、大声の、質の低い選挙演説みたいなものが一方的に流れてくる期間になります。少なくとも普通に勉強している人には新しい知見は無いけれども、経験が少ない教師には、なんとなく、専門家や修士や博士という肩書きの人達が確信をもって語っているのだから、正しく、新しい考え方なのだろうと考える人はいる。新たな知見はないと分かっている人でも、有力者が大声で語るのだから、これからそういう流れになるのだろう、という空気は作られる。

それこそが、この議論を起こした人達の目的でもあるので、効果はあるとして、延々と続いてしまう。ということかなと思います。

そもそも

* 基金関係者に、そもそも日本語学校でどう教科書を使い、どういう授業がされているのかという知識がほとんど無い。

のですが、そこを知るところから、あるいはSNSなので現場の人もいるわけですから、そこを尋ねるところから始めるべきですが、最初から議論の相手になるべき考え方、方法、人達は「こういうものだ」と思い込みで始まっているので、リアリティを欠き、具体性を欠いたまま進みます。

かつ

* そういう人達は「古く、頭がカタい人達だから話にならない」と、正面からの議論はしないよという意味を込めたファイティングポーズで始まっているので、実は対話は想定されていないこともわかります。違う考えを持つ人が参加する場所にはなっていないことは伝わるので、結果として、反論もほとんど来ず、議論は行われない。しかし、演説には都合のいい場所が形成されていきます。

他にも

  • 議論において主張の根拠として示されるエビデンス、データが恣意的であり、あまりに少ない(これはどういう方法でも同じ。昔も今も、日本語教育では、ある方法の成果などを検証するという文化が薄い)。
  • 印象操作のために新しい、古い、好き、嫌い、イヤ、面倒みたいな感覚的な要素もRTやイイネ、引用などで利用される。
  • 私だけでなく「みんな」もそうだ、という根拠のない誘導も行われる。

と、日本語をどう教えるか?という、検証やデータを参照しつつ行われるべき重要なテーマを、このように「議論が行われているように見せる」ことと「議論に勝っているようにみせること」だけで進めてしまう典型的なSNS議論の手法、次元でやってしまった罪は重く、以降、日本語教育クラスタでは、(少なくとも、まともに論文を読み勉強している人や、現場で試行錯誤している人達からは)教え方の議論は避けられるようになっていった。大学の研究者もせいぜい遠巻きに眺めるところまでになっている。(でもツイッターしか知らない人は、ツイッターの空気が日本語教育の研究の空気だと勘違いしてしまう)

今は国を問わず、教育において、若い人に、ロジカルな考え方、科学的な志向、データ、エビデンス重視の姿勢、国際的にも通用する議論のルール、フェアネス、方法を教えるということになっており、語学教育でも大きなテーマですが、この「祭り」は議論におけるルール違反の見本市みたいなもので、語学教師が行ったものとして、かなり深刻だと感じます。

👉 英語教育でも2010年代にSNSで教え方の議論が起こりましたが、引用される文献や論文、資料、調査の数は桁違いでした。

時代的な背景の補足

このページは記録重視なので、時代の空気の補足も書きます。このへんは、日本語教育関係者以外はピンとこない部分だと思いますので、少し補足します。日本語教育関係者でもしっかり理解している人は多くはないような気がします。

2017年以降の国内外の日本語教育関係の方針の急展開

国際交流基金は長いこと日本語教育活動は国外限定という規制がありましたが、2017年あたりから、第二次安倍政権の官邸周辺と近かったこともあって特定技能における新たな日本語試験(国際交流基金日本語基礎テスト)の主催者として日本国内の日本語教育に参入することになりました。当然、国内外の教室で「まるごと」を使いたいという意向もあるのではと思われます。この祭りは、ちょうどこの政策決定が、基金の関係者も含めた会議で進められていた最中に起きたことです。

JF日本語教育スタンダードが国の「標準」となるのはほぼ決定

詳しくは日本語教育の参照枠(2021)が決まるまでで書きましたが、2012年ごろから、国の会議では、文科省の英語教育の方針のブレーンでもある上智大学系の学者グループ(基金関係者がしきりに推す小柳かおる氏も所属)が推すCEFRを日本語教育でもやれ、ということになっていきました。

議論では「みん日」は「業界の空気で選ぶしかないという状況だ」「やむなく選択されている」ということになっています。マイノリティであり多少乱暴な物言いも許されるだろうというようなムードが作られており、マイナーな教科書(「まるごと」)が普及しない嘆き、業界の都合でみん日を強いられていることに対する問題提起という体裁になっていますが、実態は、2012年以降、国の日本語教育の方針の議論は、ほぼ国際交流基金関係者のペースで進んでおり、CEFRを事実上の「標準」とする施策が次々と決まりました。

結果、日本語教育の参照枠もCEFRの2001年版の翻訳をそのまま使うみたいなことになっています。

在留資格の取得、延長や日本語学校の抹消の基準になることで、国の日本語教育政策においてCEFR=JF日本語教育スタンダードが文字通り日本の日本語教育政策の「スタンダード」となり「参照枠」以上の影響力を持つことになりそうです。つまり、すでに基金が推進する'JF日本語教育スタンダード=CEFRに準拠するしかない状況が政治的に生まれつつある中での議論だった、ということはこの議論の時代的な背景として記録しておく必要がありそうです。日本語教育業界の人達はこういう空気に敏感です。周囲の「勝ち馬に乗る」というムードもあったかもしれません。

日本語教育の「標準(スタンダード)」?

おそらく、近い将来「まるごと」や「いろどり」は就労系の学習者周辺の日本語教育関係者にとって「在留資格(特定技能)の取得の試験と親和性が高いからしぶしぶ使う教科書」になるでしょう。就労系の学習者は、すでに日本国内の日本語学習者の多数派を占めています。日本国内における基金の日本語学習における存在感は圧倒的なものになる可能性は高く、文科省がCEFR推しということもあり、日本語学校の抹消基準にもCEFRが採用されました。

👉 特定技能のような就労専門の在留資格の取得の条件としてJF日本語教育スタンダードが使われるということになると、国の在留資格管理の政策のひとつとなり、国際的にもJF日本語教育スタンダードがCEFR準拠と説明するのは難しくなると思いますが、建て前上はJF日本語教育スタンダードはあくまで参照枠だという理屈で通すことになるのかもしれません。

追記

2021年の祭りでは、その後、関連のツイートはみん日批判を中心にちょこちょこと続き、じわじわとエスカレートし、みん日を使う教師の人格に問題があるというようなツイートまで現れました。

留学生が搾取されていることもみん日のせいだとみん日利用者を問い詰めるみたいなことになっていったことでしょうか。(いずれも、ツイート主は21年版のまとめを編集した人)(基金の「主催者2名」にもメンションを入れているので、基金の主催者達このツイートの趣旨に特に反対というわけではなさそうです)

👉 bike_nerd_tokyo氏と@officesatojapan氏は同じ人物。

基金の専門家がみん日のセミナーの主催者に詐欺だとリプライ

ついには、基金の村上氏は、文型(構造)シラバスをベースに新人の教師が文法事項を学ぶことにはある程度の合理性がある、文法事項の学習は重要だとツイートする、文法のセミナー主催者に対して、基金の日本語専門家が、「あなたのツイートは悪質な誘導があり法的に問題がある、詐欺で告訴される可能性がある」、とリプライやツイートをするような事態になっていきました。

👉 セミナーの紹介ページをみましたが、普通のみん日活用のセミナーでした。無料素材も多くて1回2~3000円とかなり良心的な価格でした。

その後

「学術的に決着がついた業界の総意」

その後も、基金の日本語専門家氏からは、ツイッター上で「オーディオリンガルは否定された方法で、みん日はオーディオリンガルの教科書で、みん日はオーディオリンガル的な手法で行われている」という主張はずっと続いており、学術的な議論は決着がついていて養成講座陰謀論 みたいなことからさらに学術的だけじゃなく、「何十年も前に議論も決着している業界の総意」ということになっている模様。業界の総意?

しかしたびたび引用する自身のブログ記事で引用されている論文には、教授法の流行り廃りに関する記述と、第二言語習得研究からのおなじみの猜疑(それはコミュニカティブアプローチはじめ、個別の理論や練習方法に対してもいろいろとある種類ものですが)が客観的に事実として書かれているだけで、オーディオリンガルメソッドすべてが学術的に否定されたとか、日本語学校における「みん日的手法」がオーディオリンガルメソッドに基づくものであるとも書かれていない。

👉 これらの日本語専門家の認識は、基金の公式の見解なのかもハッキリしない。

「ムキー!」

SNSのこの種の議論では一方が、間を置いて「ヤレヤレ感情的な反応ばかりで困ったもんだ的なツイート」をすることもよくあります。これがまた新たな煽りとなってしまいます。「ムキー!」とか書かなきゃいのに…と思いますが。

背景の補足など

教科書と在留資格

念のため補足しておくと、教える方法が、(学習者との関係性において)手法としてリベラルか、学習者主体か、というような視点はあったとしても、結果として学校や教師が教える手法や教材を選ぶ理由は多様で、教授法や教科書の議論でその人の政治的なスタンスや人格と関連づけて議論しても混乱するだけだと思います。

留学生制度の問題をみん日が背負うべきという理屈で考えるなら、特定技能の問題は国際交流基金日本語基礎テストを主催する基金が背負わなければならないということになります。それは行動中心アプローチの問題で、『まるごと』や『いろどり』の問題だということになってしまいます。特定技能でも、すでに技能実習生制度と同じ労働問題は起こり始めており、制度は変わっても、働く会社はほぼ同じなので、特定技能の人数が増えるに従って労働問題も増えるでしょう。その際「基金の生活Can-doは奴隷Can-doだ」というような批判が起きるかもしれません。教科書や教授法の議論はますます混乱しそうです。

しかし、基金が特定技能の制度の成否を担うつもりがあるのなら、それは評価に値すると言えるでしょう。行動中心アプローチは就労系の外国人の労働問題を解決できる可能性を秘めたものだという主張に従い、基金のCan-doに労基法関連を盛り込み、事前に労働関連の法律のレクチャーをし、来日後の「行動」をサポートする体制を作ることも必要でしょう。今後、労基法が守られていないというような報道が出た際は、基金関係者は技能実習制度に関して発言してきた同じ態度で厳しく批判し、ある程度の時点で問題が解決できないとなれば、責任を負い、日本語教育政策からは退くということもあるという覚悟を組織として示してほしいところです。

教科書の「政治性」

教える側と学習者との関係性においてリベラルか、とは別に、教科書がどのような(文字通りの)政治性を帯びているのか、という点に関しては、上記のような議論とはまったく逆の見解のほうが多いと思います。まるごとの書名は「まるごと 日本のことばと文化」です。本来言語とは切り離されるべき国名が入っており、言語と国の文化の関連、関係が示唆されています。たとえば英語の教科書が「英語 アメリカのことばと文化」というタイトルだと違和感を覚えるはずです。言うまでもなく言語は国の所有物ではなく、母国語ではなく母語と呼ぶようになりつつあります。言語と国と関連づけるということは一般書でもかなり前からされないことになっています。

JF日本語教育スタンダードにはそもそも理念に関する記述はほとんど見当りません。キーになる「複言語主義」というワードもでてきません。外務省は国内の言語政策を当然持っておらず、政策に関与することはできませんから、JF日本語教育スタンダートは、CEFRから言語政策に関することを換骨奪胎した形で作られていると考えるのが自然です。国際交流基金にも、日本の国力のための「ソフトパワー戦略の一環」で「日本のファンを増やすための」日本語教育の拡大という位置づけがあります(日本語パートナーズは「オリンピックの応援団を増やす」のが目的でした)。当然、まるごとにはCEFRとは違って「単一の言語主義の発想にとどまっている(西山 2010:ⅵ)」という批判があります。

JF スタンダードが範を求めている「「相互理解 10」の概念に関しても、何のための相互理解なのか、なぜ相互理解なのか。そもそも相互理解とは何か、という最も重要な点の議論がすっぽり抜け落ち(細川 2010:151)」ているという指摘があります。

👉 JF日本語教育スタンダードには理念がないことで逆に使い勝手がいい、という側面がありそうです。国も日本語教育の施策として採用しやすい、また基金も意識的に採用されやすいものとして国にプレゼンテーションした結果、今の状況があるということだと思います。

オーディオリンガルやからや!

陰鬱な記録が続いたので気分転換のオマケです。このオマケ部分はそのうち削除いたします。

この「祭り」は基本的に内容が薄く、完全スルーで何の問題もないと思います。しかし、その後も、特に理解が深まることもなく、定期的に、同じ調子で続いています。関連のツイートを見る度にストレスを感じる人も多いでしょう。

一旦、距離を置きましょう。「オーディオリンガル」をミュートワードに入れるのも一つの方法です。入れればオーディオリンガルというワードを使ったツイートはタイムラインに表示されなくなります。この「祭り」で一方的に使われるだけのワードで、例えばみん日の使いこなしの情報交換ではまず出てこないワードでもありますから。ミュートしても大丈夫です。

あと、私は、一連の投稿が、これに似ているなと気づいてから、ちょっと面白くなってきました。

気晴らしに#オーディオリンガルやからや のタグを入れた自作のコントでもツイートするのはどうでしょうか。

      

 投稿例

コロナでビデオチャットが一般の日本語教師にも普及し、ネットの活用は進み、以前からネットを活用していた人達はある種の興奮状態になりました。「コロナは大変だが、ICTが普及したことはいいことだ」という投稿は繰り返し行われ、上のように「この際、デジタルが使えない教師が淘汰されるのはよいことだ」というニュアンスのツイートも散見されました。

大学ではセキュリティ問題もあり、ツールの選択は分かれましたが、自己啓発ビジネス関係者が使っていた流れで、その周辺と関係が深い日本語教育関係者が2017年ごろからZOOMを広めていたこともあり、結果、日本語教育のイベントは「大多数が使っているから」という理由で、ほとんどZOOM一色となりました。

ビデオチャットを使ったセミナーやコミュニティ作りが始まりました。主な集客はSNSを中心に繰り広げられるようになりました。これらのSNS周辺のツールは参加にほぼログインが必要なもので、5~30人くらいまでの知り合い同士で話そうという性格のものでした。ZOOMやClubhouseなどの、オプション的なクローズドな仕様のツールを使った小さなコミュニティが作られるようになり、基金関係者が主催するツイッター上の「仲間イベント」も増え、この主流クラスタの色が濃くなり、よりクローズドな内向き志向が強くなっていったという印象です。ツイッター上での議論はなかなか行われなくなり、一方的な主張が続く、演説的なものしか成立しないという空気が支配的となっていきました。他の人のツイートに対して反論したり、意見を言うこと自体が憚られるような独特の雰囲気があります。

これらのオプション的なツールは、小さなコミュニティの誕生を促進したようで、クラスタはやや分散していきました。ただし、大きなグループがあるというわけではなく、主流的なクラスタがあり、そこから距離をとる人達がいる、という状況です。

👉 Googleトレンドをみると、一般的にはZOOMは、コロナで広がったツールだということがわかります。ただ、ZOOMは基本有料アカウントへの誘導がベースの民間サービスで、そもそもチャットシステムには参加人数には限界があり、講演などではYoutubeライブなど普通に配信を使ったほうがいいケースが多いのですが、日本語教育の世界ではなぜかいつもZOOMのままです。

求人の際の個人情報漏洩

日本語教育クラスタでは楽しげに投稿されているので気づきにくいですが、気をつけてよそをみると、他所では見かけないこと、というものはたくさんあります。求人の際の個人情報は、歴史的にも、就職における差別という人権問題に深く関わりがあるところで、様々な裁判などを経て、厳しく監視されるようになった経緯があるから厳しいのですが、民間の学校が主体で、ワンマン経営が多い中、なんとなく教師が学校経営に関わるようになったりすることで、好き嫌いで人を採用することが常態化し、人権問題に関わることだという認識が圧倒的に甘くなってしまう、ということが起きているようです。

職業安定法では、求職者等の個人情報の取扱いは以下のように定められています。


第4 法第5条の4に関する事項(求職者等の個人情報の取扱い)

個人情報の収集、保管及び使用 職業紹介事業者等(注、労働者を募集する事業主を含みます。)は、その業務の目的の範囲内で求職者等の個人情報(以下単に「個人情報」という。)を収集することとし、次に掲げる個人情報を収集してはならないこと。ただし、特別な職業上の必要性が存在することその他業務の目的の達成に必要不可欠であって、収集目的を示して本人から収集する場合はこの限りでないこと。

  • イ 人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地その他社会的差別の原因となるおそれのある事項
  • ロ 思想及び信条
  • ハ 労働組合への加入状況

職業紹介事業者等は、個人情報を収集する際には、本人から直接収集し、又は本人の同意の下で本人以外の者から収集する等適法かつ公正な手段によらなければならないこと。

職業紹介事業者等は、高等学校若しくは中等教育学校又は中学校の新規卒業予定者から応募書類の提出を求めるときは、職業安定局長の定める書類(全国高等学校統一用紙又は職業相談票(乙))により提出を求めること。

個人情報の保管又は使用は、収集目的の範囲に限られること。ただし、他の保管若しくは使用の目的を示して本人の同意を得た場合又は他の法律に定めのある場合は、この限りでないこと。


収集した情報は、第三者への提供が禁じられていることはもちろん、必ず本人から「直接」収集した情報を元に採用不採用を決めなければならないということになっています。これはかつて調査会社に依頼して身元を調べたりして採用を決めたりというようなことで歴史的に就職差別、人権侵害が行われてきたという要素も大きいと思います。

この一連のツイートは、業界内で日本語教師の就活の際の個人の情報が、その評価と共に行き来していることを示唆しています。おそらく、こういうことは実際にあって、しかも常態化しているのでしょう。

昔から日本語学校業界は脅かし的表現として「狭い業界だから噂はすぐに出回る」と言ったりする悪弊があるところです。関係者、それも採用に関わる人物が、ネットでそう公言するような息苦しい業界で若者が働きたいと思うだろうか?という想像力も必要ですが、そもそも、違法性が高いということも知っておくべきでした。

職業安定法だけでなく、会社が収集した求職者の個人情報を同意なしに第三者に提供するのは個人情報保護法にも違反しています。2019年のリクナビの問題でも、個人情報保護と共にこの職業安定法の要項がひっかかったことは記憶に新しいと思います。つまり就活における個人情報保護の一丁目一番地のところだということです。

まず日本語学校関係者が会社が守るべき法律を知ることが重要です。冒頭でも書いたように、日本語学校は、仕事で会社が守るべき法律を知らないまま、比較的早く、教師が採用担当者になったり、教師の労働管理をする立場になったりします。日本語学校の労働環境の質の低さは経営者だけでなく、この元教師達の無知の影響も大きいと思います。

👉 仕事の面接で採用されるかどうかは、当事者にとって生活がかかっている大きな出来事です。ましてコロナ下で業界内外で転職が難しくなっている状況(2021年夏)のことでした。

もう業界は狭くない

80年代のように200校で2万人の学生だった時代ではなく、国内だけで100万人超の日本語学習者をどうするかと社会全体で考える時代になっているのです。日本語教育ビジネスは告示校以外にも広がり続けています。コンプライアンスは厳しく問われ、個人情報の保護に関する法律はどんどん厳しくなっています。人事担当者はもちろん、関係ない人でも、雑談レベルでも、採用不採用に繋がるなと思ったら、人の評価をペラペラ話さない、ということは、大事なことです。

学校ビジネスにおいて質の高い教師の確保は最優先課題のはずです。しっかりした採用基準もあるはず。業界に流れる噂などではなく、募集時に、しっかり時間をかけて採用不採用を決めればいいのです。まして、日本語学校は一般の業界と違ってほとんどの場合、非常勤からスタートなので、採用に伴うリスクは低いはずです。

仮に、この面接で起きたことがもし事実だとして、この採用担当者がこのことを実名と紐つく形で、同業者に伝えてしまうことが許される業界だとすると、この面接に来た人はこの一度の失敗とこの採用担当者の印象だけで今後もずっと日本語学校で非常勤の採用でさえ難しくなるということになります。そんな息苦しい業界に若い人が魅力を感じるでしょうか?

さらに、これは教師の採用不採用において、学校や業界が圧倒的に有利になるということでもあります。この息苦しさが、いつか自分自身も苦しめることになる可能性もあります。日本語学校業界は脅かしとして「狭い業界だから」と言うのをやめるだけではなく、業界をあげてそういう村社会的体質から脱却すべきです。

【参考】

指針(平成11年労働省告示第141号)(抄) 第四 法第五条の四に関する事項(求職者等の個人情報の取扱い) | 新潟ワークナビ
https://jsite.mhlw.go.jp/niigata-hellowork/jigyounushi/kousei_saiyou/kojinjouhou/shishin.html

求職者等の個人情報の取扱いについて | 京都労働局
https://jsite.mhlw.go.jp/kyoto-roudoukyoku/riyousha_mokuteki_menu/jigyounushi/jigyounushi_jouhou/jigyo603.html

👉 求職者の情報を第三者に提供するのは、匿名化されても、形ばかりの同意があっても、違法性を問われる可能性があるという見解もあります。

👉 この事実かどうか確認しようがない投稿に多くの日本語教育関係者からのイイネが集まり、問題を指摘する意見が出なかったことはとても残念でした。翌日の段階で、42のイイネがついていました。この記事で、この数が減るといいなと思います。

前職調査とリファランスチェックと紹介状

前職調査とは転職などの際、転職先の会社が採用を決める前に、以前の職場で問題を起こしていないかなどを調査することです。かつては日本の企業で行われたことがありましたが、今は、個人情報保護の観点からほぼ不可能となっています。警備員など犯罪歴がある場合は法的にできないというようなことが警備業法にあるので、これを「特別な職業上の必要性」とされるとして、そういう業界がグレーゾーン承知で、必要な項目に限り、実施しているところがごくわずかあるぐらい、とのこと。

当然、日本語教師が事前に提出しなければならないのは、告示で定められている「資格の有無」の証明ぐらいですから事前の情報収集の法的な根拠はそれ以外では成立しないと思います。

リファランスチェックは、外資系やグローバル系企業などで行われるもので、同じく採用を決める前に以前の職場でどうだったか、上司などに紹介状を求めたり、面接をして直接話しを聞くような慣習です。しかし、だれに訊ねるかは「求職者が指定」します。

企業などでの事前の紹介状なども、求職者が自分の意志で書いてくれる人を決め、作成し、提出するものです。転職の際に紹介状などを求めても、前の職場が応じないなら提出はできませんから、採用の際に提出を条件にはできません。

いずれにしても、職業安定法で「個人情報を収集する際には、本人から直接収集し、又は本人の同意の下で本人以外の者から収集する等適法かつ公正な手段によらなければならない」ことになっているので、求職者の了解なしに集めた情報を元に採用、不採用を判断すること自体が違法なので、推薦状の有る無しを判断材料にもできないわけです。

👉 欧米の企業では、大学や以前の職場の推薦状を持っていくことがありますが、「推薦する手紙(a letter of recommendation)」なので、慣例上、ネガティブなことは書かないことになっています(書いたらほぼ訴えられるでしょう。そんなリスクは冒さないはず)。米国人に尋ねればわかりますが、かなり形骸化しており、無くても問題なく、あってもあまり参考にされません。田舎の保守的な組織の仕事なんかだとどうかはわかりません。

👉 ただし、日本語学校の設置者(経営責任者)も犯罪歴があればできない(制限がある)という項目が告示基準にありますから、設置者の経歴は手順をふめば調査可能かもしれません。

協調性と熱心

紹介状文化の問題は、紹介する側の都合で、求職者の運命を左右してしまうことです。「協調性(他の教師と上手くやれる)と熱心(スキルの向上に意欲がある)」ということを重要な要素であると考える採用者は多いと思いますが、紹介状を書く側は「協調性(理不尽な上司にも従う)と熱心(サービス残業にも応じる)」という意味で書く人もいるんですね。

つまり、紹介状文化は、結果として紹介状を書いてもらうために職場で我慢を強いられるということにも繋がりやすい。雇用する側が圧倒的に有利な文化です。それが採用担当者同士の「目配せ」になっているという業界すらあります。

雇用に伴うリスクは会社が織り込む必要があります。採用のテストをし、時間をかけて面接をするなどしっかり時間とコストをかける、人をみるノウハウを磨いて、職場で育てることにもコストをかけるということをすればいいだけだと思います。しかも、日本語学校業界の場合はほとんどの場合、採用は非常勤からで、3ヶ月や半年契約ですから、その期間で十分に判断することができます。事前の不確かな情報などより、その人をしっかり見て決める、ということをすれば済むことだと思います。

👉 人を選ぶ立場になったら、選ばれる立場だった時のことを思い出してください。採用されないということは、仕事を得られないということも辛いし、自信も失います。精神的なダメージは大きいです。フェアに、その人の能力と可能性をみて決めて、不採用を伝える際は、少々の反発があっても受けとめるのが人事という仕事だと考えてください。

「いい人だから紹介」は許されるのか?

これがいいことだからといってルールとしてOKにしたり、業界の慣習として良いことにすれば、その蔭で、必ずネガティブな情報収集、流通も起こり、差別などで排除されたことが起きてきた歴史があるから、就職に関しては厳格な法律があるわけです。この辺の認識の甘さは日本語教育関係者の「社会性の欠如」としてよく語られる部分です。企業は就職活動の場面できちんと人をみて、そこで互いに合意の元で出されたデータや人、必要なら資格、試験などできちんと選べばいいだけです。誰かの紹介や噂は、ほぼその人の主観であり、そこに差別が混じっていないと考えるのはあまりにも楽観的です。

参考 職業紹介、斡旋、求人の最低限のモラルとは?

個人情報の勝手な利用

2019年の8月にリクナビが収集したデータを分析加工したものを企業に販売していたということが報じられました。こういう紹介者、仲介者に提供した個人情報がどう使われるのかは、きちんとした説明があっても、それがきちんとしたものに見えても、こういうことが起こります。つまり仲介者、紹介者は基本的には企業がスポンサーであって、日本語教師のために動いているわけではないということに注意しておくべきです。 エントリーシートなどで例えば「必須」などとあっても、個人情報は極力書かない。名前と捨てメアドくらいにしておいたほうが無難だと思います。

リクナビ、「就活生の内定辞退予測を企業に提供」報道に対し説明 「提供先が合否判定に使わないよう確約していた」 - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1908/02/news079.html

求職者の個人情報の取扱いについて | 大阪労働局
https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/shokugyou_shoukai/hourei_seido/kosei/privacy.html

【議論と炎上 事例 1】 学生支援緊急給付金問題(2020)

日本語教育クラスタの炎上は少ない

日本語教育クラスタ内で、失言による炎上が3日以上続くことはほとんどなく、ボヤ騒ぎにはなってもすぐに終わり、数日で何事もなったように元通りになります。

議論や批判などをネガティブなものだと考える人が極端に多く、批判する行為そのものが批判され、暗黙のうちに忌避され、続けることのデメリットの予感に疲れてしまう姿をよく見ます。

世間の炎上になんとなく乗っかった例

事例 2020年 学生支援緊急給付金問題 はコロナ下で起き、多くの日本語教育関係者も関与した炎上っぽい出来事でした。取材時の文科省関係者の失言によって始まり、ネットで拡大、拡散されました。

元の政府の関係者による説明の口調が不十分でぞんざいだったこともあり、報道も不正確なことになり、制度そのものが不公平なものだと受け取られ、外国人受け入れ関係者で一斉に炎上しました。多くの日本語教育関係者もツイートしていました。途中、日本語教育学会が鎮火させるような意図での声明を出し、いろんな外国人関連団体が抗議の声明を出し、一部メディアも報道しました。

元になる制度そのものは、かなり複雑で一概に問題だとは言えないことに一部が気づき始めたのは炎上半ばで、そのまま炎上そのものは、グズグズとなりました。しかし、その指摘のニュースも話題にならず、一年後に同じ制度で給付金が配布された際は、まったく同じやり方だったにもかかわらず、話題にすらなりませんでした。

しかも、この炎上の中で最も問題だった朝鮮高校などいわゆる外国人学校が対象から外されたという問題に「ついでに」言及されはじめたのも炎上後半なので、だれも気づかず、後になって国連からアンフェアだったと指摘されたりしています。本来ならこここそが日本語教育関係者が指摘すべきところでした。学習者の母語学習をサポートする意味で外国語学校の存在は日本語教育関係者にとって大事なものであるはずです。往々にして、振り返った時に、炎上のなかで見落とされがちなもののほうが大事だったということはよく起きます。しかし炎上を振り返る人はほぼいないのです。

国連からの書簡
https://spcommreports.ohchr.org/TMResultsBase/DownLoadPublicCommunicationFile?gId=26027

学生支援緊急給付金に関する国連共同書簡への日本政府の回答に対する反論
https://migrants.jp/news/voice/20210629.html

その他の例

以下、炎上とは言わないまでも、あれこれと意見が出た件の、きっかけになったツイートだけを列挙します。リプを辿ったり、キーワードになりそうなもので検索したり、ツイッターの高度な検索でアカウントに絞って検索すれば概要は掴めるかもしれません。考える材料に。

https://twitter.com/nam_taan/status/1454368278025936899

https://twitter.com/nihongoya/status/1401635551510351875

https://twitter.com/Midogonpapa/status/1491817001966534658

https://twitter.com/meixiangkuojp/status/1578753182557032449

https://twitter.com/Honigon3D/status/1581677210766671872

https://twitter.com/kyouin_bot_69/status/1581062850813906944

日本語教育の世界は昔から離職率が高く、数年でやめていく人が大多数を占めています。長く日本語教育の世界にいる人達はある種の成功例で、その他大多数の人の物語は失敗例とされ、消えていき、ネットで語られることはありません。日本語教育の世界は、典型的な生存者バイアスが色濃いところという意味でSNSに似ています。おまけに今の日本語のSNSは「ネガティブなことよりポジティブなことを投稿すべき」という空気が支配する場所であり、実際にイイネを稼ぎ、フォロワーを増やすためには、そういう空気に追従するしかありません。

離職率が高いということは、少数の超ベテランと大多数の新人で構成され、中堅が極端に少ないという歪なバランスが続くということです。90年代から日本語教師相手のビジネスは、雑誌などメディアも、この「日本語教師志望者から新人を脱する手前まで」 のボリュームゾーンの人達が主要なターゲットで常にそこだけが厚い構造になっています。小中学校の教員などでは、新人、中堅、ベテランの仕事のキャリアに応じたバランスのいいリソースがあります。

日本語教師の世界に長くいると、そのボリュームゾーンばかりに目が行き、その人達にばかりに向けてモノを言う習慣が身につきます。そこで、ついつい、若い人がほしがる簡単な(新しい方法、デジタルの進化で何かが解決されるというような)物語を作ってしまう傾向が生まれます。今のネットやSNSの日本語教育クラスタは、その影響を強く受けています。やはり、若く、経験が少ない人達が多数を占めるSNSで、イイネが集まることを語ろうとしてしまいます。今はセミナービジネスにも繋がります。その意味で2020年代のSNSと日本語教育の親和性は意外と高いように思います。

ポジショントーク

長く日本語教育の世界にいる人は、必ず「お世話になったところ」があります。それは日本語学校、日振協、日本語教育学会、大学、AJALTや国際交流基金などなどです。その背後には省庁もあります。文科省、文化庁、外務省、経産省、厚労省です。

ネットでは「個人で」「自由に」発言しているようで、時に自分が関係するところにも意見するようなことをするようでも、長くみていると、悲しくなるほどの気遣いが透けて見えてきます。「お世話になったところ」に不利なことは小声で、そうでないことはしっかりと、空気を読みつつ濃淡を使い分けて主張したりしている姿をみると、こちらまで息苦しさが伝わってきます。

日本語教育の世界は、特にこのシバリは強いように思います。90年代は日本語学校も200校ぐらいで、大学の研究者も少なく、学習者はほぼ留学生。みんな顔見知りみたいな時代の感覚のままで、800校となり、報道の目も厳しく、国で100万人単位の日本語学習者をどうするかみたいな議論になった今も引きずっています。

暗黙の了解の静かな強要

今、ネット上の日本語教育関係者クラスタが果たしている役割で最も大きなものは、何を見ないことにするかという暗黙の了解の学習です。コロナのことは語られず、日本語学校の不祥事については「困ったものですね」以上の展開はなく、日本語教育の政策は知らない誰かが決めることです。それを「わかりやすく情報として説明してくれる人が」歓迎されます。

みな、SNSをみて、あのことやあのことが、語られない、あるいは、あそこまでしか語られていない、あの先は語らなくてもいい、ということを確認しホッとしています。難しいこと、複雑なこと、簡単に結論がでないこと、多くのソースを読み理解しないと考えをまとめることが難しいことは無かったことにされていることにも安心しています。

つまり、今、ネットは、一見、何かをポジティブに語る場所に見えるけれども、そこでは語らないこと、語ってはいけないことの共有のほうが重要な参加資格になっています。日本語教育関係者クラスタは、みなで語らないことを決めるための村社会的な要素が濃くなりつつあります。これはSNS自体が村落共同体的な性格を濃くしていることと連動しています。

最初は、自分の意志で情報を選択してるのだ、と思っている人が、だんだん、自分にとって不都合な情報を避けるようになります。見ていないのではなく、見えなくなってきます。今のSNSの最も注意すべきところです。

いつも学習者いる場所が最重要

長く日本語教師を続けていく人にとって、2020年代のネットは必ずしも必要なものではないと思います。シェアされる「情報」も特に新しいものはありません。評判も評価も検証を経たものではありません。ソースは示されず、エビデンスとして都合のいい論文だけが切り取られ、根拠として示されます。論文アーカイブを探せば、ネットより新しく、厳密に検証された論文がいくつもみつかります。CEFRは、もう20年以上前のことで「最新」でも「最前線」でもありません。しっかり追うためには、日本語教育以外の論文も読んでいくことが必要になってきます。

オンラインセミナーの質が検証されることはありません。自分の専門ではない分野で有料セミナーをする大学関係者にも疑問符がつきます。ネットで「繋がって」得られる仕事も、全体の貧弱な構造が改善されなければ、一時しのぎにすぎません。

ネットでのみ語られることや、ネットの正義、新しいとされること、流行に惑わされず、学習者と真摯に向き合い、自らの方法を常に疑い、検証結果を受けとめ、研究に耳を傾け、必要なスキルや知識をコツコツと積み上げ、誠実に仕事をすることのほうが大事で、それは、これまでネットがない時代も、ある時代も変わらないことで「良い環境でよい経験を積む」ことが重要ではないかと思います。キャリアが少ない人が最優先するべきことはネットで繋がることではなく、現実社会で、よりよい環境を探すことです。それはネットがなくても十分にできるということを忘れないでください。

👉 どこの業界でも同じですが、最前線の人達は最前線にいて、新人などはみていません。後ろを向く人達は最前線にいる人達ではないことに注意してください。やはり本当に力をつけるには、最前線に繋がる良質な現場に自分の身を置くしかありません。

観察は2022年の夏で一旦終了です

なんとなくですが、2022年の夏で、私にとっての、ですが、SNSの時代だけでなくネットの時代は終わったような気がしています。消えて無くなったのではなく、良くも悪くも、ネットはもう完全に特殊な場所ではなくなった。現実社会の延長線上に、境界線もなく、ただあるものになった。しかし、現実社会を観察し記録していくのは無理です。

というわけで、日本語教育クラスタの観察と記録は2022年の夏で基本的には終わりです。あとは時々、何かが付け足されてるだけになると思います。







以下記録のみ(2022.10.01~)

その時々のネットの日本語教育クラスタの空気を象徴するような投稿だと感じたものを、貼りつけていくだけです。


[1]

「①母国でちゃんと教育を受けていた人。②ある程度お金持ちの人。③進学することが目的の人」は「質の良い学生」で、「①母国で教育をあまり受けていない人。②お金持ちではなく、借金をして入学した人。③そもそも留学が目的ではない人。挙げればキリがありませんが、とりあえずこの三つにしましょう。」は「質の悪い学生」で、前者のほうが教師は「楽」。

日本語学校は一つだけではない(日本語コーチ氏)


[2]


[3]


[4]

上のツイートで示唆されているツイート主は以下のようなツイートをしたくらいで特に議論をするでもなく、スルーしつづけ該当ツイートはすべて削除した模様なので、どんな文面だったのかは ツイ主のこれまでのみん日に関するツイートから推察するしかなさそうです。

その一ヶ月後に以下のようなツイートを投稿。

削除されたツイートはもう無いのでわからないまま。


[5]

2022年の夏から秋にかけて『日本語総まとめシリーズ』の設問の一つがDVを許容している内容だとツイッターなどで炎上しました。経緯は目的別の教材の以下に記録しています。

DV関連の問題例で炎上?→改訂へ


[6]


[7]





研究


1)
海外では、Monash大学などが日本語学習周辺のツール開発など積極的に発信していました。
2)
個人の悩み相談ならともかく、教え方に関することは学習者へと波及することなので、やはり誤った方法やエビデンスのないこと(簡単な性格診断で学習者をタイプ分けするとか、青い色は集中できるみたいなこと、単にその場が盛り上がっただけで学習効果の検証がなされていないこと)などは、ちゃんと仕分けしないといけないんですね。それをやれる人がいないといけない。ただ気持ちよく出席者に話させればいい、ファシリテートしましたよ、というのはマズいわけです。
3)
中身はよくわかりませんが、少しでもネガティブなコメントをするとキャプチャをとられて「例のあの人」と呼ばれてhttps://twitter.com/Midogonpapa/status/1501234922974945283してましたし、いろいろマナーが厳しいところのようです。
4)
ツイッター上には20人程度は基金やJICAの関係者がいるはずだが、この2名を除き、祭りの期間は沈黙を守ることが多い。また、日本語専門家と国際交流基金の関係は雇用関係(=職員)ではなく、あくまで業務委託契約なので、日本語専門家系の発言は基金の見解ではないということになっており、いつも責任の所在はあいまいなまま。雇用関係じゃないので関係者ではない、業務として行ったことでも、ステマでも、民業圧迫でもない、という理屈?
5)
能試は基金主催で2010年から(基金主導でCandoなどを用いた)JF日本語教育スタンダード準拠(風)のコミュニケーションをはかる試験に変わったとアナウンスがあったのでは…
6)
後にまるごとは能試対策にも役立つのだ的なツイートもあり、ここでは能試に適応できていることをポジティブに評価している模様。
7)
「まるごと」は基金関係者の認識では「(数年かかるみん日とは違って)誰でもすぐに使える。教師にとって超簡単な教科書」ということになっているらしく、(業界として)教師の育成計画をどうするかという視点は最初からクリアしているということになっていることなどが発言からうかがえる
8)
みん日が本冊だけで完結しないのは、70年代から時代に応じて現場の声に応えるためにやむを得ず関連教材が膨れ上がり…という事情もあるので「本冊だけでは不十分」という批判は酷だし、本冊だけで、セットで展開しているという戦略の違いに過ぎないので本冊だけで比較しろ、というのもおかしな話。
9)
このツイッターアンケートが根拠になっている模様。しかし、教科書の採択は民間の日本語学校では教務を中心に決められるので最終的には個々の学校の自由意志だが、基金関連の教室はまるごとを含む基金以外の教材の選択はしにくいであろうと思われる。したがって「しぶしぶ使っている」かどうかという論点は微妙。
10)
この「2/3」はここの計算に基づくとのことですが、基本的な計算方法に誤りが多く、計算と推測が混在している記事。詳しくはこちらを。国内の告示校の初級教科書のシェアはやはりみん日が7割以上で圧倒的であることは確か。まるごとは0.6%
11)
私どものツイッターアカウント(@webjapoanesej)も@Midogonpapa氏には10年前からブロックされているので、RTがまわってきたり、まとめをみたりしないとツイートに気づかないことがある。他にも、氏に指摘をした研究者などがブロックされている。
  • 日本語教育クラスタ.txt
  • 最終更新: 2022/11/29 21:42
  • by webjapanese