日本語の教材事情

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「日本語の教材事情」ページについての補足


日本語の教材事情

上は教材の初版から現在(2020~)までをざっくりとまとめた表です。書籍はいつ終わったのかが分かりにくいので、2010年の時点で改訂がない教科書(スマホ登場前後で生活習慣もかなり変わったはずなので、そこを盛り込んで改訂できない教科書は厳しいだろうという判断)は、事実上終わりとして3番目にまとめました。ただし「ひろこさんのたのしいにほんご(文科省が学校で使う教科書)」は現役で使われているようです。

税金(省庁系。含むAJALT)で作られた教科書は余裕で続き、大学が作った教科書は10年くらいで終わるという傾向があるようです。90年代はさかんに大学は教材を作りましたが、その後、教員が忙しくなったのか、研究開発という継続性に問題があるのか、だいたい10年で改訂できずに終わっていくという傾向があります。

省庁系

  • 日本語の基礎、新基礎、みんなの日本語
  • 日本語初歩、まるごと
  • いろどり
  • Japanes for busy people
  • ひろこさんのたのしいにほんご

大学系

  • 初級日本語、大学の日本語ともだち(東京外大)
  • Situational Functional Japanese(筑波大学)
  • TOTAL JAPANESE(早稲田大学)
  • 日本語 5つの扉(立命館大学)

学校系

  • 文化初級日本語
  • できる日本語
  • 日本語でビジネス会話

出版社系

  • げんき
  • An Introduction modern japanese

日本語教育では教科書への依存度は高く、教科書の支配力は強い。これは日本語教師の仕事が安定せず長くキャリアを積めないとか、学校間の質的競争が生まれる構造になっておらず、学校も独自の方法の研究やオリジナル教材の開発に時間や予算を割かない(オリジナルの初級教材を作っているのは2018年の段階で456校中わずか17校)、という特殊な理由などがありそうだ。結果として日本語の教科書が背負わねばならない課題は多く、大きな不自由を抱えている。

語学の教科書を縛る制約

語学の教材は教師や学習者を「これをやれ」「この順番でやれ」と縛るものと考えられているが、語学の教材にもまた多くの制約が課されている。教える側が考える「ここまでにこれはおさえてほうがいい」だとか「これをやるにはこの知識が必要」というようなことは同じ制約だが、教師の信条、思い込み、流行りや所属するコミュニティによって、良い制約だとなっているものは見えず、悪い制約とされているものは目につくということになっている。

仮に、それらの制約を、教える側の理屈が出発点であるとか、学習者本位から出発したものだと善し悪しを分けたとしても、同じ制約であることに変わりはない。結局「学習者本位」「学習者目線」は教師が勝手に考える学習者像の反映であったり、類型化されたものの押しつけにすぎないという側面がある。ほとんどの場合、(教材の作成に関わるような)教師と学習者は世代が違うし、語学では国籍も違うことがある。教師が考える学習者のニーズが正解である保証はない。また、勉強のための勉強ではないものを指向する、リアルな生活実態を軸にするなら常にアップデートが必要だ(例えば、2015年以降、日本のスーパーのお金の払い方は過渡期で混乱中)。誤った学習者像や生活実態から出発した制約は個々の学習者には苦痛がより大きいかもしれない。

まずは「いい悪い」を抜きにして、どういう制約があるのかをピックアップすることは重要だと思われる。まず「本」というフォーマットは順番という制約がある。価格、市場での競争は大きな要素だ。ここでは教材論ではあまり語られないけど、結構重要で、実際に影響が大きいことをピックアップすることにした。

👉 一般的に、語学の学習者というのは結果オーライというところがあって、どう学んだかということに関心が薄く、上達すれば教師や教材ではなく自分に才能があったと考えがちなので、ちゃんと教える側にフィードバックをくれない。

👉 「学習効率」は制約の妥当性を説明する最も合理的な理由のひとつであるが、最近は、効率より教え方そのものの正当性(こうあるべき、というような?)のほうが重要というようなことになりつつある。こと教材に関しては、検証やデータは軽視される傾向が強い。

教師がキャリアを積めない構造

「しっかりキャリアが積める」かどうかは、年代別のバランスに現れる。

10代20代30代40代50代60代70代以上回答なし
2014186(0.5)2161(6.5)4000(12.1)5085(15.4)6010(18.2)7271(22.0)2601(7.8)5635(17.1)
2018143(0.3)2078(5.0)3801(9.1)6203(14.9)7373(17.7)9119(21.9)4089(9.8)8800(21.2)

👉 日本語教師の世代別の比率 日本語教育実態調査等 |(文化庁)より。

この世代別の比率の高齢者への極端な偏りは、キャリアを積んで高齢化した結果ではなく、高齢でキャリアをスタートした人が多数を占めるということは次の調査から推察できる。

👉 10代と20代を×25、30代を×35と、計算して平均年齢を出すと、平均年齢は約54才になる。上場企業の平均は40才前後で高齢化が進んでいると問題になっている。小中学校は43才。社長の平均年齢は59才。

👉 2019年の日本語教育能力試験の受験者の世代別データです。65%が40才以上です。財団法人日本国際教育協会提供。

この空洞化を高齢者の再雇用で埋めている構造=中堅層の薄さが日本語教育業界の大きな問題で、パッケージ化された教科書と指導書が支えなければならない要因のひとつとなっている。

告示校のマーケットという呪縛

世界の教科書の市場のおそらく過半数は日本国内の民間の日本語学校や大学の別科で、ここで採用されるかは教材の存続に大きな影響がある。国内の日本語教育機関(告示校)は、国の規制で1日4コマ、週20コマ、年間570時間(760コマ)というペース。教室は20人で教師が1人。これは語学学習の環境としては例外的に贅沢な条件で、この「教室」「教師ありき」「十分な時間」の例外的な学習者に最適化しなければならないことは自ら市場を狭めることでもある。

👉 数万人に最適化するために数百万人の潜在的な顧客を捨てているのかもしれない。

👉 しかも学生は9割以上授業に出席しないと在留資格を剥奪されてしまうかもしれない、という教師にとっては都合のいい状況。

初級の教科書で考えると、告示校では1年でCEFRのA2相当までに達して、大学などに進学するなら2年でN2合格までは行かねばならない。従って、だいたい3~6ヶ月=300時間で初級を終わらせるという時間的な制約もある。

👉 1コマ最低45分なので、760コマは570時間。

時間はあるものの、学生のほとんどは、月100時間アルバイトをしていて、教室外の勉強を期待するのは酷な状況。留学生の自己資金比率は明らかに下がっており、アルバイトの種類はより時給のいいハードなものになっていて、最近は教室の授業への影響も強くなってきている。つまり、基本教室で完結したものが求められる。

👉 アルバイトの実態の調査。私費外国人留学生生活実態調査 - JASSOより

試験対策なので学習項目は日本語能力試験の漢字の数、語彙数、などの影響を受ける。そして中級の教材はだいたい漢字は300、初級文型は大丈夫でしょ?というところから始まるので、そこはクリアしておかないといけないし、そこはN4合格のラインでもある。初級総合教科書は、長く使われることを目指すなら、この学習時間と学習項目の制約を意識せざるをえない。

旧日本語能力試験の出題基準(1994)による級と文型の対照表 一覧 (Googleスプレッドシート)

これらモロモロを満たしていれば初級「総合」教科書の仲間入り、で学校で採用されるかどうかのレースに参加できることになる。

レースで勝ち残っていくにはさらに満たさねばならない条件がある。

教材の高コスト化 1

デジタル化で教材を作る際のコストは増大している。教室で使うためには、教科書、教師用指導書、準拠の漢字の練習の本(教科書によって提出順が違うので作るしかない)が必要とされ、問題集や読解、聴解の問題集が要求される。音声はCDだけで済む時代ではなく、mp3などのダウンロードを用意する必要がある(mp3だけでいいなら楽だが現状では教室で使うならCDも作るしかない。2020年は、まだ世界の半分近くはまともにネットに接続できない)。結果、サイト運営とダウンロードの仕組み作りが必要になる。語学の音声はいつのまにか無料ということになっているが、音声の制作コストはほぼ変わらない。教師用指導者的なもの、語彙一覧、翻訳なども無料で作りダウンロードというところが増えてきた。これらの制作コストも回収できない。

顧客からは、電子書籍化もしろ、Web教材やスライドやアプリを出せと言われる(しかし市場のデジタル化が根本的に遅れているので完全にデジタルに移行することは不可能。当分の間、アナログとデジタル両輪でやらないといけない。結局コストは増えるばかり)。モロモロのコストは本冊などに上乗せするしかなくなってしまう。

👉 モニターが見づらい人は一定数おり、紙で提供していくのも、mp3だけでなくCDでの提供があることも重要。いろんな人、いろんな地域、事情があるので、過渡期はどちらもやるのが誠実なやり方で、そのことは評価されるべきだと思います。例えば読字障害の方への配慮は理解しても、デジタルアナログの話になると急に「アナログ世代はもう切り捨てろ」などと攻撃的になる人がいますが。

教材の高コスト化 2

教材は、時代の変化に応じて改訂もしなければならない、90年代に舞台が工場からオフィスとなった教科書は、就労者への日本語教育の時代を迎えて、また工場の場面が必要になるのかもしれない。ジェンダーをどう考え、教科書に反映するか、様々な文化、宗教、政治的な状況下で使われることを考えて「無難な」落としどころはあるか。家族は全員で晩ご飯を食べるのか、テーブルで食べるのか、寝るのはふとんかベッドか、モロモロを「これが日本の文化だ」と言ってもいいものか?家族や会社の関係性は80年代と同じでいいのか?中上級になっても一切恋愛やセックスは出てこないままでいいのか?来日した学生に生理用品をどう呼び、どこで買うのかは誰が教えるのか?90年代、留学生の「命綱」だった郵便局の重要性は低下した。永住前提なら選挙の場面を追加する?そして労基法は教えなくて大丈夫か?

イラストはすぐに古くなる。人の髪型、服装。箱形のテレビは液晶になったのは見た目の変化だけだが、電話が携帯になったことはイラストだけを変えればいいというわけにはいかない。待ち合わせの方法が根本的に変わってしまったのだ。そして携帯がスマホになったことでテキスティングの時代となり、コミュニケーションの方法が劇的に変わったが、これにはまだどの教科書も対応しきれていない。

出版後、10年、改訂ができないまま消えていく教科書は多い(2010年代に改訂されていない教科書は正直厳しい)。教科書はカリキュラムだけでなく、オリジナルの補助教材などあらゆるものを背負っている。すぐに無くなりそうな教科書を採用するのは躊躇するところも多い。「作家性」の高い教科書は増えたが、著者が亡くなったから開発中止になるのでは困る。。。

👉 「やっと登場」と言われた『ガラスの仮面』に携帯が現れたのは2004年、スマホは2011年。

👉 日本語の教科書は、文化、宗教、政治へのいろいろな配慮の結果、ボンヤリとした関係、状況、表現となり、就労系の学習者向けでも、工場などブルーカラーの現場を露骨に出したくないとなり、どんどんリアリティを失い、曖昧になっていく傾向がある。教科書が抽象的になっていった時、教師がリアリティを加味していく力があるかは未知数。しかし教材の出版社に例えば「イスラム圏用」「非民主主義国用(日本語学習者が多い)」を作る余裕はない。

2020年代の新たな「制約」

ここまでは過去の目安で、あくまで市場を軸にした外的な要因に自主的に合わせていくかどうか的なことであったが、2020年代は、国によるより厳しい縛りが2つできた。

そのひとつは、国際交流基金が策定する「CEFR A2≑JF日本語教育スタンダードA2」と特定技能で策定される「生活 Can-do」 。基金のものはすでに特定技能のビザ要件となっているので、就労系だけでなく国が補償する日本語のレベルの最低ラインの目安になると思われる。

国際交流基金 日本語基礎テスト https://www.jpf.go.jp/jft-basic/

もうひとつの「やさしい日本語」も2020年に国によるガイドラインができ国内の「生活日本語」の日本語の目安となることは確実で、ここに到達しないと自治体のゴミの文書も読めない、災害時もおいてけぼりということになるので、当然、これをクリアできない教科書はダメ教科書の烙印を押されてしまうことになりそう。もし教科書検定とはいかないまでも、推奨マーク的なものが生まれるなら、絶対的な基準になるはず。

在留支援のためのやさしい日本語ガイドラインに関する有識者会議 http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri15_00004.html

この2つは、どちらも国が関わることになる以上、基金ややさしい日本語関係者の意図とは関係なく、国内の日本語教育に大きな影響を与えることになる。今のところ、関係者に「制約」という受け止め方は薄いが、現実には、教科書だけでなく日本語教育全体にとって「クリアすべき最低ライン」として存在感を増していくのは確実。

どちらも生活に必要な日本語というものがベースになっている。ひとまず生活に必須でないものは公約数的に設定され、それらは後回しになるというのも新しい「制約」とも言える。

70年代から80年代にかけては、初級で学習すべきことは何かをピックアップして、それを負担が少ない順で並べ、ゆっくり積み上げていくという構成が主流だった。教科書の文は、文の構造を覚えるためのもので、その文が実用的であるかはさほど問われない。とはいえ、技術研修(日本語の基礎→みんなの日本語)も、その他の教科書も、日本に行って生活することが前提となっているので、挨拶、生活習慣、職場での表現を織り交ぜたものだった。

70年代にすでに存在していた日本語学校のほとんどは、オリジナルの教材を使っていた。今でも長沼スクールや新宿日本語学校は直接法をベースにした独自の教科書を使い続けている。民間の日本語学校の教科書の時代から市販の教科書の時代になったのは「日本語の基礎(74)」以降だと思われる。

80~90年代前半は、英語圏の学習者には、An Introduction to Modern Japaneseという定番があり、直説法の教科書では、みんなの日本語の前身の「日本語の基礎」のライバルとしてより完成度が高いという評判の国際交流基金の「日本語初歩」があった。ビジネスパーソン向けの直説法は日米会話学院が作った「日本語でビジネス会話」が定番だった。

90年代は、より会話志向になり、身近で現実的な場面設定やこなれた会話文を競うようになった。昔からある教科書も改訂の際は「コミュニュカティブ」「実用的」ということをうたい、「実践的」をかかげて改訂したり、新たに作られた教科書は多かった。

また、この時期、大学はそれまでの研究の蓄積を活かした初級総合教科書を作ったが、なかなか流通せず改訂できずに今に至るという教科書は多い。じっくりと基礎を勉強するタイプの筑波大学のSituational Functional Japaneseや、英語の説明が詳しい早稲田大学のTOTAL JAPANESEなど大学系の初級総合教材があった。ただ、大学系の教材はクオリティは高いが、出版後のサポートや改訂などに大きな課題がある。これは今も課題のまま残っている(大学教員は忙しくなり自前で教材を作るのは難しくなった感もある)。

👉 2000年以降は、初級から中級まである総合教科書を作った大学は(おそらく)立命館アジア太平洋大学があるが、2008年から12年間改訂されていない。ほかには、90年代から総合教科書を作っている東京外国語大学が2017年に初級から中級までの教科書を作ったぐらい?

この時期は、国内外で個人学習者が増え、中級以降に会話志向の教材が増えたが、そのほとんどはやはり改訂できないまま廃版となっている。データがないのでハッキリわからないが、90年代はいろんなチャレンジが次々と失敗に終わる中、「みんなの日本語」(98年までは「日本語の基礎」だった)が業界標準となっていった10年だったのではと思われる。

(20)00年代は、留学生が東アジアから東南アジアに移った10年で、このシフトチェンジの成否が学校の生死に関わるという10年だった。学校数が増え、新設校は「とりあえずみん日」で教師を集め、シラバスらしきものを作って始める、ということで、教材に対する関心が薄れた時期かもしれない。日本語学校が養成講座ビジネスに傾いていった時期でもあった。しかし、非漢字圏からの学習者が増えたことで、従来のやり方で結果が出なくなってきた。これは教科書の問題というより、20年に渡って東アジアの学習者への最適化を進めたことの反動で、営業的なシフトチェンジに教務のシフトチェンジが遅れたことが大きいのではないかと思われる。ともあれ「これまでのやり方を修正する必要がある」という空気が次第に支配的になっていった。

しかし、世界では日本語学習熱の低下がはじまった時期で、個人の学習者は減り、海外では義務教育の地理や文化学習、選択外国語に日本語が入ることで学校での(見た目の)学習者が増え学習者数は微増という状況だった。能試の最上級の合格者のピークは2009年で、以降5年以上減少が続く。つまり「本気の学習者」が集まったのはピークの少し前(2005年ごろ?)だったと思われる。

(20)10年代は、00年代の混迷を受けて、新しい試みが始まる10年になった。留学生の数は震災の翌年にV字回復し、「みん日」に変わる教科書として、2011年にCan-do的な要素を軸にした場面重視の構成の「できる日本語」が出版され、2013年には、CEFRを意識して作られた国際交流基金の「まるごと」が誕生した。

一方で、留学生向けではない人達のために、文や語の使われ方の頻度などを元に、初級で教えるものを絞った「にほんご これだけ!」が2010年に生まれ、試験志向ではない「テーマで学ぶ基礎日本語(NEJ) 」が2012年に生まれた。このころから、日本語教材は「文型を軸にしたもの→古い」「タスク、Can-doを軸にしたもの→新しい」というような対立が語られるようになり、教材の世界でCan-do、タスク、CEFR、というような言葉が飛び交うようになった。

この時期は、日本語学校の学生の過半数が東南アジアからの留学生となり、就労目的化も進み、モチベーションが低い学習者の増加が本格的に大きな課題となった。日本語学校の組織は2017年の政府へのヒアリングで「非漢字圏の学習者は漢字圏の学習者の1.5倍必要」というかなり根拠の乏しい発表をしている。従来の講義中心の授業から、教室での教師の関与を抑え、学習者自らが考え進めていくための方法が模索された。教科書はそのための「素材」という方向性も生まれた。

👉 第五回ヒアリングでの[[日本語学校ネットワークのプレゼン資料。日本語学校ネットワークは首都圏の有力校のほとんどが加盟する組織。

ただし、日本語教育文法の骨格はさほど変わらず、初級における学習項目の内容も、順番もそれほど大きく変わったわけではない。「日本語で日本語を教える」という直接法ベースであることも変わらない。教室で教師が教える前提の教科書が主流なのも、会話重視と言いつつ読み書き主体で音声の学習に割かれる時間が少ないのも1970年代からそれほど変わらない。デジタル化はなんといっても受け入れる学校が変わる必要があり、経営基盤が脆弱な民間の日本語学校での導入はまだまだ厳しい。

2020年代の課題

今は初級で、入力や変換を学ぶ課がある教科書は皆無。テキスティング(texting、テキストメッセージアプリ主体のコミュニケーション)を前提にした、入力と変換を前提とした「書く」能力重視、漢字教育の(簡略化だけではない)見直し、というのが、次のトレンドになるかもしれない。プライベートでも、仕事でもLINEやSlackなどで読み書きだけで物事が進むことが圧倒的に多くなっており、それを(日本語に限らず)語学の教材はきちんと織り込めていない。

このテキスティングをベースにコミニュケーションのあり方が変わってきたことも、語学教育は織り込めていない。コミュニケーションとは会話やスピーチやプレゼンのことで、人と繋がることである、というような発想は日本の大学でも支配的だが、現実には人間関係は薄味になり、プレゼンよりもファクトベースのペーパーという揺り戻しがあり、日常生活も仕事も、どんどん読み書き重視になりつつある。読み書きは、ネットという空間を得て、話すこと聴くことよりもリーチする人数が多く、時に多くの不特定多数に届く可能性を秘めているという強みが発揮されるようになり、改めて見直されてきているだけでなく、個人間のやり取りの基本として初級段階から必要で重要なものになってきている。「コミュニュカティブ=実践的な会話力育成」ということが過去のものになった時、軽視されてきた日本語における漢字の語彙構築への貢献も見直されるかもしれない。このコミュニケーション、コミュニカティブというものの再定義とその語学への応用は、1990年以降に生まれた世代によって作られていくことになると思われる。

また、2020年代の日本語教育は日本語の試験が始めて明確に、在留資格の取得(基金の基礎日本語テスト)や延長(主に能試)と紐づけられることになり、CEFRA2、能試N4相当が、日本語学校の存続の要件にもなった。日本語教育は、教科書や教え方のトレンドとは反対に、試験対策要素がより大きくなる可能性も高く、日本語学校も合格請け負いの予備校化する可能性もある。「コミュニケーションなんかよりビザの延長だよ」と学習者に言われた時にどうするのか?という課題を背負うことにもなりそう。

👉 いわゆるPC(political correctness)的なマイナーチェンジは、ここ数年、密かに、静かに、じわじわ進んでいる。家族構成、イラストでの性別の描き方、会社での関係の見直し、ちゃんとやっているところはやっている。この種の作業は、テキストやイラストなどを対象に、しかるべき人にチェックを頼み、差し替えに対応できるしっかりした外注先に再発注しなければならないので、やれるのは余裕があって、ちゃんとしたところだけ。2010年代に生まれた教科書の大きなハードルになりそう。90年代に生まれた教科書の多くが(20)00年代に息絶えたように、2010年代に生まれた教材が2020年代に淘汰される可能性は高い。

『バズ・ライトイヤー』「既存の人気シリーズになぜ同性愛要素を入れる必要が?」という批判に対して(斉藤博昭) https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohiroaki/20220616-00301158

「中東やアジアの14カ国では公開されないと決まった。アラブ首長国連邦(UAE)をはじめ、サウジアラビア、エジプト、インドネシア、マレーシアなどで、上映が許可されない。中国でも公開されない見通し」

文型積み上げ、コミュニカティブ、タスク、Can-do、行動中心、と、教科書のコンセプトの説明で使われる(大きめの)用語は、ここでは個別の定義や説明はしません。各社、各組織、各人、定義はバラバラで何か言い始めると大変なので。

*日本語のレベル分け [#v3174c87]

レベルの区分けは、語学は総じて、なんとなく初級、中級、上級というものを採用しているが、日本語のレベル分けは、少しずつ変化している。長く日本語能力試験の影響が大きかったが、能試自体も変わり、試験から離れることになるかと思うと、CEFRが出てきたり。しかし、2020年代は在留資格と日本語の試験が明確に紐づけられるようになり、また教科書は試験の影響を強く受けることになる可能性がある。

級で分けるのは多くの人にとってイメージしやすいだろうから説明しやすいと信じられているが、じゃあ語学において中級者とは?となると日本語教師の回答はバラバラになりそう。日本語教育におけるレベルは能力試験ばかり引き合いに出されるので、級で説明する機会のほうが少ないということもある。日本語の教材でどう「級」が定義されているのかを考えてみる。

初級

初級や中級の定義はある程度統一されていないと、教材間の互換性は保証されないし、試験も作れない、ということもあり、それぞれの段階のイメージはだいたい共有されている。初級文型は旧日本語能力試験の出題基準(1994)による級と文型の対照表 一覧 の3級までのものであり、ここから5~10%ぐらい間引く考え方もある、というところ。

「初級総合教科書」とは、一応、読み書き話し聴く、ということが偏りがないよう配慮してあり、初級の次の段階(初中級とか中級)の教材が「初級ではだいたい終えているだろう」ということをひととおり網羅している教材、という意味。日本語教育ではこの能試の基準の影響を大きく受けた初級総合教科書が初級というものを規定している側面は大きい。

初級を比較的単純な文と100くらいの漢字の「初級前半」と、受身や簡単な敬語「ごはんを食べてから、はをみがきます」というような単純な複文と200~300くらいの漢字の「初級後半」に分ける考え方もあり、ざっくり当てはめると、日本語能力試験(能試)ではN5とN4、CEFRだとA1とA2が相当する。総合教科書では、だいたい200~300時間で終えることが想定されている。

👉 現行の学習指導要領では、中学英語は420時間が割り当てられているので、学習時間で言うと中学英語の前半くらいと考えることもできる。

初中級

「初中級」というレベルが設定されることが多い。これは初級の既習事項がしっかりしていないと、中級の項目に入るのが難しいということに対する配慮から生まれたブリッジ的なもので、分類上では初中級は初級の復習的なものだが、中級の一部で中級の導入的なもの、ということになっていた。、

告示校で多く使われている「中級に行こう」は初級から中級の間という意味で初中級的な段階と言えるし、「まるごと」「できる」にはそのままズバリ初中級というものがある。しかし初中級の定義は2010代に初級総合教科書が中級も作るようになったことで多様化した。初級の復習だけでなく、初級後半の一部が含まれたり、中級要素が濃いこともある。このWikiでは原則として初中級は中級に属するとしたが、初級後半要素が濃い「できる」の初中級は初級に含め、初級の復習的な要素の「まるごと」の初中級は、中級以降に置いた。

後述するが、国は、就労系の人には中級以降は不要(少なくとも中級後半は不要)と考えているフシがあり、初中級を初級の復習から中級前半まで拡張して教材を作り「これで日本語学習修了!」→N3で力試し。という教材が作られる可能性がある。そういう意味では今後初中級の定義は変わる可能性がある。

👉 「初級の学び直し的な部分」は初中級が請け負うという考え方もある。これはどちらかというと初級の復習に主眼をおいた考え。初級を学校でたっぷり時間を使って学べた人は幸運であって、そうではない人は多い。

中級

21世紀に入り、初級の定義の見直しは盛んだが、それは初級の軸が比較的安定しているからであって、中級は最初から「中級とはこういうものだ」という共通理解は薄い。日本語教育に限らず、語学では、中級というのは、それぞれのゴールに向けて分かれていく段階と(建て前上は)なっているけども、日本語の教材業界は、最も大きなマーケットである留学生がいる日本国内の日本語学校に最適化されてきたので、初級から上級に至るまでの通過点という位置づけで、現実には、依然として読み重視、さらに上のレベル(N2が一応のゴールとなっている)のための知識(文、句、語彙、漢字)準備的なこと重視。そして試験対策、ということになっている。

日本国内の日本語学校は、基本的に大学や専門学校への進学予備校的な色が濃いので、日本語能力試験(マークシートで読解と音声を流す聴解の試験だけ)や留学生試験(日本語に記述試験が加わり、理系には数学などもある。留学生用センター試験のようなもの)」の対策が中級から徐々に始まる。2020年代は、就職でも介護でも、日本語の試験の合格がいろんな段階でビザ延長の指標になるので、これまた試験対策になりそう。

漢字は日本語の教材を縛る大きな要素のひとつ。初級の教科書では、だいたい300くらいを学習することになっている。これで日本語能力試験のN4はカバーできる。教科書が「日本語能力試験対応」をうたうためにはカバーしなければならないということになっている。漢字は300くらい覚えると漢字学習が楽になり学習効率も加速する。500を越えると漢字学習の枠を越えて、語彙の構築の武器となったり、日本語の総合力の獲得のために欠かせないものになっていくという要素があり、漢字力が中級以降のステップアップの中で果たす役割は大きい。日本語の場合、中級の教科書からはほぼ日本語だけになり(ローマ字は消える)、漢字は少なくとも300くらいは学んでいる前提でふりがなもふられていないことが多いので、初級を語学学校などでしっかりやれなかった学習者は、中級の教材選びが難しくなる。

👉 中級は、告示校では試験対策に流れていくということもあり、日本語教育では中級以降、何をやるのかということはあまり考えられてこなかった側面はあるかもしれない。

👉 介護の教材は、だいたい中級あたりから始めるものが多いが、ふりがながふられている教科書が目立つ。

中上級~上級

中級は幅が広いので中級と中上級と分けられることもある。日本語能力試験でいうと、N2の合格が中級をクリアしたという目安となっていて、漢字は1000+くらいが想定されている。N2は、国内外の企業などで「日本語のコミュニケーションにそれほど困らないレベル」として採用条件になっていることが多く、民間の日本語学校では2年の在留期間でN2まで行くのがとりあえずのゴール(理想はN1だが…)と設定されていることが多い。

上級の定義は難しい。N1は、常用漢字の2000強すべてで、大検レベルの日本語力が想定されていて、日本語能力試験のN1合格程度。いろんな言語で上級者のラインとしてよく使われる「新聞を読む」のはほぼ無理。能試は話す能力は保証しないので「ペラペラ」でもない。つまりN1は「上級者となる資格を持つ」というレベルだとされていて、N1=上級者ではないと考えるのが妥当だと思われる。

しかし語学学校としての日本語学校におけるひとまずのゴールはN1あたりまでとなっている。大学に入り、在学中にN1は取得、3年、4年では、その先までやるということになっており、海外の大学でも、4年間で上級レベルまで到達する。大学院まで進む人はN1取得。イタリアの大学では古典までやるところもある。

このN1に合格してさらにブラッシュアップを続けている人達を「超級」と呼ぶこともある。超級となるともう教材は大学で使われるものがいくつかあるだけになる。超級の人はしばしば「超級向けの教材が少ない」ということを言う。中級が試験対策なら「上級は生教材でいいでしょ」とサボってきたという側面はあるかもしれない。また、学習者数がそれほど多くない言語で、それほど売れない中級以上の教材は作りにくい事情があるのは確か。

中級以降を学ぶ意義

2020年代は30万人だった留学生はおそらく特定技能の登場で就労と留学が仕分けされ減少は免れない情勢。かわりに就労系の人達があと10年で倍近くの50~70万人になるのではないかと予想されている。今のところ…

  • 就労系の人達には、介護系の200時間の学習時間の義務化を除けば、日本語の学習時間は保証されていない。
  • 介護も資格を細分化し日本語能力が高くなくても働ける道を模索している模様。
  • 特定技能の試験の来日要件の合格ラインはCEFRのA2と官邸と国際交流基金が決定。
  • 留学系では告示校に課されたハードルは能試のN4(=CEFRのA2)まで。
  • 専門学校はN3が怪しくても進学&卒業できるような学校が増えている。
  • 留学して1年でN4ぐらいまで行けば(スポンサー企業や提携先の企業に)就職&卒業という日本語学校も増えている。

国は、日本に来る外国人に対しては就労、留学問わず、CEFRのA2までのハードルを設けることによって、日本語学習サポートの義務は果たしたと考えたい意向が透けて見える。これは「日本語教育の推進に関する法律」ができ、国などにサポート義務が生じたことの負の側面とも言える。

つまり制度上は、ほとんどの来日外国人にとって、中級以降は日本語で働くためには「不要な」「無駄な」学習だと線引きをされつつあると言える。今後、初級には教材やeLearning など、人材派遣系や医療系などの新規参入組みによる新たな投資が集中する可能性は高いが、中級以降は厳しくなる可能性がある。2010年に中級の教材に参入は増えたが2020年の10年を持ちこたえることができるかは未知数。

級以外の分け方

日本語の教材は、今のところ、この初級や上級などの「級」による区分けが主流。級をベースに、能試だと、このくらいという目安が示され、最近は、CEFRの対照表だと、このくらい、と書く教科書が増えてきた。日本の出版社は、国内の日本語学校の意向の影響下にあるので、特に中級以降は、進学志向、試験対策の色合いが濃くなり、上級の教科書は大学で使うことが前提なので、プレゼン、論文の読み書き、というニュアンスが濃くなっていく。全体的にみると、日常会話的なものが落ちがち。

詳しくは日本語能力試験を参照してください。

長く、4~1級の4段階だったが、2010年からN5~N1の5段階になった。これは長く「3級と2級の間が空きすぎでは?」「初級を十分理解した、初級中を終えたくらいの確認的なものとしては3級は弱いのでは?」という議論があったようで、ざっくりと言えば「3級より難しく2級よりやさしいもの」としてN3を作った、というところだった模様。以降、能試は国際交流基金が主催ということもあり、JF日本語教育スタンダードとの整合性を説明するため、CEFR対応だとかCan-doリストを作ったりと迷走し、あれもこれも織り込んでますと継ぎ足していくことになる。読解と聴解メインのマークシートの試験なのに。。。

教材との関係でいうと、少なくとも、2010年代までは国内の出版社が作る日本語の教科書は、ほぼ、能試の枠組みの影響下にあった。すべての教材は、N5からN1までのレベルで分けられ、区別される。2018年ごろまでは国も能試の枠組みで議論されていた。介護の技能実習生などでは「能試相当」とされる試験の認定作業を進めていた。例えば、J-TESTは、A Dレベルと、EFレベルの二種類の試験で、点数でA Fを認定するというやり方だった。A DレベルがN1-N3、EFレベルがN4,5とのこと。NAT-TESTは、能試と同じ5段階だから、そのまま、という形だった。

しかし、特定技能の試験にCEFRを下敷きにした国際交流基金の新しい国際交流基金日本語基礎テスト(CEFRのA2相当) が採用されたころから、大きく国の方針が変わり、民間の日本語教育機関の質判定では、突然、「CEFRのA2相当」が目安とされた。官邸と関係が深いと言われる外務省=国際交流基金は、国内外で日本語教育をCEFRで牽引していく考えがある模様。これまではあくまで能試が軸でその他の試験は能試のレベルに「相当するかどうか」だったが、そのパワーバランスは変わる可能性が高い。

日本語学校から専門学校や大学に進学する人達にとっては、CEFRよりも能試のほうが関わりが深いことには変わりはないが、この進学する人達の絶対数は減ることは確実で、業界全体としては、就労系=CEFRに引っ張られることになりそう。

👉 2017年の介護ビザのビザ延長の基準がN4になり、日本語学校の抹消基準が CEFR A2=N4となったのは、N3という「基礎的な学習が終わり、十分に理解されている」「日常的な場面で使われる日本語をある程度することができる」というレベルの設定が失敗、あるいは日本語教育関係者の政治的敗北を意味するのかもしれない。本来ならどちらもN3が目安になるべきだったのでは?

「シーイーエフアール」あるいは「セファール」と読むこともあるようです。日本語教育の世界では、2010年代に、教科書の説明でよく出てくるようになりましたが、公表されたのは2001年で、策定の議論は1990年から始まっている。国内の英会話学校でも90年代に参考にするところが現れ、日本国内の英語教育の世界ではいろんな議論が積み重ねられている。

詳しくは(ネットになかなかいい説明はありませんが)ググってください。https://www.coe.int/en/web/language-policy/home本家のサイト(英語)(Council of Europe Language Policy Portal)で翻訳しながら読むとか 文科省の説明Cambridge Centreのものなどがあります。

CEFRとは欧州の語学学習の基準で、対象となる言語は英語に限らない。A1<A2<B1<B2<C1<C2 という6段階で、Aは初級、Bは中級、Cは上級というところです。就職などでは、B2ぐらいが採用基準だそうです。能試でいうと、N2ですが、N2のほうが要求される学習時間は多いと思います。語学教育に関して国際的な説明責任がやりやすい、ということもあってか、ここ10年以上、政府の文教政策のお気に入りで、英語だけでなく日本語もCEFRでやろうという流れになってきている。しかし、2018年の本家の改訂では、Pre-A1, A1, A2, A2+, B1, B1+, B2, B2+, C1, C2, Above C2 と11段階に細分化されている。

ただ、CEFRはあくまで欧州の基準で、「参照」するとしても、日本語教育に最適化(文脈化)する重要な作業があるが、まだあまり議論されておらず、国際交流基金のJF日本語教育スタンダードが、それであるというコンセンサスは、おそらく業界にも学会にもない。これから議論されていくのか、あるいは政治的な力学でなし崩し的にJF日本語教育スタンダードを追認するような形になるのかは未知数。2018年の改訂で、6段階の指標も、レベルの記述も変わったりしており、改訂版を踏まえての日本語教育での世界の議論も当然まだ無い。

日本語の教材は、出版社独自の基準で「CEFR-A2相当」などと書いているものが増えましたが、そもそもCEFRに準拠した試験はまだ国際交流基金日本語基礎テスト(CEFRのA2相当)くらいしかなく、中級、上級を判定する目安はありません。基金の教科書(「まるごと」)もB1(中級)までで終了。

👉 国際交流基金の「まるごと」は中級(B1)までで開発終了とのことなので、基礎テストの上にできるとしても、B1までになりそうです。他にCEFR準拠をうたう試験はありますが、受験者数が少なく情報公開もほぼないので何とも…。

2017年、介護の技能実習生のビザの要件は、来日がN4相当、来日1年目にN3相当でないとビザ延長なしとなった(後にすぐ緩和されたが)。この「相当」は、能試の代わりに、民間の試験であるJ-test か NAT-TESTでもいい、という意味です。能試は年2回なので、年6回のテストを入れることでほぼ毎月試験が受けられますので、日程上そうなった、ということである模様。

また、日本語学校の告示でもCEFR のA2相当の試験に7割以上合格することという縛りができました。この「相当」でも、能力試験以外の採用がある。

日本語の試験は、いくつかあるが能試の存在感があまりに大きく、規模は比較にならない。データも公開されていないので、評価も難しい。中ではJ-test か NAT-TESTは有力とされているが、元々能試の模擬試験的なものとされていて、どちらの主催も民間の出版社で、対応する問題集などを出したり、コンサルティングに関わったりしているとのことで、在留資格や日本語学校の抹消に関わる試験の主催者として適格性があるのかは議論があるところ。また、どちらのテストも、これまでは能力試験の模擬試験的な存在で、今のところは、試験の開発力は弱く、受験者数も少ない。データもあまり公開されていない、出版社のサイトはかなり古く、デジタル対応にも不安が残る、と正直、心配な要素は多い。

それぞれの試験の概要だけ。

J-TEST実用日本語検定

http://j-test.jp/ 主催は、民間の株式会社語文研究社。 2009年スタート。

テストの作問が誰なのか、どういう考えにもとづいて作られているか、などは公開されていない。読解聴解のみの能試のプレテスト的な位置づけで受験者数は毎回1万人程度?

試験は年6回、奇数月。受験料は4300円。 A-Dレベル 年6回(1月、3月、5月、7月、9月、11月) E-Fレベル 年6回(1月、3月、5月、7月、9月、11月) ビジネスJ.TEST 年3回(3月、7月、11月)

受験場所は日本、中国、台湾、タイ、モンゴル、韓国、ベトナム、バングラデシュ、アジアに偏っている。主催者は出版社なので、教科書も専用の対策問題集も出している。公開試験の他に、会社や学校などで団体申し込みをして、好きな期間にやれる随時試験というのがあるとのこと。

NAT-TEST

http://www.nat-test.com/ 2014年から行われており、受験料は5000円。主催は専門教育出版。

形式はJ-TESTと同じく能試のプレテスト的なもの。Nihongo Achievement Test(日本語学力テスト)とのこと。年6回、偶数月に行われ、毎回受験者数は1万人程度。会場は、日本、中国、ベトナム、ネパール、ミャンマー、インドネシア、スリランカ、モンゴル、カンボジア、バングラデシュ、フィリピン、インドとアジアだけ。FAQでは、日本語能力試験と同じ出題基準だと書いてあるが、具体的には不明。自社の教材で勉強しろという回答もあった。

👉 パンフには「【日本語 NAT-TEST からのお願い】. 日本語 NAT-TEST は不正を絶対に許しません。もし、あなたが不正を行っている人を見たり、噂を聞いたりしたら、 専門教育出版に連絡してください。匿名でも構いません。」という一文が。不正管理はあまりやっていない様子。

👉 専門教育出版は次の「マーケットシェア」のところで使った日本語学校全調査を刊行しているところ、その他、90年代から日本語教材を作り日本語学校のコンサルティングもやっている。代表者は昔、JaLSAの役員をしていた

世界市場で考えてみても、総合教科書で特に直接法ベースのものは日本の出版社がほぼ独占している。英語圏の出版社からもいくつか出ているがサバイバル的なものか文法の解説書などが中心。個人向けの教科書はかつては「げんき(Japan Times出版)」が圧倒的シェア。中国語、フランス語、ドイツ語圏ではそれぞれの言語での説明ありの初級の定番的な教科書がある。日本国内の初級の総合教科書は教室で使われることを前提にしたものがほとんどで、学習者に買われるかではなく、国内の日本語学校が「採用する」かどうかでシェアが決まる。

日本語の教材を出している出版社のサイトは90年代から現在に至るまで多言語化はされず、設計は素人(か安い外注)、学習者向けの情報はほぼ皆無。海外のアマゾンに展開しているところは少なく(海外のほうが顧客は多いのに…)、あっても在庫切れ。電子書籍化もほぼされていない。

一般的に、書籍がどのくらい売れるのかはデータ開示義務がないようで、まったくわからない。以下は、ちょこちょこ出ている記事などを元にした「推測」ということで読んでください。

データは国内は2018年の「日本語学校全調査」が元になっている。新規参入組みとも言える「できる日本語」が2011年、「まるごと」が2013年、その他のNEJや「これだけ」なども2010年代初頭発売なので、すべての教科書はすでに発売して5年以上経過している。海外事情はなかなか分かりにくいが、2000年以降のネットの記事などを元に部数を考えたもの。

「日本語学校全調査」(政府刊行物)は日本国内の稼働している告示校の基礎データが掲載されており、使用教材という項目がある。掲載は告示校のうち稼働している実数と考えられる492校、このうち9割以上の学校が教材に関する質問に回答しているので、だいたいのシェアを知ることができる。

初級教科書

  1. みんなの日本語:338(74.1%)
  2. できる日本語:31(6.7%)
  3. 大地:18(3.9%)
  4. オリジナル教科書:17(3.7%)
  5. 文化初級:15(3.2%)
  6. 学ぼう!日本語:10(2.1%)
  7. まるごと:3(0.6%)
  8. はじめよう日本語:3
  9. 語学留学生のための日本語:3
  10. げんき:2(0.4%)
  11. つなぐ日本語:2
  12. 進学する人のための日本語初級:2
  13. 新実用日本語:2
  14. 回答1が初級日本語、日本語コミュニケーション、ジェイブリッジ、日本語90日、日本語初歩、ニューシステムによる日本語、NIHONGO Express、新いつでもどこでも日本語、コミュニケーション日本語、たのしく学ぶ日本語、

でした。全回答数は456校。回答率は92.6%。

日本語学校では初級は分冊の場合はすべて、問題集など準拠教材もセットで購入することになるので、3万人の新入生がいるとすると、「みんなの日本語」は、22200人が関連本(1と2で倍+問題集など準拠教材が5冊として合計7冊)などセットで買うとなると延べで15万部くらいは売れていそうです。その他の初級教科書は「できる」でも5000部以下、その他は1000部行くかどうかでしょうか。

その他、告示校以外のボランティア教室などでも「みん日」のシェアは高い。地方自治体のボランティア教師の教師向け研修はほとんど「みん日」で行われている。ただ、ここは本来「みん日」よりも生活日本語的な教材であるべきところなので、今後シェアは「いろどり」や「にほんごこれだけ! 」に変わっていく可能性はある。

👉 「にほんごこれだけ! 」は2016年に全国のボランティア教室を回っており、2019年からは国際交流基金は特定技能の国際交流基金日本語基礎テストを軸に国内の生活日本語に参入した。

中級以降の教科書

上と同様に「日本語学校全調査」でカウントしたもの。中級は複数の教科書を併用するケースも多いのでシェアではなく利用されている数のカウントです。また、「中級へ行こう」と「中級を学ぼう」はセットで使われていることが多いので、ひとつにしました。中級は回答も少なく省略されていることも多いのでデータとしてはちょっと弱いという印象ですが、これも9割以上は取得できたので、誤差はそれほどでもないと思います。

  1. テーマ別中級から学ぶ日本語:128(28.9%)
  2. 中級へ行こう&中級を学ぼう:119(26.9%)
  3. ニューアプローチ:51(11.5%)
  4. 学ぼう!にほんご中級(含む初中級):36(8.1%)
  5. できる日本語中級:28(6.3%)
  6. みんなの日本語中級:27(6.1%)
  7. 文化中級日本語:16(3.6%)
  8. オリジナル教材:10(2.2%)
  9. 中級からの日本語:3(0.6%)
  10. 新実用日本語中級:3
  11. J301、J501:3
  12. 2(0.4%)どんなときどう使う日本語、中級の日本語、進学する人のための日本語中級、中級日本語、中級までに学ぶ日本語
  13. 1(0.2%)トピックによる日本語総合演習、An Introduction to advanced Japanese、J-BRIDGE、日本語中級18週、新日本語の中級、わかって使える日本語、まるごと中級、「大学生」になるための日本語、

中級も456校ですが、回答がないものも多く、重複もあるのでこれは初級と違って442校ではなく442件カウントしたという意味です。

初級でオリジナル教科書を使っているところも中級になると市販の教材を使うところが増えてきます。テーマ別もしくはニューアプローチと中級を学ぼうを組み合わせているところが多く「できる」や「みん日」の中級を使っているところは、併用は少なめ。中級からは教科書は使わず、能試の問題集などをやるところも数十校ありました。初級は「みん日」の学校は、中級から「テーマ別」となるケースは多いですが、「学ぼう!にほんご」の初中級、中級、上級へとスライドする学校もあります。

2008年は「テーマ別」「ニューアプローチ」「文化中級」で8割ぐらいのシェアでした。「みん日」は6%と少ないようですが、「行こう」「学ぼう」が27%で、結果としてこの10年でスリーエーの教材が中級でもシェアを伸ばしたという形になっている。

👉 スリーエーの一人勝ちだが、長年ぶれずに(バブルを経ても株式投資をしたり、出版不況で自己啓発本で当てようみたいなことはせず)日本語教育を柱に、初級や中級、介護などでも(それほど部数は期待できないところでも)次々と新しい、質の高い教材を作り続けていることは高く評価すべきという気がする。スリーエーがなかったら作られない教材は多い。

上級

上級はカウントはしていません。ざっとみた印象では、上級からは、教科書を使う学校のほとんどは「テーマ別上級で学ぶ日本語」ですが、半数ほどは総合教科書的なものは使わずに、試験対策と生教材となるようです。TRY!シリーズを使うところが目立ちました。

👉 日本語学校全調査は10年くらい前まで遡ってアマゾンで買えます。図書館でも時々みかけます。教材の他に文科省で公開されてないものでは選考基準などがあります。上の写真に写ってるタブレットの画面はカウンターアプリ(Thing Counter)です。

👉 きちんと回答する学校がだいたい450校前後であるのは、告示校のうち、稼働しているのは450校前後(文科省に毎年データの届け出をしているのは400校強)であるということを意味するのではないかと思われる。250校以上は休眠中?

2008年との比較

2008年版も所有しているので、ざっと比較してみると、初級は「できる日本語」が少し増えた程度。中級は変化が比較的大きく、「テーマ別」「ニューアプローチ」は依然強いが、10年前のランキングに2016年発売の「中級へ行こう」「中級を学ぼう」が大きく食い込んできているという形です。ただ、これは古くからあるスリーエーの中級教材だった「わかって使える」や「日本語中級J301(改訂版が2016年に出た)」などからの移行の可能性が高そうです。また、「学ぼう!にほんご中級(2009)」「できる日本語中級」と「みん日中級」が食い込んできたという形になっているようです。

しかし、20年近く改訂していない、ネットのサポートも音声ファイルのダウンロードもまったくないような教科書も使われ続けている。

日本を含めた世界シェアについて考えてみます。日本国内は学校でのセット購入が多いと思われます。日本語学校全調査のランキングは分冊でも「1」としてカウントしたもので、部数の話では分冊は「2」でかつ、関連本も入れています。海外は個人での購入も多いのでシェアよりも部数で考えるしかなさそうです。ただ、教室授業前提の教科書は日本国内の同じく教育機関によって「採用される」ということだと思います。

まず、「まるごと」は独立行政法人が作っているので、関係している教室で使われる。会計報告があり、販売開始7年で10万部という報告もあり、年1万部前後は売れている可能性がある。ただしこれは初級だけで6冊あり、その売り上げ合計の部数なので、シェア的にはそれほど強くないということになる。「採用」されれば一人あたり6冊、中級までやるなら9冊は買うことになるので。一万部は学習者数でいうと1100人くらいということになります。

「みん日」は国内のシェアは上で述べたように高く、告示校で15万部、+αで、トータル15~20万部くらいは売れていそうです。海外では、英語圏と中国語圏、仏独西などでは、オリジナルの初級教科書を使うケースが多く、シェアは落ちると思われますが、その他の地域、特に東南アジアのシェアは高いと思います。この記事によるとインドネシア(義務教育中心で違法コピーは比較的少ないのではと思われる国)では2003年から正式ライセンス版が出ていて毎年約5000部出ていて、2014年の時点でⅠだけで累計5万部とのこと。インドネシアの日本語学習者はこの報道当時(2014年)で80万人くらい。80万人で5000部というのはかなり少ないなという印象です。世界の機関学習者数350万人のうちアジアは300万人以上、としてもアジアトータルで年間2万部弱くらいでしょうか?となると、中国とアジア以外の地域を足しても、正規版の部数は、海外ではトータルでも年間数万部というところかもしれません。みん日の年間の部数は、国内の15~20万部プラス海外数万部かな?というところです。

👉 残念ながら、アジアでは昔からみん日の違法コピーは出回っているようです。

英語圏の教科書はどうでしょうか?

かつて、Japanese for busy people(JBP)は、英語圏で20年以上ベストセラートップを維持していた2000年初頭「200万人の学習者に愛されている」と宣伝していましたので累計200万部として年間約10万部です。日本語学習者が最も多い時期(90~2000初頭)にシェアトップだったにしては少ない印象です。今のシェアトップのげんきも10万部くらいという可能性はありますが、長年独習用教科書として唯一の選択肢だったJBPとは違い、独仏西などで初級の教科書が作られたこともあるので、半分いくかどうかかもしれません。

中国のシェアは独特です。

日本語学習者数トップの中国では「中日交流標準日本語」のシェアが高く凡人社のサイトによると「1988年に出版され、発行部数は700万部、日本語を独習する中国人の8割以上に愛用され、読者は1000万人を突破しています。」のことなので、単純に700万を32年で割ると約年22万部くらいでしょうか。

👉 ただ、この「独習する」というのがポイントで、教室では「みん日」のシェアが高いことも読み取れます。独習者と教室の中国国内の全学習者で考えると、みん日もそれなりに売れている可能性はありますが、学習者数がそれほど変わらないいインドネシアが年5000部なので、多くても数万部かもしれません。

と断片的な数字ばかりですが、ざっくり言うと、1年間で世界で売れる日本語の初級総合教科書は、多分、60~70万部くらいだとして、そのうち30万部くらいが「みん日」。22万部が「中日交流標準日本語」、次がおそらく「げんき」で5万部くらい? 次いで「まるごと」で、多くても1万部くらい。韓国や仏独などのローカル教科書や大地などが、それぞれ1000部台に乗るかどうかというところかもしれません。

👉 ちなみに、一般論として、語学で売れるのは圧倒的に初級で、初級でも2分冊だと1が7割くらいと言われてます。2まで進む人はドンと減る(ただ国内の日本語学校は最初に分冊でもセットで購入するようになっている)。中級以降は、売れるのは国内の日本語学校がほとんどで10万部くらい? その他の地域では、中級以降はすべて合わせても10万部いかないんじゃないでしょうか。出版社に入ってくる本の利益は相場の価格で6割くらいと言われています。

👉 「みん日」はアジアや南米その他でも、もうちょっと使われている可能性はあります。

以下は2017年の文科省の調査を元にしたリストで

  1. 定員300人以上で
  2. 能試のN1、N2合格率がトップ100以内
  3. 大学進学率が100位以内

を満たす30校の学校のリストに、初級の使用教科書の情報を追加したものです。

トップ30校

上の全体シェアと比較するとみんなの日本語の比率は50%と低く、かといって他の教科書の比率が高いわけでもなく、オリジナル教材の使用率がグンと上がるのが特徴でしょうか。教材が作れるほどの学校独自のメソッドがあるところは、質の高さを維持できるという傾向があると言えそうです。

👉 90年代、あるいはそれ以前から続いている学校が多いですが、歴史が長くても、かなり順位が低い学校もあるので、全体リストもしっかりみておきましょう。

『いろどり』の開発元の国際交流基金には、特定技能の予算が流れており、今後も特定技能に関わる国の言語に関してはサポートが続くと思われる。

外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(改訂)関連 令和2年度当初予算等について(単位:千円)によると関連の記述は以下のとおり。

テストの開発、実施、教材(いろどりのことではないかと思われる)、現地の教師育成なども含まれるがほぼ、特定技能の試験と『いろどり』のことがメインと思われます。

単位は千なので、合計、6億3254万1000円とのこと。定期的に開催されるので今後も億単位の予算が投入されつづけることになりそう。

多言語化と開発と普及にこれだけの予算が投じられる中、無料で教材と音声ファイルを配布できるところと勝負をする出版社は出てこないと思われるので、就労系の初級総合教科書のシェアは『いろどり』が取ることになりそう。これは70年代に当時の経産省の予算で『日本語の基礎』が作られた経緯と似ており(にほんごの基礎は、70年代に、開発は経産省系の団体だったスリーエー、普及は経産省の元職員が作った凡人社が担当することになった)就労系の日本語教育が目的であることも同じ。違うのは省庁と教科書のシラバスぐらいで、ほぼ同じ構図。日本語の教科書のシェアは国の予算次第で決まる構造は変わっていないと言えそう。

2010年代後半には著作権の非親告罪化が進み、日本語学校の国の審査の厳格化もあり、教材をコピーして使うリスクが飛躍的に高まったことも大きく影響しそう。『いろどり』周辺で揃えればそういう問題も起きず、教材費のコストの分、授業料値下げなど競争圧力への対応に回せるということも重要。日本語学校の就労系への方向転換も進み(留学の受け皿としては萎んでいくことは確実なので)、就労系のところと日本語学校を中心に、国内では『いろどり』を中心に進みそう。また予讃が少ない地方自治体などでも、初級のワンセットが6万以上もする「みん日」の負担は大きく、ほぼ無償のいろどりへの移行は進みそう。

国際交流基金にとっても、有利な立場で教科書市場でシェアを伸ばすことができ、かつ、就労系の教材のシェアがあがれば、国内日本語教育での存在感も増し、独立行政法人としての拡大も望めるので、海外の学習者開拓が行き詰まる中、『いろどり』は組織の生き残りにとっても重要なものとなっていると思われる。

👉 しかし、逆に『いろどり』が就労系でシェアを取れなければ、組織の存在そのものが再び問われることにもなりそう。特定技能という制度との運命共同体でもあるので、特定技能という制度が拡大することも大前提となっている。

👉 オンライン教材など、基金が苦戦しているところで、旧来の出版系以外から新たな教材が生まれる可能性もあり、安泰かどうかは未知数ですが、従来の国内日本語教育関係の出版社は、この就労系への移行と共に萎んでいくことは確実。

教材研究の論文はCi Niiなどで「日本語 教材 **」などで検索するといくつかヒットします。日本語教育初級文法シラバスの起源を追う : 日本語の初級教材はなぜこんなに重いのか?というものもあります。

90年代はじめにあった日本語教材概説は、教材を丁寧に紹介した本でしたが、現在絶版です。2019年に日本語を教えるための教材研究入門という本が出版されました。

ブログやSNSなどでは、個別の教科書に対して時々「使いやすい」「使いにくい」というような感想はあるようですが、まとまった批評サイトなどはありません。Tofuguという日本や日本語に関する有名サイトでは英語圏の教材が中心ですが、詳しい評価と解説があります。

Amazonの評価はあてになるのか?

電化製品などのようにインチキレビューが多数投稿される、みたいなことは起きていないようですが、この種のレビューは実名やネット上のアカウントと紐ついているような半匿名の人は、低い評価はつけにくいので絶賛になりがち。匿名でも理由なく低い評価をつけることが問題という空気があるので、☆の数は盛られがちです。読んでもないのに☆1つ、みたいなことも起きます。きちんとした評価が現れるということではなさそうです。

部数=評価ではありませんが、教科書はある程度の継続性が保証されないと使いにくいので、売れていることはその保証にはなります。しかし、日本語の教材は、ほとんど教師ありき、教室ありきのものが多く、個人がアマゾンで買うということは少ないので、どうしても個人購入のケースは少なく、レビューがつきにくいという点があります。独習可能な教材のほうが売れるし、レビューがつきやすいので、例えば「げんき」は有利という側面はある。

Amazonの検索順位は?

Amazonで「日本語 教科書 初級」などで検索して上位にくるほうが当然有利になります。これはGoogleの検索順位のように、いろんな要素で決まり、その基準は少しづつ変わっているようです。キーワードと書名や登録者によって事前に登録されたワードや紹介文との一致はもちろんあるようですが、その他の要素としては、今のところは…

  • 売れた部数
  • ついたレビューの数

が最も影響するようです。

  • レビューの評価
  • 閲覧数
  • 登録日

も多少影響がありそう。また、外からの参照(SNSやブログで引用されたとか、話題にされたみたいなこと)は閲覧数に影響はしますがそれほどでもなさそうです。Amazon内での人気重視という印象です。今のところは。

ただし、アマゾンのカテゴライズは雑ですし、Googleのように特定のキーワードに広告料を払って検索結果の上位に表示してもらうプログラムもあります(一応「広告」と表示されます)から、検索結果はそれほど大きな意味はないと考えていいと思います。

2020年6月、「日本語 教科書 初級」で検索すると、アマゾンのプロモーションに広告料を払っている三修社の「まるごと」がトップ表示ですが、トップ10にはみん日、げんき、が出てくるだけで、他の言語の教材も混じってます。相変わらずアマゾンの検索はポンコツです。

ブロガーやユーチューバーなどネットの評価は?

ブロガーやユーチューバーは褒めてナンボというところがあるのはご存じのとおり。SNSでも定期的に教科書の話題はでますが、特定の教材の話がほとんど。海外のアマゾンのレビューやRedditなどで検索して学習者の感想を探したほうがいいかも知れません。学習者の評価が常に正しいとは限りませんが。

日本語の教科書は、国内のリアル書店でひととおり揃っているのは、麹町の凡人社、神保町のそうがく社ぐらいです。(ただ両者のネット上のストアは残念ながら、どちらも一見さんお断り、関係者が知ってる教科書を追加注文するためにある、という印象)。学校などは、まとまった数を定期的に購入すると1~2割引きで買えるといわれています。

日本に長く住んでいない人はあまりイメージできないかもしれませんが、今、日本の地方の大都市ではジュンク堂や紀伊國屋などの書店も撤退しつつあります。そういう書店でも日本語の教材コーナーは多いところで棚1m×4段くらい。このページで紹介した教科書が全部揃うことはありません。その他の地方ではリアル書店はツタヤ(「ほぼ無い」と言ってもいい)かモールの書店ぐらいです。棚は1m×2段あればいいほう。1段が日本語能力試験と日本語教育能力検定試験(日本語教師になるための試験)。「みん日」関係が1段の半分。残りを他の教科書と漢字、で終わりです。

というわけで個人で日本語の教材を買うのは、実質的にはアマゾンの一択かなと思います。書店が減る中、出版物のサイト上の本の紹介はかなり重要になってきているのですが、日本語関連の教材を作る主要な出版社は、アマゾンの紹介以上の記述はなく、サンプルを作らずアマゾンのなか見検索にも未対応なことが多いので、もう地方では、中身を見ることすらできません。(教材の中身を見ずに買うのはギャンブルすぎます。どうすればいいんでしょう?)

また、残念なことに、日本語の教材の出版社は基本的にアマゾンに商品を置くことに対して積極的ではありません。在庫無しが多く、古い版と新しい版が混在していて探しにくい。海外のアマゾンでは、超メジャーな教科書がかろうじて置いてあるだけです。在庫切れも多い。当然ながら、学習者のほとんどは海外にいるのですが。。。結果、凡人社などから送料を+して取り寄せることになります。

これが結構重要なことで、国内外で、政府系の組織に教材などの打診があったりして決まることも多いようです。国内関係はAJALT(文科省、文化庁関連)が難民や技能実習生を請け負い、最近でも技能研修生向け教材を作ったりしています。海外は、子供用ならAJALTの Japanese for young people、どこを経由してどこに打診があるかによって、AOTS(経産省)系の「みんなの日本語」、か、国際交流基金(外務省)の「まるごと」、というカンジです。

民間の日本語学校では、ほぼ「みんなの日本語」です。教師用指導書もよく出来ていて、90年代以降、養成講座もこの教科書で授業をする前提でやっているようなところもあり、事実上のデファクトスタンダード。非常勤講師が7割程度で教師の出入りも激しい学校側としても、違う教科書を使うとかオリジナルの教科書を開発して使うより都合がいい、ということがあるようです。

つまり、日本語の教材(特に教室で使う初級の教科書)のほとんどは、政府の関係機関が作ったものを、法人や政府機関、民間の日本語学校のグループが「採用している」というカンジです。これは多分、ここ30年くらい同じです。

個人が買うのではないということは、サポートサイトの作り方や置く店舗だけでなく教科書の内容にも影響します。

日本語教材、本編までの長い道のり

👉 「みんなの日本語」初版、(まったくの初級者用の教科書)の冒頭の「あいさつ」の一部

日本語の教科書、特に初級教科書は、本編がはじまるまで10数ページも前書き的なものが続きます。上のように「演説」もたいていあります。かなりの部分は教師や日本語教育関係者向け。学習者向けの説明もありますが、ほとんどは学習者が読めない日本語で書いてあったりします。

今手元にある「みんなの日本語」(初版)は最初、合計18P、アレコレとあってから本文。「JBP(Japanese for busy people)」は、あいさつや紹介が合計11P。「BASIC KANJI BOOK」は、教師向け説明8P含む合計18P。「まるごと 日本のことばと文化」は、英語が苦手な人は最初の合計18Pは読めません。「できる日本語」も最初の12pは学習者は読めません。2020年に出た国際交流基金の「いろどり」も、初級の1は、最初の29ページが「演説」「使い方の説明(初級ではほぼ読めないふりがな日本語と英語)」。続いて「ねらい」と「目次」が11ページ。本編が始まるまでに合計40ページ。総ページ数は412なので1割。

👉 「あいさつ」「教師用の説明」は巻末あるいはサポートサイトからのダウンロードで十分。学習者向けの使い方やコンセプトの説明は一番お金かけて作るべきところのはずです。多言語を進め、冒頭でしっかり書く。サポートサイト経由でYoutubeに多言語字幕付き動画をアップしてほしいところです。

ボランティア教室や自治体や企業で日本語のクラスをやろうかとなった時、クラスの運営責任者が、教科書を選ぶ時が来るかもしれません。地方自治体の助成の対象はまちまちですが、教師分の教科書代までは出ることが多いようですから、この教科書の選定でクラスの性格が決まる可能性があります。日本語教師に決めさせると「みんなの日本語」を使いたがるかもしれません。使い慣れてますから。でも、他の教科書もみて比較して考えてみて下さい。せっかく選べるんですから。

「**向き!」と宣伝していたりそういうタイトルになっているかや、教科書が設定している主人公キャラ(留学で来た、とか日本で仕事をしているとか)や、場面(教科書によってそれほど違いはありません)が身近だから、ということよりも、本編内の会話例の口調が学習者の周囲で聞く会話に近い、なんとなく自然に感じる、みたいな感覚で選んだほうがいいかもしれません。教師に選ばせると、使い慣れたものを選ぶ人が多いでしょうから、地域で教室などを運営している人は自分がみている学習者のことを考えながら「これはどうですか?」と提案できたほうがよいと思います。

ただ、前述のように、教科書の出版社によるサポートページは基本、日本語教師向けに書かれています。業界用語も多いです。ただ、今後何年も使うことになる教科書なので、できれば、候補になりそうなものを数冊買ってみて、あるいはサンプルをプリントアウトして、じっくり読んでみて下さい。そして、それを知り合いの日本語教師にみせて(「みんなの日本語」以外ちゃんと読んだこと無い教師は多いはずです)「どれが私達の対象の学習者に合ってるだろうか?」と相談してみてください。10年くらい経験がある教師なら答えられるはずです。教材選びに関心がなく「みんなの日本語しか知らない」あるいは「みんなの日本語でいいんじゃないの」という教師は疑問です。「みんなの日本語」がダメというわけじゃないんですが。

国際交流基金の世界の学習者数調査では、2015年に減少に転じたものの、ずっと右肩あがりです。 しかし、日本語学習者は客観的にみるかぎりでは、2000年代に入り、減り続けています。特に個人の学習者は減り、その減ったところを東南アジアの国々などで政策として学校で決められた必修科目や選択科目、あるいは地理、文化学習の一環として勉強する人の数をカウントすることで補っていて、見た目の数は横ばいか微減に「見える」ということではないかと考えています(海外の高等教育では日本語学科は2000年以降減少のの一途です)。つまり、個人で教材を買おうという層は元々少ないうえに減っている。教材は「購入」されるものではなく政府や学校単位で「採用」されるものでないと生き残れない傾向に拍車がかかっていると思います。

2010年前後から「生活者向け」という日本語の教科書がすこし出はじめるようになりました。日本国内の学習者を意識したもので、自治体などで手製の教材が作られているわけですが、ようやく、その数が認知され、ノウハウを集めたものが市販の教科書として作られるようになってきた、ということだと思います。

一方で、介護、看護、技能研修生などの就労系の学習者をターゲットにした教材は、今後、いろいろと出る可能性が高いです。これまでと違う出版社が出したり、東南アジアに進出している日本語学校が新たな教材を開発して出版する可能性はあります。技能研修生やEPA関連で日本で生活する人が増えることも予想されていますから、これまでのように留学生中心ではない「生活するための日本語」を軸にした教材開発も少し動きがあります。今のところ、国として総合対策はなく自治体単位で対応することになっていますから、自治体で採用されることを想定して作られる日本語の教科書は増えるかもしれません。ここに国際交流基金は参入したいと考えているようです。

当然、2010年前後から、eLearningや動画などのレッスンはあるわけですが、日本語学習者の9割近くがアジアに住んでおり、特に東南アジアはまだまだネット環境が整備されていないこともあって、なかなか伸びません。2020年のコロナ禍で、大学や日本語学校、日本語教育関係者のICTスキルは上がったと思いますが、教材的なものはまだまだです。 今のところ、elearningは、既存の汎用の語学学習パッケージに日本語を載せただけのものがほとんどで、日本語学習に最適化されたものは、なかなかありません。Duolingoが2017年に日本語コースをスタートし、国際交流基金はオンラインコースの「みなと」を始めましたが、リアル授業の代わりになるところまではいっていないようです。

教室授業で採用されるような教科書作りは、音声ファイルや動画、ドリルなどのWeb提供で管理者が必要になり、電子書籍やアプリ化も期待される、と、作るだけでなく維持するコストもどんどん上がっています。出版社は出版するまではがんばって作っても、その後の維持ができなくなるケースも増えています。 学習者数は減る要素しかない。ネットの学習コンテンツは伸びている。「みん日」「げんき」はなんとか維持できるとしても、後は、税金で作られる国際交流基金の「まるごと」や「いろどり」くらいで、他の教科書は厳しい、というところに印刷版ありきの初級総合教科書で参入するのはかなり厳しいと思います。

在留資格と日本語の試験の合格が紐づけられることになりましたので、試験対策本は、能試だけでなくいろんな種類ものが出そうです。

前のバージョンの教科書ガイドやこのWikiを作った大きな理由のひとつですが、日本語の教材にどういう種類があって、どのくらいあるのかは、だれもまとめておらず、まったくわかりません。各出版社のサイトでもあまり整理されていませんし、アマゾンではカテゴライズが雑なので検索してもうまくでてきません。 他にも理由がいくつかあります。

書名の問題

長いです。

「まるごと」のアマゾンに登録されている書名は

「Marugoto: Japanese language and culture Starter A1 Coursebook for communicative language competences / まるごと 日本のことばと文化 入門 A1 りかい (JF Standard coursebook / JF日本語教育スタンダード準拠コースブック) 」

「はじめよう日本語」の書名は

「毎日使えてしっかり身につく はじめよう日本語初級〈1〉メインテキスト」

「NEJ」は

「NEJ:A New Approach to Elementary Japanese <vol.1> テーマで学ぶ基礎日本語」

です。

英語、日本語、特徴、略称があり、入門とかりかいとか、1とか2とかが混在していてカオスです。これに「改訂版」とか「新装版」やシリーズ名が加わることもあります。残念なコンサルの「書名にはキーワードをたくさん入れたほうがいい」みたいなアドバイスを信じたのかもしれません。

アマゾンのページをツイッターでシェアしようと思っても、たとえばまるごとは。。。

こうなってしまいます(発売2013年ですが、まるごとの英語名を知ってる人はほとんどいないと思います)。

さらに、勉強本などの、シリーズでは、書名にシリーズ名が入ったり入らなかったりします。「教師勉強シリーズ3 語彙」の次は「4 音声」で、次は数字なしでシリーズ名だけが後に入って「表記 教師勉強シリーズ」だったりします。これ、同じシリーズの本なのです。

ナンバーリングがバラバラ

これが一番ひどいです。正式な数字はあるようですが、アマゾンへの登録書名はガタガタです。特に数字の組み合わせがバラバラ。みんなの日本語でも、「ⅠとⅠⅠ」「1とⅡ」だったり、「<1>と2」「Ⅰと<2>」だったりします。特に時々「Ⅱ」の代わりに使われる「ⅠⅠ」は、「Ⅰ」を二つ繋げたもので、検索結果で順番がⅠⅠ→Ⅰの順になります。

総合教科書の初級はほとんどの場合2分冊なのですが、ほぼすべてが数字の1と2です。前後とか上下だと2冊完結かなと想像できますが、数字だと3、4と続く可能性があります。ナンバーリングで最悪なのは「まるごと」で、入門ー初級というラインに、CEFRのA2とかB1のラインがあり、初級の1と2がありと、書名に3つナンバーリングが混在しています。

教師向けの勉強本のシリーズなんかでも、(言語学のほうでも)、シリーズの数字が、1とか<4>などバラバラということはよくあります。数字の前後のスペースが半角だったり全角だったり無かったりと安定しません。人文系の出版社の弱点なんでしょうか?

旧版と新版が混在

書名に「改訂版なんとか」と入れる教科書が多いですが、3度目の改訂でも「改訂版」と書くところもあれば、「三訂版」と書くところもあります(三訂版が3rd edition のことだとすぐ分かる人はそんなに多くないのでは)。同じシリーズで「改訂版」と「新装版」が混在しているケースもあります。各社改訂版のネーミングがバラバラなのは仕方ないとはいえ、書名には入れずに、3rd edition あるいは、本の紹介に、初版がいつで改訂が3度で何年にやったと書けばいいのでは?という気がします。

改訂で書名が変わったのに、アマゾンのは新しい名前、出版社のほうが古い名前のまま、ということも、よくあります。日本語教育関係の出版社のサイトはかなり古いものが多く(おそらく2000年前後から同じ)、自分のサイトの更新を自分でできないせいか、アマゾンの登録は最新情報で更新されても、肝心の自社のサイトの情報が更新されてない、ということがあります。これは日本の老舗出版社あるあるでもあるようです。

さらに、日本語の教材の出版社は、古い版を現役で(古本でなく。在庫処理?)アマゾンで売ってることが多いです。間違って古い版を買う人がいたらどうするんでしょうか。特に一時、Japanees for busy poepleは、3つくらいの版がアマゾンで現役で売られていて、カオスでした。今もそういう教科書はあります。

そして…

これらの、書名がガタガタ、ナンバーリングがバラバラ、旧版、新版が入り乱れて、アマゾンにあり、カテゴライズがちゃんとしてない上に、検索もイマイチなわけなので、もうどんな本がどのくらいあるのか、まったくわからないわけです。

しかも、これは「日本語の教材」です。つまり買う人は日本語は(ほとんどの場合英語も)読めない可能性があるのです。初級の学習者は「しっかり身につく」なんて読めないし意味もわからない。ここにも「学習者相手に作られていない問題」があります。

なぜ日本語の教材は電子化されないのか?という意見が定期的に出ます。問題集、指導書などテキスト中心のもの、教師相手の本などはkindle化は進んでいます。日本語教育関係の出版社がデジタルに弱いというのは確かですが、今はkindle版を作るくらいなら安く外注でやれますから技術的な問題ではありません。

日本語学習者は当然海外に多いわけですし、教科書なども電子化したほうがいいに決まってはいるのですが、電子書籍が進まない理由は別のところにあるのではないかと思われます。

受け皿がない

日本の出版社の日本語教材のほとんどは教室向けであり、教師ありきで成立するものがほとんです。個人相手のもので売れているのは「げんき」と能試の対策問題集くらいだと思います。この「主力は教室向けの教材」ということが足かせになっています。

教室向けの電子化された日本語教材が売れるためには、日本語教育機関の教室がデジタル対応している必要があります。教科書をスマホに最適化するのは無理(サイズだけでなく解像度や感度、独自規格の表示などなど…)ですから、最低限8インチ程度のモニターが必要なので、タブレットやノートが配布され、教室で使えること。当然、ネット環境の整備もマストです。日本国内の規制だと1クラス20人ですが、複数クラスが同時に稼働することもあるので100人くらいは接続できる環境、となると、専用回線、ルーター強化にネットワーク管理者は一人必要です。ハードへの初期投資で数百万、管理者は運良く年500万で雇えたとしてコストとしては年750万、通信費などを入れるとランニングコストは年一千万くらいでしょうか。

日本語の教材の市場のかなりの部分を占める日本国内の日本語学校の環境が整わないと厳しいと思いますが、国の助成なしで可能でしょうか?また海外の日本語教育機関を考えても、どこの国も、21世紀に入って大学は予算獲得に苦労していますし、特に日本語クラスは大学の予算縮小の煽りを真っ先に受け次々と閉鎖となっているという状況があります。小中高はそこそこインフラは整っているとは思いますが、ボランティア的な教室(結構あります。元々は日本語コースがあったけど今はボランティアで継続しているというようなパターンが多い)は、厳しいのではと思われます。

法人ライセンスの提供

学校のICT化で使えるような法人ライセンスは「まるごと」で紹介したOver Driveみたいなやり方がありますが、導入コストは高く、ほとんどの日本語学校では無理だと思います。Over Driveは楽天がやっているので、国が助成金を出すみたいなことになれば変わるかもしれませんが、それも無理なのでは…と思います。Over Driveのプラットフォーム(あるいは楽天のプラットフォーム?)みたいなところでしか読めないとなると不便です。

有斐閣のように、出版社が独自に教材の電子化のプラットフォームを持つケースもあります。これなら可能性がありますが、大手でもなかなか踏み切れないところです。小さな規模ならできるかもしれませんが、日本語の教科書の場合は海外もやらないといけないですし、結構大変そうです。

学習者が求めていない

個人で独習できる「げんき」はkindle化していますし、売れていると思いますが、これは米国が主たるマーケットなので、タブレットやスマホで読む習慣がすでにあり、ハードもあれこれ普及している、学校でも機器が豊富、みたいな条件が揃っているからではないかと思います。結果、学習者も電子化を求めます。

しかし一般的な教科書がkindle化しても、教師は喜ぶでしょうけれど、肝心の学習者が買うかどうかは未知数です。今はタブレットは斜陽です。個人で買う人はどんどん減っている。学校配布のレンタルのタブレットしかないなら多分買いたくはないでしょう。個人で買っても、スマホだと小さすぎる。ノートPCを学校に持っていくのは大変。日本語の教材のために、たいして人気がないタブレットやkindle端末を個人で買うかは疑問です。

結局教室ベースで使うものなので、前述のように学校でタブレットを配布などをして「導入」するなら電子化は進みます。しかし、初期コストは高い、ランニングコストもバカにならない。結局、電子書籍を正式に採用するとしても紙と値段は同じで、紙の本のように学校経由の購入にはならないでしょうから、販売利益も失います(日本語の教材は学校販売の場合、卸し価格で仕入れて定価で学生に売る、みたいなこともあるようです)。 それを越えるメリットが電子書籍の教材にあるか?というと、微妙なのです。

電子書籍の規格

もうひとつの課題は、電子書籍でできることが少ないという点です。電子書籍は、それを扱うプラットフォーム事業者も重要で、日本語の教材は海外での互換性も必要なので、今は、事実上Amazon=kindleしかありません。しかし、kindleでできることは少なく、レイアウトなども紙に比べると貧弱な表現しかできません。小説などテキスト主体なら大丈夫、雑誌やマンガも画像を貼り付ける式(「フィックス(固定)」などと呼びます)でやれますが、検索は動かず、教材で採用するのは微妙です。電子書籍の規格のePubの親戚で教材は、edupubという規格がありますが、国際標準規格としてはまだまだのようです。このへんも教材の出版社が電子化を躊躇する要因のひとつです。教師用指導書とかドリル的なものなら、ボチボチ電子化されていますが。。。

アプリは結構大変

アプリならどうか?アプリは多少できることが増えますが、開発費は電子書籍よりかかります。さらに出した後のアップデートのコストなどが大変です。ある程度公的な規格がベースの電子書籍と違って、アップル(iOS)やGoogle(Android)は自由に(勝手に)仕様を拡張し、変えていきます。iOSやAndroidのOSがちょっとアップデートする度に不具合がでたり、ということに対応するランニングコストはかなり大きく、最初に出したけど、2年後にはまったく動かなくなったままアップデートできず消えて切った日本語学習アプリ(文化初級とか)もあります。アプリもせいぜいクイズ的な仕掛けがあるくらいのシンプルな問題集までです。

電子化で安くなるのはあまり期待できない

日本語の教科書は高いので電子化になれば安くなるだろうと考える人は多いようです。これは、電子化の作業のほうが工程が少ないし、印刷しないからコストも安いだろうということから来るようですが、日本では(世界の中でも例外的に)高品質の紙の本を超低コストで作れるようになっています。新書をあのクオリティで800円くらいで売れるのは驚異的なのです。加えて、日本語の教科書は、一般書とは違い、学校相手なのである程度必要な部数は予測できますし、改訂は10年に一度くらいなので本を作るコストだけで言うと、ロスもリスクも少ない。今の印刷版の価格は、印刷版だから高いというわけではない、つまり電子化されても価格が大きく下がることはあまり期待できないと思います。「げんき」のkindle版は印刷版と同額です。

もちろん、印刷版を廃止して電子だけにすれば、安くなる可能性は高いですが、国内外の日本語教育機関のICT整備状況を見る限りでは、完全に電子版に移行するのは不可能です。この「電子も紙も作らなければならない」という過渡期は最もコストがかかる時期でもあります。日本語教材のマーケットは日本だけではありませんから、アジアアフリカの状況も影響します。印刷版を廃止できるようになるまで、まだ10年以上かかりそうです。この日本国外、特にアジアでも売らなければならない、ということも、電子化が遅れる要因のひとつです。中には日本より進んでいるところはありますが、学校で使うタブレットが独自規格で、特殊な仕様に最適化して開発しなければならない、みたいなこともあります。

それほどメリットがない…

学校のICT活用において、教材が電子化することの意味は、実はそれほど大きくありません。LMSと連動することができるようなものならともかく、アマゾンのような特定のプラットフォームでのみ使えるという環境下で単独で教科書だけ電子化されていても、せいぜい、持ち運びが楽とか、検索ができる、ポップアップ辞書が使えるみたいなところまでです。オンライン授業も紙の本のままでまったく問題ありません。持ち運び問題は、自分でスキャナーでPDF化すれば解決しますし、そこそこ検索も効きます。

👉 ePubでできることのほとんどは、kindleではできません。これは楽天も紀伊國屋も同じ。電子書籍は買ったらファイルをいろんなところで使えるのではなく、本を買ったプラットフォームの外には出られない。LMSの中で本のデジタルデータを活用するみたいなこともほぼできません。電子書籍は紙に比べるとかなり制約が多いということもあります。

可能性があるとしたら…

リファランス的なもの、独習可能な教材、独習用のドリル的なもの、であれば可能性はありそうですし、実際に増えています。ただ「教科書本編」はしばらく厳しいのではないかと思われます。それでも、日本の小中高のデジタル化も進んでますし、大学もコロナ禍を経て改めてデジタル環境への投資が始まると思います。日本語教育振興基本法もできましたし、日本語学校も、学校のICT化の助成の対象になるかもしれません。2020年中になんとかなるかもしれません。インフラが整備されるメドがたてば、出版社も動くと思います。

しかし、最初に書いたように電子書籍化するだけなら簡単なので、そのうち各社とも出すことになると思います。教師はうれしいかもしれませんが、学習者が買わないことにはどうにもならないので、「電子化しろ」と言い続けてきた人は、バッグが軽くなってよかっただけでなく、ちゃんと教室でも導入できるように学校に働きかけてください。

👉 電子教科書の規格とEDUPUBの現状(2015)

著作権のページを参照してください。

留学から就労へ

2020年代は国内の日本語教育が留学から就労に転換する10年になる。これはゴール設定が変わる、学習者のモチベーションが落ちる、ということだけでなく、学習時間が確保できなくなるということが大きな要素になる。

学習者の母語への最適化

学習者の母語は90年代までは中国語、韓国語の2つの言語がほとんどであり、どちらかの話者を得意とする学校や教師がいて、ある程度学習者の母語の影響を汲んだノウハウを蓄積していけたが、2000年から、ベトナム語、ネパール語、タイ語など多言語化し、学習者の母語への最適化が難しくなってきた。しかし、日本語学習機関が、留学、技能実習生、特定技能と分かれ、現地の学校も増え現地化が進むことによって、また母語への最適化は進む可能性があり、これが教材にも影響を与える可能性がある。

教材作りは簡単に

電子書籍、POD(Print on demand)方式による印刷版も低コストで簡単に作れるようになった。音声や動画の安い外注先も増えた。web教材はWord Pressが使えれば、そこそこのものは作れる。中規模の学校で、ある程度のノウハウの蓄積があれば、教科書作りに野心がありデジタルに強い教師が3人いれば総合教科書、音声、動画、Webサポートのフル教材を作るのは難しくない。安くしても毎年教材費の利益が生まれ、外部販売でも利益がでるので、始めるところは増えるかもしれない(でもそういう状況は2011年にはすでにあったので、既存のところではなく新規参入のところしかやれないかも)。

デジタル化

上で書いたように、デジタルデータになることによる扱いやすさの他に意外とメリットがないということがあります。Word Pressのほうが圧倒的にできることが多い。

eLearning、ライブ配信、オンデマ動画の活用などネットでの展開の時代になりつつあるので、教材の電子書籍化は進まないまま教科書の大きな要素であった「順番に学んでいくというコンセプト」が衰退して、教科書はデジタルの検索性の高さを活用したリファランス的なものになっていく可能性のほうが高いかもしれない。そのほうが独習者には歓迎され、アマゾンでも売れるはず。

あるいは本をルーツにするものではない、MoodleやGoogle classroomが提供するLMS上で動くデジタルネイティブな教科書フォーマットのようなものが主流になるかもしれないし、既存の日本語の教科書がLMSと提携するかもしれない。ただ「オンラインレッスンに最適化!」みたいな教科書は出るかもしれないが、ただデジタル化されているだけではなく、何よりライセンスが使いやすくないとダメなのでビジネスとしてはかなり厳しいところ。

高齢化のところで述べたように、平均年齢が54才で、新人の60%超が50代以上という業界では、デジタル導入のレクチャーのコストが高いことが予想される。しっかりしたマニュアルと担当者が1年がんばってなんとかなるかどうか。このコストを負担する余裕が日本語学校にあるかどうか。

今後どうなるかは、まったくわかりませんが、教科書は必ず使わなければならないものではないし、業界や国の方針がどうなろうと、教師は、基本的には学習者が教わりたいことを教えればいいだけなので、あれこれ考えてもあまり意味はないのかもしれません。

教材は10年くらいで販売されなくなったり改訂されなくなったまま消えていくことがほとんどです。ここでは、2020年代に販売されていないもので、質が高く、興味深いものをピックアップしてみます。

👉 Wikiの執筆者が所有しているものに限り、やってみます。問題があれば、お知らせを。いずれも教材も、可能なら私どもで再版したいです。ご連絡ください

自然な日本語

  • 桜井晴美
  • さかみち企画 発行
  • 凡人社 発売
  • 1984年 初版

:4コマ漫画があり、会話で便利な表現を学ぶという形式の中級会話練習教材。当時の時事問題、特に校内暴力、家庭内暴力の話題が多かった。プライベートレッスンで使われることが多かったという印象で、学校で採用しているという話はあまりなかった。より高度な表現文型の「Ⅱ」もあった。

*アマゾンにも無く、古本でも見当たらない状態。

リーとクラークの冒険

  • 山上明・鶴田庸子
  • 会社イーストビュー出版 発行
  • 凡人社 発売
  • 1988年 初版

:月曜日から始まり、木曜日まで15の場面があり、学生のリーとクラークの会話でストーリーが続く。学校に来なくなったキムさんの行方を捜すことになり~という全編が一編のミステリー仕立てになっている。中級向けで、各課で表現文型的な実用文型が短いくり返し練習のスキットと共に紹介される。ミステリーの出来はともかく、初級をしっかりやった学生には取り上げられる文型が実用的で、会話指向、似ているけどもニュアンスが違うものの配列がよいと評判が高かった。これもプライベートレッスンでよく使われていたもの。音声もナチュラルスピードでよかった。

*アマゾンにも無く、凡人社には「販売停止中」とアナウンスがある。

前書きはルビ付きでやさしめの日本語と英語と、学習者向けの説明が中心。

音声はほぼナチュラルスピードでクオリティが高かった。

あたらしい じっせんにほんご

  • 財団法人 国際研修協力機構監修
  • 社団法人 国際日本語普及協会(AJALT) 発行
  • 1991年 初版 (これは過去の教材ではなく現在も発売されている模様)

あたらしいじっせん日本語シリーズ|AJALT [日本語教育/教師育成/教材開発]

https://www.ajalt.org/textbook/practice/

AJALTが考えるブルーカラー労働者のための日本語教科書「あたらしいじっせんにほんご (技能実習編)」 http://www.amazon.co.jp/dp/4906096204

作り手による連載がある。

教科書のコンセプトの説明「日本語教育再考」 http://www.jcsec.or.jp/files/archives02.html

:現在も多くの日本語学習の現場で使われている。技能実習生が働く現場の日本語をリサーチした結果なのか、かなりぞんざいな表現もありリアリティ重視と言える。

日本語教師はよく教科書の会話例などに「そんな話し方はしない」「古い」と批判する。これが仮に「リアリティが無い」という批判ならば、この教科書のリアリティ重視の会話例は実践的であり役立つものだと言える(おそらくは調査をしている)。この教科書の中身を、コンプラ的に単純に批判&排除できるのか?という問題がある。厳しい口調の線引きも難しい。

就労系の現場の日本語や上司の口調などはリアリティより、例えば上司の指示も丁寧な「理想のあるべき姿、口調、コミュニケーション例(しかし「ウソ」とも言える)」で描かれる傾向が強くなっている昨今、日本語学習にとってリアリティとは何か?という問い掛けがあると言えそう。単純に、遅れたビジネス習慣、恥ずべきこととして、教科書だからと無いことにしていいのか? 提示の方法は他に無いか?

しかしこの教科書は表立って宣伝はされていないし、2020年代になって次々と作られているこの種の他の教科書の会話例などは、模範的な職場のやり取りで描かれることがほとんどなりつつある。

目次

最初の説明:ほとんどの日本語の教科書のまえがきは教師向けの説明しかないが、この教科書は学習者に向けての丁寧な説明がある。

中身:「1」は、初級前半くらいまでになっている。以下は中身の例

大量の画像の語彙辞典:後半は全220ページ中の50ページを割いて、カラー写真でイラストや写真の辞書的な構成となっている。

日本語運用力養成問題集

-大塚純子 岡野喜美子 川口さち子 浜 由美子 著 -監修 寺村秀夫

amazonでも購入できない状態。

1992年に凡人社から発売された教材。早稲田大学関係者によるものと書かれている。早稲田は90年代に積極的に教材を出版していた。5冊刊行予定とあるが、3冊で途絶えている。日本語学校ではあまり使われていなかったという印象(当時も今も、日本語学校で使われない教材の寿命は短かい)

初級で学んだものの運用を目的とした教材で、ほとんどすべてが会話を軸にした例文を元に作られている。会話重視ということもあり、プライベートレッスンでは使う人が多かったが、能試対策が中心だった日本語学校では敬遠された?




研究

『みんなの日本語』、あるいは文型シラバスは時代遅れなのか? - Togetter https://togetter.com/li/1096274

文型積み上げ式への批判に対する意見 | Shingo Imai's Idea Notes (今井新悟 blog) http://shingo-imai.blogspot.com/2014/12/blog-post.html

海外の大学日本語教育で使用されている初級教科書の紹介 – 旅する応用言語学 http://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/?p=3304

日本語教育で使われる教科書について http://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00001n9qjw-att/GT227HP-ouchi.pdf

ー日本語の教科書が目指すもの 2017 筑波大学シンポジウムの質疑と資料ー

「みんなの⽇本語」:名須川典⼦⽒(⽇本語センター:インド)、「Situational Functional Japanese」:加納千恵⼦⽒(筑波⼤学)、「初級⽇本語 げんき」:⼤野裕⽒(⽴命館⼤学)、 「できる⽇本語」:嶋⽥和⼦⽒(アクラス⽇本語教育研究所)、 「NEJ テーマで学ぶ基礎⽇本語」:⻄⼝光⼀⽒(⼤阪⼤学)、「まるごと ⽇本のことばと⽂化」:⼋⽥直美⽒(国際交流基⾦)によるシンポジウムで、それぞれ事前資料としてPDFが配布されたが、当初のURLはすべてリンク外れとなっていました。残念です。