コンテンツへスキップ

【memo】敬語のプチ復権

これもメモ程度のものですが…。

若い人の間では敬語を使うか使わないか、どういう呼び方をするかは、相手の確認や了承が必要なものだということになりつつあり、年齢や上下関係の影響は薄れているように感じます。ただし、これはいろんな段階があり、時間をかけて構築される関係です。そうでない場合、一定の距離を保つことへの制約は強いような気がします。この点、日本語教育においても注目すべきところと感じます。

  1. まず、年齢、上下関係は関係無く敬語で話すべき期間というものがあります。年齢が上でも敬語で話すべきとなっている。この距離を保つための敬語は重視されます。
  2. 次の段階。敬語で話すべきというルールの確認の段階がある。これはその集団によって違う。テレビの影響が強くスポーツ関係、漫才やアイドルグループの同期だとか先輩後輩が強いモチーフになっている。
  3. スポーツやアイドルでも年齢や上下関係と敬語の関係が複雑なケースもある。いわゆる同期基準か年齢基準かの違い。仲間内でいずれかのルールが採用される。
  4. 仲間内のルールは一時的なものだが、そこそこ拘束力は強い。
  5. しかし、ルールは壊してもよいものだとされている。仲が深まったと互いに認識ができたら、次のお互いをどう呼ぶかという段階がある。
  6. 基本的には互いに呼んでほしい呼び方を提案し、互いに呼ぶのがルール。周囲のルールと違う場合(例えば年齢よりも期重視の集団だが年齢に準ずる方向になった場合)やや突破が難しくなる。
  7. しかし互いにできた関係を重視しても周囲からは強い批判は起きない。そういう関係性が作れたことに対して尊重しようという空気があるのが普通。(ただし問題視されるケースもあり、その場合、ウチソトではなく、オオヤケとプライベートで使い分けることになる。プライベートでは個々の協定が尊重される)

これは一見、ルールに対してユルいと考えがちだが、1)のように、互いに敬語で始めるべきであるという圧力は、従来より強いし、範囲も拡張されている。例えば年長者や「先輩」「上司」であっても目下に敬語を使うべきだと考える若い人は多く、昔より増えているという印象。

同時に6)の段階のルールに対する距離感の柔軟性は、これまでになかったもので、集団よりも個々の関係を尊重する空気は若い人達独特のものという気がします。

個人的には、若い世代なりの妥協もしつつ、新しい常識としてじわりと自分達のルールを拡張しつつ埋め込むような折衷案みたいなかんじもあって、巧みだなと感じます。

 


 

日本語教育的には、外国語として日本語社会で日本語を話す際のルールは、アップデートする必要がありそうな気がします。基本、日本語教育は若い世代に対して行われるもので、学習者は若い世代の中で人間関係を作っていくことが大事でもあるので、上の微妙にズラされたルールは知っておいたほうがよさそうです。特に、ある程度距離がある関係においては、ウチソトでも上限でもなく、親疎だけでもない。まずは一定の距離感を保ち、示すという合意がある敬語の重視という傾向が大事という気がします。