【過去記事】武器を身につけないと生き残れない、という物言い

👉 この記事は「仕事としての日本語教師~」という記事から抜粋して独立した記事にしたものです。

時々、こういうことを言う人がいます。そこそこベテランで30~50才くらいでフリーランス的な人。それを受けて、そう思い込んでしまった若い人、などです。書店の平積みのビジネス書に書いてあるような、Facebookでイイネがつきがちなフレーズです。

こういう人達は確かに修士を取得したり、海外で地道に評価されたり、日本語学校以外のビジネスの可能性に目を向けたり、ということで生き残ってきた人達です。敬意を表しますが、こういう物言いは、仮にそういう意図がなかったとしても「普通の教師は食えなくても仕方が無い」と解釈される危険性があります。そしてそれは間違っています。現実にそういう時代を生きてきたからといって、現状、普通の日本語教師が食えないという事実を肯定してしまうと未来に繋がりません。
また「ネット上で日本語に関する知識は集めることができる。情報や知識を持っていることに意味はない。ただ教えるだけの教師ではダメだ」というのもよくあるフレーズです。これも、持つべき武器が違う、新しくなった、というようなバリエーションです。これの物言いにも、いろんな混乱があります。確かにネット以前に比べると情報や知識へのアクセスは簡単になりました。お金もかからない。しかし、問題があります。

1)実は、ネット上に日本語学習者の日本語の疑問に応えてくれるサイトはほとんどありません。

2017年の時点でほぼ何もないと言ってもいいくらいです(たとえば、初級の学習者が早い段階で疑問に思う連濁に関して、学習者の母語で説明があるサイトはほぼないはずです。もっとも多言語でそこそこ説明があるものはWikipediaで、8言語に訳されているに過ぎません)。あるのは学習のための「素材」だけ。これを組みあわせて学習出来る人は多くは無い。

YouTubeに日本語講座の動画は増えました。すべてをみたわけではありませんが、玉石混交です。一応、良質なものと言っても良さそうなものでも、せいぜい教科書のマニュアル通り、養成講座で教わったことが原稿になっていて、ひととおりの説明があるだけ。あとはうまく話せるかどうか、というところです。レベルはほぼ初級のみです。その狭い範囲でも検索ができない(動画にタグがふられているわけではないし)ので疑問に応えるのはとても難しい。

実は、日本語の学習に関するコンテンツ量は、2005年あたりからそれほど変わってません。まず日本語教師がウェブコンテンツを作れない。ブログはあっても日本語で学習者向けではない。SNSでも同じ。ほとんどが海外の大学が90年代に作ったものか学習者が作ったものです。これは、私は1997年から学習コンテンツを作り続けてきたのでだいたいわかってます。
もちろん、今後アジアでネットのインフラが整備されれば変化は起きると思います。しかし大勢に変化はないはずです。
インフラ先進国の日本では山のようにある英語学習に関する情報へのアクセスは10年前から可能ですが、ネットのおかげで日本の人の英語力があがりましたか?

2)世界の日本語学習者のうち確実にネットを活用できるのは残念ながら25%程度です。

これは、こちらを読んで下さい。

「世界の日本語学習者は、現在、どのくらいネットを活用できているのか」に関する考察

将来は解消されるかもしれません。しかし、まだ遠い未来のことですし、貧富の差などアンフェアな格差もあります。

3)技術の進歩によって、既存の仕事がどの程度リプレースされるか、誰もわからない。

いろいろな予想が出てますが、全然わからないのです。また新たに生まれる仕事もあるし、今の仕事のスタイルが変わることは予想できます。でもどうなるかわからない。Google翻訳も精度はあがりました。でも誰も予想してなかったし、今後どの程度よくなるかも専門家ほどわからない、と言う。技術の進歩は楽しいです。でも、なぜか「それみろ!」と脅かす的なことしか言わない人は残念です。「仲間」にはウケるんでしょうけど。

 


 

さて「ただ教えるだけの教師」とはどんな教師でしょうか?みん日のマニュアル通りに教えられる「だけ」?でも、それでもたいしたものだと思います。みん日のマニュアルは20年以上のノウハウがつまっています。きちんと教えられるまでには数年はかかります。学校に遅刻せずに来て、全体のカリキュラムの中での役割も理解して、教室で20人くらいの人を相手にしゃべれて、時にはテストを作ったり採点したりして、おまけに、学習者の母語に即して「ここはこの母語話者はこういう曲解をしがち」みたいなことをコツコツ積み上げていくのが日本語教師です。例えば公立小中学校教師と比べて楽なところなどありません。こういうスキルに対して「食えなくて当然」と同業者が言い放つのは疑問です。自分の仕事の価値を毀損してませんか?

もっと極端なことだと「マニュアル的な」は、「学習者のリアクションを無視してただ進めるという教師?」を想定していることもあるようです。でも、そういう教師は昔からダメな教師です。それに、そういう教師はそんなにいないものです。ただ進めているようでも、ちゃんと見てるもんです。

ICTを使いこなせない教師は不要になる」もよく聞く紋切り型の物言いです。IT方面の人(プログラマーみたいな開発者ではなく、ちょっと詳しいことで得してきた程度の人)はこういう脅かしを好みます。ネットの情報の豊かさを強調するために無理やりに仮想敵を作っても意味がありません。ネットの価値、テクノロジーの価値を既存の技術を貶めることで表現するのは、少々古い発想だと思います。そういうかけ声の時代は終わり、どう活用するかを具体的に考えたりノウハウをシェアする時代です。学校がちゃんとコストをかけて導入すれば当然教師にも学習機会が与えられるはずなので(今は導入時は社員教育がセットなのがデフォです)、そうなったら勉強するでも間に合うと思います。

こういう物言いは現状を肯定するだけでなく固定化する助けにもなります。日本語学校関係者は喜ぶと思います。「そうだそうだ他の仕事でも工夫しないと生き残れない時代なのだから甘えるな」という人達の力になってしまう。冷静に考えてみて下さい。他の業種では普通の人は最低限の生活はまだそこそこ保証されています。日本語教師の規定にある4大卒で、しかもそれなりに負担がある資格を取得して就職すれば、非正規が7割という職場はほとんどありません。社会保障もあります。年収は2~300万で始まっても、それなりにあがっていきますし、低いなりに雇用は守られています。世の中の仕事のほとんどは、マニュアル的な仕事です。想像力とかアイデアが勝負、みたいなジャンルはそんなに多くありません。つまり、世界中の仕事のほとんどはほぼマニュアル的な仕事です。ITベンチャーや証券ディーラーのような世界とは違います。欧米でも教師や公務員、インフラ系の仕事など、社会に必要な地味な仕事は高収入でないかわりに、そこそこ終身雇用なのです。

👉 つまり、ビジネス本に感化されすぎなんですね。。。

落ち着いて考えましょう。普通の日本語教師であっても、生活できて当たり前なのです。まして、日本語教師は、四大卒で資格を取得しないと就職すらできない仕事ですし、5年10年とスキルを磨き、いくつかの外国語に対する知識もみにつけ、時に就労目当てみたいな学生相手にも教えなければならない。少なくとも公立小中学校の国語教師並みの収入(生涯年収で約600万円で終身雇用は保障され、手厚い年金があります)はあってもよいはずです。しかも、人口減で、今後はいろいろな国の人達に助けてもらわなければならないことは確実です。国内において日本語教育というのは、インフラと同じくらい重要な仕事になりつつあるのです。

地道に、普通に、多数がよいと言う無難な方法を身に付け、日本語教師をつづけても食えるべき、ということを主張するのに恥じることはひとつもありません。そして、さらに「武器」を身につけた教師は、年収一千万越えが可能になるようなことでいいではないですか?なぜ、特殊な武器がないと食えなくて当然となるのか理解できません。そんな厳しいところに若い人は来ません。
今、地道に教える日本語教師が食えないのは日本語学校を中心とする業界がポンコツだからです。ICTが普及しないのは、出版社(重要な教材は電子化されてますか?)や学校(ウェブサイトに生徒用のログインページがありますか?)がお金をかけないからです。そこをちゃんと指摘すべきです。どうやったらよくなるのか考えて、具体的なアクションが必要ならやるべきです。それなしに「武器を持たない教師はダメ」などと教師を責めるのはおかしいんです。

👉 もちろん、ネットのインフラにアクセスできて、モチベーションが高い学習者にネットの活用を教えることは重要です(といっても出来る人は自分でやれるけど)。教師がネットの活用の価値を知ることも大事です。知ってたほうがいい。さらに教師はネットの学習インフラに貢献するべきだと思います。あなたがネットが得意な教師であるなら不要になると脅かしたり、切り捨てたりするのではなく、教えるプロなんですから、同業者に使い方をレクチャーして活用方法を教えることに時間を割くほうがよいと思います。そうやって、ネットに詳しくない教師にネットの価値を具体的に伝えましょう。そして次のステップに進みましょう。

👉 マニュアル的な教え方やひとつの方法に固執する教師に対する批判はあってもいいんですが、食える食えないと結びつけるのは変です。それは別の話としてやりましょう。 

👉 仕事は、20才ではじめて60才でリタイアするとして、40年です。当然、テクノロジーの変化に対応できない人はどんな仕事でもでます。誰もが対応できなくなる。でも、それなりに仕事の場所をみつけてやっていくことになってます。それができない業界というのは、単に未成熟な、貧しいダメな業界なんですね。簡単に切り捨ててしまうと、次は自分が対象になりますよ?私はわりとIT方面やネットは活用してきたほうですが、50をすぎると、老眼もあるし、OSが変わるたびにプリンターのドライバーの更新をしたり、新しいケーブル規格のものに買いかえたり、新しいサービスのシキタリをおぼえるのはキツイです。あと数年もしたら「まだLINEとか使ってるの?クスクス」などと言われるのかと思うと悲しいです。そろそろデジタル隠居したいと思ってます。