定期的にSNSで見かける投稿に「授業見学をさせない教師はダメだ」というものがあります。
教えるノウハウを隠すなんてセコい、授業を見せたくない理由がわからない、あと(自信がないんじゃないか?)という揶揄も含まれてそうです。「うちの学校は授業見学OKです」みたいなところもある模様。
しかし、私のようなプライベートレッスン専業だった人間にとっては、関係ない人に授業を見せるということはあり得ないことで、なぜ教室授業の人達がそういうのかがピンと来ません。授業時間は顧客がお金を出して買った顧客の時間で、こちらの勝手にできるものではないですから、契約時に(文書でなくても口頭で)同意したこと(ほとんどの場合日本語の授業だけですが、宿題を出すとか、家族の学校からの配布物を読むみたいなことも事前に頼まれることもあります)以外のことは、何もをするにも許可が必要です。
そして、許可を申し出ていいものかどうかという判断があります。例えばレッスン場所が喫茶店だったものをレンタルルームに変えるみたいなことでも、通常は難しいです。言い出すことで不信感をもたれる可能性もある。オープンな場所のほうが安心できるということがありますから。最初の約束を淡々とこなすしかなく、何かをこちらから頼むということは基本無いです。
授業見学は、当然、どう考えても勉強の邪魔です。見学者に参加して授業に協力してもらうとしても、それが本当に必要でやるのか、見学したいがあって授業に協力という形をとるのかは、違いますし、後者の場合、それが先方にも伝わりますから、言い出しにくい。私には無理です。無理をして、許可を申し出てみるとしても、やはり顧客が同意する水準をクリアするためにもやるからには上手くいかないとまずいので事前にちゃんと打ち合わせが必要。時間をかける必要がある。その負担に対する報酬はない。(教室授業で見学がある場合、見学される教師に特別な報酬は…設定されてないでしょうね…)
基本、学習者にとってはメリットがないことを、お願いすることはほとんど考えられないです。
仮に、学習者との合意があれば授業見学はやってもいいことなのか?
これもほぼダメだと思います。
同意があればOKと考える人は多いですが、プライベートレッスンなら一対一の関係なので合意は法的に認められるかもしれませんが、学校において、その合意をしないといけないというプレッシャーは強い。特に留学関係の学校なら、基本、学校が在留資格の取得から継続までを監視する立場ですから、通常の学校よりも学校側は「強者」です。つまり拒否できない可能性がある。こういうい合意は裁判などになった時に認められない可能性が高い。そもそも合意をとる行為自体が違法なこともあります。つまり文書での合意があっても、学校では合意があるからOKと考えるのは難しいと思います。ギリ、許されるのは後述しますが、同じ学内の教師の研修的なものだと思います。しかし、これもライブカメラなどの映像を別室で見るくらいの配慮は必要だと思います。当然、見学されるかどうかも学生には伝えなければならないわけです。
いま、授業見学が行われる学校で学習者の同意がとられる可能性は低そうですが、仮に入学時に取られているとしても、訴えられたらアウトの可能性は高いというわけです。
つまり
- 授業は教師の所有物ではない。
- 授業にとってマイナスとなりうることを学習者に同意を求めるのは難しい。
- 学校が学習者に事前にこの種の同意を取ること自体に問題がある可能性がある。
と思います。
その上で、教師個人や学校は、教え方のノウハウを公開しない権利もあります。学校における授業の著作権などの権利は誰に所属するのは、勤務時間ならば学校にあると解釈されそうですが、個人に属する部分も無いとは言えなさそうです。これも契約次第です。そして、教え方のノウハウはビジネスにおいて重要なものでもありますから、公開を教師や学校にもあるということになります。授業の公開をしろ、関係ない第三者に見学させろとは言えない。させない学校がダメということもまったく無い。
この授業が教師の所有物であるかのように語られる風潮はある種、学習者中心主義的な考え方が日本語教育の世界で希薄だということも関係していると思います。学習者中心というのは、何も学習する内容だけでなく、こういうことにも影響すると思われるからです。授業は誰ものものと考えているか? というようなことです。
日本語の授業が公開されるとするなら、公開する前提で合意がある、録画された模擬授業的なものだけになるのは仕方ないと言えます。
そもそも、今、小中学校の授業も同じ学校の教師育成の一環として以外の目的で、第三者に勝手に公開することも禁じられているはずです。勝手にやるのは親が許さないでしょう。この学習者の保護者の目も、日本語教育ではほとんど意識されないものだと思います。
いろいろと古い考え方が残っている日本語教育業界ですが、特にSNSでは、こういう、一見、オープンで良さげなイメージのことで、かつ多数の教師にメリットがあることは、問題点が見逃されがちだと思います。誰が言うかにも影響されやすい。肩書きが立派だったり有名な人が言うと、こういうこともイイネがついたりします。しかし、「ちょっと待てよ」と検算する習慣をつけたほうがいいと思います。