もちろん、プライベートで自分の意志でやるなら何の問題もありません。名札だろうか、Tシャツだろうが、何でも書けばいいわけですが。。。
ローソン、従業員が話せる言語を表示する「多言語バッジ」 – Impress Watch https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1617127.html
私は、ニュースをみた時にかなり違和感を覚えました。率直に言えば、この種のことを誰かに強制されること、企業が外国人従業員にできる言語を名札に書かせること。とりわけ「日本語勉強中」と書かせるというのは、かなり醜悪なことだと感じました。
このニュースみて、もし自分が外国で店舗でバイトしてて「観光客は大事だからおまえは『日本語できます』って名札に入れろ」って言われるのも「**語勉強中」と入れるのもイヤですね。
» ローソン、従業員が話せる言語を表示する「多言語バッジ」 https://t.co/hTUUfAIEcN
— webjapanese.com (@webjapanese) August 21, 2024
ローソンは少し前、同年6月に名札の名前は本名ではなくてもいいということにした。これは海外でもそういう流れはあるので、それに従ったということだと思われます。
ファミマ、従業員の名札は本名でなくてもOKに ローソンではアルファベット カスハラ防止でルール変更相次ぐ(1/2 ページ) – ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2406/15/news036.html
「名札」を変えた「ローソン」、その反応は? カスハラおそれて本名を知られたくない傾向に…名札が大事な理由とは(まいどなニュース) – Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/a7d57b91bbb9b6b6540e8f9320f7584c70614495
この種のことは増えています。企業のLGBT配慮、多文化共生の取り組みです。よく報道されます。企業のほうも、こういう取り組みはアナウンスしたり報道したりとパッケージで考えているのだろうと思います。
コメダ珈琲店のお客様に異文化理解を呼びかけるメッセージに共感の声 | 外国人採用 | ヨロワーク https://www.yolo-work.com/15960
しかし、時々、「?」なこともあります。
カフェ長居はSDGs違反?コメダ掲示に「こじつけ」指摘 本部が作成も…現場は「意図分からない」: J-CAST ニュース【全文表示】
https://www.j-cast.com/2022/10/05447408.html?p=all
電通には「電通ダイバーシティ・ラボ」というセクション(別会社?)があり、かなり前から企業の取り組みと宣伝をパッケージで請け負っているようです。「多様性」は、大きなビジネスになっていることが伺われます。
電通ダイバーシティ・ラボ(DDL) – Sustainability(サステナビリティ) – 電通ウェブサイト https://www.dentsu.co.jp/sustainability/sdgs_action/thumb05.html
DE&I推進を支援するワークショップ型ソリューション「ココカラ ジャーニー」を提供開始 – News(ニュース) – 電通ウェブサイト https://www.dentsu.co.jp/news/release/2022/0627-010529.html
電通が担当している企業が勇み足的なことをして炎上したケースもあります。電通ダイバーシティ・ラボも、理屈が一人歩きしてたり、理屈の裏に企業の利益が潜んでいるのではと思わせることもあるという印象です。欧米の事情の直輸入ではなく、文脈化が必要なのではと感じることが多いです。
もうひとつ、この種の取り組みは問題点があります。「喫煙はよくないから灰皿を撤去します」という理屈で街中から灰皿が消えたり、テロ対策でゴミ箱が撤去される空気に乗っかって、経費節減をもくろんだ企業は多いと思います。企業や社会、地方自治体などの取り組みは、手放しで歓迎するというよりは、結構要注意なのではという気がします。このへん、注意してウォッチして、問題提起をするのは日本語教育関係者の大事な役割なのではないでしょうか?
流行としての SDGS LGBT 多様性 多文化共生…
企業はSDGSが下火になったこともあり、2020年代以降は、多様性、LGBTだということになっている感があります。そして、外国人との共生が新たなテーマとして拡大しているように思います。
取り組みはアピールとセット
今後も、企業の取り組みとして、いろんなことが行われそうです。そして「こういうことやってますよ」とアナウンスされ、宣伝される。そこでSNSでも意図誌的に拡散され、イイネされるということになると思います。当然、SNSにおける戦略はあります。初期はポジティブに拡散される。仮に炎上しても「いや、もっとポジティブに考えるべき」みたいな「火消し」の投稿も行われる。これらは自然発生的に起きているかは、残念ながら、今は、疑う必要があります。
「名札」は誰がつけるのか
ここで気になるのは誰の意志で行われているかではないかと思います。
冒頭で書いたように、自分で「××語ができる」「日本語勉強中」と書くのはいいとしても、誰かに強制されるものではありません。仮に企業で「自分の判断で」というルールであっても、見えない強制力が働くことは、日本の企業やその他の組織でもよくあることです。
報道されたものを読む限りでは、店長判断となってましたから、店長が判断すれば、従業員はやらざるをえないものじゃないかと思います。コンビニチェーンは経営者の権限は(従業員やアルバイトに対しては)強いはずです。NOは言えないのでは。
「勉強中」というニュアンス
企業なりが、外国人従業員に接客の仕事なのだから日本語の能力を名札に書けというなら、100歩譲っても「やさしい日本語でお願いします」でしょうか。やさしい日本語というラインが一般の人にはたして浸透しているかは、疑わしいですが、これは、つまり企業がサービス提供者として「やさしい日本語なら理解できるラインでやってます」という宣言であり、そこまでは顧客に対しても、従業員教育に関しても、二重の責任を持つという宣言的な意味にもなりえます。
「基本法」にある、日本語学習を提供する義務は国、地方自治体、企業が持つという曖昧な文言がありますが、こう宣言するということは、明確に、企業がやさしい日本語のラインまでは責任を持つという宣言とも取れます。しかし、同時に、その企業が日本語学習に対してそのアルバイトの人に日本語学習において補助をしている可能性は0に近い。なぜなら今の法律では外国人はほぼ自前で日本語を勉強することになっていて、そのことは一般の日本の人には知られてませんから。
しかし、私はこのやさしい日本語うんぬんも不要じゃないかと思います。日本語の能力に関して、アルバイトが何かを背負う必要はないと思います。
その他、いろいろ疑問がわいてきます。
- 「勉強中」という名札は、単に「勉強しているから、多少の不手際は許してね」という意味として顧客に伝わる可能性があります。無用な摩擦を生みかねない、つたない表現でもあると思います。企業は、特にサービス業は、接客があるなら、仕事上問題がないレベルであることは企業自身が保証しなければならないはずで、その義務を負うでもないまま、無限に顧客に配慮だけを要求しているようにも見えます。
- 日本語で十分な接客ができるならば「勉強中」という名札の断りは不要なはずです。現実にはほぼできるはずです。
- 「勉強中」は「まだ日本語能力は発展途上で、未完成である」という意味を持ちます。言語能力は完成させなければならないんでしょうか?ここ数十年の言語学習の考え方、とりわけCEFR的な考え方とは矛盾しませんか?日本語教育関係者は賛成ですか?
- この「勉強中」には、日本で働く以上、日本語を勉強しなければならないという、これも無用なイメージを拡散させるという問題もあります。繰り返しますが、今の日本の制度では、留学は日本語学習費用は自腹、就労系の人達のほとんども自腹です。こんな制度の上でただ勉強しなければならないというイメージだけを先行させてしまう罪は大きいと私は思います。
- では、できる言語を名札にするルールがあるとして「日本語」と名札に入れるのはどうか?これも必要性を感じません。欧州でどこかのチェーンが同じことをしたら「これぞCEFRの精神の具現化だ!」となるとは思えません。むしろ炎上するのでは。
日本語教育関係者の反応
日本語教育関係者の反応を検索しました。インプレスの記事を投稿する関係者は多く、かなり肯定的なコメントと共に投稿する人が多かった。名札を「付けさせられる」ことの是非を問題視する意見はありませんでした。意外でもあり、なんとなくフンワリとした「多文化共生ええニュース」として拡散されていたという印象です。
ローソン、従業員が話せる言語を表示する「多言語バッジ」 – Impress Watch https://t.co/jCGboCkv87
「日本語勉強中」もある!!
— MIKI /// 多文化共生×週末クリエイター (@okmymiki) August 20, 2024
ローソン、従業員が話せる言語を表示する「多言語バッジ」 – Impress Watch https://t.co/cN2Q2XdfGT
めっちゃいい!!母語や国籍を問わず、共通言語があればそれで話ができるんだもんね。まさに複言語。ただ、「日本語勉強中」だけじゃなくて「日本語」も加えてほしかったなぁ。
— Rintaro KATO☮️ (@rintarock1980) August 20, 2024
いずれも、名札を「付けされられている」ということに対する言及はなく、よきことだと受けとめているように見えます。どうもSNSの日本語教育クラスタでは、企業のこの種の取り組みについては、ポジティブな反応をすべきものだということになっている空気を感じます。あと、複言語との関連はよくわかりません。
(私の)結論
実名ではなく、ニックネームにするところまでは、いいんじゃないかと思います。不要な個人情報は仕事であっても公にする必要はないはずです。仕事場における匿名化は、カスハラなどもあり必要だと思います。「日本語勉強中」は当然反対です。ひどい話だと思ってます。できる外国語を名札としてつけるのも不要だと思います。例えば母語としてタイ語ができる人やタイ語を勉強している人などは、自分が使う店の店員がタイ語ができるかどうかは、たいていの場合、すでに知ってます。
日本語勉強中は、日本語ができないことを現わすことで、インドネシア語対応可能は、インドネシア語ができることを現すことだから、前者はダメで、後者はいい、ということではなく、前者はもう話にならない。後者は強制されて名札に書かされるようなことではない、ということです。
このニュースがSNSで広がった時にそういう主旨の投稿をしましたが、同じように考える人はほぼ見ませんでした。しかし、「日本語勉強中」なんて名札を外国人従業員につけさせるみたいな習慣が広がることには、NOと言いたいなと、思いましたので、こういう考えもあるということを少し整理して書いてみました。
【おまけ】日本語教育における複言語主義?
時々、日本語教育のSNS上で複言語主義は大事!という投稿があります。しかし、私は日本語教育における複言語主義の解釈は、よくわかりません。複言語主義を言う人達が、どういうものを想定しているのか、ボンヤリとでもイメージしているのかさえ、見えてきません。アジア圏の複言語主義を作るということでしょうか?(そういう論文はあります)、キーになるような言語を設定するんでしょうか?中国語?日本語?やはり表記が複雑すぎて無理なのではという気がします。インドネシア語あたり?
少なくとも、複言語というのは、あるべき理想ではなく、ほぼ言語政策のことで、日本の国内の言語政策に関わることなので、教育制度に対して、かなり強く関与していくことが重要だと思いますが、今のところは、日本語教育の世界では、そういう動きはないようです。何か働きかけている?
今のところ、日本語教育の「複言語主義」は「複言語社会になったらいいよね~♪」と口ずさむ歌程度のものではないかという気がします。複言語の実現のために何かをするでも無く、発言もしないだけでなく、複言語を実現するためには、何が必要で、どういうプロセスがあり、どういうアクションをすべきかというコンセンサスもない。ただ、時々思い出したように口ずさむだけ。どういうメロディーで歌うかを競うようなことは行われますが、誰も日本で複言語環境ができるなどとは信じていないし、実現のために何かをするつもりもないんじゃないかという気がします。国内の英語教育には複言語の議論や論争はありますが、日本語教育で何か議論があったでしょうか?
私は、昔から、英語が苦手なら中高からアジアの言語を選択できて、それで勝負する道があったほうがいいと思ってます。就労系の枠に語学教師も作り、シンハラ語やタイ語の教師を招けばいいだけです。地方自治体で語学教室を作り、小中学校に広げていく。でも、10年以上前から時々投稿してますが、今のところは、絵空事として受けとめられているようで残念です。
👉 アイキャッチ画像:UnsplashのPhilippe Yuanが撮影した写真