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〈大学生×漫画×日本語史〉の「講義実況」 01 ミックスルーツの子供たちへの「特別講義」―『SPY×FAMILY』ロイドの1人称―

 

1. 「特別講義」のテーマは漫画『SPY×FAMILY』

今度韓国から日本に来る中学生・高校生たちは日本のアニメや漫画が大好きで『SPY×FAMILY』が人気みたいだ、と教えてくれたのは、生徒たちとオンライン交流をしていた日本語教員養成課程の学生だった。

私の勤務する近畿大学は海外の複数の大学と協定を結んでいる。その1つである韓国のある大学では、日本と韓国にルーツを持ち韓国に住む子供の日本語学習を支援するプロジェクトを長年行っている。約2年の学習プログラムの最終段階では10名ほどの子供が約1週間来日して日本語や日本文化の研修を受ける。プロジェクトスタッフの1人が近畿大学の日本語教員養成課程の修了生という縁もあり、滞在先を学内に設置し研修内容にも協力している。

研修期間のうち約半分は、日本語教員養成課程で学ぶ学生が教師やアクティビティのまとめ役となり、子供たちと日本語学習を通じて交流を深める。授業は上級学年の学生が、アクティビティは下級学年の学生が担当することが多い。授業やアクティビティの内容は、来日前のオンライン交流を通じて学生たちが考える。主役は自ら発案し準備して授業やアクティビティを実行する学生と子供であり、私を含め大学教員はあくまでサポート役である。

子供たちの来日に関する日本側の全般的な調整は、韓国語教育を専門とする同僚の教員が行ってくれる。日本語の歴史を専門とする私の主な仕事は、日本語教員養成課程(私も運営者の1人だ)の在籍学生から教師役とアクティビティ担当者を募ることと、子供向け「特別講義」の担当である。日本の大学で研修を行うのなら子供たちに「日本の大学の授業」の体験も、ということで始まった企画だ。1コマ90分限りの「特別講義」は、その年に来る子供たちの興味に合わせて毎回内容を変えている。

教員と教師役・アクティビティ担当の学生が集まる打ち合わせで、今回の「特別講義」のテーマを考えたいのでヒントがほしいと相談すると、子供たちとオンライン交流を重ねていた学生が冒頭のように教えてくれたのだった。『SPY×FAMILY』なら私も内容を少し知っていたので、主人公ロイドの1人称「オレ」「ボク」を例に役割語の講義をしようと考えた。漫画が題材になる役割語の話は子供も楽しんでくれることが多いからである。

しかし、講義準備のため『SPY×FAMILY』を読み込んでいくと、ロイドの1人称の使い方がそう単純ではないことが分かってきた。

 

2.「役割語」と『SPY×FAMILY』

役割語とは、2003年に日本語文法史研究者の金水敏氏が『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』で提唱した概念である。例えば「老博士は『ワシは博士じゃ』といった話し方をする」といったキャラクターと言葉遣いのイメージの強固な結びつきがあるとき、その言葉遣いを役割語と呼ぶ。この結びつきは日本語文化で育った日本語話者には子供の頃から当たり前に共有されている。子供向け漫画などのフィクションで典型的に用いられる言葉遣いだが、由来を辿ると昔の生身の日本語話者たちの言語生活に行き着くことが多く、日本語の歴史と関わりが深い。役割語は人称詞(「ワシ」)や文末語(「~じゃ」)に典型的に表れるので、『SPY×FAMILY』を題材にした講義でまず思いついたのが主人公ロイドの1人称だった。

『SPY×FAMILY』は遠藤達哉氏による漫画で、2019年から「ジャンプ+(プラス)」で連載中である。冷戦下にある2国、西国(ウェスタリス)と東国(オスタニア)の再びの戦禍を防ぐべく西国に設置された対東国諜報機関「WISE(ワイズ)」に所属する敏腕諜報員〈黄昏(たそがれ)〉が主人公である。〈黄昏〉はコードネームで、本名は作中でも伏せられている。黄昏はオペレーション〈梟(ストリクス)〉と呼ばれる作戦のために東国に潜入し、精神科医「ロイド・フォージャー」として偽装家族を作る。家族は孤児院から連れ出した娘「アーニャ・フォージャー」と、ひょんなきっかけで出会った東国人の妻「ヨル・フォージャー」である。実はアーニャは人の心が読める超能力者、ヨルは凄腕の殺し屋なのだが、3人ともお互いの正体を知らない(アーニャは心が読めるので両親の正体を知っているが口外しない)。正体をお互いに隠した家族3人の生活がコメディタッチで描かれていく。そして作中、黄昏=ロイドは1人称「オレ」と「ボク」を巧みに使い分けるのである(彼の「オレ/ボク」はいつも片仮名表記)。

漫画などに見られる「おれ」と「ぼく」の展開については前掲『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』に詳しい。個々の役割語の特徴や歴史をまとめた『〈役割語〉小辞典』の「おれ」「ぼく」の項目もそれぞれの展開を簡潔に記している。これらによると、「おれ」も「ぼく」も 自称詞としての歴史はかなり長いが、役割語の歴史で注目されるのは1970年代頃である。この頃を境に、少年向けの読み物や漫画における主人公が「清く正しい」少年から「低い階層から実力でのし上がっていく少年・青年」へと変容するとともに、彼らの1人称が「ぼく」から「おれ」へと変化した。近年は「おれ」が男性の自称詞として標準化しつつもあるという。

 

3. ロイドの「オレ/ボク」の複雑さ

『〈役割語〉小辞典』の「ぼく」項には「一人の少年に二人の人格が交替に現れる設定のマンガなどでは、弱くてやさしい人格のときに『ぼく』、強くて暴力的な人格が現れるときに『おれ』が使われるなどして、人格の書き分けに利用されることがある」とある。黄昏=ロイドは30歳前後の成人男性だが、スパイ「黄昏」と精神科医「ロイド」を行き来する点でこの類型に近い。彼の1人称はスパイの時は「オレ」、精神科医の時は「ボク」が基本である。銃撃の応酬も辞さないスパイの「オレ」と、心優しい精神科医の「ボク」は、上記の「人格の書き分け」に忠実なように見える。

しかし『SPY×FAMILY』を読んだことのある読者なら、これには大きな例外があるとすぐに気付くだろう。ロイドは娘のアーニャに対し「オレ」を使うからである。アーニャは超能力で父の正体がスパイだと知っているが、それをロイドに言わない。自分が超能力者だと知られることを恐れているからである。だから、ロイドは娘に正体がばれていることを知らない。ロイドにとってアーニャはあくまで精神科医の父として接する相手なのである。にもかかわらず、彼は孤児院から連れ出したばかりのアーニャに「オレのことはお父さまと呼ぶように」(第1巻1話)と、始めから一貫して「オレ」を使う。

別の観点から考えてみよう。ロイドはアーニャには「オレ」を使い言葉遣いが粗野になることもよくあるが、同じく生活を共にする妻のヨルには「ボク」を使い丁寧語を欠かさない。ヨルも常に敬語を用いるため、夫婦の会話は親しさを醸しつつも丁寧である。また、ロイドが精神科医として病院の同僚や患者に接するときも「ボク」と丁寧語がセットになる。こうした丁寧語の共起は「オレ/ボク」の使い分け基準になるだろうか。

残念ながらこれも成り立たないことがすぐに分かる。黄昏はWISEの上官や先輩に対して「オレ」を使いつつ丁寧語で話すからである。例えば、上官の管理官(ハンドラー)から、戦争を起さんがための爆弾テロを「必ず止めろ」と命令された黄昏は、「わかってます管理官オレも同じ気持ちです」「戦争はもううんざりだ」と答える(第4巻20話)。管理官、シルヴィア・シャーウッドは過去に黄昏の教育係だったこともある重要人物である。また、黄昏が「先輩」と呼びよく作戦を共にする口ひげの中年諜報員に対しても、彼は「…でオレが呼ばれたわけですか?」(第4巻18話)のように「オレ」と丁寧語を共に使う。このように、重要人物を含めた複数の人物に対する同様の例があるということは、丁寧語の共起は使い分け基準ではないということである。

 

4.仕掛けとしての1人称

黄昏=ロイドの「オレ/ボク」の使い分けの基準は、どうやらもう少し別のところにあるようだ。改めて、彼が主な登場人物(本稿執筆時点で刊行されているコミックス14巻までの登場人物)に対してどちらの1人称を使っているか整理しよう。なお、物語では重要でもロイドが1人称を使わない相手(アーニャのクラスメイト、ベッキー・ブラックベル)、ロイドが主に「私(わたくし/わたし)」を使う相手(オペレーション〈梟(ストリクス)〉の標的、ドノバン・デズモンド)は除く。

「オレ」
アーニャ・フォージャー(偽装の娘)
ボンド・フォージャー(フォージャー家で飼うことになった大型犬。実は超能力犬)
フランキー・フランクリン(ロイドがスパイ「黄昏」だと知っている、旧知の情報屋)
シルヴィア・シャーウッド(WISE管理官(ハンドラー)。黄昏の上官)
フィオナ・フロスト(WISE諜報員。コードネーム〈夜帷(とばり)〉。黄昏の後輩)
中年のWISE諜報員(作戦をよく共にする、黄昏の先輩)

「ボク」
ヨル・フォージャー(偽装の妻)
ダミアン・デズモンド(アーニャのクラスメイトの男子児童)
ヘンリー・ヘンダーソン(アーニャが通う学校の担任教師)
ユーリ・ブライア(ヨルの弟。家族が偽装であることも3人の正体も知らない)
ジークムント・オーセン、バーバラ・オーセン夫妻(フォージャー家の隣人)

ここから見えてくるのは、黄昏=ロイドが「オレ」を使う相手はロイドとアーニャが偽装の親子だと知っているということである。一方、「ボク」を使う相手は2人が偽装親子だと知らない。アーニャ本人はもちろんロイドとの親子関係が偽装だと知っているが、ヨルはそのことを知らされておらず、2人を血のつながった親子だと信じて疑わない。WISEの面々や、黄昏から長年情報収集の仕事を請け負っているフランキーも2人の本来の関係を知っている。飼い犬のボンドは賢いが人の言葉は話さない。黄昏からすれば、親子関係の守秘についてさほど警戒する相手ではないだろう。

つまり、黄昏=ロイドの1人称の使い分けは、アーニャとロイドの本来の関係を知っているか否かが鍵になっているのである。

黄昏は、「ロイド」として振舞っている時もモノローグでは「オレ」を使う。つまり、彼にとって基本の1人称は「オレ」であり、対外的に「ロイド」を装う時に使うのが「ボク」というわけだが、この装いの鍵が親子関係の秘密にあることになる。そう考えると、黄昏=ロイドの1人称は単なる役割語を超えて、物語の仕掛けに関わる要素にすら見えてくる。

 

5.相手の「クラス」に応じた1人称の使い方

ただ、話はここで終わらない。黄昏が親子関係の秘密を知らない相手にも「オレ」を使うことがあるからである。例えば、第1話で黄昏はスパイとして標的エドガーの後頭部に銃口を突きつけ「二度とオレに関わるな」と警告する。これはどう理解すればよいだろうか。

ここには、フィクションの登場人物の「クラス」が関係している。「クラス」については後述するが、ロイドは重要なクラスの相手には、4節で述べたような親子関係の秘密を鍵とする1人称の使い分けを行う。一方、重要でないクラスの相手には、3節の始めに述べたような典型的役割語の1人称を使うに留める。

金水氏の論文「《キャラクター》と《人格》について」は、ある人物の持つ様々な属性を「つなぎ合わせる扇の要のような役割」を果たす《人格》(「魂」にあたるようなもの)という概念を論じている。その中で、氏はフィクションの登場人物を「クラス1」「クラス2」「クラス3」に分類して《人格》との関わりを説明する。3つのクラスは、《人格》つまりその登場人物の唯一性を、読み手にどの程度強く感じさせるかによる分類だという。

クラス1は《人格》を最も強く感じさせ、読者が自己同一化を行う主人公や主人公クラスの登場人物である。『SPY×FAMILY』では、ロイドはもちろん、アーニャやヨルもクラス1である。作品を読む人は、ロイドやアーニャやヨルに自分を重ね合わせたり感情移入したりしながら読むはずだ。

クラス2の登場人物も《人格》を感じさせるが、読者が自己同一化することは少ない。クラス2の人物はクラス1の人物に強い影響を与え、時には対峙する。重要人物だが物語での役回りがクラス1とは違うのである。『SPY×FAMILY』の場合、4節に示した一覧でクラス1の3人以外の登場人物が代表的なクラス2である。

クラス3は、《人格》をあまり感じさせず、言葉遣いを含め描かれ方がパターン化しているようなモブキャラである。エドガーはこのクラス3に相当し、分かりやすい悪党キャラとして描かれている。この他、ロイドが勤務先の病院で接する同僚や患者の多くもクラス3に含まれる。

黄昏=ロイドの1人称の使い方は、話しかける相手のクラスに応じている。クラス1や2の人物には物語特有の「オレ/ボク」の使い分けを行い、クラス3の人物には典型的役割語としての「オレ/ボク」―暴力を辞さない人格の「オレ」と、心優しい人格の「ボク」―を使うに留める。黄昏は、クラス3のエドガーには典型的役割語の方の「オレ」を使っているということである。

黄昏=ロイドの1人称の巧みさは、役割語の基本に物語の重要な設定や登場人物の《人格》の強度を織り込んで生まれたものだと言えるだろう。

 

6.心にささる〈漫画×日本語史〉の話がしたい

当日の「特別講義」ではここまで詳しく話せないので、日本語に「役割語」があること、役割語「おれ/ぼく」の違い、ロイドの「オレ/ボク」もそれに該当する、という話が中心となった。アーニャの言葉(平仮名表記)やヨルの言葉(丁寧語の歴史)についても話したので、本稿に述べた黄昏=ロイドの1人称の特有の使い方については「おまけ」としてごく簡単に触れた。

講義中、子供たちと一緒にいた教師役の男子学生を指して、彼は卒論指導教員である私に「僕」を使うが礼儀には反していないと言うと、韓国から来た男子生徒たちが目を丸くしたのが印象的だった。また、講義後にある生徒が日本語に歴史があるのを初めて知ったという感想を一生懸命日本語で伝えてくれたのも嬉しかった。さらに、『SPY×FAMILY』の大ファンだという生徒が同じく大ファンの母に教えてあげるのだと講義内容のメモで埋め尽くされたノートを見せてくれた時は感激した。

過去のプログラムに参加した生徒が成長して日本の大学に留学生として入学し、教師役だった卒業生と再会したと聞く。今回の子供と学生の交流は何を生むだろうか。日本語史の周辺であれこれ考えるばかりの私の話が、子供や学生の何かに、ほんのわずかでも寄与することがあるなら嬉しい。

 

参考文献

遠藤達哉(2019-2024)『SPY×FAMILY』1巻-14巻、集英社
金水敏(2003)『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店(2023年、岩波現代文庫)
金水敏編(2014)『〈役割語〉小辞典』研究社
金水敏(2021)「《キャラクター》と《人格》について」荒木浩、前川志織、木場貴俊(編)『〈キャラクター〉の大衆文化 伝承・芸能・世界』KADOKAWA、pp.31-54

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近畿大学文芸学部准教授。専門は日本語史。明治時代の日本語を中心に研究を進めている。大学では日本語史や日本語学の授業を受け持つかたわら、日本語教員養成課程の運営にも携わっている。雨後のタケノコのごとく湧き出る大学の仕事をさばいたりさばききれなかったりしながら、授業では学生たちと格闘し、家では2人の子供と格闘する毎日。隙をみて明治期の文献資料を読んだり探したりする。気晴らしは、ジョギングと『ハノン』(ピアノの運指練習曲集)を弾くこと。無心になれる時間が尊い。