1987年春にフランスに来て以来、人生の半分以上をフランスで生きてきた私であるが、来たばかりのころは、こんなに長くフランスで暮らし、フランスで老いて行く人生を思い描いていたわけではない。学問や仕事という目的があって来たのではなく、日本で知り合った元配偶者がたまたま仏人であり、その人の帰国に伴い、日本での仕事をやめて、3歳の娘を連れてフランスに来た私だ。フランスで生活するということだけが当面の目的だったと言ってもいい。フランスに対するあこがれもなかったし、フランスの国や文化に対する事前知識も恥ずかしいほどなかった。付け焼刃で身に着けた仏語が少ししゃべれたぐらいだ。ただ、生活するなら、自分が自分らしくいられる居場所を作っていきたいとは思っていた。そして、大学生活、仕事、離婚などを目まぐるしく経験しながら、毎日毎日をバタバタと生きてきたら、あっと言う間にフランス滞在歴37年になっていたという感じである。
私にとってフランス生活は、驚きと、とまどいと、学びの連続であった。色々なカルチャーショックも感じたし、落胆したり、傷ついたり、フラストレーションで天に向かって叫ぶなどということもあった。今でも、色々な場面で違和感を覚えることがある。しかし、ではなぜ、メンタルもやられず、こんなに長くフランスにいられたのかと考えると、フランス生活には楽ないい面もたくさんあり、心地よさを感じることも多いことに気づく。遠くの親戚よりも近くの他人というが、多くの仏人に助けられてここまでやってこられたとも思う。今は、日本のいい面、嫌な面を語ることができるのと同様に、フランスのいい面、嫌な面もある程度語れると思う。
私の連載では、専門的な考察や深い洞察はあまりできないかもしれないが、37年の生活者の視点から、自分自身がどのように生きてきたか、どんな経験をし、何を感じてきたかということを中心に書きたい。また、それ以外にも、フランスやフランス語についての自分の経験と思いをまとめたり、フランスの生活事情を考察したりもしたいと思っている。「犯罪」や「健康問題」など、一つのテーマで経験をまとめる回もあるだろう。私の話の中には、フランス文化の中で育った娘、フランス人と中国人の血がまざった彼女の配偶者、彼らの3人の娘もたびたび登場すると思う。家族とは言え、彼らは皆、仏文化の中で育った仏語ネイティブであるので、私とはいろいろ思わぬ食い違いが起こるのだ。月一くらいのペースで書いていきたいと思っているので、乞うご期待。
- 書いた人:ヒロリン
- 著作:『フランス語話者に教える』
- 自己紹介:三重県生まれ。フランスに来るまでは京都と大阪の中間ぐらいの所で暮らしていた。外国暮らしは韓国の済州島も経験。フランス生活は37年になり、ちょっと変な日本人になりつつある。職業は大学勤務の日本語教師。日仏ハーフの娘が一人おり、日仏中国の血が混じった3人の女の子のおばあちゃん。