人が猫を好きになるきっかけは何だろうか。
私の場合、子供のころに家族で世話をしていた地域猫との出会いがすべての始まりだった。この話は追って紹介するが、彼らとの出会いから猫に関心を持つようになった半面、当時飼っていた愛犬の存在もあって長らく犬猫両党だった。しかし、数年前にとある街猫(地域猫)との出会いを経て、完全な猫党になったのだった。より正確にいうと、犬への思いはそのままに、猫への愛情が倍増したのである。
猫はかわいい。気ままだし、忖度もしないし、人間の顔色をうかがうこともない。でも、こちらが落ち込んでいると、知ってか知らずか足にすり寄って来て、ときには膝に乗ってくれる。もちろん、個人差ならぬ個猫差があるだろうが、それは飼い主への忠誠心が強いといわれる犬も同じだ。
子供のころに飼っていた柴犬はなかなか気位が高く、取っつきにくい面があった。好みでない食事を出されれば、少しにおいを嗅いだあと、給餌係を冷ややかに一瞥して定位置の寝床に引き上げていった。腰を下ろしてこちらを再び一瞥し、やれやれという様子で丸くなって目をつぶる。無邪気な表情を見せるのは、排泄後のいわゆる「トイレハイ」のときか、好みのおやつをもらうときぐらい。高慢ともドライともつかない性格で、最後まで距離感をつかみにくい相手だった。
その点、猫は自由気ままなイメージがあるせいか、いけずな反応をされても腑に落ちてしまう。膝に乗ったり、仰向けになって腹なでを求めてきたりした翌日に素っ気ない態度をとられても、いまは気が乗らないのだろうと納得できる。それどころか、自分も相手に気をつかわず、その時々の気分に正直に振る舞えたらどれだけ楽だろうとうらやましくすら感じる。このように猫は交流時の期待値が低いため、素っ気ない態度でも反感を覚えないし、甘えてくれたら喜びもひとしおなのだ。
そんな猫の魅力に取りつかれた筆者が、街中や旅先で出会った猫たちを淡々と紹介していこうというこの連載。街中で暮らしているから街猫、地域で暮らしているから地域猫、どちらもほぼ同じ意味で用いているが、ちょっと響きがいい気がして本連載では街猫の表記が多くなると思う。
はたして連載として成立するかどうか。わりと実験的な試みである。1本の記事のボリュームに足るだけの交流が生まれるか、浅い交流しか生まれず3倍希釈の調味料を10倍に薄めたような記事になる恐れはないのか、いずれも責任の半分は筆者の私にあり、もう半分は交流相手の猫にある。もしネタが続かず、連載テーマが変わるようなことがあっても、世の猫たちに免じて許していただきたい。