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移民として暮らすパリ 01 パリの夏と衣替え

電子マガジン連載というものを初めてやらせていただくことになってワクワクしている。新しいことへの挑戦は脳への刺激になり、私にとっては認知症予防にもなるだろう。フランス滞在37年の経験の中での思いと学びをアウトプットすることは、これからもフランスで生き続けていくための活力を自分に与えることにもなるだろう。いただいた機会に感謝し、なるべく良いものを書きたいと思う。読んでくださる方がおもしろかったと感じてくださるものができれば幸いである。

この原稿の冒頭部分を書いているのは8月12日月曜日。執筆場所はパリ近郊のN市の自宅である。今日はとても暑い。最高気温は36度だ。こう書くと日本の夏と同じじゃないかと思われそうだが、実は違いが色々あるので、私のフランス暮らしの紹介を兼ねて、まず、パリの夏について書こうと思う。パリは北緯49度に位置する都市なので、日本の最北端の稚内市よりも北にある。というと、では雪国なのかと思われてしまうが、温かい北大西洋海流と偏西風によって一年を通して比較的温暖な気候であり、冬に雪が降ることはあまりない。夏はどうかというと、日本に比べると比較的過ごしやすいとは言える。日本の夏はコンスタントに暑く、たまに帰国すると「今日も暑いね」が毎日の挨拶になっていると感じる。フランスの夏も暑い日があるが、コンスタントに暑いのではなく、日々の気温差が大きい。ちなみに、昨日は32度、今日は36度、明日は28度と大きく動き、夏でも最高気温が20度ぐらいの日もある。一日の中での寒暖差も激しく、最高気温が30度の日でも、暑くなってくるのは午後からで、午前中は17度ぐらいから始まり、長袖の上着が必要だ。朝通勤で駅まで歩く間にすでに全身が汗だくになる蒸し暑い日本の夏とは様相が違う。フランスの夏には、軽装で家から出た途端に「しまった、寒い」と思い、逆に、日本の夏には、軽装で出かけ、スーパーに入ったり、電車に乗ったりすると「しまった、寒い」と冷房に震える経験を何度もした。

フランスに来たばかりのころは、「衣替え」という日本の習慣を私はパリでも行っていたが、夏服に替えてもまたセーターが必要な日が何度もあり、出したりしまったりしているうちに面倒くさくなって、いつの間にかやらなくなった。私には幼い3人の子のママになっている娘がいるのだが、子供たちを保育園と小学校に送り出すのに、どんな恰好をさせたらいいか迷うので、その日の一日の気温の動きチェックが毎朝欠かせない習慣だと言う。そんな寒暖差の激しいフランスでは住んでいる人の体感温度の個人差も激しいようで、夏でも、ノースリーブを着ている人と冬物のセーターを着ている人が並んでいたりする光景が普通にみられる。パリの8月にある駅の構内で撮った写真をよく見ていただきたい。半袖の人と、まるで冬のようなセーターを着ている人が同じエスカレーターに乗り合わせているのが分かっていただけるだろう。

話は大変暑いこの日にもどる。午後から用事があり、パリの西郊外のN市の自宅から電車でパリに行った。N市は近郊で、パリまで電車で10分ぐらいだ。最寄り駅で電車を待っている間に、あることに気が付いた。後続電車の時間と行先を知らせる電光板が、今日は頻繁に動いて別の画面を表示するのだ。仏語と英語で何か文章が書いてある。

読んでみると、非常に暑いので、小まめに水を飲んだり、肌を濡らしたりして、涼しくしてください、と表示されている。同じ内容のアナウンスも流れる。一瞬意外に感じた。テレビニュースや天気予報で広く警戒を呼びかけるのは驚かないが、駅でもやるのかと思ったのだ。しかし、身体の異変を感じたらすぐ電車を降りて係員にご一報ください、というアナウンスも流れたので、そうか、電車の中で具合が悪い人が出ると、電車のダイヤが乱れるのか、と納得する。フランスの電車やメトロも冷房設備はあるが、線により時間帯により冷房の効きが違い、すし詰めのときは密室で息苦しさを感じることもある。わざわざ弱冷房車を作るほど冷房が効いている日本の交通機関とは違う。

フランスは湿度が低く、夏でも普通に歩いているだけでは汗をかかない。だから日本のように汗拭きタオルなどを持ち歩く人はまずいない。この特別暑い日は、手やTシャツで顔を拭く人、ティッシュで汗をぬぐう人を見かけた。私も久しぶりにベタベタになって自宅にもどり、すぐシャワーを浴びた。

読者の方は、私が慌てて冷房のスイッチを入れる姿を想像されたのではないかと思うが、はずれである。私のうちにはエアコンはない。37年間ずっとエアコンなしの生活を送ってきた。こういうと、日本の方々には、エアコンを買うお金もないのだろうか、とか、エアコン嫌いの老人が無理してエアコンを使わない生活をしているのではないだろうかとか、色々想像されてしまうのではないかと思うが、そうではない。出かけるときに窓のシャッターを下ろしておいた自宅マンションは外よりずっと涼しいのだ。

フランスの建物は、特に古い建物は、中が涼しいので気温の上がる午後には、窓を開けずに光を遮断して午前中の温度を保つのがよい。私が住んでいるのは1970年代の建造物だ。木造ではないので、火事があっても全焼することはまずない。そのため、フランスには古い建造物がたくさん残っている。入り口には建築年と建築家の名前などが表示されていたり、元居住者の著名人の名前が示されていたりすることもある。また、フランスの建物の正面や側面には、芸術の国らしく絵やきれいな模様が描かれていたりしてアートを感じる。いくつか写真を載せたい。

エアコンの話にもどると、知り合いの住まいに行ってもエアコンがあるのは見たことがないので、私一人が風変わりな生活を送っているわけではない。この部分を書いているのは、その日の夜の7時半。風があるのですべての窓は全開、それに扇風機を回してパソコンに向かっているが、普通に仕事ができている。

ひどく暑い時どんなことに注意をしたらいいか、という暑さ対策は、どこの国でも存在すると思うが、細かい内容を見てみると違いがあっておもしろい。以下は、フランスの労働・健康・連帯省から出ているポスターに書かれた8項目である。ひどく暑い時には、涼しい所にいること、のどが渇かなくても水を飲むこと、身体を濡らすこと、窓やシャッターなど(直射日光や雨を防ぎ空気を通す設備)を閉めること、ハードな運動をしないこと、バランス良く新鮮なものを食べること、アルコールを避けること、心配がある人に連絡をし近況を尋ねること、が推奨されている。

フランスの労働・健康・連帯省の暑さ対策啓発ポスター
https://sante.gouv.fr/sante-et-environnement/risques-climatiques/article/les-vagues-de-chaleur-et-leurs-effets-sur-la-sante

ちなみに、日本の環境省の熱中症予防対策ポスターはどのような内容かというと、熱中症警戒アラートチェック!、見守り・声がけ、適切にエアコンを使おう!、こまめに水分・塩分を補給!という4項目が簡潔に示されている。夏のエアコン使用がデフォルトの日本では、涼しくするとは即ちエアコンをつけることなので、ここでの適切ではない使用とは、必要な時のエアコン不使用ということだろう。自宅にエアコン不備がデフォルトのフランスでは、エアコンへの言及はなく、太陽の光を遮るために窓を閉めたり、シャッターを下ろしたりして、中を涼しく保つことが暑さ対策の一つだ。

日本の環境省の熱中症予防啓発ポスター
https://www.wbgt.env.go.jp/heatillness_pr.php

また、「夏バテ」という語彙が存在するほど、暑さによる体調変化が日常茶飯事の日本では、暑さの中の体調管理行動は、もう生活の中にしみ込んでいるのではないかと思われるが、そうではないフランスでは、身体を濡らす、ハードな活動を避ける、バランスの良い食事をとるなど基本的だと思われる注意事項が並ぶ。また、飲酒を控えろというのは、脱水にならないためだと思うが、すでに水を飲めという注意があるにも関わらず、またアルコールへの言及があるのは、フランスの人々のアルコール摂取量がかなり多いということかもしれない。

昔、飲料水の質が悪かったころは、病院で水の代わりにワインを飲ませていたという、ワインが生活にしみ込んだフランスであるが、近年は、特に夏はビールを飲む人が増えているようだ。フランスには、日本で見かけるようなアルコール飲料の自動販売機はないが、カフェではお茶だけでなく、ビールやワインなども飲める。ちなみに、なくなった母親が、フランスに遊びに来てカフェに入るたびに、メニューを見ながら、ジュースとビールと同じ値段なんだもの、ビールを頼むに決まってるわ、といつも言っていたのを思い出す。

以上、フランスの夏から初稿をお届けした。これから月一回程度で、パリ滞在記の連載を続けて行きたい。次回は、パリ五輪期間中のお話になる。パリ五輪の批評は私も色々耳にしたが、現場関係者でもない私には実際のところは分からない。期間中の私の日常生活の中で、自分が実際に見たこと、感じたことに限定してお話をしようと思う。


参考URL

環境省熱中症予防情報サイト
https://www.wbgt.env.go.jp/heatillness_pr.php

フランスの労働・健康・連帯省
https://sante.gouv.fr/sante-et-environnement/risques-climatiques/article/les-vagues-de-chaleur-et-leurs-effets-sur-la-sante

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  • 書いた人:ヒロリン
  • 著作:『フランス語話者に教える』
  • 自己紹介:三重県生まれ。フランスに来るまでは京都と大阪の中間ぐらいの所で暮らしていた。外国暮らしは韓国の済州島も経験。フランス生活は37年になり、ちょっと変な日本人になりつつある。職業は大学勤務の日本語教師。日仏ハーフの娘が一人おり、日仏中国の血が混じった3人の女の子のおばあちゃん。