私が本格的に猫愛に目覚めるきっかけとなった2匹の街猫。初回はその片割れである「ぽん太」を紹介したい。
碑文谷に20年近く住んでいた「ぽん太」は、白黒のぶち猫だった。黒い毛は額としっぽに少しある程度で、圧倒的に白の分量が多かった。セルフグルーミングが下手で、いつも右脇腹と股のあたりばかりをなめ、なめた箇所はほのかに湿り、白い毛の大部分はうっすらとグレーがかっていた。寝食をともにしていた面倒見のいい三毛猫「ちゃこ」が、セルフグルーミングの不足部分をなめてやっていたことで、かろうじて身綺麗さを保っていた。人間にも不器用で至らないところを愛嬌と見なされ、「しょうがないなあ」と周囲の人に手助けしてもらえるタイプがいるが、ぽん太は猫にしてそれを会得していた。
不器用さを愛嬌に昇華させるのに成功していた彼は、自分に好意的な人間を見ると、誰かれかまわず、ひどいダミ声ですり寄っていった。地域の公園で起きた死体遺棄事件の際には、現場検証のゆくえを見守る巡査の足もとに座り、あたかも目撃情報を伝えようとしているかに見えた。つかず離れずの関係を保っていたご近所猫「トラ」も、またやってると言いたげに、ぽん太と巡査の様子を遠巻きに見守った。
「おまえ、何か知ってるなら教えてくれな」と巡査が問いかけたなら、ぽん太は「オ゛ア゛ア゛ー」とダミ声で応じただろう。その後、容疑者は逮捕されたが、ぽん太の目撃証言が採用されていたら、もっと早くに解決したにちがいない。本猫としては微に入り細をうがって報告したつもりでも、巡査には十分に伝わっていなかったのかもしれない。
「尻ぺちマスター」でもあったぽん太は、出会った人間すべてに尻を向けて前躯を下ろし、しっぽの付け根をたたくよう要求した。ソフトタッチよりもハードタッチを求め、あまりの激しさゆえに、ぽん太が人間から尻ぺちを受ける光景は、さながらスパンキングや心臓マッサージのようだった。人間の格を尻ぺちスキルで量っていた彼は、しっぽの付け根の適切な箇所を、適切な角度と適切なリズムでたたくよう求め、ななめうしろを見るともなしに見、ぺちり人の手業を厳しく査定した。強すぎても、弱すぎても、たたくべき箇所が背中よりすぎても、しっぽよりすぎてもいけない。ストライクゾーンからそれて一定時間がたつと、ぽん太は相手に向き直ってダミ声で抗議し、場合によってはしゃがんだ人間の膝に前足をのせて遺憾の意をダイレクトに告げた。
尻ぺちについては注文が多いわりに、同じ臀部でもよりコアな箇所については無頓着だったぽん太。おおらかすぎるきらいのあった彼は、「お花摘み」の痕跡が肛門付近についていることがよくあった。それで尻を天高く突き上げるのだから、ぺちり人からしたらたまったものではない。風向きによっては鼻腔を直撃するし、そうでなくても突き上げた尻が鼻先近くまで迫ることもある。でも、いちばんたまったものでなかったのは寝食をともにしていたちゃこだろう。相方の尻からただよう異臭が気になって食事を中断することもあっただろうし、寝床に異臭が充満して寝つけないこともあったかもしれない。ひときわ自己肯定感のつよい相方は自分に非があるとは考えず、不思議そうな顔をしているのだからなおさらだ。
公園で開かれる盆踊り大会も、ぽん太にとっては自分を称えるフェスにすぎなかった。祭りの雰囲気に誘われて繰り出してきた敬愛者たちはぽん太のもとに立ち寄り、なでたり、尻ぺちをしたりして彼の存在を称えた。そんないつもの面々に加え、ぽん太フェスこと盆踊り大会には浴衣姿の女性たちも顔をみせた。女性たちに囲まれたぽん太は、上機嫌でそれぞれの足もとにすり寄り、「かわいい」と嬌声とともになでられれば、「オ゛ア゛ア゛ー」とダミ声で愛嬌を振りまき、ハイレベルな尻ぺちを受けては「オ゛ア゛ア゛ー」と節操なく快哉を叫んだ。人間にとっては夏の風物詩でも、ぽん太にとっては大勢の人間から愛情が注がれる恍惚の夕べだったのだろう。
一方で、やきもち焼きでもあったぽん太は、人間の注目が相方のちゃこに集まるのを好まなかった。誰かがちゃこを愛でようものなら、自分が差し置かれた事実を受けとめられず、愕然とした顔つきで現場に駆けつけた。あたかも偶然行き会ったかのような雰囲気で、人間とちゃこのあいだに割って入り、「オ゛ア゛ア゛ー」とダミ声で自分の存在をアピールするのだった。最初のうちはちゃこも、自分の鼻先をかすめるように行き来するぽん太を煙たそうに見てやり過ごすだけだが、「仏の顔も三度まで」と言わんばかりに四度目になると決まって猫パンチを食らわした。ぽん太はそのたびにしゅんとし、ちゃこを愛でていた人間の足もとにすり寄り、慰めてほしそうに「オ゛ア゛ア゛ー」と力なく鳴いた。ちゃこはそんなぽん太に冷ややかな一瞥をくれ、少し離れた場所に移動して毛づくろいをはじめるのだった。
時の流れとともに、ぽん太の猫仲間は1匹、また1匹と減っていった。ある猫は病気で亡くなり、またある猫は突然ゆくえをくらまし、ついに公園に暮らす猫はぽん太とちゃこだけになった。猫仲間がいたころは、公園のベンチで夕涼みをすることもあったが、いつからかぽん太は夜の放浪を好むようになった。日中は相方のちゃこと行動をともにするが、夕方になると、何軒かあったなじみの家をたずね歩いた。ある日は岸さん、ある日は木村さん、ある日は田中さんと、その日の気分で夕飯をとる家を決め、一軒家が建ちならぶエリアを彼はのんびり歩いて移動した。疲れれば、木陰で休み、夕立が降れば、車の下にもぐって雨宿りした。そして、夜遅くにちゃこのもとへ戻り、縄張りの公園一帯に異常がないか確認してまわった。朝になると、配膳係からもらった朝食をちゃこと一緒にとり、それもすむと、どこかで深い眠りについた。
ぽん太はたびたび失踪騒動を起こし、何日かすると、何事もなかったかのように公園に戻ってきた。「ねぇ、ぽんちゃん。うちの子にならない?」と敬愛者から誘われてついていったのか、単に放浪していたのか、昔かたぎの遊び人の男のように最終的には公園のちゃこのもとに帰ってきた。失踪するたびに気を揉んでいたお世話係の面々はぽん太の帰還を喜んだ。本猫からしたら、敬愛者宅での待遇がいまひとつで元の生活に戻っただけなのかもしれない。公園にいたらいろんな人から美味しいものをもらえるし、匠の技の尻ぺちを受けることもできる。それが敬愛者宅に住んだら、自由に出歩けないばかりか、食事や尻ぺちのバリエーションも減って単調な日々になった。もう公園に帰ろう――学ばない男、ぽん太も何度目かの失踪から帰還すると、丸1日行方をくらますことはなくなり、朝食の席には必ず姿を見せるようになった。
でも、その日、ぽん太は朝食の席に現れなかった。
いや、ぽん太はいつものように朝食の席に向かっていたのだろう。運動場が広がるエリアから池のあるエリアへ向かって、ぽん太は一方通行の道路を横断しようとした。その道路は幹線道路から幹線道路への抜け道になっていて、人通りが少ない時間帯には車がスピードを上げて通り抜けることもめずらしくなかった。地域住民はぽん太とちゃこが道路を横断すると知っているが、ただの抜け道として利用するドライバーは知るよしもない。まして、ぽん太は万事自分が優先されるとばかりに、のんびり横断することで知られていた。そうした彼ののんびりした性格が災いしたのだろう。夏も終わりに近づいたある日の早朝、ぽん太はスピードを上げた車に轢かれて亡くなった。即死だったという。
街猫はからだが弱るとどこかに身を潜め、人知れず亡くなることも多い。その点、ぽん太は人間との関わりを最後まで持ちつづけ、まだ温かいうちにお世話係のひとりである高齢女性によって発見された。ぽん太の遺骸は地域一帯の街猫たちがそうされてきたように、ペット葬祭の業者によって荼毘に付され、かつてともに過ごした顔なじみの街猫たちと同じ墓に葬られた。
ひょうひょうと生きたぽん太は、愛嬌いっぱいにひょうひょうと去っていった。20年あまりの猫生だった。