日本語教育クラスタ_2022年

日本語教育クラスタ | 2022年 | 2023年 | 2024年 | みん日まつり

日本語教育クラスタ_2022年

ここは日本語教育クラスタの派生ページで、2022.10.01以降ことを記録したページです。

日本語教育クラスタでは、結構ひどい投稿や決めつけ、明らかな誤りが無批判にタイムラインに流れてきます。時に多くのイイネがつきます。その後、炎上することも、問題視されることもほとんどありません。そして、半月もすれば、忘れられてしまいます。ここでは、そういうものを淡々と記録していくという考え方でやっています。一方的に何かを言われている人も、その姿をみている人も、有名だとか肩書きがあるから正しいのかな?と考える人も多いと思いますが、違う考え方もあるのだと示す必要もあると思って補足もしています。よかったら参考にしてください。

👉 SNSで乱暴な放言をするような人は、SNS上で注意されたり間違いを指摘されることを極端に恐れる人でもありますから、SNS上で対応してもほぼ意味がありません。日本語教育クラスタで、誤りを指摘されて反省しているケースはほぼ見たことがありません。

時間がある時だけ、ざっくりですが、「外の人」として、空気を読まずに、記録してみます。文脈や空気の補足として、時に書き手の考えで切り取り、補足が書かれることがあることをご了承ください。この種のことはどうやっても書き手の考えは出てしまうものです。

私どものツイッターアカウントは2010年前後の開始当初から誰もフォローはせず原則発信のみという使い方ですし、2018年3月末に一区切りでやり取りもしないことにしました。クラスタからかなり距離を置いている人でないと、こういうことはできないような気もします。おそらく歓迎されず、得することはないですが、やや離れたところから見て記録する人がいてもいいだろうと考えています。

当時の流れを把握したい場合は、過去のある時点のタイムラインを再現する方法はありませんが、この記録を手がかりに、ツイッターの高度な検索で、期日指定をして、キーワードで絞り込んで(例えば「教師 キャバ」など)検索すれば関連のツイートはもっと拾えると思います。さらに拾ったツイート群から効率的なワードを探してみてください。

折りたたみ機能を利用しています。

ここをクリックすれば下に文章が現れます。

ここでの引用についての考え方は、このwikiについてを参照してください。


👉 Twitter研究Twitter入門などもできれば参考にしてください。例えば、SNSの理解度によって強者によってコントロールされがちな「炎上」については、Twitter研究の炎上の研究に炎上の際に何が起きるのかを書いています。

👉 ちなみに、この記録の作業は全然楽しくありません。同じようなウンザリすることが起きることを時間をかけて引用しても、投稿を削除されれば終わりですから、空しい作業です。できればやめたい。そのうちやめると思います。私はずっとインターネットの恩恵を受けてこれまで仕事を続けてこられたので、ネットが酷いことになっているのを見るのは悲しいです。当面、ボランディアだと思って続けています。



日本国内で日本人相手の教育関係者が言えば超炎上しそうな発言。

「①母国でちゃんと教育を受けていた人。②ある程度お金持ちの人。③進学することが目的の人」は「質の良い学生」で、「①母国で教育をあまり受けていない人。②お金持ちではなく、借金をして入学した人。③そもそも留学が目的ではない人。挙げればキリがありませんが、とりあえずこの三つにしましょう。」は「質の悪い学生」で、前者のほうが教師は「楽」。

日本語学校は一つだけではない(日本語コーチ氏)

→ 2022年のブログ記事ですが、2023年には削除されていました。

【追記】

同氏は2023年5月にも教師の仕事環境は学生の質に左右されるという同じような主張をツイートし多くのイイネがついてました。

「優秀な留学生」は  - 基礎学力がある

  1. 予習、復習をする
  2. わからないことを聞ける
  3. お金に困っていない

だとし、「優秀ではない留学生」は

  1. 基礎学力がない
  2. 予習、復習はもちろん宿題もしない
  3. わからないことがわからない
  4. お金に困っている、アルバイトがメイン

としたうえで、優秀な学生のクラスがいい。なぜなから「ハッキリ言います。「その方が楽だから」です。」としさらに

「新人だろうが、ベテランだろうが、こういった「優秀な留学生」が多いクラスであれば、圧倒的に楽だと思います。元も子もないことを言えば、留学生の質が良ければ、教師の教え方が下手であっても、あまり影響が出ないでしょう。反応もあり、授業も比較的スムーズに進めることができるでしょう。「優秀ではない留学生」が多いと、新人だろうが、ベテランだろうが、こういったクラスでは、どうにもならないことが多くなるでしょう。反応もなく、授業と呼べるような状態にはならないでしょう。

と続きます。

日本教師として最も大切なことを教えます | 日本語コーチ https://nihongocoach.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e%e6%95%99%e5%b8%ab%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%ae%e6%82%a9%e3%81%bf/788/

前回はここに書いた直後に記事が削除されたので、念のためキャプチャしておきました。

👉 補足

すべての学習者は担当する教師が必要

語学に限らず教える仕事は学習者のモチベーションにかなり左右されることは事実で、(すべてそうではありませんが)「楽」な側面があると実感する教師が多いこともありそうではあります。しかし、仮に事実であるとしても、よく考えれば想像できる程度の、そして数年経験すれば実感できる程度の、単に退屈な事実であり、発見したり人に教えるほどのことでもでない。こういうことは、「本音を書いた感」があって、それが興味をひくというSNSっぽいこと以上でも以下でもないと感じます。こういうことが「楽に日本語教師で食べていくための処世術」として語られることはSNSではいかにもありそうなことです。

一方で、国内にいる日本語が母語でない人が日本語を学習する機会を与えられるべきであることは間違いのないことで、日本の行政の整備の問題点でもあります。学習者のモチベーションの高低に関わらず、その仕事に携わる日本語教育関係者は必要であることも間違いないと思います。教育においてモチベーションが低い学習者はやりにくく担当する教師がいないからと、そういう学習者をサポートをしないわけにはいかないからです。日本だけでなく世界には、そういう学習者に、辛抱強く教える教師が無数にいて、これも大事な教育の仕事だとがんばっている。そういう人達のおかげで教育が成立している。そういう学習者が成長し社会の中で生きていく力を得ることで、実はモチベーションの高い「優秀な」とされている人達も結果として、間接的に恩恵を受けている。

これらも事実です。さあ、では、あなたは「モチベーションが低い学習者は大変だから逃げろ」みたいなネットでウケそうな「身も蓋もないように響くこと」を「処世術として」書いてアクセスを稼ぎますか?ということです。

根拠薄弱

もうひとつ、こういう「身も蓋もない事実」として書く場合は、最低でもきちんとした調査をしたうえで行われるべきだと思います。例えば「お金が無い人はなかなか結婚できない」みたいな調査結果とともに語られるみたいなことは時々みます。

しかし、この「基礎学力がありお金がある学生は楽」、とか「優秀な学生は教師の教え方の善し悪しは関係ない」みたいなことは、一見、もっともらしく響きますが、何か調査をしたり、検証されたわけではありません。すべて実感レベルの話に過ぎません。教える側にとって、語学は学生のモチベーションを引き出して継続させることは重要な要素で、昨今、特に重要視されています。このように「結局学生のモチベーション次第」と言いきってしまうことは疑問です。

顧客の悪口をネットに書き込むということ

そして、実は、こういう話題をネットに書き込む業界は、あまりありません。小中学校の教師やその他の教師もそうですし、一般社会では顧客が払ったお金で給料を得ている以上、おおっぴらに顧客の悪口を書くことはモラルに反するという観念があります。もちろん、日本語学校では、アルバイト漬けの学生のアルバイト代のほとんどは、学費であり、教師の給料になるわけです。

留学という在留資格で学生がアルバイト漬けになるのは明らかに制度の問題ですが、特にその制度に問題提起をするわけでもなく、単に「バイトしないといけない学生が多い学校は地雷だ」ということが日本語教師にとってもっとも大事なことだと言うのは、仮に現状に対する皮肉であったり制度に対する批判が暗に込められていたとしても、明らかに単なる処世術として受け取られることも見越して書かれており、イイネを稼ぎ、結果としてアフィリエイト広告満載のブログ記事への誘導となっているわけです。

「コーチ」と書かれているので、どこかでコーチング理論を学んだということかもしれません。そこで教えるコーチングとは「結局相手のモチベーション次第だから諦めろ」みたいな考え方なんでしょうか。それともいわゆる一般的なコーチング的な発想とは逆のことを言う高度な皮肉としてコーチを名乗っているといことなのでしょうか。



SNSで、こういう主張は多いですが、正論であるかどうかのジャッジも、どこまで低姿勢だと許されるのかも曖昧でよくわかりません。なぜ低姿勢じゃないとダメなのかも。

この場合、正論と認めているということは正しいということかもしれません、もしそうならば、それには従うしかないのではという気がします(あるいは、自らの過ちを認めたくないという心理が隠されている?)

「正論」という語も複雑です。「声高に正論を主張する」という場合の正論は正しい論ではなく、現実的で無かったり、机上の空論であったりというニュアンスが隠されています。「正論を振りかざす」にも批判的なニュアンスがあり、正論が多数派で自分が少数派であるというニュアンスとそのことへの反発も見え隠れします。もしそうならば、すでにその正論は正しくはないと考えているわけなので、正論の中に釈然としないものがあるならば、そこを深掘りして考えて論理的に組み立てればいいわけです。それはその「正論」の矛盾をつくもうひとつの正論になる可能性を秘めています。

つまり、単純にその口調の良い悪いを断罪するのは、十分に考え、議論を尽くした後でやるべきことで、それはなされたんでしょうか?という疑問がわいてきます。

意見を言う、議論をするということは、ある程度のぶつかり合いが起こることは許容するしかなく、双方が、そういうことに対するある程度の耐性をつけないと、なかなか議論をする場は生まれない。同時に、配慮ばかりを課すことが、何かを言うことに対するハードルになることもありそうです。罵詈雑言に終始するのでなければ、論理さえあれば、そしてその論理に従って議論を進めるというルールさえあれば、多少の口調の乱暴さは許容する覚悟が必要です。議論に必要なのはロジックとルールであって、マナーだと言い出すと収集がつかなくなるのでは?という気もします。

しかし、SNSでは、もはや議論は難しいというのは、今のSNSだけでなく、日本に、上のような空気感があるからという気もします。他人に何かを投げかけるためには、まずは、丁寧な挨拶、日頃の情報提供への感謝、意見への共感、単なる批判ではなく、悪意はないという周到な準備とその長々とした前置きがないとできないものになっており、それならば、そういうネガティブにとらえられる可能性が少しでもあることは最初からやらない、という選択をする人が多数になっている。それではどこで議論をすればいいんでしょうか?

👉 私が知る限り、英語圏のSNS上にも当然、罵詈雑言もありますが、そうではないフェアで激しい議論もあります。特に教育関係者は、ロジカルに議論をすることは大事だというコンセンサスがあります。ロジックさえあれば、前置きなしに意見をぶつけることができる。過剰に配慮を求めることは無く、それよりも議論が成立する場をどう維持するかのほうが重視されている。欧米の人との付き合いが多かった経験からいっても、議論に必要なのは、配慮やマナーではなくロジックを重視する姿勢、ルールだという考え方があり、むしろマナーありきであってはいけないというスタンスが共有されているように思います。マナーは曖昧で時に偏りがあり、文化的な趣が強すぎ、その場のマジョリティの強さによって左右される、という考えがあるからです。日本語教師wikiとして付け加えるならば、学習者が社会に出た時、インターナショナルな環境で求められるのは、国や文化の違いを超えて論理的にきちんと議論ができることではと思います。



2020年あたりから「第二言語習得研究によって実証済み」というセリフは増えた。基金関係者発信?文型を覚えるのは無駄(とは第二言語習得では言われてはいないはず)で「心に響く中身のない形式だけをいくらやっても積み上がらない」ということも確信をもって語られる。心に響くと積み上がる?「心に響く」とは?

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上のツイートで示唆されているツイート主は該当ツイートはすべて削除し、以降、以下のようなツイートをしたくらいで特に議論をするでもなく、スルーしつづけた模様なので、どんな文面だったのかは ツイ主のこれまでのみん日に関するツイートから推察するしかなさそうです。

その一ヶ月後に以下のようなツイートを投稿。

削除されたツイートはもう無いのでわからないまま。



『日本語総まとめシリーズ』|

2022年の夏から秋にかけて『日本語総まとめシリーズ』の設問の一つがDVを許容している内容だとツイッターなどで炎上しました。経緯は目的別の教材の以下に記録しています。

DV関連の問題例で炎上?→改訂へ




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