日本語教育クラスタ_2024年

日本語教育クラスタ | 2022年 | 2023年 | 2024年 | みん日まつり

日本語教育クラスタ 2024年

24年は貼るだけになりそうです。このwikiは貼れば、元の投稿のテキストは残るので魚拓的な意味もあるかなと思います。24年以降は、日本語教師クラスタは中先生のサロン的な場所になってしまいそうな予感もします。「日本語学校の教師の皆さんにも、困ったもんですねえ」的な。。。

日本語教育の外に出ましょう。

日本語教育関係以外のアカウントのリスト

日本語関連の議論は日本語教育関係者以外のものが充実しています。

日本語関連のTogetterのまとめ

この日本語教育クラスタ は、問題があると思ったことは、正面から必要な文字数を使って書くというスタンスです。こういうこともあるだろうと考えた上でやっていますので、仕方ないことなんですが…

@Midogonpapa氏からはもう2010年代はじめからブロックされていますが、23年は新たにJojiSensei氏、 @Umineko1848氏、@rintarock1980氏からもブロックされたようです。このへんの引用や、12月のみん日まつりの記事などが理由になっていると思います。

X(Twitter)の仕様に詳しくない人のために補足をしますと、相手の投稿を読みたくないのならミュートで間に合います。ブロックは相手に自分の投稿を読ませないという機能があり、そのための方法という意味があり、引用して何かを言われることを拒否するという色合いが濃いものです。かつSNSではブロックされた人は、アカウント停止のリスクが高くなり、アルゴリズム的に投稿が他の一般の人に表示される頻度も下がるなどもろもろ不利益を受けることになります。

ちなみに私どもはスパム以外ブロックはしていません。誹謗中傷や暴言は例外としても1)、公開の場に投稿する以上は引き受けるべき責任があり、リスクも負う、当然、批判も受ける。間違いの指摘をされる状態にするためにも、すべての人が読める状況にしておくのがフェアだと考えるからです。もちろん、引用されることについても抗議をしたことはありません。パブリックな場所に投稿したものが引用して何かを語られることを拒否する権利などは無いと考えています。

ここでも引用については書いていますが、一応、補足しておきます。SNSには外部埋め込み機能があり、ネット上で引用されることにも同意していることになっています。引用では事前、事後の報告が必要ではないということも、発言、引用の自由を保障するうえで重要なことです。書いた人が明確で期日もあり、リンクもある、全文引用という国際的な引用ルールにのっとっています。SNSは、純粋に自分発信で書いているものは少なく、基本、世の中の出来事、メディアの報道はもちろん、SNS内外のあらゆることを「引用して」何かを書くメディアと言っても良いと思いますが、このようにSNSの外から引用されて何か書かれると過剰に反応されるのはよく理解できません。

というわけで、上記のアカウントの投稿は今後、みることは難しくなりました。

👉 私は仕事のアカウントと非公開のプライベートのアカウント(仕事のことは一切書かない連絡用)をそれぞれ持っていて、投稿の閲覧ではアカウントを切り替えなくてもいいように、同じリストを共有して両方でみていますが、わざわざこのプライベートの非公開アカを探してブロックしていた人もいるので、とにかくもう引用して何か書かれたくないんだろうと思います。

👉 私は90年代から2007年あたりまではサイトもSNSも日本語学習者相手で主に英語圏のネットにいたので、こういう日本的な空気にいつまでたっても慣れません。

シラバスの議論から逸脱して、もう教師がダメだとか、構造シラバス使う大学は程度が低い、みたいな話になってきていて、なんだかもうタガが外れたみたいな投稿ですが。前年末の「祭り」の続き的なものだろうということで、記録しました。



災害時に政治家が言いそうなことで、国際交流基金の日本語専門家のイイネもついています。

国際交流基金主催である模様。

2024年に行われたシンポジウムでは「これが分かればもう世界最先端の語学教師」としてAIに関するワークショップが行われたとのこと。講師はらいけんという人。 事前資料として配付されていたもの。

以下のような説明が書かれてあった。これまでAI関連であまり見たことがない説明。意味からの予測というニュアンスで書いてありますが。

言語モデルは、あるテキストの次に来る語句を予測することができます。例えば「私の好きな」という不完全なテキストがモデルに入力されたとしましょう。

私の好きな

言語モデルは、この次に「食べ物は」や「音楽は」のような言葉が来ることを予測して、適切な語句を付け足します。

私の好きな食べ物は

「食べ物は」を付け足したので、今度はその先を予測し、新たな語句でテキストを続けます。

私の好きな食べ物はカレー
私の好きな食べ物はカレーです。

このように、LLMは予測と拡張の作業を繰り返すことによって文章を生成します。


当日のワークショップの動画が公開されてました。

イイネ1000超えで注目されたから、ということもあるんでしょうけども、これまでも似たようなことは散々語られてきたと思います。しかし、多くの日本語教育関係者が引用して怒りを表明するみたいなことになってました。


しかし上の投稿はほぼすべて事実です。炎上ぎみになったのは、単に誰か行ったか、と口調の問題に過ぎないという気がしました。

  • 「副業」と書かれたのが気にくわない → 日本語教育の世界では、日本語教師+αで生き残る!はよく見ますし歓迎されているようです。こういう人にとって何が主で何が副かは人によるでしょう。
  • 時給2000~5000円 → オンラインで英語圏なら普通にあり得る金額ですし、準備が必要な仕事として、少なくとも高くはないです。
  • 資格必要なし → オンラインレッスンの登録は飽和状態になる前はほぼすべてのサービスで資格不要でした。これまでも今も国内で有資格マストだったのは国内の日本語学校だけです。地域の日本語教室など国内の日本語学校以外の認定日本語教育機関が有資格者マスト100%になる可能性は低い、日本語学校関係者から規制緩和の声の投稿があった際もスルーされてました。
  • 英語ができなくてもOK → 日本語学校の教師でベトナム語やネパール語ができる人はほとんどみないですから、媒介語ができなくてもOKはその通りでしょう。
  • 中級以上は日本語での会話中心 → 国内の日本語学校のほぼすべては日本語で日本語を教える手法ですし、プライベートレッスンなど媒介語を使った授業でさえ中級以降は日本語主体になるので、これもほぼ事実といっていいでしょう。
  • 「詳しくはDM」 → 詳しくはDMで、で仕事の斡旋をするのは基本NGだと思いますが、日本語教育関係者同士ではよく行われています。
  • 「ノマド」 → つい数年前は日本語教育関係者はよく使ってました。「日本語学校にこだわらない自由な働き方」という表現としてのノマドはよく見ました。
  • 友達になれる → 日本語教師が学生と食事に行ったとか休日にどこかに連れて行ったみたいな投稿はよく見ます。友達がこのくらいのことを言うのなら、よくあるんでしょう。これもつい数年前ですが、学習者との恋愛関係についてもOKという女性の投稿に多数日本語教育関係者のイイネがついてたこともありましたし、こういう男性の動画もありましたが、特に批判はされないままでした。

上の投稿には賛同する気はないですが、肩書き的に、日本語教育仲間というカンジでは無い「部外者」で、無名の人なので攻撃対象になったという要素もありそうです。間違いは無いと言っても良いですから、もしクラスタ内の有名人が同じことを、違う口調で投稿したら炎上どころか歓迎されるケースもある。という気がします。新資格の取得で苦労している最中だったので、イラッとしたというタイミングもあったかもしれませんが、2010年代後半に、似たようなこと言ってた関係者はいたと思います。日本語教育クラスタでは「これに怒るんなら、こっちはなぜスルーされるのか?」ということはよく起こります。よく言われる「何が語られるかより、誰が語るかが大事」みたいな傾向が強いような気がします。(私はよくないのはどちらかに偏ることで、どっちも大事で結局総合判断だと考えています)

こういう「そこら辺」みたいなことが未だによくわからないです。村の外の人はわからないけど、業界の人なら了解済みの何かがあるんでしょうか。「ご了承」というのは、どういう意味なんでしょうか。

…。「かっこいい」というのもよくわからないです。かっこいい?

2024年の空気の記録のひとつとして。サイトは https://usagi-dan.net/ でプロフにはYouTubeのチャンネルが https://www.youtube.com/@happytomotomo 紹介されてました。

国家資格化となってもセミナービジネスは続く模様。国家資格化の制度整備も今後の取得のプロセスでも日本語教育学会は深く関与している、ある種のインサイダーだと思いますが、会員は資格関連のビジネスに関してガイドラインなどはない?

👉 日本語教育能力検定試験から、大学関係者が対策本などに関与していたことはありますが、それは民間資格だった時代の資格です。線引きは?

もちろん、興味深い投稿もあります。

しかし、思ったほどイイネは伸びず(3日後で20)、日頃からデジタルの話が好きなデジタル応援団的な人のイイネがまったくつかないのは、日本語教育クラスタっぽいという気がします。

1月に作られたとあるアカウントが2月下旬、猛烈な勢いで投稿をしはじめました。プロフに職場の住所と電話番号を置き、誰かれかまわず引用やリプを、尋常ではないペースで、X社から警告を受けるまで行うというものでした。2月26日の時点で続いています。これはXの仕様上、ただフォローしただけでは見えにくく、ホーム画面で返信込みでみないとわからないことになっていますから、一般の人は気づきにくいです。しかし、おかしいなと察知できる人はいると思います。

同時にここ数年の大学から民間の学校に移った経緯なども投稿されていました。私は、心身共に危険な状態なのではと感じ、幸いフォローされてないので、周辺の人の目に入ればOKということで「知り合いのかたは1度会って話しをして、専門家の管理下にないなら繋げるなどの処置が必要では」という主旨の投稿をしました2)。この件は、面識がある人が、本人と直接会い、専門家との間で解決するしかないではという気がします。難しい問題ですが。

というわけで、以降、氏の投稿についても、アカウントについても、触れません。適切な対応がなされることを願ってます。

国際交流基金の日本語教室では、作文はもうAIで文を均して提出すればいい、ということになっている模様。

無理があっても先んじて活用していると言いたくて検証なしでも「飛ばし気味でやる」ということなんでしょうか。しかし、何かを言うと「デジタルに否定的な人認定」されて終わりなのは分かっているので、もう誰も何も言わずスルーするということになってます。

なんとなくですが、23年12月のみん日まつり以降、参照枠準拠と言っていた人達がトーンダウンしつつあるような気がします。とはいえ、「間違った」とか「勉強したら考えを改めた」というものではなく、「本気で『準拠』とか言ってたわけじゃないよ~」とジワジワ修正してるというかんじです。SNSでは、こういうことはよくあって、ひとまず「自分歴史修正主義」と名付けてみます。

おそらく世界中の語学教師のほぼすべてはなんらかの語彙コントロールをしていると思います。何をどう考えたら、こういう結論になるのか、全然わかりません。

2024年4月4日に調査結果が発表されました。

一年前の経緯はここに あります。

これも引用元は1000イイネ超えの投稿で、日本語教育関係者に見つかり、リプや引用RTが増えた。リプや引用につくイイネも多かった。

しかし、やはり話題にするなら、一週間くらい時間をおいて(リプとか引用rtとか、繋げるのではなく) 新規の投稿で元投稿には触れず、少し切り口を変えるなどして「これは、こういう考え方がいいのでは?」と別の話題として書くくらいがいいのでは?という気がします。

結果として、勉強中みたいな人を、多数の人が見てる前で吊るし上げるみたいなことになる(このケースでもそうなりかけていた)のも良くないし、エアリプだと、身内の話題のためのツマミとして利用している感があります。こういう案件は、エアリプでも当事者の目に入ることはあります。今回はそれも多かった。きちんと展開して書いた人はほとんどおらず、パッと「これはこうだよね」と書いて終わり。常に、こういうことに耐えられる人かどうかわかりませんから、やらないほうがいいのではと感じます。(大丈夫そうでもダメージを受けているということもある)

もっともまずいのは、勉強中の人はもちろん、経験者も、日本語の具体的なことをネットに投稿するの止めよう、となることです。これだけアレコレ言われる例を目にしてしまうと。

クロードな場所で、匿名でやったほうがいいのでは、とこれを作ってみたんですが、基本、間違ったこと言ってなんか言われたらイヤだ、という空気が濃厚な気がします。多分、匿名であってもあまり変わらないのかもしれません。難しいなと思います。SNSで何を書いても2週間もすれば忘れられ、仕様上、検索してもほぼ出てこないものになってしまうので、何かノウハウや知恵を蓄積する方法を考えたほうがいいと思うんですが。

この時期、日本語学校関係者の国の方針(参照枠)に対応するために、みん日ではないCando的な教材にして、授業設計もそれに準拠する、ということが起きているという投稿が増えました。

以下は典型的なもので、みん日は古いものとして「駆逐された」とあり、「新法案に則り」と、明らかに国の意向が強く働いていると示唆されているのも象徴的。

しかし、10年後には今回駆逐した側の人達も「CEFRみたいな古い概念3)でうまくいくと考える古い人達」として「いまどきCandoなんかで構成されてる教科書」と共に業界から「駆逐される」かもしれません。みん日と共に駆逐された教師達に対する今のSNSの冷ややかな空気をみていると、簡単にそうなるのではという気がしてきます。結果が出ずに競争で淘汰されたわけでもなく、国の方針が変わるだけでそうなるわけですから。いろどりは特定技能の予算で作られているので就労関係の政策が方針転換になったら終わりですし。

👉 上の投稿、すぐに基金の関係者によってRTされてましたが、翌日には投稿は削除されてました。

これ、民間の出版社が作った教材に官製の教材への揶揄が載ってるんならいいかもしれませんが、逆ですからね。普通じゃないですが、もう業界ではスルーされるようになってます。

JF日本語教育スタンダード準拠ロールプレイテスト」用に作られたものらしい。

https://www.jfstandard.jpf.go.jp/pdf/roleplay/JFS-RPT-cards-EN.pdf

念のため保存したもの

作成者は、【開発】 磯村一弘、押尾和美、長坂水晶、藤長かおる、 松井孝浩(日本語国際センター専任講師)、関崎友愛(日本語国際センター元専任講師)とありました。

JF日本語教育スタンダード準拠 ロールプレイテスト テスター用マニュアル2014 年 7月 暫定版 発行2014 年 10月 初版第一刷 発行2016 年 3月 第二版第一刷 発行2023年12月 第三版第一刷 発行 https://www.jfstandard.jpf.go.jp/pdf/roleplay/JFS_roleplaytest_manual_20231211.pdf

こういう投稿がありました。昔からあるテーマです。いろんな興味深い反応があり、眺めてました。


これに対し日本語能力試験の関係者でもある基金の日本語上級専門家の引用RTは、残念なものでした。

元の投稿は「JLPTのN1の問題を見て」と明確に書いてあるので問題集のことである可能性は薄い。試験の関係者として、自分の仕事に向けられた学習者の言葉の可能性があるならば、まずは試験の問題に対してものかな?受けとめるのが常識的な態度であると思います。しかし、これは残念ながら、そうではない。この投稿に元投稿の方は「その可能性はありますね」と親切にも返信されてますが、それに対する返信はしないまま。

おそらく、日本語教育の世界には、ものすごく古い形の民間蔑視的な空気があり、基金の人達への謎のリスペクトもそういう理由があるんじゃないかと思います。他の業界だったら、税金で生活している人達が自らの仕事の質について言及されたかもしれないことに「それ民間の奴らがやったことじゃないの」みたいな対応をすることは、不誠実だと批判されると思います。こういうこと、日本語教育の村の中だけにいるとだんだん気づかなくなるんだろうと思います。

過去問問題については、日本語能力試験 [日本語教師読本Wiki] も参考にしてください。

この書籍はともかく「CEFRを理解・解説・批判(的受容)しようとする動向」は日本語教育の世界にはこれまでもまったく無かったし、今もまったくないのでは。欧州の日本語教師会におけるCEFRの受けとめも、その後の動きも西山氏には度々批判されてますし。 日本語教育の参照枠(2021)が決まるまで

今のところ、ソースを限定してもチューニングをしてもハルシネーションが少なくなることはあっても起きないということは無いということになっていると思います。教育方面でハルシネーションがないと信じて使うようになるとマズいので補足。

初級から中級くらいで日本語学習をストップした人はそうなることは多いでしょうけども。学習を続けて上級になった人がそうなることは、ほぼ無いです。普通は初中級~中級前半くらいで解消されているはずです。

化石化にはいろいろな種類があり、いろんな原因で起こるようです。昔から研究もされており、文型積み上げ的な授業をやるところも、良質なところであれば、当然、織り込み済みで、極端な(原理主義的な)やり方は減り、また、シラバスの中で徐々に解消されていくような配慮があるはずです。(それも織り込み済みの積み上げなので)

しかし、こういう物言いは、なんというかケンカのための無理な煽り設定で無駄です。イイネはつくでしょうけども。それよりも化石化するパターン(な形容詞の活用とか)を勉強したり、検証したりということのほうが重要。頻繁にあるなら研究対象にして、解決方法を探求すればいいのでは。

また、タスクベースで「実用性が高いCan-doでやれば自然に習得するという思い込み」で勉強した人の日本語知識の構造がマダラになって後で困る、みたいなことも問題視されていて、まだ決定打がないということもありますし、コミュニカティブ的な様々なストラテジーが、例えば過剰な省略として化石化するみたいな問題もあります。タスクベースで「通じればOK」でやってしまう発音の化石化も難しい課題です。

化石化は、何かで解決するというような単純な問題ではないと思います。学習において、何事も過剰に、原理主義的にやってしまうと問題が出がち、くらいの話だと思います。

中間言語・化石化とは何か│旅する応用言語学 https://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/archives/5704

実際にどう使われているのかを調べる方法はいくつかありますが、どれも決定打とは言えないと思います。ただ、どれもツイッターのアンケートよりはマシです。こういうことは、まず「自分の感覚ではこうだ」は一番頼りにならないものだと考えて、横に置くことが大事だと思います。なぜ自分はそういう感覚を持ったのか?を考えるための材料にはなるんじゃないかと思います。

1) ネットで検索する

日本語教師養成で学ぶ程度のことで、初級のことなら検索すれば誰かが一般的な解説はしてます。ただしこれは解説です。しかし最初に踏まえたほうがいいことです。

へ行きます に行きます

これくらいのワードでいろいろ出てきます。

2)国語研で調べる

これは使われ方を調べる時に最初にみたほうがいいもの。どっちでも大丈夫です。今のところ、語の使われ方はこれで調べるのが正解だと思います。

国研コーパス http://nlb.ninjal.ac.jp/

筑波コーパス https://tsukubawebcorpus.jp/

ただし、これは「書き言葉」での使われ方です。話しことばでも同じようなものがありますが、登録が必要だったりと手間なので、とりあえずこれでアタリをつけるのが無難だと思います。

3)SNS検索

現役で、今、どう使われているかは、SNSで検索すると、ボンヤリとですがつかめます。SNSの日本語は書き言葉と話しことばの中間くらいのものだと考えられそうです。

Xの「高度な検索」である必要はないですが、Xで検索する時はこれを使う習慣をつけたほうがいいと思います。

https://x.com/search-advanced

語の使われ方なら、検索して「最新」にして、何分おきくらいに使われているかで比較します。

https://x.com/search?q=%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99&src=typed_query&f=live

https://x.com/search?q=%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99&src=typed_query&f=live

4)論文を探す

論文で日本語のことを探すのは専門用語が必要になったりして、「このことならこれ」というものを探すのは難しいです。でも、これくらいの検索のやり方でもそこそこ出ます。いくつか読むと、論文の中身だけでなく、最後に参考文献があるので、そこからさらに調べることができます。

「へ」と「に」 | CiNii Research all 検索 https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E3%80%8C%E3%81%B8%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E3%81%AB%E3%80%8D&count=20&sortorder=0



結果をどうとらえるか?

多分、これが一番大事です。最もつかわれているのが正解ではないです。比較してより多いものが正解でもないと思います。より多く使われているほうを優先的に教えるのも間違いで、どういう条件でどっちを使うかみたいなことが大事なのは言うまでもないことです。使われ方を調べるだけでは分からない要素もあります。例えば「に」「へ」は地域差があることが有名です。自分の出身がどこか、今の周囲の環境はどうかによって変わる。ここは「自分の感覚」を検算できる要素だと思います。

そして、日本語の使われ方に関しては、たいていのことは結論がでません。日本語教育に関わる人はこの結論が出ないということに慣れる必要があると思います。結論はでてないけど、日本語を学習するなら、だいたいこのへんが妥当だろうというところで教えることになってます。


アンケートをするのはやめる。

アンケートの中でも、SNSのアンケート機能を使うのは、ほぼ意味がありません。SNSというのは、ネットが使えて、SNSのアカウントを取得できるような人というフィルタリングがある上、自分を快く思ってない人はフォローしていないという、調査において決定的な弱点があります。自分と似たような人に尋ねた結果などは、自分の主張のためのオカズにしかなりません。そうしたいから使われているツールです。「どうだ!みんなもオレと同じように思うだろう!」という使われ方をよく見ます。尋ね方も難しい。このような場合、「に」か「へ」かに限らず、~の条件で変わることがあるし、移動の動詞は他にもあるのでそれによって微妙に違うことも、多分、日本語教師養成講座で勉強すると思います。


👉 調査の方法については調査・統計・コーパスのページは多少役にたつと思います。

「例文に育ちが出る」こういう比較的正しいことを言う側が、差別的だったり酷い物言いをするというのが増えたと思います。

なぜ、「日本語学校で教えている人たち」は高度な専門性を持っていないことになっているのか?理解できないです。「日本語学校で教えている人たち」は資格を取得しても「レベルが低い人たち」になる?

語学教育における高度な専門性とは何か? 論文を書いているとか?修士号や博士号を持っていることだけが高度な専門性?

一応書いておきますが、教科書を作ってる独立行政法人(国際交流基金)の人が、他の教科書を使っている人をカルトとか反ワクと呼んだりするの、他でみたことないです。異様なことだと思います。日本語教育以外の人達に、なんでそんなカンジになっているのか説明するのは結構大変。

冒険家メソッドはWikipediaに自分で作って自分で編集したページがあります。昔からいる教科書とか教室の外で語学を習得するタイプの学習者で、ネットを活用する人が増えているという「現象」のことを書いているんでしょうけども、どういう「メソッド」なのか、よくわからないです。メソッド(method)というのは、語学教育では「教授法」と訳されるのが一般的です。アプローチ(approach)は「理論」。

ちなみにこれも注意喚起として書きますが、Wikipediaを自分で立項したり編集したりがWikipediaルール違反というのはWikipedia知識としては常識の部類ですが、村上氏はこの他にも自分のページの作成の他、国際交流基金関連の記事など違反を繰り返しWikipediaからたびたび警告を受けているようです。氏が作成したページのほぼすべてにWikipedia本体から警告が貼られています(なので、おそらく自分のSNSやブログでは紹介しないんだろうと思います。

この種の違反ページは膨大な量があり事実上、警告が行われるだけで管理はできないまま放置されていますが、警告されてもページが残っていれば、昨今はAIなどで「有名人の情報元」として引用されるのでメリットは大きいので、作り続けられてしまっています。

英語は国関係ない不思議な分け方。

おそらくはこれもAI下書きではないかという気がします。

多分、国際交流基金では、こういうのは笑い話としてよくしているんじゃないかという気がします。でないと、普通、投稿しないでしょうし。

2021年も、みんなの日本語のセミナー主催者に対して詐欺だと詰めてましたので、3年ぶり2回目ということになります。翌日には15のイイネがついてましたが、数ヶ月前にイイネをした人は投稿者にしかわからない仕様になったので、誰がイイネしたかはわからない。Xのイイネは、誰にも知られず投稿者に(賛同します…)と密かに伝えるツールとなっています。

👉 ちなみに、上の投稿が140字オーバーなのは課金アカウントだからです。AI利用も課金をしているということも、気がつかない人は気がつかない。マーク無し課金はインプレで利益は得ませんが、投稿後の編集ができる、タイムライン上で表示される回数が増えるなど、もろもろ有利になります。マークが無いので文字数以外のヒントは無く、詳しくない人はわからないのでステルス課金アカと呼ばれます。

👉 一度目の経緯はこちら

👉 少しだけ補足すると、日本語教育の参照枠がCEFRをそのまま使うことになったことに強く関与した国際交流基金の関係者が、今「みんなの日本語」関連ビジネスを、参照枠に準拠してないから詐欺だと書くのはホントに酷いことです。

念のためのキャプチャ https://drive.google.com/file/d/1SkZq8YvI-ueYerNVy2wSfoQWUnqyekDc/view?usp=sharing

こういう理屈、はじめて聞きました。もう全然わからないけど、特に誰もツッコむでもなく、流れてきてました。

民間の出版社では必ず価格改定の際はお知らせがあります。特に教科書は影響が大きいですし。これだけの大幅値上げを告知無しで行うのは例がないような気がします。

基金、出版社は告知も言及もなし

9月半ばにこの投稿で知りました。三修社のアナウンスは前月の8月1日にサイトであったようですが、基金や三修社のXアカウントでは投稿なしだったので誰も気づかないまま。基金関係者のSNS上の言及も皆無だったので誰も気づきませんでした。三修社のSNSアカでも言及無しなのは基金から、箝口令が敷かれていたのでは。出版社もSNSでは言及無し。三修社が他の出版物で値上げをした形跡はないので、基金の方針での値上げだろうと思います。

この投稿の後も基金関係者からの言及は無しのままでした。

まるごとのサイトでも値上げのお知らせがありませんでした。そんなことある?とビックリ。

https://marugoto.jpf.go.jp/news/

三修社のアナウンス https://drive.google.com/file/d/1gDKS3d9SVL8jBr2vUGvy01MgWPm9TS9N/view?usp=drive_link

国際交流基金のサイトでもアナウンスは無かった模様。

不都合なことはアナウンスしないという伝統?

独立行政法人だからというわけでもなく、他のところはかなり情報公開が進んでいます。良さげなことはSNSでも投稿されるんですが。ざっとまとめるとこんなかんじです。

  • 「いろどり」は特定技能の予算で作られているので無料。まるごとは独立行政法人の予算なので有料という理屈も理解が難しいです。この教科書ごとのお金の出所が違うことも語られないです。
  • 3年ごとの海外学習者調査でも減少した回だけアナウンスが激減していて「減った国以外は増えた」みたいな変な図を作ってました。
  • 基金が特定技能に関わるようになった2017年前後からSNSでは、基金関係者の技能実習生のことは問題だという投稿が増えましたが、特定技能のトラブルが報道されてもスルー。

SNSの運用方針でもあるんだろうと思います。ただ、教科書のかなり大幅な値上げもを製作元がスルーするのは見たことが無いです。今後、不都合なことはおそらく基金はアナウンスしないだろうと考えておいたほうがよさそうです。これは、海外の日本語教育や能試の担当に加えて、就労系の国内数十万の学習者の日本語教育を担当することになった組織としてはかなり問題ではないかと思います。おそらく、「すごく上手くいってる」という大本営発表みたいなことになるのでは。

自分に著作権がないものを、AIに限りらず、翻訳など、ネット上のサービスに勝手にアップするのは、初歩的な著作権侵害です。取り返しがつかない類いの行為です。

また、現状のAIの性能では、教科書の制作者が意図しないものが生成される可能性は高く、そういう意味でも、教科書をまるごとソースにして二次的な生成をさせるのは行われるべきではないと思います。発達障害などの教材は通常は一般の教材よりも細かい神経を使って作られているので、余計ダメですし、学習者自身にこのような二次生成をさせるのも完全にアウトだと思います。

仮に、もしオリジナルの教科書ならば、そう書かないと、やっていいものだという誤解が広まります。しっかり神経を配って投稿すべきものだと思います。マネして同じことをやって教材の名前を出したら訴えられる可能性があり、訴えられたらほぼ勝てないです。

ここでは、投稿したことがいい悪いとか、正しい間違っているだけではなく、鵜呑みにしたらマズい、自身が被害を受ける可能性があるものに限ってピックアップするという方針でやってます。

  • 「学生のほうが知識量などが教師を上回ること」はどんな学問ジャンルにおいてもあることで、悲劇でもなんでもなく、特に語学ではよくあることと言ってもいいのでは。
  • オープンアクセスの時代に、修士や博士号を持つ人が知識量で圧倒するだろう、あるいはするべきものだという考え方は古いのでは?
  • SNS上では、日々、修士号、博士号を持つ日本語教育関係者が発言してますが、これらの質は高いと言える?
  • 大学の日本語教育を日本語学校などにまかせる大学はかなり前からありますが、これは問題がある?

日本の留学システムでは70年代からずっと民間の日本語学校が初級から上級手前までを担当しており、教え方のノウハウ、知識においては大学を圧倒していると考えるのが自然。少なくとも日本語を教えることに関しては、修士、博士、学士でさえフィルタリングとして機能するとは思えません。仮に大学が、大学での教授経験なし、学士のみでも質が高い授業ができると判断したのなら問題ないはずで、肩書きに関係無くそういう判断ができることも専門性のひとつなのでは?

前置き(クリックで下に現れ、畳めます)

とりあえず一報としてここに書き、後日、日本語教育の言語政策 4 日本語教師の資格関連 にまとめる予定です。内容どうこうではなく、日本語教師の(シラバスや教授法に対する)ビリーフの違いで合否が分かれるようなことはあるべきではないと考えていますから、主にその観点での切り取りとなると思います。




データ

11月17日(日)に行われた。日本語教育学会の秋季大会と同じ日に行われたことも書いておく必要があるかと思います。わざわざ同じ日にする必要はまったくなく、日程の調整はできたはずですが、おそらく認定する側(大学関係者)とされる側(その他の日本語教師)の線引きとして同日になったんだろうと思います。そういう意味では、大学の日本語教育関係者とその他の「現場」の教師との間に明確に線引きがされた日とも言えます。合格は12月20日とのこと。「※試験実施については、文部科学省より株式会社ティーケーピーレカム BPO 株式会社に委託しています。 」とのこと。

大手新聞でも報道されました。文科省からのアナウンスは以下のとおり。

令和6年度日本語教員試験出願状況についてお知らせします:文部科学省 https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/2024/mext_01443.html

第一回の受験者数は12,419人、出願は18,387人、免除は5,968人とのこと。移行なので、合格ラインは高いとして、仮に15000人が合格したとして、国内の日本語学習者数は現在、約100万人(留学30万、就労系65万、その他児童家族など)なので有資格者の教師でのST比は66.6。40を切るためには、あと1万人足りないことになります。文科省は過去の施策からもST比は40が上限だと考えていると思います(これは「上限」です。世界の標準は20以下です。ST比はstudent teacherの割合で、生徒は在籍数ではなく定員。教師は非正規は含めず計算します)。

取材によると、非公開で、今後はCBT化するとのこと。建て前上、一定数の登録日本後教師を作る必要があるので、動画視聴からのCBT試験で開催も容易にできるという意図がありそうです。おそらく移行期間の後半、3年目あたりから資格取得の難易度は下がりはじめるのでは。

文科省では今後、日本語教員試験の受験機会を拡大するため、中長期的に試験のCBT(Computer Based test)化を検討していくとしていて、第1回試験の内容がそのベースとして活用され得ることなどから、今回の試験問題は一切公表しない扱いとする方針だ。なお、CBT化へ移行する時期は現時点で未定だという。

★日本語教員試験 第1回試験問題は非公表扱い - 留学生新聞 http://mediachina.jp/info/6009894

何人の登録教員が必要?

上のST比の計算は、これまでの状況を考えると、大味であまり意味はありません。これまで日本語教師の資格がマストだったのは留学の一部の10万人だけでした。進学先や就労系では資格の有無は問われませんでした。ここを今後どうするのかは、国の方針は曖昧で明らかに消極的。日本語教育関係者も表明していません。(私は当然、すべての学習者は在留資格関係無く、質的保証の担保として有資格者が教えることにすべきだと考えています。参照枠の理念でもそうではないですか?)

これまで、日本語教師の数としてよく引用される文化庁の調査は上の約100万人のうち、就労系の数を引いた、主に留学を対象にしたものですが、そこでは長年、常勤5000人、非常勤15000人で、これらは有資格者。地域の日本語教室など告示の対象でない場所では20000人(この人達の資格の有無はわからない取得者も多いとは思います)が日本語を教えていました。この4万人もまだまだカバーできずというところです。この4万人をすべて登録日本後教師となるのが最初のハードル、次は就労系の日本語教育も質的保証の担保として登録日本語教師がやるべきでしょうから、約50万人超のための登録日本語教師が必要と考えることになります。ST40ならば12500人ですが、学校のように一箇所に集まるのは難しい。日本語教育関連リスト 公開版 2.0版 2022によると、地域の日本語教室は1800ありますが、就労系の人達はまったくカバーできていません。介護や水産業など、地方の山深いところにもあります。つまり、40人集まるクラスはほぼ作れない。5人で計算すると10万人の教師が必要です。

そして、語学学習のSTは40ではなく、少なくとも20以下で考えるのが世界の常識だと思いますから、上の数値は倍にしてやっと国際水準とも言えます。

試験内容?

公開されるかのアナウンスがないので、今のところ、ネットの感想で想像するしかありません。

#日本語教員試験 というハッシュタグの投稿で少し様子がわかるようです。

(#日本語教員試験) until:2024-11-20 since:2024-11-17 - Search / X

いろいろな方法、手法の是非については、講義では紹介という形で扱っても試験では是非までは踏み込まない、問わないという線の引き方もあったと思いますがそうではなかったようです。

日本語教育の世界では公的なプロセスで作られるものに煽りテイストの陰湿なニュアンスを潜り込ませるみたいなことは時々見ます。省庁の影響が強い業界で、それら省庁の下で仕事をする人達独特のかんじなんだろうと思います。


SNS上の大学関係者の「感想」はだいたい以下のようなものでした。あくまで「SNS上の」です。


個々の教師の経験や蓄積を「手癖」と呼ぶことには強い違和感を覚えます。強烈な表現です。

しかし、なぜか、ここ10年くらい、特に具体的な事例や検証、根拠が無いまま、ボンヤリとした「こういうダメな方法とダメな人達がいて、正しい方法によって正さなければならない」という「物語」だけが一部の日本語教育関係者には共有されています。特にSNS上で目立ちます。

私は手癖であろうとその人なりのよい演奏ができ、聞き手が満足しているならまったく問題ないと考えます。


「土壌が腐ってる」


Xユーザーの佐藤理恵子@日本語教師さん: 「#日本語教員試験 、学習者の作文を読んで「これ生成AIに書かせたやつか?」って考える問題とか、機械翻訳を部分的に使いながら作文を書く学習者にどんなアドバイスをするか?という問題があって驚いた。AIと共存し、活用するのは前提で、「機械翻訳禁止」とか言ってる教師をふるい落とす覚悟を感じた…」 / X https://x.com/nam_taan/status/1858069023399035042

試験問題をみていないので何とも言えませんが、最も違和感を持つのは、未知のテクノロジーに対する「姿勢」や「意欲」のようなものをテストで問うことです。現時点では利用はできないという冷静な判断の結果の選択による回答が×でないことを祈ります。出題側になる可能性がある大学の日本語教育関係者は何を問うのか、それを問うていいのか?を考えてほしいです。姿勢を問うよりも、シンプルにwavとmp3の可逆性やepubの中身のファイル構成を知ってるかを問うほうがいいでしょう。ウェブ制作やデジタル教材製作の現場で最も怖いのは、意欲があり自信もあるけど基本的な知識が無い人が知らずにデータを全部飛ばすみたいなことで、これまたよくあるので。

Noteも拝読しましたが、デジタル方面の出題意図などはわかりませんでした。ちなみに、にほんご日和は科学的根拠が薄い文が多い日本事情のコラムが多い場所でちょいちょい炎上してます。


佐藤剛裕 on X: “受験者の感想を見て、参照枠については、全体的な尺度をしっかり読んで、自分の担当した学習者たちを思い浮かべながらレベル感を掴む必要があって、どのレベルならどのくらいのことができるなどのことを本当に理解するには数年の経験を要するのではないかと思いました。 https://t.co/AXkCSf7eDl” / X https://x.com/officesatojapan/status/1858071512034451546

「レベル感」は言語知識中心の旧試験でも、関係者の間でさえ、3級≒N3が初級終了程度だくらいまでしか共有されてなかったもので、まして、関係者以外では30年間「レベル感」はとうとう共有されなかったといってもいいと思います。CEFRのレベル感はCEFRをそのまま持ってきただけで、参照枠の中でも具体的な説明がないままなので、当然、関係者の間でも「レベル感」は共有されておらず、当然、関係者以外で共通理解が作られるのは絶望的だと思います。


上の投稿は認定日本語教育機関の認定結果を受けたものです。

「いやあでも今後は「今日の授業は受身形」みたいな文型中心の教え方は過去のものになっていくのかなあ。そう考えると胸熱だな。試験でも、学習目標として不適切なCanーdoを選ぶ問題で、嫌だった経験を受け身形を使って言える、って感じのを選ぶ問題もあった(記憶曖昧だけど)。」 / X https://x.com/Honigon3D/status/1858522904029454346

この2つは今回の登録日本語教員の試験を受けたものです。この登録と認定の方向性は連動したものになっていることを示すものだと思います。国際交流基金は、そういう意向なのだろうと思います。


国際交流基金は、法律上、国内の日本語教育には関与できないことになっていたんですが、外務省としては2015年の海外学習者調査で学習者数が減少に転じて以来、基金とは違う方法で国内の日本語教育への参入を試みていたようです。2017年、特定技能の試験や教材製作で特定技能の予算獲得に成功し、参入して以来、国内の就労系の日本語教育である「日本語教育の参照枠」を活用した教育モデル開発・普及事業を22年に外務省系のJICEが担当することになり、2020年代は、国内の日本語教育の会議に最も多い人を派遣している組織となっています。国の会議は基本、日本語教育関係者の比率はそれほど多くなく、参加者も大学などからバラバラに招かれるので、国内の日本語教育の方針は、ほぼ国際交流基金が決めることになっていると言ってもいいかもしれません。

ここ5年ほどSNS上で、日本語学校の教師を、化石だ、30年以上前の理論だ、不勉強だと嘲笑し、煽ってきた人達が、いよいよ、組織の政治力を使って自らが信じる「24年前の理論」に準拠しなければふるい落とすと言ってるわけです。

【参考】

国の日本語教育関連の会議では必ず1人以上は出席することになっています。認定関連だと、四ツ谷知昭 独立行政法人国際交流基金日本語第1事業部部長が「第12期生涯学習分科会 日本語教育部会委員名」に。登録だと、村田 春文 独立行政法人国際交流基金日本語第1事業部 部長が「日本語教師の資格に関する調査研究協力者会議」に。参照枠の議論では、簗島 史恵 独立行政法人国際交流基金日本語国際センター主任講師、菊岡 由夏 独立行政法人国際交流基金日本語国際センター副主任という人達が「日本語教育の標準に関する会議」に。

そして、国の日本語教育の会議の実務者の事実上のトップ会議である日本語教育推進関係者会議には、田尻 英三氏、神吉 宇一氏などと並んで、村田 春文 独立行政法人国際交流基金日本語第1事業部部長がいます。西原 鈴子氏も基金OB。

特定技能への参入からほぼ5年で、国内の日本語教育への最大の影響力を持つことになりました。基金は唯一、組織として方針をもって国内の日本語教育に関与し、大量の人員を国の会議に送り出している。おそらく、関係者にはすべての動きが事前に伝わっていると思います。


国際交流基金は先進的という印象を持っている人が多いようですが、2010年まで文型中心、言語知識ゴリゴリの日本語能力試験を主催していて、2012年まで日本語の基礎よりも厳密な文型積み上げの日本語初歩を作っていた、日本語教育においては原理主義的な体質がある組織です。

2010年以降はそれがCEFR原理主義に変わっただけです。今後、CEFR警察としてCEFR大好き文科省と共に、長く力を発揮していくんじゃないかと思います。


ひとまずのまとめ

今回の登録日本語教員試験が、教師のビリーフによってふるい落とすものになっているとしたら問題であると思います。日本語教育において、これまでの方法がダメだというエビデンスも検証結果も無く、同様にこれなら大丈夫だという方法も(もちろん第二言語習得研究においてさえ)きちんと示されてはいないので。そして言うまでもなく、学習者によってベストな方法は変わります。多様な方法が準備されるべきであり、最終的に自分のゴールに応じて方法を選ぶのは学習者であるべきです。

教師は、各自が学習者と共に、個々の勉強と、これまでの手応えを元に慎重に試行錯誤していくしかないわけです。国家試験で手法の良し悪しの方向性を決めるのは単に、いろんな試みの芽を摘むだけです。日本語教育関係者が好きなワードである「多様性4)」は失われていくことになります。

この「日本語教育関係者は、日本語の教え方に関して同じ方向を向くべきであるという動き」は、認定日本語教育機関の認定の姿勢(参照ではなく準拠)とも連動したものだと思います。法的根拠はわからないままですが、民間の語学学校から地域の日本語教室まで、日本語教育の参照枠は文科省の学習指導要領以上の強い拘束力を持つことになったと思います。

ネット上の若い(といっても40〜50代とか?中堅?)大学関係者ほど、この登録日本語教員試験を、教師のビリーフによるフィルタリングとして活用すべきという考えが強いようで、認定や登録がそういう傾向になったことは、今後もこの路線は長く続くことを予感させます。

2010年代後半から教師育成関連の論文は競うように大量にポストされています。大学関係者は今後、現場の日本語教師を育成し、指導することが大きな仕事=既得権の一つになると考える人が多いんだろうと思います。国内で日本語教育に関わる人はすべて、この人達の思惑、空気を読まないと活動は無理ということになっていくのでしょう。

国が方法や評価などのビリーフで学校や教師のフィルタリングをし、方向性を決めるならば、その結果責任を負うべきだと思いますが、学習指導要領のような、その基準となるべき検証は行われません。

これから 〜所詮、書類上のことでいいのでは〜 

制度改革によって、大学と民間の日本語教師が共に日本語教育を作っていくという時代は終わり、大学の中堅の人々は、市井の教師を教え導く役割みたいなことになっており、その自覚も大きくなりつつある。悪い意味での地位が人を作る的なことになっていくような予感がします。認定されようが登録できようが、何かが保証されるという約束もされていない。しかし、大学の外の日本語教師含め関係者はこの流れに適応しなければ生き残れないという仕組みの渦中にいるので、とにかく適応することだけになってしまうのは仕方ないのかもしれません。何に適応しようとしているのか、それはどういうものか、は関係無く、ただただ適応を競うみたいなノリになるのも一般の日本語教育関係者あるあるです。

しかし試験の難易度については、おそらく簡単になったと思います。参照枠周辺の考え方はまだ深く掘り下げられておらず、かなり単純で、なぞりやすいものであり、この種の試験の合格方法として最も有効である「出題者の意図に沿って答えれば正解に辿りつく」という傾向が強そうだと感じます。「認定する人達」を喜ばせればいいわけです。

登録も認定も所詮国の許認可で、今後、合格ノウハウ的なものは共有されるでしょうし、ネタも限られている。回数を重ねていくうちに傾向が明らかになりますし、語教師は国の責任で作らねばならない事情もある。動画とCBTで、難易度の調整は簡単になります。限られた手法が軸で、何度もやるわけなので、年々、難易度は下がる可能性のほうが高いです。所詮、仕事をするための書類上のものだと割り切れば乗り切れるのではと思います。

一方で、この認定と登録で強引なシフトチェンジを決めた人達は、検証もされず、進学先、就職先などで「なんかおかしいぞ」と囁かれるようになるころには、みなリタイア生活を楽しんでいるんだろうと思います。なんだかな、と思いますが、これもおそらく仕方ない。変えようとする人達は出てこない。いつか有力者が例えばクアックサルバーアプローチ5)が主流だと言い文科省がそれにのれば「行動中心なんて言ってるやつらは滅ぼせばいい」という合唱が始まるのではと思います。研究者、専門家というより、文部官僚の一種みたいなものです。


日本語を教える際に、CEFRや日本語教育の参照枠のような枠組みにとらわれる必要は全く無いと思います。自分の語学のレベルを決めてよいのは当然、学習者自身だけです。適当に調子を合わせながら、A2だとかB1だとかは関係無く、学習者と共に現場の試行錯誤を楽しみましょう。






| このWikiについて | Archive | About us |

© 2018 webjapanese.com


1)
私どもは2018年にX(Twitter)上の被害者として警察に相談し情報開示請求を行うみたいなことでした。も経験しています。当時、起きたことをまとめてブログでも公開していましたが、このブログや投稿をRTした人にも中傷が及ぶことになり、ブログは削除しました。
2)
1000インプレまで待った後、投稿は削除しました本人の目に入らないほうがいいと思ったので。イイネなどはしにくい投稿ですし、彼がフォローしやり取りをしている日本語教育関係者とはほぼやり取りがないこともあり、目に入らない可能性は高いと考えました
3)
実際参照枠は2001年のCEFRの日本語訳をそのまま使ったものなので2024年の時点では23年前のものですから10年後は30年以上前のものになります
4)
かなり曖昧なワードなので、この読本では使ってません。「多様な」はたまに使います。
5)
架空の手法です。Quacksalver