日本語教育クラスタ_2025年

日本語教育クラスタ | 2022年 | 2023年 | 2024年 | 2025年 | みん日まつり

日本語教育クラスタ 2025年


基本的に、日本語教育クラスタでの受け取られ方に違和感を覚えたもの(多くは特に問題視されてなかったもの)を中心に淡々と経緯を記録していくというスタンスです。日本語教育クラスタは村落共同体的な閉鎖的な空気が強く、その場その場で言いっぱなしで、無かったことにされるというケースが多いので。業界のソトの人達への説明も意識しつつ、業界のことをあまり知らない若い人達に、こういう有名人、有力者の投稿が無批判に流れてくるから、これが普通で、業界の空気なんだ、これに馴染まなければ、と思う必要はないよというメッセージでもあります。違う考え方もあるよという参考のため、記録と補足意見を。

2025年の日本語教育クラスタは、日本語教育の参照枠警察多文化共生マナー講師みたいな高齢の人達の場所となりつつあるように思います。両方できるぜ!という人達もいます。


外国人統合センター?

今の日本語教育の参照枠の延長線上なら「統合センター」はありえるかもしれません。国際交流基金の関係者も2010年代からドイツの例を盛んにアピールしていますし、就労もそうしたいんでしょう。公費投入のためには国策としての統合という旗印が必要という理屈があり、待遇があがるなら日本語教育関係者も歓迎しそうです。

ちなみに、欧州には、ドイツの移民の統合政策への転換に対しても、それに言語教育が組み込まれていくことについても、強い批判があります。元々CEFRに批判的な欧州外の人達も、やっぱりCEFRは移民向けのご都合主義の枠組みだったな、ダメだなと考える人は多く、そういうスタンスをリベラルな立場とするのが一般的です。


偶然、同日に投稿された記事。日本語教育の参照枠とその方向性に疑問を呈している内容でした。

» 同僚・同級生・隣人とのおしゃべりは社会的な課題か|西口光一 https://note.com/koichinishi/n/n4d03e53e0e2c

新制度の下で、日本語教育機関や文科省、外務省の意向に沿って日本語教育に関わり続けたいという立場の人達のポジショントークが露骨になってきたなという気がします。ほとんどの人が、外務省、文科省、日本語学校業界のいずれかの利益に沿って発言し、それぞれにとって、都合の悪いことは、無かったことにする。それぞれ無かったことにしたいことは一部重なっていて、3つのところが同時に重なってる部分は、まったく無かったことになる。みたいな。

ただ、日本語教育クラスタは、これらのポジショントークに対して「立場上仕方ないよね」みたいな諦念があってスルーしているのかもしれないし、もしかしたら、皆自由にモノを言ってると信じていて、ポジショントークとは認識できていないのかもしれない。このへんは、よくわからないままです。陰謀論を叫ぶみたいに分かりやすくはないですからね。



日本語教育機関関係者にとってのST比

ST比がコロコロ変わるのは、専任の教員を雇うべき数もコロコロ変わるということで、40から50や60に増えるということは、その分、専任を解雇できるということですが、このように日本語教育機関側の人達とっては この数字のラインは守るべきギリギリの数字であり、それさえクリアすればいい、うっかり下回らないように気をつけましょう「お気をつけください」という数字でしかない、ということなんだなと思います。

ST比の40がどういう数字か、計算方法、世界の水準、それが50や60になるのは、日本語教育機関にとってどういう意味があるのかは、こちらで補足しています。言うまでもなくST比ルールは、日本語教師の雇用の安定に最も影響する重要な指標で40でも専任の比率は半数以下で大きすぎると言えます。



情報公開とアーカイブ化は別のもの

これは文科省としては「機関の運営や学生募集への影響を鑑みて」情報公開をしない。という話であり、本来、学校の情報が必要な学校を選ぶ立場の人達(留学生であったり就労系の人達、小中学生やその保護者)などは、もちろん、学校を仕事先として選ぶ立場の教職員のことは考えられていないということですが、「公的機関が運営することになったメリットの一つ」と紹介してしまうのは、ちょっと理解しがたいという気がします。

ちなみに、国会図書館が公的機関の文書をアーカイブ化しているのは国の方針ではなく、国会図書館独自の判断で、かなり前(2002)からやっているものに過ぎません。クローラーによる収集なので漏れもあります。つまり国立国会図書館にあるというのは、情報公開のためでも透明性を高める目的でもなく、当該省庁は削除したということと同じです。本来、一旦公開した重要ような情報は、関係者にわかりやすい形で自ら保存し提供するのが情報公開です。

情報公開、透明化を最も必要としているのは、良質な日本語教育機関を選ばねばならない留学生や就労系の人達地域の日本語の学習を希望する人達で、次にそこで働く教職員でしょうか。日本語教育の世界で最も弱い立場の人達と言えます。業界の都合で公開したりしなかったり、という性格のものではないのでは。

【参考】国立国会図書館(NDL)が取り組んでいるウェブのアーカイブ、その世界的潮流と可視化の可能性(矢崎裕一) - エキスパート - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3687ff5714e1bf2b22c4c642973d654b72cd8e85



日本語もできない分際で

一連のことを時系列でまとめると…

  • 20日 「分際」の投稿
  • 22日 シラバスがドウコウという投稿でプチ炎上
  • 25日 ボヤ騒ぎが起き始める
  • 26日午後10時 投稿削除
  • 28日午前11時 謝罪
  • 1日 オレ的な要約投稿

という10日間の出来事でした。28日の謝罪以降は、日本語教育関係者からの言及はほぼ無しになりました。


「みつかりません」となっているのは、削除されたからです。このWikiで引用したものはこのように原文は残ります。これは、このWikiの仕様ですが、Xの仕様でもあります。Xも、一時、投稿を削除したら外部で引用した文言も消える仕様だった時期はありましたが、削除して逃走、みたいなケースが多く、批判を浴びて(裁判などもあって)、一旦投稿したものは記録として残るような方向の仕様となりました。「忘れられる権利」よりも「パブリックな場所に書いた責任」を重く見ることになったわけです。昔から、欧米では、そういう考え方のほうが支配的です1)

わざわざ、他の例を出し、国籍まで出して2)、外国人観光客いらね、という結論になってます。

以下は、そろそろ削除しそうだなと思ったので、念のため保存した画像です。

👉 この投稿の直後にこっそり削除してました3)

ちょうど先月、ChatGPTの画像解析の性能が上がったということだったので、場所を調べてみました。国際交流基金の近くの南浦和駅で10~16時前後だろうとのことでした。一応書いておくと、エレベーターの左右どっちか、歩いてよいのか、という、海外はもちろん、国内でも地域によって全然違うルールを「わざと右側に乗って立ち止まるという社会啓発活動😆」をし、わざわざ口論の元を作りながら、そのルールの理解を外国人にまで求め、対応が悪いからと上のように「日本語能力が低いからダメだ」とし、ついでにJRもダメだと言い、なぜか外国人観光客は歓迎しないみたいなところにまで広げるというのは、ほとんど迷惑系愛国ユーチューバーみたいな行動と投稿だと思います。


一般の人向けに補足すると、国際交流基金が、2018年ごろに政府に強く働きかけて特定技能の要件に自らが行う新たな試験を課し、教材を作る予算を勝ち取ったことを知っていれば、基金の日本語専門家が「日本語もできない分際」と、外国人を日本語ができるかどうかで選別するようなスタンスであることに不思議はありませんが、この投稿が、普段から多文化共生をうたう日本語教育関係者からスルーされたことは、一般の人には、ちょっとわかりにくいかもしれません。

もちろん、日本語教育関係者にも、日本に滞在する外国人の半数以上は、日本語を勉強する機会を与えらていない、自腹で残業後に勉強するしかない、という制度的な欠陥を知らないまま、日本語能力が高い外国人ほど良き市民だと単純に考える人もいます。日本語教育ビジネス的にも、日本語の上達が人物の評価に反映されれば、日本語教育に従事している我々は得をする、くらいのボンヤリした感覚もあるのかもしれません。

ただ、日本語専門家は独立行政法人である国際交流基金では業務委託の関係で職員ではないせいか、専門家間の関係性も薄く、組織的な行動規範もなさそうですし、研究機関としての倫理観を共有している印象もありません。日本語専門家もXでアカウントを持ってる人は数十人いますが、互いにリプなどはほぼしない。個々がバラバラの組織という印象です。こういう組織で修士を取得しただけで、若い頃から日本語専門家という肩書きで、一般の日本語教師に対して長く指導的立場でいることになるという特殊な環境で育つから「分際」という言葉が普通に出てくるような、独特の感覚を身につけるのか、(学歴、肩書き、家柄重視で気位が高いと言われている)外務省的な空気に染まるというのことなのかはわかりません。


少し離れますが「分際で~」という表現は使うか使わないかハッキリ分かれそうです。使わない人は一生使わないけど、使う人はわりと使う。自分に向けるか人に向けるかという違いはありますが。また、「~のくせに」とか「~風情で~」という表現と共に日本語学習の際は、要注意マークをつけたほうがいいのかな、というグループですが、国際交流基金では、こういう表現が飛びっているのかと思うと、それもゲンナリします。あと、普通に「途上国」が普通に悪口として使われるのも外務省の天下り組織ではあるんだろうなと思います。


追記 1

春先は機嫌が悪い模様

上の投稿の後、こういうのも続きました。元の投稿は、使っている教科書のせいで授業準備が大変という人は、そこは辞めて他に移ればいいのでは、というものですが、反論されてキレたのか、おまえは業界自体をやめろ、やめれば業界はよくなると引用して投稿。

追記 2 

上のシラバスどうこうの投稿がボヤ騒ぎになったついでに、その前の「日本語ができない分際」投稿も蒸し返されはじめました。この時点まではスルーされていたと思います。

追記 3

投稿してから8日後、批判が起きてから3日、元投稿を削除して2日後に謝罪

エスカレーターでわざと右側に乗って「啓発活動」をしていたこと、何を言ったかは書かずに、身の危険を感じた、怒鳴られた、ということになってました。削除したし、大半は覚えてないだろうということなのでしょうけども、おそらく、一週間もすれば、その通りに忘れられるでしょう。一ヶ月で何か起きたかも忘れられる。

最初の投稿にイイネをした数を超えるイイネがついています。この謝罪にもイイネがついてました。現在、イイネは投稿者以外には知られない仕様なので、こっそり本人にだけ「私は気にしてませんよ」と伝えるには都合がいい機能になっています。一般的に閉鎖的なクラスタでは、有力者が炎上すると、数日後から「仲間」の投稿やリプが増えるという後夜祭的な現象があります。仲間的な人達の無関係な投稿も不自然に増えます。これも「私は気にしてませんよ」という当人やその周辺に対する目配せと共に、タイムラインの空気の入れ換えに協力するみたいなことなのかなという気がします。

最初の投稿から削除までの一週間の間、ほとんどの日本語教育関係者にフォローされているはずの人の投稿なので、少なくとも日本語教育関係者はみてるはずですが、SNS上の日本語教育関係者で多文化共生ご意見番みたいな人達は、これまでネット上で批判してきたことのショーケースのようなこの身内の出来事には、まったく触れず、何事もなかったように過ごし、謝罪後は援護射撃的な投稿もチラホラありました。


日本語教育クラスタのウチとソト

おそらく埼玉の市議かなんかの投稿だったら、批判も殺到し村の外でも炎上したと思いますが、村外には知られないまま済んだようでした。日本語教育クラスタはかなり閉鎖的な場所で3000くらいのフォロワーだと、ほとんど身内とその周辺なので、中のことが外に広がらない。ソトの人達も村の存在はほぼ知らないということになっています。これが物理学クラスタなどだと、震災などもあり、何かの際に物理クラスタの意見をみておくことは重要だとなっていますし、言葉に興味がある人達は言語学クラスタをフォローしていたりしていますので、有名アカウントはほぼ1万越えです。つまり学術系クラスタは、ソトにむけて開かれているところと、そうでないところがあります。日本語教育は典型的な後者です。投稿もほぼ身内を意識して行われます。


追記 4 応援団によるステルス援護射撃

以下は謝罪直後、同日、翌日の投稿です。後夜祭的な現象のひとつだと思います。

上の投稿は本人もリポスト

とにかく「私は一連のことは問題視してません」という含みで「問題は外国人ウンヌンではなく、そこですよね?」ということが示唆されています。歴史の修正みたいなカンジです。直接言及するともらい事故が怖いので、ちょっと遠いところで援護射撃しますぜ、親分!みたいな投稿群です。

これが「敵」であったなら、微に入り細に入り、謝罪の方法まで批判されることになったはずですが(援護射撃の投稿者は、普段からそういうことをしそうな人ですが)、味方と認知されれば擁護される。ということになっているように思います。こうなると、もうロジックではなく、仲間であり味方の人物に対しては「悪気はなかったし」「外国人に対するヘイトであるはずがない」ということになってしまう。こういう敵味方の論理に、恐怖を感じる人はいるのではと思いますが、残念ながら、そういう人に、日本語教育の世界はちゃんとロジックが尊重される場所だから大丈夫だよ、と言う自信がないです。


しかし、この謝罪でよかった。めでたしめでたしということになりがちなクラスタでもあります。議論のすり替えだと感じる人のほうが少数派です。炎上の内容は関係なく、炎上は不愉快な出来事で、なんでもいいから謝罪で終わったことにしたいという人のほうが多い。元投稿も消えたし、経緯を辿ることはできないのでなんか炎上したけど謝罪して収まった案件となってしまうだろうなと思います。


追記 5 オレの要約

謝罪したからOKで終わったことにするという空気は、こういうことを生むなと感じました。援護射撃で修正された歴史にのっかったカンジです。

謝罪の3日後の深夜に元投稿が消えて2日間が経過したこともあってか、もう確認できないだろうということか、「オレの要約」を投稿。イイネもちゃんとついてます。日本語教育関係者の言及は無し。FYI(For Your Information)は、「ご参考までに」くらいの意味です。「どけ!右側は歩け!」の英語は覚えているはずですが無く、日本語だけなのは意訳だと言われたくないから?


基金の人は投稿削除しがちなので、記録のためキャプチャ取らなければならない。メンドクサイです…。 20250501061007.png

まとめ

私はこの日本語教育界隈の、深刻な問題や議論でも、炎上という曖昧な語に変換して、正面から向き合わず、被害を受けた人(今回は迷惑系ユーチューバーのような態度の餌食になった外国人と、なぜか似たような人達として扱われた外国人観光客)のことを置いてきぼりにしたまま、ボンヤリしたマナー問題、気持ちの問題、自分の快不快の問題、個々の性格の問題にして、本人の謝罪で、顔を背けながら終わったことにして忘れる、というような終わり方に、いつも違和感を覚えます。

この種のことをロジックではなく個人の快不快を軸にするということは、その時の受け取り側の気分やその時のタイムラインの空気(2010年代と今はこの種の問題について全然違います。今はかなり厳しいですが、またユルくなる可能性はいつでもあります)に左右され、有力者であるかどうか、相手との関係によって割り引かれたりもする。被害を受けた人のことは常に横に置かれます。そして、こういう忖度は組織や村の中でこっそり行われているのではなく、世界中の人達が見ている中で行われているわけです。

元々、自称「社会啓発運動」で始まったトラブルですが、結局、当事者も周囲もちょっとした個人間のトラブルということで終わらせようとする。こんなんで「学習者を社会的存在として捉える」こととができるの?という気がします。


ちなみに

また、このエスカレーターの問題は数年単位でおなじように繰り返し話題になることで、すでに単に機械の保守上の問題にすぎないが、いろんな理屈がくっついてわけがわからなくなっている問題ということのようです。

つまり、輸送量は低下しないし、危険でもない。ましてマナーの問題でもなく、単なる機械の性能と保守上の都合ということです。


👉 ちょうど画像資料の製作中だったので、ついでに作ってみました。国際交流基金が主催する日本語能力試験の説明部分です。引用されている看板の「エスカレーターでは歩かないでください」go-g9w4bwaais6d.jpg は、N5合格でも理解は微妙なところです。



基金の日本語専門家、CEFRの公式文書をAIで加工、生成して再配布

ChatGPTにアップして翻訳させて、生成させていた模様。

CEFRの文書のライセンスは、オープンではなく、翻訳しての再配布は禁止されている。

https://x.com/Midogonpapa/status/1915928200678682962

https://chatgpt.com/g/g-680c20f0b3e08191aa3b1da50b169665-zhong-xue-sheng-notamenocefr-yorotuhagong-tong-can-zhao-waku

AIにCEFRでの本文(2001年)と追補版(2020)を読み込ませて、英語の本文と日本語訳を引用しながら中学生にも分かるように説明する「中学生のためのCEFR」を作りました。 英語が苦手な人や、興味のある人は、連休中に読まれるといいでしょう。 https://chatgpt.com/g/g-680c20f0b3e08191aa3b1da50b169665-zhong-xue-sheng-notamenocefr-yorotuhagong-tong-can-zhao-waku

基金とEUの間に使ってもよいという取り決めがあるなら、その旨、クレジットがあるはずですが、それも無し。国際交流基金EUに許諾があるかどうか尋ねればわかるかもしれません。

20250426193920.png



プライベートレッスンではハラスメント予防に直接法がいい?

一般論として、学習者の母語を知っているか、英語ができることは、学習者自身のコミュニティともコミュニケーションができるという意味で、また英語力は英語メディアや英語社会に対する影響力を行使できるという意味で、ハラスメントの予防になる可能性がある、ということは聞きます。英語力が抑止力になるケースはハラスメントに限らず世界中にあります。英語圏社会はハラスメントに厳しい。例えば日本でハラスメント行為をしたとなったら、ほとんど社会生活は続けられないくらいのダメージを負うはずです。今は特にネットに英語で投稿されたら終わりですし。

これも一般論としてですが、相手の母語でしっかりとコミュニケーションできることがハラスメントの防止に役立つこともあると考えるのも自然だと思います。コミュニケーション不足はハラスメントが起きる大きな原因のひとつでもありますし。

しかし語学力が影響するかは横に置くとしても、直接法が日本語しか使わない強固な態度と映るのでハラスメントの予防になるというのは、まったく関連がわからないです。ハラスメントの予防は、毅然とした態度、準備、場所の選定、ルールなどをきちんとすることがまず重要で、媒介語を使っても、それらはきちんと示し、伝えることができます。教え方の手法との関連がどこにあるのか…。教師は基本、学習者にとってベストの方法を選ぶべきという意味からも、教師育成に関わる研究者が、特に根拠もないまま直接法がハラスメントの予防になるから、直接法がよいと勧めてしまうこと自体にも大きな問題があると思います。



(市販の?)教材をソースにAI生成

これも著作権がらみの許諾があるかどうか案件です。市販の教材だと思うので、著作権の侵害の可能性が高いと思います。基本、日本語教育業界では、自分に著作権が無いものをネット上のAIや翻訳などのサービス上にアップロードするのは原則NGというの、まったく守られてないです。市販の教材をAIサービスにアップして類似とか関連の作問させたりが普通になると、もう教材作るビジネスは終わりという気がします。

これは少し前の「CEFRの文書を勝手に日本語化して配付」の国際交流基金の日本語専門家のリポストでみた投稿です。国際交流基金の日本語教育関係者は著作権の知識がほぼ無く、これまでも「40人以下ならネット上で出版物を共有してもOK」とか「電子書籍は学校で回し読みすれば安上がり」みたいな投稿を普通にしていて、組織からオトガメもないようで、日本語教育の世界の著作権侵害にかなり貢献してきました。基金には職員や関係者向けの著作権のガイドラインも研修も無いんだろうと思います。(個人情報保護の知識も壊滅的なので、法律に関する研修が無いんだろうと思います)

基金は自身の教材のライセンスは厳しい

国際交流基金は、上のように民間の著作物の著作権を侵害するような発言をたびたびしていますが、自身で作ってる有料の「まるごと 日本のことばと文化」と無料の「いろどり 生活の日本語」は、前者は基金の予算、後者は特定技能の予算で作られているので、CCなどのオープンなライセンスで無料配付でも驚きませんし、これを使ってAI生成をすればいいと思いますが、決して使わない。どちらも税金で作ったものですが、ライセンスは厳しく、まるごとは普通の著作物のライセンスと同じで、三修社という民間の出版社で販売(ちなみに初級総合教科書では最も高価)私的利用以外はすべて禁止。いろどりは、そもそもフリーで配付しているものですが、二次著作物を作るのはOKで配付はOKですが販売は禁止。どちらも翻訳とAIに関しては言及無し。基金は自身の教材に関しては決して著作権を侵害するような行為も発言もしません。このへんのなんとも小ずるいカンジは、一般の人にはあんまり気づかれないですが、他の日本語教材を扱う出版社は悔しい思いを持つ人も多いはずです。

論文は結論だけ?

結論? 要旨(アブストラクト)読めば十分ということ?

いろいろと意味がわからない投稿ですが、国際交流基金ではそういうカルチャーがあるんでしょう。

いずれにしても、信じる人はいそうだし、真似しないほうがいいことなので、念の為、ここに転載しました。



国際交流基金の日本語専門家、専門書を元にAI生成で次々と出版している模様

上のCEFR関連本だけでなく、こういうことも始めてました。あと書籍版とその他の文書の著作権をCCにしたり、パブリックドメインにするなどと宣言していて、そもそもAI生成物は生成した人に著作権が無いとされることがほとんど、といういことも知らないみたいで、どうにもならないカンジです。

市販の本を勝手にアップしてその著者が答える体でAIに答えさせ、ネット上で公開するだけでも、いろんな権利を侵害していて問題ですが、自分の著作として出版するのは、手遅れとはいえ、普通は誰かが止めると思います。

研究倫理的にもやっていいわけがないことですが、日本語教育の世界ではOK?

12.pdf3.pdf4.pdf4hosoku.pdf5.pdf6.pdf7.pdf

本として続々と出版している模様。

弟よ、これだけは知っておけ!: 第二言語習得の基本と日本語教育 電子書籍: 村上 吉文: Kindleストア https://www.amazon.co.jp/dp/B0FD8MLFN7

カンタ!これだけは知っておいて! : サツキお姉ちゃんが教える行動中心アプローチ 電子書籍: 村上 吉文: Kindleストア https://www.amazon.co.jp/dp/B0D2L3XV5V

美咲先輩!一つだけ聞いていいですか?: 留学生のための第二言語習得の初歩 | 村上 吉文 | 日本語 | Kindleストア | Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FFZQC2BV

ラオスの文化まるわかりガイド: 初心者でも楽しめる入門編 | 村上 吉文 | 雑学・クイズ | Kindleストア | Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FCD1P85J

「冒険新書」という名前にした模様。

諦めていた英語が伸びる!: 第二言語習得の新常識が教える、50代からの最短ルート (冒険新書) https://www.amazon.co.jp/dp/B0FGTDHGK1

「落ちこぼれ」は存在しない: 一斉授業と積み上げ型カリキュラムの弊害 (冒険新書) eBook : 村上 吉文: Kindleストア https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJCR6JHR

100カ国!百人町国際高校物語全集 eBook : 愛宕あい: 本 https://www.amazon.co.jp/dp/B0FMNG12LW

村上氏はWikipediaでも規約違反でページを作り、警告を受けたりしてましたが、似たようなことだと考えているのかもしれません。

国際交流基金の日本語専門家による立項と編集

【参考】

AIサービスに他人の著作物をアップして、その著作者が答える体裁で作ったものをネットで公開することは法的に問題がありますか。 https://chatgpt.com/share/683b6077-8a98-8013-acd0-862d9920824f

「第二言語習得研究のマイケルロングの著作権管理は誰がやっていますか?今所属している研究機関はありますか」 マイケルロングの著作権管理 https://chatgpt.com/share/683eb44e-49e8-8013-bca5-44bf78c47a8e



大学の非常勤講師が直で入管に学生を通報

授業態度がダメで大学が対処しないから個人的に学生を実名で入管に通報とか聞いたことがないです。

「先生方の経験の集合知である第二言語習得」

氏は国際交流基金の日本語上級専門家として海外の日本語教師に第二言語習得について教えたりしているらしいので、国際交流基金の公式の解釈なんだろうと思います。



違法コピーで認定を目指す日本語学校



残業代を払わない宣言をする日本語学校

これは労基署案件だとおもいます。



介護の制度の迷走

タイトルには外国人のみに特例が認められると書いていないし、適用が8000人を超えたとあるだけで、最近できた特例とも書いてません。外国人を想定した特例というのもほぼそうで、問題があるという議論も当初からあります。タイトル含め、ミスリードとは言えないでしょう。

重要なのは、長年、介護看護の人手不足問題を解決できず、ビジョンが作れないまま、オプションとして外国人枠も考えましょうくらいだったけれども、介護系の学校は定員割れが続き、国内での確保が難しくなり、ずるずるとこうなっている現状が問題で、EPAのような育成だけでも無理になり、ルートを拡大したけども日本語学習サポートは追いつかず、待遇は改善されないので若い人は来ない。仕方ないので準資格的なものを作る。準資格も反対がありうまくいかないので、なんとなく働き続けられることにして、その期限も延長するしかない。ということになってます。

EPAでの外国人介護士の受け入れが決まった時点では、養成施設ルートに国家試験受験は義務づけられてなかったので、試験の義務化は矛盾するとなり、准介護福祉士という資格が、養成施設ルートにだけ設けられて、これも2016年度からの導入予定が2022年度まで延期されたりしてます。

一般的に、この種の資格の人手不足による準資格化は、現場の労働問題に直結するだけなので反対も多く、難しい。准看護も廃止の方向なので時代に逆行しているという批判もあります。介護士は看護士ほど政治力を持ってないので、準資格化を受け入れるしか無いということになっているに過ぎず、保育士、介護福祉士、准看護師の資格統合という案がありこれにも当事者達は反対している。いろんな利害関係がからみあうので、日本語教育の専門家として日本語能力がこのくらい必要ですよ、と言うだけでは何も解決しないという難しい状況になってます。これは他の職種でもある問題で今後顕在化していく可能性がある。例えば事故が多発した時に日本語能力の低さが問題視される可能性は高く、逆に仮に日本語能力が原因だったとしても制度上、外国人に頼らざるを得ないので隠蔽される可能性もある、しかし事故は人命に直結するので訴訟にでもなり、日本語能力の欠如が原因だとされたら…という問題もある。介護の現場は結構困ってます。

と、結構、大変な状況になっていると感じます。タイトルが誘導的だ、外国人に対してポジティブだ、ネガティブだみたいなことよりも、考えるべきことはたくさんあるのでは?と思います。

介護福祉士の国家試験義務化が先送りに。このままで介護人材の質は大丈夫? | 「介護求人ナビ 介護転職お役立ち情報」|介護求人ナビ https://www.kaigo-kyuujin.com/oyakudachi/topics/54421



法務省は日本語学習に関与したことは無い

2010年代まで日本語能力と在留資格は紐ついておらず、技能実習制度には日本語要件は無く、留学も入国前要件(ビザ発給)がN5だっただけで、そのN5もまったくチェックはないので、実質無かった。帰化でさえ無かった。来日後の在留資格延長でもまったく関係なかった。技能実習生は技能試験だけで、留学はN3不合格でも専門学校に進学できた。

この法務省の日本語学習能力への関与が無かったことは批判されて、やっと2010年代後半にベトナムでN5チェックやりますということになり、2010年代の文科省と外務省の日本語教育改革の余波で2018年に告示校に日本語要件が盛り込まれた。

つまり、入管(法務省)は、「日本語を勉強しないなら日本にいるな!」というスタンスだったことは一度も無く、在留資格と日本語能力を紐つけたのは2010年代の文科省が日本語教育関係者と共に牽引した一連の日本語教育改革で行われたもの。外務省は最も積極的で、安倍政権の官邸と共に特定技能で、史上初めてビザ発給に日本語要件を課した制度を始めた。文科省もそれを追認して、在留資格と日本語能力を紐つける方向性を作った。

というのが事実だと思います。





参照枠警察

元投稿は削除されているが、求人の投稿を引用して「なんだみん日を使ってる学校か」的なものでした。



声はほぼ無かった

技能実習制度は90年前後から始まってますが、2010年代後半にやっと日本語教育が提供されないことに関して日本語教育関係者から、チラホラ声があがってきた程度です。日本語教育の世界で、20年近く問題視されてこなかった。2010年代半ばに技能実習生(すでに留学生より多くの人が日本に居た時点)の日本語教育について書籍を出版するために、論文を探しましたが、北海道で数件、その他数件で技能実習生の日本語教育をテーマにした論文は10件程度。児童の日本語教育に関する論文が無数にあったのと対照的です。日本語学習を必要としている人数では圧倒的に技能実習生が多いのに。これは単に児童の日本語教育が学校=文科省に近かったからくらいの理由しかないと思います。おそらく論文として評価されたみたいな事情もあるんでしょう。長く日本語教育の世界では技能実習生は透明化されていたと言えます。

介護看護はずっと別ルートで別枠。大多数の就労系の人がいる技能実習制度や特定技能に組み込まれたのはつい最近の2010年代後半です。

率直に言えば、2010年代の国の会議でどうやら就労系の日本語教育のパイの奪い合いが始まりそうだとなってから、就労系の日本語教育の論文が増え、大学が日本語教師養成のイニシアティブを取ることになりそうだとなったので、日本語教師のあり方的な論文が激増しました。就労系の日本語教育と教師育成がトレンドになったから増えたということです。そして、2020年代は参照枠とCEFRの論文が目立ちます。日本語教育の研究者は自らの問題意識で研究をするというより、トレンドを追う人達が多いんだなという印象です。SNSでも急に制度のあり方への言及が増えました。新たな制度の周辺で大学でポジションを得たいという人達が増えたんでしょう。

Clairのこの特集は2012年極少数の日本語教育関係者が話題にする程度のことでした。2015年に就労系の日本語教育が提供されていないと「日本語教育あれこれ」というブログ記事を書きましたが、一時的に話題にはなったものの、特に制度化の声はあがらないままでした。

2018年に特定技能で、事実上、史上初めて日本語能力と在留資格取得が紐ついた時も、試験での足切り先行で、日本語学習環境が無い矛盾について、声はまったくあがってませんでした。SNSでも皆無でした。これは今もそうです。

極少数の人達が書いていただけで、ほんとにここ数年、細々と声があがるようになってきただけです。でも正面切って議論はしていない。日本語教育学会は、2017年に介護看護の日本語教育に関して声明を一度出したきりで、学会として政府に何かを言ったことはないです。これは2025年になっても就労系の日本語教育は無いままである、つまり結果を出してないことも含め、日本語教育者すべてが恥じたほうがいい歴史で、「声をあげてきた」という理屈は官僚的な無謬性みたいなニュアンスさえ感じます。何もしなかったし、何もできてこなかった、という反省から始めるべきだと思います。

関連の論文は言語政策に関する資料・論文・記事をどうぞ。

上の投稿主にはブロックされているので、閲覧用アカでで引用しました。私どもはスパム以外ブロックしない方針なので引用されアレコレ言われるわけですが、こちらはブロックされたら何もできない、アンフェアでメンドクサイ仕様だなと思います。(上の投稿は、投稿後数時間でなぜか削除されてました)



…。

SNSでのブランディングみたいなことなら、判断はみた人がやればいいで済むんですが、基金の日本語専門家は税金で運用されている海外の日本語教師の研修なんかも担当しているので、ある水準は超えてないとマズいわけです。

少なくとも、海外の日本語教師の育成関連は、国内の大学の研究者が主体になってオンラインでやることにして、基金の現日本語専門家は「海外日本語教育コーディネーター」みたいな肩書きにして、日本語教育とは切り離して、現役の研究者に繫ぐ仕事をする。コーディネートの仕事に徹するみたいな枠組みにしたほうがいいと思います。独立行政法人が日本語の専門家を作るのは無理があります。育成のプログラムも無いようだし。(と、以前から書いてますが、そうなりそうな気配はないです)

あと、基金は、日本語教育専門家に対して、著作権や個人情報保護関連の研修をちゃんとやらないと、いくら日本語専門家が職員じゃない、業務委託だと言っても、不作為で組織自体も法的な責任を問われる可能性があると思います。これもやらないだろうけど。



アカデミア

TUFS D1(東京外国語大学の博士過程)の人らしいです。大学と公共機関の研究職じゃないと留学生問題は語ってはいけないらしい。「アカデミア」使われるようになったのは2010年代後半で、ここ10年くらいよく見かけます。若い人が使いがち。社会の階層化が進む中、いろんなところでこういうプチ特権意識が育ってるんだなと感じます。

アカデミア - 調べる - Google トレンド https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=JP&q=%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%82%A2&hl=ja



シラバスによって時給が上がる理論

基金ではこれまでもたびたび主張してきた「行動中心アプローチを採用した教科書だと時給が上がる理論」を正式に採用した模様。

著作権って誰得

ビックリしました。



参照枠警察

もうこういう参照枠警察的なことが普通に受け入れられている模様。JF日本語教育スタンダードが2005年から参照ではなくスタンダードと称したのは、ほんとに参照というコンセプトを理解してなかったからなんだなと思います。



とある筋

日本語学校の異文化理解の授業

日本語教育では日本語以外のことを、こう教えるべきだ、という主張はいろいろあります。

日本語学校の半数が所属する団体(全国日本語学校連合会)は神武天皇から始まる独自の日本史まで連載している。

コラム https://jalsa.tokyo/column/#column_category9

宗教系の団体も、日本語以外のいろいろを教えてるっぽいです。

2017 HS 全世界日本語スピーチ発表会「信仰により変わった人生」 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=d4laHxRiR30&list=PL0_2Y5MxEhNz1kZblLF-lhWjVcbgbdjzF&index=43


日本語を教えるために結構な時間をかけて勉強し、資格を取得して、日本語なら教えてもよいと社会から認められた上で、長年の研究の積み重ねがある教え方や教材で、チームで相互監視の中で教えるというのが日本語教師の仕事なんですが、日本語以外は、こうやって何の資格も無いまま、日本語理解の一環、日本事情だと簡単にヒョイと教えてしまうのは疑問です。例えば、2025年現在、どの政党も「オレなりの多文化共生」を語っている現状をみても、異文化理解、多文化共生、は、すでに解釈の幅がありすぎる事項になってしまっています。

そもそも進学目的で語学学校に通っているのなら、日本語以外のことは進学先で、それぞれの専門家が教えることになっているはずです。大学ならば歴史も文化史も専門家がおり、学生は自由に選択して学ぶことになっています。日本語学校のように、出席率を人質にしたような形で在留資格の延長がかかっている場所で(出席しなければならないだけでなく、推薦の権利など、教師の評価の絶対性も強い場所で)、海外の若者に、正規の授業時間内で簡単に教えられてしまうことの危険性も考えるべきではと思います。日本語教師が日本語以外のことを、どこまで教えて良いのか、ちゃんと線引きをするか、日本語教師とは別の資格を持つ人が一定の研修を受けた上で担当するというのが筋なのでは。



失礼を承知で言うスタイル

基金の日本語専門家のRTで流れてきました。失礼を承知で言うという前置きで、でかい主語で普通に失礼なことを投稿するという新しいスタイル。こういうことも投稿。

「失礼を承知で言いますが~」という前置きの使い方、わからなくなってきました。

「失礼を承知で」の使い方 https://chatgpt.com/share/68a0370d-d51c-8013-a0d7-5d15b6238aaa



学校のPRもOK?

この種の口コミサイトは、対象のところがPRで活用しはじめたら終わりという気がしますが、もともと投稿者は匿名で、特にフィルタリングなしでやってるっぽいので、ステマ的な投稿が増えたら荒れそうです。(ただ、かなりネガティブな投稿が先行しているようなので、ここでステマをやろうという学校は少ないかも)



日本語教育でフォロワーが多く、アカウントを作ったらお勧めされるようなアカウントの「そうだそうだ」的なレスが続いてました。

関係ないネガティブな属性を結びつけて楽しむみたいなこと(例えば、オタクには児童性愛の傾向がある、みたいな)は典型的な差別のロジックだけども、自分達が差別してもよいと認定した人達には向けても良い、というような理屈なんだろうと思います。ハリウッド映画がゾンビや異星人だからアップで眉間を撃ってもいいという設定で楽しげにやってるのとたいした違いはないです。ただ、この場合、相手は普通の人間です。愛国主義者もレイシストも定義は常に曖昧で、ラベリングする人次第でどうにでもなってしまうので、このロジックは、いつだれに向けられるかはわからない。居酒屋談議に参加している人達の空気でどうにでもなります。

例えば明治期の政治家などは今の基準で言えば、ほぼすべて愛国主義者でレイシストでしょうし、リベラルと言われる人達が犯す犯罪やハラスメントは古今東西、無数にありますし、DVの要因は複雑であることは言うまでもないことです。気軽に何かの属性と結びつけて楽しむ類いのことではありません。しかし、この種の居酒屋談議のノリに、なんとなくそれらしい理屈をつけて楽しげに続けることで、差別的なロジックは温存されてしまう。差別とかレイシストというワードを軽々しくあまり使いたくないのは、自分は差別を判定する立場という謎の自覚が生む、こういう楽しげなノリに加担したくないからです。

ある種の人達に、参政党という都合のいい悪役が登場した高揚感みたいなものを最近感じます。でも、参政党は今後拡大していくことは確実で、与党入りも視野にあるらしいので、これから政治の現実に出会い、変容していく人達になりそうです。敵だとみなすのではなく、これから日本語教育の人達は我慢強く対話を続けていくべき人達なのでは?と思ってます。

でもライフルで眉間を撃つほうが楽しいという人のほうが多いだろうということもわかってます。こんなところにアレコレと書いても無駄だと思ってますが、一応書いてみました。違う考え方、捉え方があることをネット上に残す意義はあると思いますので。



春から再び荒ぶる人々

今年に入り、春頃からずっとこんなカンジです。

認定のさじかげんで、文科省系の人達と意見の相違があって揉めているのか、それとも定年(基金は60才?)前の最後のひと吠え4)みたいなことかはわかりません。ちなみにCan-doは現在、無数に作られており、基金が就労系のCan-doとして最初に作ったCan-doは現時点で基金製の最新のCandoです。

 


1)
SNSだけでなく、オープンソースの掲示板でも日本製は投稿の編集もこっそり可能で、削除したらすべて消える仕様がほとんどでしたら、欧米製のスクリプトは投稿後の編集も編集履歴が残るのがデフォルトでしたし、投稿者が自由に削除できるかどうかは運営者がルール化したうえで決める仕様になっていることが多いです
2)
基本的に、国際交流基金の日本語教育関係者は東アジア方面に対してあまり友好的ではありません。日本語学習コンテンツも(日本語学習者数の母語として圧倒的多数である)中国語や韓国語訳は遅れがち。2000年代以降の外務省の脱東アジア戦略に基金の方向性も大きな影響を受けていることも大きそうです。
3)
多分、あまり知られてませんが、日本語教育関係の有名アカウントはよく投稿をこっそり削除します一般的には炎上した際は、投稿を削除すると逆効果と言われます。問題視した人が必ずキャプチャを取っていて、それがより流通するからです。しかし、日本語教育クラスタでは、そういうことをする人は、私が知るかぎりいないので、削除して無かったことにするのは簡単です
4)
組織で最高齢で上がいなくなったから?次の転職用?