SNS上の日本語教育界隈(クラスタ)の記録:| 概要と特徴 | 2010~2022年9月 | 2022年10~12月 | 2023年 | 2024年 | 2025年 | 2026年 | みん日まつり |
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日本語教育クラスタ_2022年
目次
ここは日本語教育クラスタの派生ページで、2022.10.01以降ことを記録したページです。
8月
8月? 学生の質ジャッジ 22.
日本国内で日本人相手の教育関係者が言えば超炎上しそうな発言。
「①母国でちゃんと教育を受けていた人。②ある程度お金持ちの人。③進学することが目的の人」は「質の良い学生」で、「①母国で教育をあまり受けていない人。②お金持ちではなく、借金をして入学した人。③そもそも留学が目的ではない人。挙げればキリがありませんが、とりあえずこの三つにしましょう。」は「質の悪い学生」で、前者のほうが教師は「楽」。
日本語学校は一つだけではない(日本語コーチ氏)
→ 2022年のブログ記事ですが、2023年には削除されていました。
【追記】
同氏は2023年5月にも教師の仕事環境は学生の質に左右されるという同じような主張をツイートし多くのイイネがついてました。
「優秀な留学生」は - 基礎学力がある
- 予習、復習をする
- わからないことを聞ける
- お金に困っていない
だとし、「優秀ではない留学生」は
- 基礎学力がない
- 予習、復習はもちろん宿題もしない
- わからないことがわからない
- お金に困っている、アルバイトがメイン
としたうえで、優秀な学生のクラスがいい。なぜなから「ハッキリ言います。「その方が楽だから」です。」としさらに
「新人だろうが、ベテランだろうが、こういった「優秀な留学生」が多いクラスであれば、圧倒的に楽だと思います。元も子もないことを言えば、留学生の質が良ければ、教師の教え方が下手であっても、あまり影響が出ないでしょう。反応もあり、授業も比較的スムーズに進めることができるでしょう。「優秀ではない留学生」が多いと、新人だろうが、ベテランだろうが、こういったクラスでは、どうにもならないことが多くなるでしょう。反応もなく、授業と呼べるような状態にはならないでしょう。
と続きます。
日本教師として最も大切なことを教えます | 日本語コーチ https://nihongocoach.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e%e6%95%99%e5%b8%ab%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%ae%e6%82%a9%e3%81%bf/788/
前回はここに書いた直後に記事が削除されたので、念のためキャプチャしておきました。
👉 補足
すべての学習者は担当する教師が必要
語学に限らず教える仕事は学習者のモチベーションにかなり左右されることは事実で、(すべてそうではありませんが)「楽」な側面があると実感する教師が多いこともありそうではあります。しかし、仮に事実であるとしても、よく考えれば想像できる程度の、そして数年経験すれば実感できる程度の、単に退屈な事実であり、発見したり人に教えるほどのことでもでない。こういうことは、「本音を書いた感」があって、それが興味をひくというSNSっぽいこと以上でも以下でもないと感じます。こういうことが「楽に日本語教師で食べていくための処世術」として語られることはSNSではいかにもありそうなことです。
一方で、国内にいる日本語が母語でない人が日本語を学習する機会を与えられるべきであることは間違いのないことで、日本の行政の整備の問題点でもあります。学習者のモチベーションの高低に関わらず、その仕事に携わる日本語教育関係者は必要であることも間違いないと思います。教育においてモチベーションが低い学習者はやりにくく担当する教師がいないからと、そういう学習者をサポートをしないわけにはいかないからです。日本だけでなく世界には、そういう学習者に、辛抱強く教える教師が無数にいて、これも大事な教育の仕事だとがんばっている。そういう人達のおかげで教育が成立している。そういう学習者が成長し社会の中で生きていく力を得ることで、実はモチベーションの高い「優秀な」とされている人達も結果として、間接的に恩恵を受けている。
これらも事実です。さあ、では、あなたは「モチベーションが低い学習者は大変だから逃げろ」みたいなネットでウケそうな「身も蓋もないように響くこと」を「処世術として」書いてアクセスを稼ぎますか?ということです。
根拠薄弱
もうひとつ、こういう「身も蓋もない事実」として書く場合は、最低でもきちんとした調査をしたうえで行われるべきだと思います。例えば「お金が無い人はなかなか結婚できない」みたいな調査結果とともに語られるみたいなことは時々みます。
しかし、この「基礎学力がありお金がある学生は楽」、とか「優秀な学生は教師の教え方の善し悪しは関係ない」みたいなことは、一見、もっともらしく響きますが、何か調査をしたり、検証されたわけではありません。すべて実感レベルの話に過ぎません。教える側にとって、語学は学生のモチベーションを引き出して継続させることは重要な要素で、昨今、特に重要視されています。このように「結局学生のモチベーション次第」と言いきってしまうことは疑問です。
顧客の悪口をネットに書き込むということ
そして、実は、こういう話題をネットに書き込む業界は、あまりありません。小中学校の教師やその他の教師もそうですし、一般社会では顧客が払ったお金で給料を得ている以上、おおっぴらに顧客の悪口を書くことはモラルに反するという観念があります。もちろん、日本語学校では、アルバイト漬けの学生のアルバイト代のほとんどは、学費であり、教師の給料になるわけです。
留学という在留資格で学生がアルバイト漬けになるのは明らかに制度の問題ですが、特にその制度に問題提起をするわけでもなく、単に「バイトしないといけない学生が多い学校は地雷だ」ということが日本語教師にとってもっとも大事なことだと言うのは、仮に現状に対する皮肉であったり制度に対する批判が暗に込められていたとしても、明らかに単なる処世術として受け取られることも見越して書かれており、イイネを稼ぎ、結果としてアフィリエイト広告満載のブログ記事への誘導となっているわけです。
「コーチ」と書かれているので、どこかでコーチング理論を学んだということかもしれません。そこで教えるコーチングとは「結局相手のモチベーション次第だから諦めろ」みたいな考え方なんでしょうか。それともいわゆる一般的なコーチング的な発想とは逆のことを言う高度な皮肉としてコーチを名乗っているといことなのでしょうか。
10月
正論は低姿勢で、という主張
まさに。
— Kumar(西隈俊哉) (@route2490) October 9, 2022
上から目線でなくても、強さを感じて息苦しくなるときはあります。文字で言われるからかもしれませんが…。
優しさ、大事です。
怖いのは、ヤだ。 https://t.co/dpd6F4OVcq
SNSで、こういう主張は多いですが、正論であるかどうかのジャッジも、どこまで低姿勢だと許されるのかも曖昧でよくわかりません。なぜ低姿勢じゃないとダメなのかも。
この場合、正論と認めているということは正しいということかもしれません、もしそうならば、それには従うしかないのではという気がします(あるいは、自らの過ちを認めたくないという心理が隠されている?)
「正論」という語も複雑です。「声高に正論を主張する」という場合の正論は正しい論ではなく、現実的で無かったり、机上の空論であったりというニュアンスが隠されています。「正論を振りかざす」にも批判的なニュアンスがあり、正論が多数派で自分が少数派であるというニュアンスとそのことへの反発も見え隠れします。もしそうならば、すでにその正論は正しくはないと考えているわけなので、正論の中に釈然としないものがあるならば、そこを深掘りして考えて論理的に組み立てればいいわけです。それはその「正論」の矛盾をつくもうひとつの正論になる可能性を秘めています。
つまり、単純にその口調の良い悪いを断罪するのは、十分に考え、議論を尽くした後でやるべきことで、それはなされたんでしょうか?という疑問がわいてきます。
👉 私が知る限り、英語圏のSNS上にも当然、罵詈雑言もありますが、そうではないフェアで激しい議論もあります。特に教育関係者は、ロジカルに議論をすることは大事だというコンセンサスがあります。ロジックさえあれば、前置きなしに意見をぶつけることができる。過剰に配慮を求めることは無く、それよりも議論が成立する場をどう維持するかのほうが重視されている。欧米の人との付き合いが多かった経験からいっても、議論に必要なのは、配慮やマナーではなくロジックを重視する姿勢、ルールだという考え方があり、むしろマナーありきであってはいけないというスタンスが共有されているように思います。マナーは曖昧で時に偏りがあり、文化的な趣が強すぎ、その場のマジョリティの強さによって左右される、という考えがあるからです。日本語教師wikiとして付け加えるならば、学習者が社会に出た時、インターナショナルな環境で求められるのは、国や文化の違いを超えて論理的にきちんと議論ができることではと思います。
「第二言語習得研究によって実証済み」
2020年あたりから「第二言語習得研究によって実証済み」というセリフは増えた。基金関係者発信?文型を覚えるのは無駄(とは第二言語習得では言われてはいないはず)で「心に響く中身のない形式だけをいくらやっても積み上がらない」ということも確信をもって語られる。心に響くと積み上がる?「心に響く」とは?
これを理解せず、ひたすら「上手に言える」まで代入練習しているのは前の学校でよく見聞きしましたね。
— すなみA@🇲🇽メキシコで日本語教育? (@SenseisitoAkira) October 10, 2022
効果が無いわけではないんでしょうけど、あまり身につかないのは実証済みです。 https://t.co/Doc215tbts
思想や言論の自由があり、個が個であることが許される社会からきた人たちに心に響く中身のない形式だけをいくらやっても積み上がらないんですよね。旧共産圏や社会主義圏で旧占領地からの学習者の大量受け入れとそういう唯物的な言語教育観の再生産って繋がりがあるだろうなというように見えています。
— 佐藤剛裕@日本語教師 (@officesatojapan) October 11, 2022
any content
みん日ゴミクズ
私は教科書を作る側の人間なので、著者と編集者と、イラストレーターとデザイナーと、沢山の人が労力をかけて作ったであろう教科書が「ゴミクズ」「キャラの顔見ただけで苛々する」と貶されたり、「〇〇ユーザーはたいてい排他的」とかレッテル貼りに利用されたりする様子を見かけると心が痛みます。→
— Mika Togo📙日本語教材編集者 (@meixiangkuojp) October 8, 2022
上のツイートで示唆されているツイート主は該当ツイートはすべて削除し、以降、以下のようなツイートをしたくらいで特に議論をするでもなく、スルーしつづけた模様なので、どんな文面だったのかは ツイ主のこれまでのみん日に関するツイートから推察するしかなさそうです。
今スリーエーが「みん日のことは嫌いでも、ミラーさんのことは嫌いにならないでください」ってツイートしたら、結構みんなみん日のこと見直すと思うよ。違う意味で。 https://t.co/GnCKZFhp3T
— Umineko1848🇩🇪 (@Umineko1848) October 6, 2022
その一ヶ月後に以下のようなツイートを投稿。
先月みたいに「お前はこの教科書を憎んでいる!著者や編集者、学んでいる学生に失礼!」みたいな謎解釈で火をつけられても癪なのでちゃんと理由を言っておくと、音声を聞いて絵を選ぶ問題に複数回答の余地があったり、英語の訳が不適切だったり、トピックシラバスとは言いつつ、 https://t.co/0fVRpd6tGV
— Umineko1848🇩🇪 (@Umineko1848) November 17, 2022
削除されたツイートはもう無いのでわからないまま。
11月
『日本語総まとめシリーズ』 DV関連の問題例で炎上?→改訂へ
『日本語総まとめシリーズ』については、目的別の教材でも扱っています。日本語学校では高いシェアを誇る歴史ある問題集です。
2022年の秋に、ツイッター上で、一部の設問がDVを肯定していると指摘があり、結果、出版社がお詫びをし、修正する(予定)という投稿をするに至り、総まとめ問題集のトップで謝罪文が出されました。かなり大きな出来事で、今後、教材制作だけに留まらず、教室における授業や配布物などすべてに影響すると思われますが、きちんとした議論はないまま「炎上案件」として曖昧に進み、曖昧に終わりました。
概要
出版社が出した謝罪文はシリーズのトップに掲載されている(謝罪用にページが作られていないということは、そのうち消える可能性もありそうです)
https://www.ask-books.com/jp/somatome/
中韓ベトナム語でも謝罪文を掲載している。以下は関連ツイート(11月10日)
【お詫びとご報告】
— アスク 日本語編集部 (@japan_askbooks) November 8, 2022
いつも弊社の書籍、コンテンツをご愛顧いただきありがとうございます。この度『日本語総まとめN3読解』の掲載内容について、多くの方からご指摘をいただきました。そこで経緯の説明と今後の対応についてご報告いたします。(1/2) pic.twitter.com/Y4tI6Fg4lx
ネットメディアでもちょっと扱われました。
「母さん、顔どうしたの?」日本語能力試験教材にDV描写 出版社謝罪「暴力肯定の立場にない」…変更へ: J-CAST ニュース https://www.j-cast.com/2022/11/09449893.html
日本語教材で不適切表現 版元謝罪、改訂へ(共同通信) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/e35f1dfe881b6051e8e2c5b834411c8fd30bb914
経緯?
出版されたのは2010年です。今回問題となったのは2022年。これまで指摘はなかったということになります。今回の経緯はハッキリしませんが、わかる範囲で整理すると。。。
英語圏で(おそらく学習者の間で)話題となる。
10月20日に、こういう英語のツイートがあり、このツイートを受けて、日本語教育関係者が問題だと言うようになった模様。
ただし、Yahooの記事によると「アスク出版によると、数カ月前に読者から指摘があり、問題の表現が発覚した。」となっており、このツイートの数ヶ月前には指摘があったということになる。以下のツイートはそれを受けてのものかもしれませんが、そこの経緯は不明。
Omg, what the heck? pic.twitter.com/1G6Ur3FgWr
— 💚Larryibo❤️ (@winterwoman112) October 20, 2022
投稿されたのは2022年の10月20日。リプは ほとんど同日中で英語のみなので期間としては短い。関連の批判のツイートは出版社謝罪後の11月15日に出ている。
ASK Books ignores the DV promoting answer to p. 77 “問題その2.“ The answer key without commentary suggests we
— bout (@jusqu_au_bout5) November 15, 2022
have to stop thinking about DV or paternalism!#BanDVTolerantJapaneseTextbook #アスク出版日本語総まとめN3読解のリコール配信停止を求めますhttps://t.co/G9ESlQ6mey https://t.co/kuDCmuGckm
最初のツイート主は、出版社謝罪後の11月15日に設問の続きのスクショをアップしツイートしている。ただしこの設問が「日記や小説を読もう」というテーマであること、設問の最初にある「Learn to distinguish between the facts and the writer's feelings」というまえがきの部分はカットされている。この問題の理解のためには重要なポイントだと思われるが。
It doesn't normalise it. It's just the content they decided to go with as an exercise for JLPT3 reading practice is questionable. They have a dialogue and then the kid's diary entry. pic.twitter.com/DjKNFK2SjP
— 💚Larryibo❤️ (@winterwoman112) November 8, 2022
「ASK Books ignores the DV promoting answer」となっている。
11月11日の時点で「108 件のリツイート 47 件の引用ツイート 290 件のいいね」となっており、普段地味な日本語学習関連ではそこそこ大きな炎上といえる。
日本語教育関係者が知る
英語圏で話題になってから10日ほどが経過した10月下旬、日本語での引用RTが出てきた。引用RTでは上の英語のツイートの日本語のもの、日本語教育関係者のものが増えている。しかし、学習者よりも高度な議論、総合的な判断が必要だと思われる日本語教育関係者の中でも、英語の元ツイートのみで、設問の全体像をみて検証する、ということはやはり行われないままでした。
元ツイの写真のみで、設問の全体像を検証したものは無い。どこに問題があるのか、どういうものなのかを書いたツイートは以下のものくらい。
これ、日本語の教科書なのか……。信じられない。むしろ、DVにおけるストックホルム症候群とは何かを教える教科書にした方がいいんじゃないか。 https://t.co/qWWkHwtwKb
— kaz hagiwara(萩原 一彦) (@reservologic) October 29, 2022
#日本語総まとめN3読解 p.80 第5週 3日目 家族①
— Ahiru Online (Japanese Language School) Principal (@AhiruNihongo) October 29, 2022
今現物を確認しました。
特に問2の答えは「夫婦とはわからないものだと思う」が正解となっておりDVを容認する内容です。@Bonjinsha @sogakusha 書店さんはこの本を売らないでください。日本の恥! https://t.co/4YGP5WJO8Z
ほぼ英語圏のツイートと同じ主旨である「夫婦とはわからないものだと思う」が正解となっておりDVを容認する内容です。」と批判の短い理由が述べられているのは、ほぼこのツイートのみだが、25件のイイネがついている。ほぼ日本語教育関係者だが、このイイネやRTに関わった人達が、問題がある箇所と理由を述べた投稿は見当たらなかったので、日本語教育関係者による投稿はこのツイートへの賛同がすべてという形になっている。
👉 ストックホルム症候群は誘拐や監禁などの一時的な心理状態を表すもので、長期的な家庭内DVについては「家庭内ストックホルム症候群」として表現されることもあるが、知る限りでは一般的な解釈とは言えなさそうです。この設問のあり方が粗雑であるという指摘なら、この設問にある情報だけで「家庭内ストックホルム症候群」と判断することも、また粗雑な議論であるように思います。
「特に問2の答えは「夫婦とはわからないものだと思う」が正解となっておりDVを容認する内容です。」
これは
- 「特に」と言うのは他にも問題があるがということが示唆されているが、他の問題についての言及はないまま。
- 正解となっていることが、DVを容認する、ということは、おそらく「夫婦とはわからないものだと思う」という主人公は、きっぱりと否定しない母親の感情を通じてDVを容認している、もしくは、そういう完全に否定的ではなく曖昧な感情を抱いた主人公のことを作品解釈の正解として選択する設問はDVを容認する、もしくはDVを容認する感情に誘導するものである。という解釈なのかはハッキリしない。
その後、11月になって日本語教育関係者などが引用RTなどで取り上げ、一旦、出版社も謝罪のツイート(おそらく現在は削除されている)をしたが、その型どおりの謝罪がダメだとなり、上の改めての謝罪と撤回となった模様です。
出版社が謝罪のツイート。この最初の謝罪に対しても批判のツイートが投稿された
アスクさんからご不快構文で返信をいただきがっかりしています。 https://t.co/tUd68iQ6Rz
— Ahiru Online (Japanese Language School) Principal (@AhiruNihongo) November 2, 2022
リプで強く抗議も。
日本語教育関係者は、RTするのみで、具体的な批判は少ない。言及されたものをいくつかピックアップしてみると
このN3総まとめの読解、ほんとうにおそろしい想像だけど、作った側が「こんな変わった会話、きっとクラスで笑い取れるやろ」と思っているわけでは……ないよね? これはわたしだったらさすがに飛ばすわ……
— ラチハト (@hctrhctr) October 29, 2022
「変わった会話」の主旨はわかりません。家庭内のDVを扱う作品では、家族の葛藤としてむしろよくある会話で、それゆえに作品として切り取られているのでは、という気がします。
ジャーナリストのspearsden氏もRTしているが特に言及はない。設問の全体の文脈がわからないこともあり、このようにRTのみという姿勢の人も多い。
そうがく社は関連のツイートをしている。
こんにちは。
— にほんご書店そうがく社 (@sogakusha) November 1, 2022
「日記や小説を読もう」という章の《家族①》というトピックの問題文ですね。
(個人的にはこの後の《家族②》についても、「一般的ではない描写」に「母」を登場させていて、モヤっとしました。「一般的母」とは…?)
さて、まず大前提として、弊社はDVを決して容認しません。→
「12年前初版の本とはいえ、DVを描いた読解問題文と問い【択一式】が使用されていることは、本商品の利用者に精神的悪影響を与える可能性が高いとは考えています。」という見解が示されている。択一式に問題があるという主旨?他の方法であれば許容されるということ?あるいは補足が必要なのかもハッキリしない。
出版社による謝罪
その後、最初に示した謝罪の後、数日後には以下のツイート。
【ご報告】
— アスク 日本語編集部 (@japan_askbooks) November 14, 2022
日本語総まとめ「読解」「聴解」増補改訂版刊行について、お知らせいたします。具体的なスケジュールが決まりましたら、再度HPとツイッターにて告知させていただきます。 pic.twitter.com/FRr6eCWI8f
改訂で「日本語教材としてふさわしい」ものにする、ということなので、今回の設問は「ふさわしいものではなかった」と言っているのと同じですから、全面謝罪と言えます。
整理と検証
□ 設問の妥当性
この問題は最初から作品を扱うと宣言されており、主人公の心情を問うものである以上、倫理的な正しさを問うものではない。その上で、この炎上で誤解がないか、設問を考えた人に誘導があったかを明らかにするためにも、設問の妥当性に絞って考えてみます。
0)「家族」がテーマで「事実と作者の気持ちを区別しよう」という目的が示された設問
前提として、家族がテーマで、このセクションは「日記や小説を読もう」となっている。つまり作品世界の解釈だということになっており「事実と作者の気持ちを区別する」のがテーマになっている。このことから設問に出てくるものは事実ではなくなんらかの作品であるということになっている。教材がターゲットとなっている学習者の言語でもこの前提は説明してある。「したい」「思う」「感じる」「ではないだろうか」は作品中の人物の気持ち、主観であるという説明から始まっている。
どの作品なのかはともかく、家族の暴力の受け入れ方が描かれる作品は多く、典型的なものといえそう。
ただし、作品であるから事実ではないということではなく、この設問の中で事実として語られている部分とそれがもつ問題と、作者の気持ちは違う。それが区別できるかがテーマになっていると言える。つまり、最初に作者の心情の解釈がテーマであり、ここだと、暴力が起こったという事実とその善し悪しに引っ張られないように、というのがある種のテーマということになる。
1)会話文における母親の「たいしたことない」の解釈
ここは、会話から怪我の程度についての答えであると考えられるが、暴力をふるうこと自体が「たいしたことではない」と母親が認識している、言ったと解釈されがちなところ。これも事実と気持ちの正確な解釈というテーマにそって読解力を試す部分として、設問の作者が意図している可能性もあります。日本語教育関係者以外への補足として付け加えるならば、N3レベルでは、区別が難しいところだったかもしれないという気もします。その意味では、この設問の解釈は、
- N3レベルの設問(N3レベルに達していない人のための教材)としては解釈が難しい。
- 家族のDVに関する作品に接した経験が薄い人だと、これが家族のDVを扱ったものとして、ひとつの典型的な場面としてありえると受け取るのが難しい。
と言えるかもしれません。
しかし、今は、どちらかというと、語彙の難易度や深い読解力と語学レベルは切り離してやってもいいという考え方が強くなってきているので、その流れで言えば、この程度の作品の鑑賞と読解力を問うことはあるかもしれないという気もします。
2)会話に続く主人公の独白の文章は炎上では引用されていない。
この設問の前には会話だけでなく、主人公の独白の文章があるが、上の前提のテーマ同様、英語の炎上でも日本語教師の言及でも、その文章については言及されていない。この文章は、
- 父が芸術家であり、後に有名な人物になったこと。
- 離婚はしなかったようであること。
- すでに亡くなっていること。
- 母が亡くなった父を思い、毎日泣いていること
が書かれている。しかし主人公は父親の暴力は許せない。母のこの心情が理解できないが、モラルとしての善し悪しのジャッジの狭間で戸惑っている。そこで「夫婦とは」という一般論として語るワンクッションがあり「わからないものだ」という曖昧な心情の正解の選択肢が妥当性を帯びるという構成になっている。
3)他の選択肢
- いやなもの
- 悲しいもの
- 美しいもの
- わからないもの
が準備されている。主語は「夫婦とは」なので、あえて解釈するならば、1と2は夫婦という形式について、その形式が暴力を隠蔽するような構造を持っているという批判に見える。3はその形式を賛美している。4は形式よりも、両親の個別の事情に注目し、心情が理解できないということを表現していると言える。12が暴力を否定する要素が強いとするなら3は賛美し、4は、理解できない心情をそのまま描いている。これが4になるのは、母親の父への愛情があり主人公がその愛情は愛情として認識している事実があり、暴力という事実と釣り合いがとれないという、主人公の文章があるからと言える。
「わからないものだ」という選択が正解とされることは、最初の設問にもある(ある意味、設問にすることで強調されている)「不思議」というワードの曖昧性を考えると、妥当であると言える。また、この「思う」という表現はこの設問のテーマでもある「事実ではない」気持ちを表しているもので、その区別を問うという意味では、DVは悪いものであるという論理的な妥当性とは別の、気持ちの解釈として、倫理的な判断とは違う選択肢が正解とされているのは、テーマにそった構成とも言える。
□ 「炎上」ではどこが悪いのかという言及はほとんど無い
炎上に戻ると、ツイッター上で、謝罪に具体的なことが無いことが指摘されますが、批判のほうにも、どこがどうダメなのかという具体的な言及はありません。上の選択肢がDVを許容しているという指摘のみ。
英語の関連ツイートも、(おそらくは)日本語教育関係者の引用RTなどでも、きちんと、どこが問題で、どうするべきなのか(素材として取り上げること自体がダメなのか、補足が必要なのか、必要ならどういう補足が必要か)ということをきちんと書いたものはありません。
このテーマである事実と気持ちの区別の前置きや、会話文に続く主人公の独白の文章は示されないままでした。
SNS的とも言えますが、特に日本語教育関係者の関連ツイは、ほとんどが不快感の表明までで、どこに問題があると考えるのかという意見表明がないままであることが多い。あるいは「炎上してますよ、どうするんですか」的なものがほとんど。日本語のツイートに限っては、出版社の謝罪があってからは批判のトーンはより強くなった。謝罪すべき案件ということが確定したので安心して批判できる、ということがあるのかもしれません。ネットの炎上ではよくあることです。
👉 この「唯一の正解として選択させる」ということが問題なのか?という指摘は、そうがく社のツイートにはありました。それが「最後」であることもポイントになるのかもしれませんが、これが作品の解釈力を問うということであれば正解ということは当然ありえますから、設問自体の問題ではないということでしょうか。しかしそういう具体的な指摘、あり方に言及するものは、他に出てきませんでした。
作品の作家性
文学性を持った作品の解釈の正解として、モラルとしてはジャッジされないまま、曖昧な決着であるものが「選択肢として」正解であるということはありえることであると思います。モラルとして許しがたいことでもあるが、一方で肉親である父親の行為とそれを許しているように見える母親に対して、単にモラルとして断罪するだけでは、自分の問題として解決しないという葛藤を描く作品はよくあります。家庭内暴力を描いたシーンとしてはよくあるものだと思います。ただ、この設問が何かの作品からの引用であると書かれておらず(「日記や小説を読む」となっているので作品からの引用かそういう体のものだとは示唆されている)、今回の説明でも明らかにされていないので、この部分の作家性みたいなものが曖昧になっている側面はありそうです。
その上で、これを題材にして、モラルとして批判されるべき行為が、設問の中できちんと強く批判されない選択肢を正解にすることが問題なのか、あるいは、そうがく社の指摘のように【択一式】という設問が、解釈の誘導であるとするのか?という考え方もあるようです。ただし、主人公の心情を理解し選択するという意味では正解とすること自体には問題がないのではと思います。良い悪いという基準で設問があるのではなく、肉親が暴力を受け入れているように見えるという状況を描いた「作品」を正確に解釈することも、読解力の要素のひとつといえます。作品ではなくとも、当事者が、この母親や主人公のような受け止め方になることは十分にありえることです。家族の長い年月で起こることがストックホルム症候群のようなものだと断定できるかは微妙ではないかと思います。
作中人物がきっぱりと暴力として否定しないことが、作品が暴力を肯定する意図があるとみなされるのかも微妙です。その線引きはどこにあるでしょうか?そして、それを今回のように一部を設問などで引用する際はどういう配慮が期待されるでしょうか?そこが、この騒動では議論されていません。もちろん、児童の教材であれば問題となりそうです。国語で出てきたら、これを素材としてどういう授業をするのかは、きちんと議論され慎重に準備されるでしょう。作品をとりあげること自体も批判される可能性もありそうです。
ただ語学の試験対策問題集としてどうか?ということは意見が分かれそうです。これがN3であることも考えるべき要素になりそうです。
👉 能試は児童も受験する可能性はありますが、基本的には留学生向けとして出版社は作っていると思います。ただし、N3がその種の作品の解釈レベルの読解力にふさわしいかは、判断がわかれそうです。ただ「すべての日本語教材は児童が関わる可能性があり、児童基準で配慮されるべき」というスタンスはあるかもしれません。
出版社の対応
この炎上以前に指摘があり改訂で差し替えは予定していたというツイートがあるので問題として認識はあった模様。
ただ、今回の炎上に関しては、出版社としては、批判の意図がハッキリしない以上、対応しにくい事項です。DVを許容する意図があるかの確認として、いちおう出題意図について調査を行ったができなかったとしています。
英語圏での反応も、それを受けての日本語教育関係者のものも、かなりの部分が、あの最初のツイートの画像のみの印象だけで進んでいますし、読解の問題集の一部であることも完全に理解されていないケースもあり、かつ、設問を含めた全体像が正確に把握されているとは言い難いので、誰のどういう意見に対して、どう説明するのかが出版社としては難しいところです。意図として許容していないとしても「結果として許容している」ならば、それはどこが根拠になっているのか?がわからないまま「炎上」として進行しただけだからです。
しかし11月10日に出された「お詫び」のPDFを読む限りでは、「「暴力を肯定している」と「解されかねない」場面の文章が掲載されており」となっていますが、「指摘をいただいて」「ご不快な思いをさせた」ので、改訂で差し替えをすることが示唆され、今後、同じようなことはしないと宣言されています。曖昧な文言に見えますが、ツイッターでの反応のほとんどは「不快感」レベルのものなので、ある意味、仕方ないといえます。設問の全体を把握し、きちんとした批判があり、問題点の検証が、批判した側にあるというものではないので。
具体的にどこがどう問題だったのか、トピックとして扱ったことが問題なのか、扱い方なのか、補足が必要だったのか、必要だったとしたら、どいうものなのか、はわからないままで決着となりそうです。いずれにしても、どうするべきだったのかが、無いまま「今後同様の事態が発生しないよう、編集部の意識を一層強化し、細心の注意を払って制作いたします。」となっていることに一抹の不安を覚えます。具体的にどこが問題だったのかが示されないままですから、これは「炎上することがないようにする」という以上の意味はありません。炎上したから鎮火というスタンスが見え隠れしますし、曖昧な謝罪ではありますが、批判の主旨も曖昧なままなので、これ以上は期待できないのではという気がします。論文でなくとも、ブログなどで、きちんと全体を引用した上でのロジカルな批判があったのなら、不十分な対応ですが、批判の主旨がハッキリしないまま謝罪することもできません。
この謝罪に対してはこういうリアクションがありました。
印象を与える
— なかやまじゅんこ (@vamos_japanese) November 10, 2022
誤解を生む
"不快な思いをさせて"
全て受け取り側の責任?
政治家の言葉が社会にも悪い影響を与えているんですよね
しかし、このツイ主も、この謝罪の仕方への批判のみで、元々のDVの扱い方そのものに関しては、どこが問題だったのかは意見表明をしていません。謝罪が前提になっているということは、問題があると考えていると思われますが、どこがどう問題なのかという考えがわからないまま、謝罪のやり方に批判が行われるのはSNSの炎上でよくあることです。野次馬的と言ってもいいと思います。しかし、これは対岸の火事ではなく、日本語教育の問題なので、当事者である日本語教育関係者ならば、批判も、やはりきちんと順序立てて書くべきことという気がします。
総じて、日本語のツイート、日本語教育関係者は、きちんと批判をしていません。日本語教育関係者が10年以上利用してきた教材であるのに、この設問の全体像がどういうものだったのか検証しようという姿勢がなかったことは残念です。(英語圏では多少ありました)この件について、そもそも、きちんとどこが問題かと書いた人、それはそれなりの文字数が必要であるはずですが、は、いないままでした。
わからないこと
誰が、どこが問題だと言っているのか?
この批判がきちんと行われなかったことも今回の決着を曖昧にした大きな要因のひとつです。批判はやはりきちんとされなければならない。前置き部分と文書を提示したうえで、それでも問題がある、こうあるべきだった、こうすべき、と説明するべきでした。粗雑な批判は粗雑な対応を生んだ。炎上したからアウトという空気だけで進むと往々にしてこういうことになります。
批判した側も批判された側も、具体的な言及を避けるのは、おそらくは「それを書くと、また議論が起こる可能性があり、自分の見解が再度批判されるリスクもある」と恐れたのかもしれません。こういうことはより強く批判する人のほうが意識が高い、というムードも醸成されます。ここはよい、ここは悪いという切り分けが冷静に行われない可能性もあるわけです。「おまえはDVを肯定するのか?」となってしまうことも起きがちです。
全体像がわからないから具体的な批判はしないという選択をした人達もいたかもしれません。それならば出版社の謝罪をRTするところまでが妥当、という気がします。関連のツイート群を引用RTで「ひどいね」などと雑な「不快感」を表明するなら、日本語教育関係者であるなら、きちんと、どこが問題であるか、書くべきでしょうし、全体像がわからないなら、いい悪いを判断するのは早計でしょう。
この問題集を知らなくても、最初に示した出版社の謝罪をみれば、設問の主旨や全体像がわかるので、それをみて、再度、きちんと意見表明する道もあったと思いますが。謝罪以降、この件は「解決した問題」となったのか、少なくとも日本語関係者の間では、まったくネットで言及はされなくなりました。
どこに向けての批判だったのか?
学習者の批判は、問題集の製作者に向けてのものであり、この種の設問を是認する日本語教育全体に向けての批判とも解釈できます。つまり、すべての日本語教育関係者は、これを受けとめる立場にいるとも言えます。この問題集は2010年から出版され、日本語学校をはじめ能試対策ではかなり多数の教師が使っているものなので、その12年間、許容してきた日本語教育関係者とその年月に対する批判としても受けとめる必要がありそうです。仮に知らなかったとしても、日本語教育関係者は学習者からの批判を「受けとめる側」であることからは逃れられないかもしれません。
もちろん、日本語教育関係者も批判する権利はありそうです。その場合、どこに向けて批判を行うべきなのか?という問題があります。当然、作成者である著作者(必ずしも著作権者とイコールではないとしても)に向けられるべきものという気がします。この日本語総まとめ問題集(2010年刊)の著作は、アマゾンでは佐々木 仁子 (著), 松本 紀子 (著)となっています。両者ともこのシリーズのほぼすべてを担当しているということになっています。ただし、教材の場合は、編集プロセスも多く、著作権者が誰なのか曖昧なこともあるようです。
今回は著者に関する話題は一切出ていません。批判も著者に向けられたものではなく、出版社も制作チームについては書いても、著者の存在について言及しない。出版社の対応でも著者については触れないまま「関係者」がいないので、ということになっています。内容に対する責任と出版した責任とは分けられるべきですが、はっきり示されていません。批判も著作者に対する批判ではなく、なぜか、そのベクトルは出版社に向けられているように見えます。著作権者になぜ設問として採用したのか、なぜこういう構成にしたのかと問うのではなく、なぜ出版したのか?という批判であるようです。佐々木氏や松本氏は名前すらあがっていません。
しかし、一般的に著作物は著作権者がおり、著者が内容に関しては一義的に責任を負うことになっていることがほとんどです。日本の出版業界が使う著作契約でもそうなっています。出版社は出版をしたことに対する責任があるかどうか、という立場です。出版物に問題がある場合、批判はまず著者に対してなされるのが筋で、「それを出版したこと」が問題であるとするのは、出版、言論、表現の自由との関係が出てきます。作品の中身に関しては著作権者が責任を問われますが、出版した責任が問われるかどうは別に争われます。
一般論として、なぜか、こういう批判は出版社に向くことが多いですが、著者がここまでスルーされることは疑問です。「なぜこんな本を出版したのか?」「チェック体制はどうなっているのか?」という批判のあり方のみだったような印象です。
批判する側もされる側も、どこに最終的な責任があるのかが曖昧なので、きちんと批判が届かない。結果、謝罪も曖昧なものになり、今回の件については、採用したという結果責任の話に終始し、内容の精査、検証が行われないということになっているように思います。
出版言論の自由を尊重するならば、著作に対する批判は、まず著作者に対して行われるべきで、それと共にそれを採用し出版した責任があるとするなら、それも問うていく、という順序であるべきではという気がします。
学習者からの問題提起は「重い」のか?
この種ことは、学習者からの問題提起だから重視すべきだ、正統性があると考える人は多いようです。しかし、学習者は多様であり、国や宗教によって違和感を持つ部分は違います。しかし外国語の学習者には、一般的にその言語が使われている国の文化であり考え方であるならある程度は尊重しようという人が多いのでなんとか成立しています。日本の典型的な家庭や会社を描くだけでも違和感を感じる人達はいるということになります。この点において、どちらかというとリベラルではない国、保守的な価値観を持つ学習者のほうが我慢を強いられていると言えるかもしれません。つまり学習者に全面的に配慮して作ることは不可能です。語学の教科書とは妥協の産物になるしかないという側面があります。
今回の問題は、家族のDVですから、文化の違いを超えて批判されるべき事項ではありますが、その濃淡はやはりあると言えそうです。子供への体罰への批判はかなり国や文化によって幅があります。近年日本ではほぼNGとなったと言えますが、それもここ数十年のことで、ほんの10年前まで、家庭や学校での体罰は楽しげに語られることさえある話題でもありましたが(テレビ番組で後輩の頭をはたくシーンで笑っていた人達は多かったはずですが)、家庭内DVは昔から深刻な話題であり、この設問でも基本的には、深刻な問題として扱われています。
題材として扱うこと自体が問題とされたのか?
そういうニュアンスの投稿もありました。これも曖昧なままです。DVにしろ、差別にしろ、現実に昔は色濃くあり、今も残っているものですから、そこを切り取ることは文学に限らず、起こりえます。かつてのケースや現実の描写としてなら、ありえることですし、それが読解教材の素材になることはあり得ることだろうという気もします。関連の語彙も学習すべき語彙としてピックアップされることも当然必要です。「DV」という語は学習すべき語彙と言えます。また、読解は論理的な文章のみが対象ではなく、文学性の高い作品の鑑賞の力も含まれますから。作品として提示されることもありえると思います。暴力や差別は多様な背景があり、複雑な構造を持っています。どこを切り取り、どう解釈するかも多様です。私たちは小説や映画で、密かに作品として暴力を楽しんでもいます。
能試の問題集は日本語教育の出版社の経営にとって超重要であり、総まとめシリーズも有名です。炎上は避けたいでしょう。売上に対するネガティブな要素は極力排除したいという危機意識は当然働くでしょう。全面謝罪で撤回、改訂という道はイージーとも言えますが、これからも、この種の炎上への対処としてはこれが正しい方法として続きそうです。
今後、おそらく、DVだけでなく、差別問題など、センシティブな問題は、扱うこと自体がハイリスクとされ、教材から消える傾向は加速しそうです。もし、この設問全体に問題があるとするなら、それはどこが問題だったのか?どうするべきだったのか?誰かきちんと書くべきではないかという気がします。残念ながら、ツイッターのみのやり取りで、そういうコンセンサスが生まれるような対話は無いまま、リスク回避で幕となってしまいました。
社会問題が学習素材となることは珍しいことではない
上の画像は。日本語の教材事情でピックアップした80年代の教材の『自然な日本語』の一部です。DVや学校での暴力問題が満載でした。
DVが教材で描かれるのは、80年代の教材には結構あることでした。80年代前後は、よく報道もされ、社会問題となっていたこともあります。社会の中で実際に起こっており、報道もされることであれば、当然語学の素材になるのは自然なこと、という気がします。日本語学習者が「社会的存在」であるならば、社会問題は今後きちんと学習素材として出していくことになるのが今の流れでもあり、その延長上線で、このDVなどを取り上げたのかもしれません。N3という比較的基礎段階から、語彙的に難しいものも入れつつ社会問題を扱うのは、今の語学教育のトレンドと言ってもいいと思います。
フォーマットの違いは問題にされていない
試験問題と教科書と問題集と教室で出される手製の練習問題などがあるわけですが、今回は教科書の本文ではなく、試験対策の「問題集」でした。
しかし、今回の問題は、学習者に対してこういう形で提示すること自体が問題であるという批判であったので、そのフォーマットが問題集であったことは、あまり問題にされていません。つまり、これが能試の試験で出されたか、教室で教師が作った問題であるかは関係なく、出版されたから問題だということでもなく、普遍的な問題として語られています。つまり、同じことが教室で行われても問題であるということだったと思われます。
つまりすべての日本語教師にとって、突きつけられた批判とも言えます。問題の例文であっても選択肢であっても、心情の解釈であっても、ひとつの完結した枠組みの中で、ある種のモラルが問われるべきか、問われるならば、但し書きや補足が必要なのか?あるいは問題の形式や、全体の「文脈の解釈」の基準はどうなのか? 作品の鑑賞において、モラルに反する登場人物や台詞に対して、どう対処すべきなのか、みたいなことは日本語教師自身が日常的に問われることになりそうです。近年、マンガや映画、ゲームなど、多様なコンテンツを活用した日本語教育の試みがありますが、一般作品には暴力表現、危ういジェンダー表現が溢れています。そのラインはどうなのか?という問題にもなりえます。
今回、出版社に厳しく指摘したことは教師にはそのまま跳ね返ってきて、日常、教室の中で教師を縛ることにもなりそうです。日本語教師は、DVに限らず社会問題について、明確な線引きの基準を持っているでしょうか? それは日本語教育で議論されているでしょうか?
今回、多くの日本語学校でも使われている教材が10年以上掲載していたものが炎上し、撤回となり、Yahooニュースにもなった、というかなり大きな「事件」でしたが、実はSNSでも、RTするのみで、意見表明を避けた人はかなり多かったですし、スルーした人も多かった。この人達が、どう受けとめ、どう考えたのか? 特に研究者やこの教材を使っていた人達がきちんと書いたものが出てくることを期待したいと思います。かなり売れている教材で、10年以上使われてきたわけですから、該当の設問を知っていた関係者は多いはずです。80年代からならともかく、2010年からの12年間で大きく社会の受け止め方が変わったとも言い難いです。2010年の時点で、DVは当然否定されるべき時代でした。今回問題になった設問は、日本語教育関係者に2022年まで許容されてきたとも言えます。
どういう配慮が期待されているのか?
配慮されるべき、注釈が必要だというのなら、どこに置くべきか、教材の最初に書くだけでいあのか?それともケースバイケースというなら、個別に書くべきか?という問題も出てきます。例えば教材の冒頭で、「そういう題材も扱うが、こういうことを肯定する立場ではない」とだけ書くか、該当箇所で毎回、個別に書くかということです。これもケースバイケースであるなら、個別に書くべきという意見があれば、そうせざるを得ないことになるのではないか?という気がします。
しかし、これも、誰も議論しないままでした。
また、その注釈はN3レベルで書けないなら、多言語で書かれなければならないということになるでしょう。これは、かなりのコストになりますから、この種のリスクは忌避される、つまり題材として配慮が必要なものは扱いたくないということになることに繋がりそうです。
問題であるというラインはどこにあるのか?
そして、これが最も大きく、難しい問題かもしれません。この点については誰も議論していない。この設問が家族によるDVを許容しているのかは、横に置いて、では家族によるDVの場面を扱ってもいいとして、その場合は「今日のモラルに反するものだ」という注釈が必ず必要であるならば、言葉による暴力はどこからダメなのか、性的なシーンでは「両者の合意があるとは言えませんが~」と補足が必要か?など、どこがラインなのかは、かなり曖昧です。しかし、語学を教える側は様々な現実に起こる場面を想定して、つくり出し、提示する必要があり、このラインはすべての教師に必要であるとも言えます。
日本語教育において、そういうラインのコンセンサスがあるとは言い難い。議論もほぼ無いと言えます。残念ながら、この「炎上」では、議論は回避されたまま、単なる炎上案件となってしまいました。
今後、どうなるのか
批判の主旨はハッキリしないままですが、ただ、全体としては、題材として使うことは問題としないがなにがしかの配慮、注釈、補足が必要であり、どういうものが必要なのか、その必要度の濃淡は文脈による、ケースバイケースだ、ということかもしれません。しかし、そうであるなら、今回のケースも、ケースバイケースのひとつとして、どういうケースであったのか、どうあるべきだったのかということが、しっかりした議論される必要があるように思いますが、そういうことは起きていません。
どうすべきかということが書かれたものはほとんどありませんでした。
世の中には確かに存在している事柄について、教材において明確に否定していく態度は確かに必要だと思う 学習者が別のとこで見聞きする可能性はあるが、教材が「それはダメなことだ」と伝えるのは大事…
— くーみん@博論書いてる (@qoomingjs) November 11, 2022
これも一般論であり、今回の件のどこがダメで、それをどう書くべきかは示されていません。一般論として語るのは易しいですが、ケースバイケースで議論していき、線引きのようなものを作っていく必要があるのではないかという気がします。きちんと議論しておかないと、今後は、単純に、リスクがある題材は避ける、ということになるだけでしょう。教材に出てくる作品は作中人物もモラルが高く、勧善懲悪のものでないと使いにくいということになりそうです。しかし言うまでもなく、文学や映画で高く評価されるものは勧善懲悪ではなく、簡単には図式化できない解釈の幅がある作品です。
今回、特に日本語教育関係者のリアクションは総じて曖昧であり、ツイートだけでは、誰が、どう考えたいたのかは、わからないままだったと言えそうです。一方で、沈黙を守ったその他大勢の人達の考えも当然分からないままです。沈黙の意味は、単にわからないのかもしれないし、多数の意見がどこにあるのか、空気を読んでるだけかもしれません。この設問を知っていた日本語教育関係者は多いはずで、この設問を許容してきたことを恥じたのかもしれませんし、問題ないと考えているが炎上ムードの中では投稿しにくかったのかもしれません。しかし、何も語られずに削除されてしまうことになれば、今回の炎上は大きな影響を今後も与え続けることになりそうです。
謝罪後、すでに関連のツイートは激減しています。そのうち「センシティブな題材を注釈なしで扱って炎上して削除になった」ぐらいにざっくりと、出版側にとっては、「DVなどは素材として扱うのはハイリスク」というような、ざっくりとした注意すべき事項としてのみ記憶されることになりそうです。あらゆる教材に「教材において一部~」という注釈が入ることになるかもしれません。
しかし、これは問題集だけの問題ではありません。試験においてどういう題材を扱うかはもちろん、日常の授業でも考えるべきことになっているはずです。きちんと議論しないままで大丈夫ですか?という気がします。考えるべき要素がたくさんあり、多角的に検証し、考え、議論するべきことであると思いますが、今回の件は、単純に炎上案件として曖昧な批判と謝罪だけがあり、リスク回避としてテンプレとも言える全面謝罪と撤回が行われ、SNSが沈静化するという、2010年代から繰り返された出来事に過ぎません。
日本語教師は問題を「作成する側」です。今後、試験や書籍だけでなく、教室でも設問を作り、例文を作ることになります。その時、今回の問題は必ず問われることになります。
少なくともこの件について、批判であれ賛同であれ誰かが言ったことに乗っかるのでなく、きちんと自分で消化し、考え、自分の言葉で論じる必要があるように思います。今のところ、短い違和感の表明のようなツイートがチラホラあるだけで、本質的なことは誰も何も論じないまま、なんとなく炎上的な空気が醸成されただけで、10年以上出版されていたものが出版社が削除する事態になった。該当の箇所を作った人は見つからず、作られた意図もわからないまま。誰も議論しないまま、何がどういう理由でそうなったのかは、誰もわからないままでした。
その後
出版社は、この後、2023年5月に改訂すると決定し、改めて経緯の説明と謝罪のPDFを出した。ただし基本的にはこれまでと同じく 以下のようなもので、どこがどう問題で、それをどう考えているのかは書かれていない。「誤解を生んだから」というもので、内容の是非には言及していない。これはここでの検証にあるように、そもそも、どこがどう問題だったのか?という指摘自体も曖昧なもので、誰がどいうスタンスで具体的にどう指摘したのかもハッキリしない以上、こうなったとも言える。
きちんとした議論もなく、深い考察もされないまま、指摘した側もされた側も「炎上して謝罪で改訂」以上のことをするでもなく幕引きとなった。
さて、この度『日本語総まとめ N3 読解』において、「暴力を肯定している」と解されかねない場面の文章が掲載されており、教材として適切でないとのご指摘をいただきました。読者の皆様にご不快な思いをさせてしまい、ご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。著者はもちろん弊社としましても、決して DV や暴力を肯定する立場にはございませんが、このような誤解を生むような文面であったことを重く受け止め、全面的に内容を変更することといたしました。
https://www.ask-books.com/jp/somatome/
以下は上のPDFを保存したもの。
https://webjapanese.com/dokuhon/files/somatomeN3dokkai_20221107.pdf
https://webjapanese.com/dokuhon/files/somatome20221114.pdf
参考資料
日本語教育においてジェンダーなどをどう扱うかは近年論文は増えています。日本語教育関係の論文の「ステレオタイプ、ジェンダー…」を参照してください。ただ、その他、教材の話題に関する研究は少ないという印象です。国語教育では、その扱い方については、多くの議論があるようですが、ネットで読める論文は少ないようです。
また時代によってフォーカスされる暴力の種類も違います。80年代の子供による親への暴力、両親間の暴力がクローズアップされた時代があり、現在は、子供への虐待などが加わり、家庭だけでなく会社やグループ内でのハラスメント、フィジカルなものだけでなく言葉による暴力なども対象となり、多様化しています。
国語科教育における多様な性への対応と言語感覚の育成 | CiNii Research https://cir.nii.ac.jp/crid/1390286426521103360
メディア・リテラシー教育におけるクリティカル分析の学習 : 暴力的ビデオゲームと表象 | CiNii Research https://cir.nii.ac.jp/crid/1050288469019347840
中学校国語科教材のジェンダーを読み解く指導 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtsjs/135/0/135_297/_pdf
文科省の文書にも家庭内暴力に関する記述があります。
これからの時代に求められる国語力について-I これからの時代に求められる国語力について-第1 国語の果たす役割と国語の重要性 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301/002.htm
家庭内暴力は、自治体の取り組みの文書も多いです。「家庭内暴力 自治体」などで検索するといろいろ出てきます。
配偶者暴力防止および被害者保護のための福井県基本計画(改定案) https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/016407/kateifukusi/dvplan3_d/fil/keikaku_Ver3.pdf
千葉市DV防止・支援基本計画 https://www.city.chiba.jp/kodomomirai/kodomomirai/kateishien/dvkeikaku/documents/saisyuu-dvboushikeikaku_1.pdf
画家たちのDV(家庭内暴力)。:落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ
https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2011-04-02
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