私どものスタンスについて

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私どものスタンスについて

「論点」のページを書くにあたって、このWikiの書き手の考え方を書いておく必要があると考えました。いろんなことに対する見立てや切り取り方などに、どうしても、書き手の考えがでます。このWikiを書く際の方針や考え方については、このwikiについてにありますが、以下は、日本語教育の政策などについての基本的な考えです。

2015年に日本語教育あれこれという記事を書き、多くの方々に読んでいただきました。その後、細かい改訂を2017年にしましたが、基本的なスタンスは変わりません。簡単に言うと以下のようなことです。

  • 在留資格に関係なく、国内で日本語の学習が必要な人をきちんと出すことが大事
  • 国は、無償で、すべての人に500時間程度の学習機会を提供するべき。
  • しかしながら学習は義務ではなく権利であるべきで、選択できる機会の提供でなければならない。

というものです。以下にこれまでに書いてきたことをベースに整理します。

👉 2015-2018にかけて書いたブログ記事の目次です(ブログは統合し移動したので画像などはリンク外れが多数あります。記録として置いているものです)→  WEB JAPANESE BOOKS

このWikiをはじめ、ネット上の発信では、日本語教育に関することを考える際の素材の提供をするという考え方に基づいてコンテンツ展開をしていますが「言語政策」のようなテーマや、「論点」のようなテーマでは、いろんな問題の切り口や、事実関係を元にした構成などにどうしても、一定の考え方、見方が必要になります。そういうことをクリアにしておく意味でも、私どもの基本的な考え方を表明しておいたほうがいいと考えました。もちろん、まだ判断がつかないこと、考えが及ばないことはありますし、考え方は変わります。あくまで参考です。

ここの最初で書いたとおりです。最良の特定の方法があると考えていません。私どもは日本語のプライベートレッスン専業の日本語教師グループが出発点ですので、最良の方法を考えるよりも、個々の学習者に適した方法をいかに考えるかが重要だというスタンスでした。

また、特定の方法を国の方針として決める必要もないと考えています。2010年の改革を経て、担当省庁別にCan-doがあるみたいな状況が生まれていることを残念に思ってます。国の仕事で最も重要なのは日本語教育のサポート体制をどう設計するかです。どう教えるかは無くてもまったくかまわないということに、日本語教育関係者は気づくべきだと考えています。

今、来日する人達の日本語教育がうまくいっていないのは、単純に学習する機会が与えられてないからです。それを整備しないまま、よい方法、シラバスを決めることには違和感しかありません。

書く際に気をつけていることは以下のようなことです。

教育に携わる人達がひとつ背負うべき荷物

教師という仕事は、学習者とどのような関係性を構築していても、結果として学習者にそれなりの影響を与えてしまいますから、自身の誤った思い込みを常に疑う必要があります。

研究者はともかく、現実に学習者を抱える現場の教師のスタンスとしては、学習の手法、方法は常にクールに選択されるべきもので、学習者次第で、あるいは成果次第で、いつでも変更されるべき選択肢の一つに過ぎないはずですが、往々にして、この種の物事は教典化し、教祖が現れ、信者育成みたいなことになってきてしまいます。

語学教育のゴールは最適な教授法やシラバスを発見することではなく、個々の学習者のゴールの達成にどれだけ貢献できるかということだと考えています。実感や理論だけでなく、学習者のためにも、結果や成果こそが重視されなければならない。成果の検証はあくまで客観的に、慎重に行われなければなりません。自分の勝手な思い込みをチェックするには…

  • 自らのビリーフのために、それに有利なデータや文献を探してはならない。
  • 自分の直感だけではなく、多くの人の知見をふまえて判断されなければならない。

というようなことが必要ではないかと思います。つまり、教師はひとつの方法を自分勝手に信じることは禁じられていると言ってもよさそうです。今採用している方法はあくまで今の選択であり、それは最善の選択でもあり、かつ、いつでも学習者のために取り替え可能でなければならない、ということになります。

対立と不毛な議論からの脱却

特に、SNSでは論点は単純化され、上のような図式に陥りがちです。残念ながら、往々にして絶対的な正解があると考えたい人達のほうが多数派です。それは楽だからです。「選択する人」の道はハードですが信じる道は楽です。よって、伝道したり信じたり、なんとなく追随したりという人達は常にボリュームゾーンです。

それに何かを信奉し、布教しようとするエバンジェリストには、投稿する動機が生まれます。個人のブランディングや組織の中での「ネットを活用している人としての組織内の評価」が頭の隅にある人は、より投稿する動機は増幅されます。ここだけをみていると、世界はエバンジェリストと信者の集まりに見えますが、現場は、実はそうでもなく、現場でうまくいかなければ、結果がでなければ、修正を強いられる「見えざる手」が働くことも結構あります。

しかし単純化された議論で生まれたエバンジェリストやその信者達は信じた体験を絶対視しがちで、その後、なかなか考え方をアップデートできない人達でもあるので、時が進むにつれ、原理主義的な傾向が強まります。ロジックは薄れ、信じるほうが楽だよという説明になっていき、マニュアル化が進みます。

「中途半端に新しい人」がその罠にはまりがちです。例えば、デジタルやネットの世界では、アナログな人達よりも、2010年以前に「ウェブ進化論」で進化しちゃった人達が、その後の2010年代のSNS時代に乗り遅れ、SNS時代に出てきた人達が「古き良きSNS時代」から抜け出せない、みたいなことが起きています。「自分達は新しいのだ!」という思い込みは、大きな枷になりがちです。

絵に描いたような方法でやるところはレア

また、往々にして現場が採用している方法は特定の方法であることは少なく、いろんなものを折衷したものになっています。2020年前後の国内外の日本語教育機関が行っているのは、修正AL(=みん日改、+α)だったり、修正CA(タスクベース+Fon-F)だったりです。良質なところであるほどそうです。しかし、そういう試行錯誤をしている人達でも、互いに知らない方法については「典型的な」「融通の利かない」「マニュアル通りの」やり方でやっているはずだという思い込みがあります。これも議論がかみ合わない大きな要因です。

決めつけない

単に演説がしたいだけなら、もう止められませんが、もし仮に、対話をし、議論をし、自らを省みる機会がほしい、得るものがほしいと思うなら、重要なことは、ネットでもリアルでも、特に自分と違う考えを持つであろう人に対しては、相手は「選択するタイプの人」であるという前提で話しかけることだと思います。たとえそうではなさそうな場合でもそういう態度でやる。でないと対話は始まらず、進まないからです。

とはいえ、うまくいかないことも多いです。対話が無理だと思ったら、直接の対話は止めて、その周辺の人にいる人に向けて、その人達が選択するタイプの人であるという前提で、独り言として言ったり書いたりすればいいと思います。SNSが無理ならブログでコツコツ書いてもいいわけですし。

「選択する人」に

このページでは、どういう方法を選択するにしても、常に考え、自分が選択した方法を疑い、改善する人、違う考え方や方法を知ろうとする人、異なる考え方を持つ人と対話をする人、何より学習者を第一に、現場で学習者をみつめ、学習者にとって最良の方法を考え続ける人、つまり方法を「信じる人」になるのではなく「選択する人」になるために考えるための素材を提供することに徹しつつ進めます。おそらくそれは教師にとって、職人から設計者への次のステップに行くために必要な視点でもあると考えています。

これは説明するのは簡単ではありません、以下に、ずらずらと書いてみます。

2013年前後に、課題整理に関するワーキンググループ | 文化庁(2012) でCEFRを軸にやっていくという方針が決まったということを受けて考えはじめ、2015年の3月に「日本語教育あれこれ」という日本国内の日本語教育の公的サポートについてブログ記事を書きました。基本的にはここに書いたことと変わっていません。以下、現時点でのことについて簡単に整理します。

留学政策は、留学生数を追うことをやめることが最も重要だと考えています。

以下は、実現は難しいものもあるとは思いますが、仮にすべて実現しなくても、情報公開、透明化はマストだと考えています。

日本語教育機関の基本情報の国よる公開は2017年に一度おこなったきりストップしています。これを再開し、多言語で発信すべきです。(できればPDFではなく、過去の記録も含めて検索できるテキストデータベースのサイトを作る。

上の基本情報に含まれないものでも、例えば、適正校・非適正校も公開すべき情報です。CEFRのA2の合格率など、国が決めた学校の質的判断の判断基準であり、許認可に関わる重要な学校の質的保証のためという理屈があるならば、学習者には、文科省がネットで多言語で公開するのが筋ですし、働く場所を選ぶ教師にとっても重要な基本情報です。

2010年代に日本語学校の学生数は9万人、学校は800校となりました。おそらく稼働している学校は500校弱です。これを本来の留学目的に絞り、自己資金で留学費用をまかなえる人達に絞るべきだというのが基本です。2000年前後までの平均であった、3万人、2~300校規模あたりが適正な数ではないかと思います。

  • アルバイトをしないと留学できないという制度設計はやめるべきだと考えています。
  • 大学、専門学校など学位を授けることができる学校と語学学校は在留資格を再び分けたほうがよいと考えています。
  • 進学準備の在留資格は、アルバイトは他国の進学準備ビザと同じく原則禁止でよいと思います。そもそも留学は自己資金がある程度ないと厳しいものだという、2004年以前の方針に戻すべきだと思います。
  • 経済的余裕だけでなく本気度でも足切りは可能です。今は来日はN5が条件ですが、これはN4が妥当だと思います。特定技能でさえ、CEFRのA2を来日条件として課す制度設計であるならば、留学目的にそれよりも厳しい基準があって当然です。日本で、N5レベル(あるいはそれ以下、やっとアルファベットが書けて挨拶できる程度)の英語力で英語圏に留学できる、留学する意味があると考え人はいないはずです。
  • 留学はおそらく1,2万人、300校ぐらいの規模になれば、住居サポート、奨学金サポートが行き渡る規模になります。留学制度において、この本気の人にしっかり支援することは大事です。来日前にN3に合格すれば奨学金と月7万円の生活費援助、来日後1年でN2に合格すれば援助は延長、みたいなことも考えられます。留学という在留資格は日本語の能力で制限を設けてもいいほぼ唯一の在留資格だと思います。地方自治体は優秀な留学生を確保したいのなら、無償で住居を補償すべきです。
  • ちなみに1万人に毎月7万円のベーシックインカム的な補助をするには、年間84億必要ですが、国や自治体、企業に加えて進学先になる大学や専門学校からの拠出もあれば可能な数字だと思います。例えば、進学準備の学生を対象にN2合格でやっても1万人にはなかなかならないのではないかと思います。
  • アルバイトをしなければ学費を稼げない人は就労の在留資格で日本に来て、N2レベルの試験に合格すれば奨学金を得て進学できることにすればよいでしょう。これは就労系の在留資格に制度として組み込めばいいと思います。
  • 就労と留学を入口でしっかり仕分けできれば、留学が就労の隠れ蓑にならないので、日本語学校は入管の出先機関的な管理は原則として無くなります。&color(Black,antiquewhite){これは就労系の在留資格が整備されることで実現可能となった方策です。};
  • 日本語教育機関は日本語を教える力で競争すべく、関連の数字(試験の合格率、進学率、進学先など)すべて、国に届けて出て、国はそれを多言語で毎年公開し、留学生に学校を選ぶ材料を提供すべきです。透明化、情報公開がこれからの日本語教育機関の軸になります。

これは2015年のブログ記事の「日本語教育の新しい時代」に書いたこととほとんど同じです。

日本国内の日本語のニーズの地理的な分布はハッキリしませんが、技能実習生や特定技能の受け入れ機関や日本語学校のマッピングされた地図で少し分かります。以下は、私どもが作った日本語教育マップというものです。特定技能の受け入れ機関や日本語学校などがレイヤーで整理しました。レイヤーとは、それぞれ別の地図ですが重ねることもできるというものです。

日本語教育マップ(Google Mymap):2021年の時点の資料で作成。

地域的な問題

最初の2つは北海道、東北の技能実習生制度と特定技能関連の事務所などの地図です。

次の2つは同じ地域の日本語学校の分布。就労系の組織と留学生の日本語学校ではかなり違い、日本語学校で就労系の人達を手当てするのは難しいということはわかります。

以下は例としてとりあげてみた釧路市です。2019年の時点で民間の日本学校は無いようです。左は就労系の事務所などで、右は介護施設です。

人口は約175000人。37%が65才以上とのことなので高齢者は約65000人。介護職員は3人あたりに1人の介護職員と言われています。要支援2以上の入居者3人に対して1人以上の介護職員または看護職員の配置が義務付けられているとことなので、入居しない人がいるとしても、その他の介護サービスがありますから「3人の1人」で計算するとして、仮に65000人が要介護となると21500人の介護職員が必要ということになります。外国人介護職員は施設ごとに上限がありましたが、次第に緩和されてます。地方は人手の確保が難しいですが、仮に1割が外国人介護士としても2150人。

釧路市はその他、技能実習生が1000人超いるとのことです。

北海道における在留外国人の現状と課題 https://www.hkk.or.jp/kenkyusho/file/jyosei_rep_r01-03.pdf

この介護と技能実習生だけでも3000人超の外国人が暮らすことになります。これが外国人介護士の比率が3割になると7500人。人口(17万5000人)の5%近くです。7500人の日本語学習者がいるとも考えられます。日本語教師が学習者100人に1人必要だとして、75人が必要ということになります。

医療のほうでも、おそらく百人単位で外国人看護士が必要になってくると思います。介護、看護の在留資格はいくつかあり、長期滞在、家族帯同も可能なものが多いので、当然、家庭を持ちということになり、児童の日本語教育も必要になります。

一般的に「外国人が集住している」と思われていないところでも、今後、外国人が増え、日本語学習の必要性が出てくる、ということがわかると思います。

釧路市には北海道教育大学のキャンパスがあるようで、留学生もいるとのこと。2021年の時点で、ググったところでは、日本語を学習できる場所はボランティア教室がいくつかあるだけです。

釧路市は、人口減少で産業が少ない地域ですが、観光地でもあります。17万の人口は過疎地とは言い難い。地方都市としては、それほど特殊なではないと思います。街道沿いにはロードサイド店があるようなところです。上の予想は、現在と将来の日本の地方の今後の姿で、以下は、それを受けての私どもの考えです。

  • 国内の日本語教育は集住、散住から、まんべんなくサポートが必要な時代になる。介護、医療は高齢化の地方、過疎地でむしろニーズが高い。
  • 民間の日本語学校では手当ては無理。必ず公的サポートが必要になる。
  • 在留資格別ではなく、地域別に公的な日本語教育のサポートが受けられるネットワークを作る。
  • 無償で500時間以上の受講ができるものにする。
  • (人口分布と連動している)中学校(全国に1万)で考える。ひとつの中学校の学区に平均2つの小学校があります。ここに日本語教師が1人で1万人。
  • 公立小中高校などに在籍する外国人の児童生徒は8万119人。日本語指導が必要な3万4335人のうち、実際に特別な指導を受けている子どもの割合は76.9%(2万6410人)。小学校、中学校の1校に1人以上は日本語の指導が必要な児童がいるということになります。
  • 就労系の人が今後70万人になるとして、介護などは過疎地に多いのでまんべんなく広がります。1万人の教師で70人。
  • 1人の教師でみるのは平均で100人以下となります。濃淡はあるので、最低1人。多い地域は数人でもたった1万人+αでやれます。

以下は釧路市の中学校の分布です。各中学に日本語教師が少なくとも1人いるとなれば、かなり心強いんじゃないかという気がします。

あとは、いろいろと試算してみてください。例えば…

中学は全国に約2万あります。中学校の学区で全国を2万の地域に分けた時に、2016年の時点では、訪問通所介護の施設は約4つあり、滞在型の施設が3つの学区で2つくらいあることになります。介護職員数は、4×8人で32人と、80人÷3で27人なので合計59人です。このうち外国人介護士は最大約30人です。この30人は、全国どこでもこのくらいの数がいる、ということが重要です。これまでのように外国人を大量に雇う工場がある地域だけでなく、都会も田舎も同じです。しかも、どちらかというと田舎のほうが、高齢化が進み介護施設で働く若い人は不足しがちです。

中学校にひとつ地域の日本語教育の基地があり、その上は方言区域などで組織化すれば、方言研究と共に進めることもできます。ひとつの件に中学校の数だけ公務員の日本語教師がおり、ネットで繋がれば、海外の継承日本語の人達と共に生活日本語の研究、研修、育成のネットワークを構築することができます。

人数的な問題

2021年の時点で、国も日本語教育関係者も数えたことがないのでハッキリしない。ざっくりと言えば、留学生(30万人)と技能実習生制度と特定技能(45万人)だけで、75万人で、この人達はほぼ日本語のレベルは0に近い形で来日する。永住者など、すでに住んでいる人で日本語学習のサポートが必要な人は10万人以上はいて、その他の在留資格で来日し、日本語の学習が必要な人も10万人前後はいるとすると、だいたい100万人±数十万人はいるという計算になる。

児童は義務教育がありますが、就労系の人達(75万人)のうち、15万人くらいは介護、看護の予定なので、ここは技能試験でも日本語要素が多く、事実上、日本語教育はマストとなっていると考えていいと思います。就労系の残りの60万人をどうするか、というのがテーマになります。

特に特定技能の家族帯同、永住となると日本語学習を義務化すべきではないかという議論があります。しかし、現状、まったく日本語学習の機会が与えられていない状況で義務化や試験による足切りからはじめることには違和感も覚えます。なにしろ、この人達は、日本が人手不足で呼んだ人達であって、欧州のように来てしまった人達とは違う。まずは日本語学習機会を整備するのが先です。そして、整備し、受講できる体制(授業時間は就労と同じ時給が支給されるなど)を作れば、受講は促進され、日本語は十分に上達するはずです。

その数も試算してみます。

2019年の時点で技能実習生制度で、41万人で3号(4~5年)まで進んだのは約25000人。3年前の2016年(H28)はだいたい30万人だったので、約8.3%です。60万人の8.3%は、49800人、4年目に進むのが約5万人です。5年目に到達し、6年目、つまり特定技能2号に進むのは(ここからは完全に推定ですが)5年以上労働力を確保するのが特定技能の目的でもあるので、特定技能2号に高いハードルは課せない。とはいえ、4年目までに8.3%に減ってしまうわけですから、特定技能の2号に進むのは多く見積もっても、約20%の10000人くらいと考えてみます。

この1万人のうち、家族帯同や永住を希望する人が何人いるのか?

おそらく10年働くことができれば満足で、貯金と技術をもって帰国する人も多数いるのではと思われます。例えば20才で来日した人は35才ですから、親世代の世話が現実的になってくる年齢でもあります。家族帯同は配偶者と子のみで、親は呼べませんから帰国という選択肢は大きくなりそうです。1割が永住希望するとして、1000人です。この1000人に、来日時から、500時間の無償の日本語学習機会が与えられていれば、10年後には、十分に日本で生活できる日本語能力は身につくのではと思います。特定技能2号に進み、永住が視野になってきて勉強をはじめても、5年ありますから、永住申請ができる10年目にN3をクリアするのは難しくなく、N2も可能ではないかと思います。無理に学習を義務化したり、試験で足切りを設ける必要はないと思われます。

混在することになります

この公的な日本語学習ネットワークでは留学以外の日本語学習者が混在することになります。在留資格別になると必ず省庁別になりますが、これからは就労系の人達も家族帯同、永住視野になると、生活者でもあり児童となるので、混在のほうが自然です。すべて「生活している人」として考えてよいはずです。&color(Black,antiquewhite){これまでの日本語教育の問題点は、留学、生活、就労と分けてきたことにあると考えています。};それぞれの省庁とその在留資格と、そこと関係の深い日本語教育関係者がぶら下がっていて、互いに、他の在留資格の人を学習者とみなさないみたいなところがあります。児童の日本語教育の人は就労系の日本語教育のことをほぼ知らない。逆も同じ。留学の人は留学以外にまったく関心がない。そしてそこから外れた、未就学の児童や、日本語教育に積極的で無い厚労省の技能実習生制度の日本語教育は20年以上も未整備で、今も何もない。論文が少ないのは、予算もなく、書いても評価されなかったからでしょう。

  • 就労系の人達は、300時間あたりまでは、来日後に受講。その先は、500時間くらいまで、仕事を休んで受講してもOKにして、1時間で得られる時給分が支給されることにすれば、日本語の授業の受講は進むと思います。
  • 就労系の在留資格の人達は、中卒の人もいます。日本語能力がN2相当の試験に合格すれば、日本の高校、専門学校、大学で学位が取得できるルートも整備すべきです。これで留学で無理に就労目的の人を集める必要はなくなります。
  • 日本語学習は義務ではなく、試験などでの足切りの基準でもなく、日本語の学習ができる環境を整えるということが重要です。特定技能制度では先走って、在留資格と日本語能力の試験の合格だけが足切り基準として採用されましたが、これは誤りでした。まずすべての人が学習できる環境を作るのが先決です。日本語教育関係者は仕切り直しをすべきです。
  • 今後、就労系では予定通りなら70万人になりますが、これまでの例だと、5年後までおり、6年目、すなわち特定技能二号に進むのは多くても1割以下(技能実習制度で4年目に進むのが7%程度)で、その中で、10年をこえて滞在したい、家族帯同を希望するのは、その数%程度のはずです。おそらく3000~5000人。ここは無理に試験の合格を課すのではなく、10年の間に無理なく日本語の学習機会が与えられれば、十分なはずです。

有資格教師は就労・児童に。留学準備は規制緩和で

以下は、この点の考えをみじかくまとめた連ツイです。

ボランティアでうまく行った告示校の例としては、例えばこのケースがあり、学習者の母語による授業の有効性は留学生向けの塾の躍進からも明らかとなっています。少なくとも留学ルートでは、授業を有資格の教師に限定する意味は薄れています。

以下、同じころ(2022年末~2023年1月。パブコメ締め切り前後に書いた連ツイです)

https://twitter.com/webjapaneseJ/status/1612924846996066304

https://twitter.com/webjapaneseJ/status/1612941701731213312

https://twitter.com/webjapaneseJ/status/1612983444853911553

関連して「横暴」というような投稿もありました。記録として。

海外の日本語教育政策を国内と分ける必要はなくなると考えています。今のように大都市にリアル教室を運営する意義は薄く、ネット活用を軸にすべきです。そして、それは国内の日本語教育ネットワークの延長でやれるはずです。海外での大事な仕事は、今でもそれが主流だと思いますが、現地への日本語教育のコーディネートではないでしょうか。文化庁のコーディネーターと同じ役割を国際日本語教育コーディネーターとして、そういう資質をもった人を募集すればいいと思います。

省庁が自前で日本語教育の研究部門を持ち「専門家」を育成するのは、日本で日本語教育の研究が盛んでなかった時代は必要だったかもしれませんが、今は不要です。そこはもう国内の大学でやれるので、基金は、そことの仲介役でよいはずです。研究、教材開発、ネット展開は、国内で国立国語研究所の日本語教育部門などに一元化したほうがよいと思います。

国内においては、日本語学習者は来日する人の義務なのか権利なのか?は、政治判断が関わる大きな考え方の違いがあるところです。これは二者択一ではなく微妙な選択肢があります。

  1. 来日する外国人は日本語学習をする義務がある。 
    1. → 日本語能力は主に試験と紐ついて、在留資格の取得、延長、その他の権利を得るための条件となったりと様々な基準になる。
  2. 来日する外国人は日本語学習をする権利がある。 
    1. → 日本語学習は義務ではなく、国は日本語学習の機会を準備する義務がある。国は訴訟の対象にもなりえる。
  3. 日本(国か地方自治体か受け入れ企業かは)日本語教育を提供する義務がある。 
    1. → 権利義務には言及せず準備の義務だけ。どこに責任があるかは明確ではない。訴訟の対象が明確では無いことと、どこまで提供すればよいかも曖昧なので、なかなかこれを根拠に学習者が、責任の主体に対して訴訟を起こすことにはならない。

今は、文言上は3です。ただしすでに在留資格の取得と紐ついており、国内でも留学などでも強化されつつあるという意味では1)の義務的な要素がかなり濃いと言えます。権利か義務かは明記していないと言えます。同時に権利とうたわないことで、日本語教育の提供義務は強くありません。

この動画は「政治的なことには言及しないあくまで説明」ということで始まりますが、この中に

「働き始めたら技能実習生は法律的に日本語を勉強する義務はないから、熱心に勉強している人もいれば全然していない人もいる。」 「勉強してほしいけどなー」

というやり取りがあります。ここは権利でもいいはずですが、義務という語が使われ、勉強してほしいけどその義務がないから(されない)ということが示唆されています。そういう意味では「義務であるかどうか」という切り口しか示されないままで、このように、この義務であるべきか権利なのかというもっとも重要なところで議論がないまま、いつのまにか、義務であるべきだということが前提ではじまる議論はかなり多いです。

「親方日の丸」としての日本語教育

このように義務なのか権利なのかという問題は重要で、言語教育においてもかなり大きな分かれ目であり、政治的な問題でもあるのですが、前提として政治的に組み込まれているケースが普通で、それに日本語教育関係者は気づきさえもしないということがあります。それはおそらく、日本語教育関係者がこういう議論を苦手としており、考えたり議論したりする素地がないからないかと思います。

そして、その理由は、日本語教育が日本の政策の下請けとして役割を果たすことによってこれまで続いてきたという歴史があるのではと思います。政策として必要であれば決定される。そこに関与はできない。政策によって、私達の役割が生まれ、仕事が生まれるという意識があるからではないかと思います。

日本語学習の義務化は市場の活性化に繋がるという理屈

日本語教育はこれまで以上に「予算がとれる分野」になりましたから、それぞれの日本語教育は違うほうが都合がいいし、来日後の試験で在留資格の延長と紐ついたほうがいい、それぞれ別の日本語教育が必要で別の専門の教師の育成とそれぞれの研修、試験が必要ということにしたい。試験や研修は民間の業者も参入できますよ、とすれば歓迎される。つまりビジネスとしてのパイを大きくしたいなら日本語能力は数値化され、在留資格と紐つけられる方向、すなわち義務化の方向となるかもしれません。

しかし、日本に来る人達にとって日本語の学習機会は保障されるべき「権利」だと考えています。移民への言語サポートは、自らの母語を維持するための保障をすることもセットなのが世界的な流れです。自分が使いたい言語を選ぶ権利があるという考え方が主流です。

今後、日本語教育の世界は「日本語学習の義務化=市場の活性化」「日本語学習の権利化=言語学習環境の構築」の2つの考え方に分かれるのではないかと思います。

就労、留学は在留資格の違い、来日のルートの違いに過ぎず、日本で生活する生活者であることは同じで、滞在が長期化すれば、児童や家族の日本語教育とも関わりが出てくる可能性があります。言語の学習で学ぶべき基本的な部分は同じで、中級以降の違いは一般の日本語教師の勉強で十分に対応できるはずです。そして「日本にいるからには日本語を話せ」という圧力ははたして正当なものなのか?それを語学教育が肯定してよいのか?CEFRの理念と離反していないか?という疑問もあります。複言語、複文化という理念を欠いた「参照枠」や「標準」では、結局、日本語学習を強制する指標として機能してしまうわけです。また、ここで抜け落ちるのが学習者の母語教育であり、言語権の問題です。言語政策はさまざまな要素があり、その人の言語教育観が問われるテーマでもあります。

日本語教育関係者は、省庁間の駆け引きによる日本語教育の分断に巻き込まれることなく、業界の利益拡大からも距離を置き、大きな視点で考え、日本国内の日本語教育の大きな設計図を示す必要があります。専門家として、しっかり国の議論をリードしてほしいところです。

永住、家族帯同希望者には日本語学習を義務化せよ、N2レベルの試験の合格を要件にせよ、という主張がじわじわと増えています。しかし、今は、日本語学習の機会が与えられていないのですから、まずこの整備が先です。10年間、無償で質の高い学習機会があれば、永住希望者はそれぞれが必要だと思う日本語能力を得ることはできるはずです。特定技能から永住希望をする人達はかなり多く見積もっても、3000~5000人程度です。

👉 日本語学校をはじめ、業界はビジネスになる日本語学習の義務化を支持しそうです。教材、民間試験、日本語学校、教師の養成ビジネスなど市場は広がるからです。このへんの人達の声が大きいことも、他国のように公的サポートが広がらない大きな要因になっていると思います。

海外の外国人に対する言語政策などに関する資料、論文は日本語教育関係の論文に少し整理しています。




研究

  • 私どものスタンスについて.txt
  • 最終更新: 2023/01/18 04:38
  • by webjapanese